2010年6月23日、第三次房総探索にて出会った、お気に入り物件。ギロッポンを離れて40分後のこと。
場所はコチラ。
この先に描かれている隧道を目標にやってきた。ここも早く記事にしたいけど、先日パパゲーノさんがやったから、もうしばらく寝かせとこう(笑)。
で、その隧道を目前にして見つけてしまった…この「あやかしの橋」を。
そのファースト・コンタクトがコチラ。
うおおお!?
まだまだ穴がメインだった当時(しかも房総やし)でさえ、この強烈なオーラには思わず緊急停止。
現役の橋でないのはひと目でわかったが、しかし…こんなオーラに満ちた廃橋を見たのは初めてだった。しかも、デカイ。さっそく降りてみる。
威風堂々、凄い存在感。
端正ないかめしい高欄、そしてアスファルト舗装でないのが、激しくわたくし好み。普通車同士なら余裕で離合が可能な幅員も特筆ものだ。
先ほど「あやかしの橋」と書いた理由もそこにある。通常橋のスペックというのは、前後の道路規模によって規定される(時折、橋だけが狭くてボトルネックになっているケースもあるが)。
しかるにこの橋は…手前の取り付きは貧弱ながらも2車線ほどの幅員があるが、橋の向こうのあの感じは…どうだろう。いきなり林道レベルに転落して、森に飲み込まれているように見える。言い知れぬこの不条理感はなんなんだろう。
とにかく、まずは渡ってみる。
非常に簡易な通行止め。行政の警告看板も何もない。個人で封鎖されたと言われても、「そうかもね」と信じるレベル。改めてこの写真で、橋のデカさがわかるだろうか?
ちなみにこの頃のわたくし、なんと親柱を撮っていないというていたらくだが、実際に親柱からは銘板が撤去されていて、なんの情報もなかった。
そしてビシッと決まった高欄。だが、よく見ると、
ところどころにほころびが見られる。
これは石でもコンクリートでもなく…おそらくは人造石製。
ということはそれなりに古い昭和初期…少なくとも戦前の橋ではあるやろな~、というのがこの時の印象だった。語彙が貧困で恐縮だが、実にイイ感じである。
そして。
ああ~この感じ。
いきなり道路状況が激変するポイント。橋の幅員から見て自動車の通行する橋だったのは間違いないところだが、本来はあの先もある程度の幅員が確保されてたのか?植生に侵食されてこんな感じになってしまったのかも…。
この感じ。
この「あやかし感」満点の1枚が一番気に入ってる。
そして気づいたが、
落ち葉や植生に隠れつつも、やはり路面はアスファルトだった。
半ば廃道状態と言っていい状態。でも、ここからさらに登っていくと、民家が数件あった。正木の集落裏手になるのかな?シングルトラックからわかるとおり、人道としては今も時折歩かれているんだろう。
そして愚かなわたくし、なぜかサイドビューも撮り忘れてたりして、一体何をやっとるのかねキミィ!って感じなのだが、たぶん上手く撮れる場所がなかったんだろう。代わりに、なぜか下に潜って撮ることはしていた(笑)。ナイスだ、自分(笑)。
コレは渡ってきた手前側の下から。
当時のわたくしの見識ではなんとも思わなかったが…いや、今も大したことないのだが…よくよく見れば、ゲルバー桁じゃないか!
…ということで、当日は橋の名称やら竣工年やら、現地ではなにひとつわからなかった。よって、自分の記録においてもモヤモヤしながらも永らく「正木橋(仮)」としていたのだが…。
ある日、いつものようにかすがさんのブログを拝見していたら、なんとこの橋が取り上げられてるじゃあーりませんか(古)!さっそく読ませていただくと…正式名称は正木1号橋、竣工は1932(昭和7)年、そして通行止めになったのは1985(昭和60)年…と、ほしかった情報が全部わかった!感謝感激とはまさにこのこと。
これらのデータ、出典元はある雑誌での「危険な橋特集」的な記事(笑)で、なんと行政が危険な橋と認識している、ある意味廃橋界のサラブレッド(大謎)とでも言うべき物件だったんである。
ちなみに、かすがさんらが訪問されたのが2012年7月で、その時点で「2年前の雑誌」と書かれているので、自分が行ったのはその雑誌取材のしばらく後くらいだったのかな~。
以上、完結。