※お断り:今記事の写真の色調がどうもおかしかったりピンボケが目立ちますが、気にすんな(笑)。
2015年6月28日、プロフェッサー・おろろん完全監修による「参宮街道・東海道沿いオススメの橋シバキ倒し@三重県中勢北部~北勢~ちょこっと愛知県」OFF(長)。
これまで記事にしているこの日のネタは下相川橋と最後の御葭橋、集合前の関町沓掛の謎穴だが、先日プロフェッサーより、当日訪ねた橋のひとつが過去帳入りしたので追悼記事を手向けてたもれ、との連絡をいただいた。ここに謹んで哀悼の誠を捧げ…ってほどの内容はないんだけども(笑)。
ちなみに時系列では、下相川橋の直前になる。
つうわけで、タメなくドン。
なんか、あしゅら男爵的な親柱が印象的な、この橋でございます。
右側路外からの、少しサイドぎみアングルで。
目ざとい人は、見つけましたね?(笑)
はい、お名前は
香良洲(からす)橋。
地図を参照いただきたいが、雲出(くもず)川が伊勢湾にそそぐ手前の巨大な三角州に架かっている。この三角州すべては、2006年の平成の大合併までは一志郡香良洲町だった。
「本土」と香良洲町を結ぶ橋は三本。北と結ぶ「津香良洲大橋」、南と結ぶ「香良洲大橋」、そして西と結んでいるのが、三重県道575号香良洲公園島貫線の、この「香良洲橋」。名前からしても、三本の中では最も古い橋だと思われる。
お誕生日は、
「昭和二十九年三月架換」。
架換とあるように、先代以前からここに橋が架かっていたわけだが、現在この香良洲橋、次代の橋への架換えを行っている真っ最中。なので、冒頭で「過去帳入りした」と書いたが、正確にはそういうことである。
架換え工事自体はすでに2017年10月から始まっており、なんと4年半もの間、通行止めとなるとのこと。三重県HPによると、「仮橋を設置すると治水上の問題が発生するため」このような措置になっているという。先述のとおり他に二本の橋があるとはいえ、不便ではあるだろうなあ。
で、これ。
二枚目の写真で気づいた方もおられようが、欄干が損壊していた。これはやっぱ…誰かブツけたってことよね…(笑)。
架換えの理由は耐震性の確保ということだったが、あしゅら男爵的な親柱も含め、すっかりくたびれちゃってたからなあ、この橋。
橋上は、
センターラインこそないものの、普通車同士なら余裕で対面通行できるだけの幅員はあった。
橋の西半分ほどは河原に生えた草木で目隠しされているが、それを過ぎると、
このような開放的な眺めに。
これは上流側。右から左への流れが雲出川の本流。こちらへ流れてくる分流は、「雲出古川」と呼ばれている。
つまり上の写真に写り込んでいるのは、香良洲町を成す三角州の西端である。
で、こちら。
その「雲出古川」の下流方向。
そういえば、現地で出会ったおっちゃんが、先代の橋はこの下流側に架かっていた、と言ってたような…?
で、個人的なこの橋のツボは、
この「ゲート」(笑)。
かつてのニッポン国には、全国至るところにこの手のゲート(正式名がわからん…)があったように思う。観光地や海水浴場、駅前、商店街の入り口などなど…。が、今やそれらを見ることはほぼない。
絶滅危惧種かつ昭和の遺物、と位置付けられるこの手のゲート、見つけたら写真撮っとくとイイネ!(誰やねん
ほらね、存在感が凄すぎて、
橋が入ってこないのよ(笑)。
当然、今回の架換えに伴ってこのゲートも撤去される(た?)と思われるのだが、万が一残ってたら逆に凄いと思う(笑)。
東詰から望む香良洲橋。
このシンプルな欄干、いかにも昭和っぽくてイイね~。
そして気になったのが、やはりこれ。
三弦トラスの管橋。ガス管とかかな?
橋脚の上にミニ橋脚を立てるという、ありそうでなかった(知らんけど)発想が萌える。
こちらは下流側のサイドアングル。
写真中央あたりの欄干も、補修の痕跡が明らか。まさに歴戦の兵。
これらすべてが、
現在では撤去されてしまっているはず。香良洲町と国道23号を最短距離で結ぶ最重要路だけに、架換えは必須だったのだろう。
古来より、橋とは架換えられるもの。明治以降の永久橋の時代になっても、更新のスパンが長くなっただけでやはりそれは変わらない、という当たり前の事実を再確認した。
そういえば、新橋ができる頃には、平成は終わって新しい時代に入ってるんですなあ…。
最後に、おまけ。
この橋に到着して最初に目にしたのが、コチラ。
コレって、なんですか?一般的なトラクターってこんなんでした?
とりあえずわたくし、すぐさまこれを思い出したのよ。
ブラバムBT46B、通称「ファンカー」。
(写真はネットからお借りしました)
鬼才・ゴードン・マレーによる異形のマシン。1978年のスウェーデンGPでデビュー、ニキ・ラウダのドライブによりいきなり勝利を上げるも、すぐさま安全上の理由で出走禁止となってしまった(出走回数1、勝利1、勝率100%!)、F-1史に残るマシンでありますが…どちらも同じ、「ファンカー」ですもんね~(笑)。
しかし、このころの極太スリックタイヤ、カッコいいなあ…。
って、なんやねんこの終わり方(爆)。