旧・小松橋(廃) (千葉県君津市小山野) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2010年6月23日、第三次房総探索。この日のネタで記事にしてるのは、山太郎隧道ギロッポン正木1号橋梅ノ木台一号・二号隧道長浦橋&清水橋清水隧道鍵掛橋その奥、そして岩井袋隧道

 

 

本日ご紹介するネタは、山太郎に先立つこと43分、この日の最序盤で通りすがりに見つけた物件。

 

 

 

 

 

 

タメは省略して…いきなりドン。

場所はコチラ

 

国道127号路線改良で取り残されたとおぼしき、コンクリートアーチ橋。前後とも簡易封鎖され、見るからに廃橋って感じだった。

 

 

 

 

 

 

こちら、上流側からのアングル。

上流側には、かつて小さな水路橋か管橋が並行していたと思しき橋脚が残されていた。向こうに白く見える真新しいカルバートが、国道127号現道である。

 

 

 

 

 

そのカルバートにあった銘板で、

「小松橋」という名前がわかった。するとあの橋は、同じ名前の旧橋ということで九割方間違いなかろう。

 

 

つうことで、この日はこの程度でスルー。当時のわたくし、我ながらツメが甘い…。

 

 

 

 

帰ってから、なんとなくこの橋のことを調べたら…あの大御所がこの橋に触れていた。大御所もメイン扱いではなかったが、道中で出会った橋として。

 

 

そして、そこには驚きの記述があった。

 

 

マジかー、しまった、なんでもっとよく観察せんかったんだこのバカ。なんならば、渡ることさえしなかったっけ。今では考えられないツメの甘さ。

 

 

 

 

 

 

悔しかったので、さっそく再訪した。

 

 

 

 

 

 

2010年7月18日の第四次房総探索で、これまた序盤に立ち寄り。

25日しか経ってないんだから、さほど変化はない。

 

 

 

 

 

 

まったくもって、なんで見落としたのか…。

 

ささやかな親柱が現存していて、そこに刻まれていたのは、

「明治四十五」。

 

まさかの、明治橋梁。これはわたくしがキャリア(謎)で初めて見た、「明治」の親柱だった。それが嬉しかったのは確かだが、それよりも驚きのほうが大きかった。というのは…

 

 

見たところ、橋はコンクリート製。明治期の、しかもコンクリート製アーチって、かなり希少なんじゃないのか?

 

日本初の鉄筋コンクリート橋とされる、琵琶湖疏水の「日の岡第11号橋」が架けられたのが、1903(明治36)年。翌年にその上流側に架けられた「山ノ谷橋」が、初めての本格的なコンクリートアーチ橋とされていたような?

この旧・小松橋が後年の改修などでなくオリジナルの姿なのだとすれば、土木構造物にコンクリートが使われ始めた初期のブツであり、なかなか貴重な土木遺産と言えるのではないのか。

 

 

 

 

 

 

そして、親柱もまたコンクリート製なのだが、ここにひとつのミラクル。対岸の親柱にもなぜかお誕生日が刻まれていたのだが、

 

なんとコチラは!

「~五年七月成」。

 

なんと先ほどの「明治四十五」以下をみごと補足するミラクル。こんなんある!?

 

 

 

 

 

 

つうわけで、明治四十五年七月の竣工であるとわかった旧・小松橋。

 

同時に、はからずも親柱までも鉄筋が入っていることがわかった。文字は、コンクリートに直接刻まれている。この年代で、石でなくコンクリ親柱とか、かなり珍しいのでは?そうでもないのか?

 

 

 

 

 

 

そういえばこれしか撮ってなかった、

正対写真。続く旧道とのつながりが分かりやすいかと。

 

それにしても…確かにささやかな親柱やけど、橋好きとしては見落とすのは恥ずかしいレベル。いやはや。

 

 

 

 

 

 

 

冒頭と同アングルでシメ。

この旧・小松橋。今はどうなっているだろう。

 

ストビューで見たら、2017年12月時点の映像ではその姿を確認できた。ロケーション的にはいつ撤去されてもおかしくない気もするし、はたまた、わざわざお金をかけて撤去するほどでもない、と放置されててもおかしくない気もする。

 

 

 

マジな明治モノコンクリートアーチ橋なのであれば、いや、たとえそうでなくても、このまま残っていてくれるといいなあ。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

追:

現在各地で大変なことになっていますが、特に千葉県は台風15号からの相次ぐ災害で甚大な被害が出ております。心からお見舞い申し上げるとともに、一刻も早い復旧を願っております。