江若鉄道・小田川橋梁跡 (滋賀県高島市勝野) | 穴と橋とあれやらこれやら

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2013年10月6日、高島市徘徊の際に発見した橋をご紹介。この日のネタで記事にしているのは、旧・大溝橋(仮)欄干橋。今宵ご紹介するのは、この2件の間にたまたま発見した物件。

 

余談だが上記の旧・大溝橋(仮)、Q地図で判明した名称が、なんとこっちも「欄干橋」。つまり1km強しか離れていないごく近接した位置に、同じ名前の橋が存在してるというのが事実で、たまたまその2件を記事にしちゃってたっていう。

 

 

 

さて、いきなりこれ。

JR湖西線をくぐる農道?なんだが、違和感にストップ。場所はこちら

 

全線高架と築堤で踏切がゼロという超高規格路線である湖西線、ボックスカルバートではないこういう低めのアンダークロスは意外と珍しかったりする。違和感の正体は、そんなアンダークロス左側、コンクリ製の物体である。湖西線の橋台…ではないぞ。

 

 

 

 

 

角度を変えると…

…!これはもしや…。

 

 

 

 

 

急いで登ってみたら、

やっぱり。これは…橋台だ。

 

 

 

 

 

びみょ~~に角度を変えてみて…

間違いない。湖西線に踏んづけられて見る影もないが、これは橋台。そしてこの立地的に、かつての江若鉄道の貴重な遺構だと思われる。

 

かつては築堤で、農道部分にもごく低いガーダーでも架かっていたような、そんな感じか。築堤は崩されて、コンクリートの橋台のみが残ってる状態のようだ。

 

 

先述の通り超高規格路線である湖西線、大津京付近から近江今津の手前までは、概ねそれ以前に当地を走っていた江若鉄道の路盤を踏襲しており、湖西線に「踏んづけられなかった」部分を中心に廃線跡が以前は何か所か残っていた。のだが…。

 

そんなわけで、この「踏んづけられた」位置に遺構が残っているのには驚いた。どうして破壊されずに残ったのかは神の味噌汁 神のみぞ知るだが。


実はここ数年で、江若鉄道の廃線跡の主だった部分が相次いでその姿を消してしまっている。昨今のそういった状況を踏まえればさらに、これは貴重な忘れ形見である。

 

これは9年前の記録だが、ストリートビューで確認してみたら、最新版(といっても2019年6月撮影)でも同じ状態で確認できる。まあここはわざわざ撤去もされないだろうし、当分の間は残るのではないかな?

 

 

 

 

 

ちなみに、湖西線の橋台に取り付けられた銘板によると、

名称は「小田川橋りょう」。

 

なので、江若鉄道の小田川橋梁跡、とした。興味ある方はぜひ。

 

 

 

 

以上。