2019年4月27日、平成最後の遊撃@紀伊半島の初日。この日のネタで記事にしているのは、最序盤に出会った貴婦人のみ。けっこうネタあるんだけど…。
本日ご紹介するのは、通りすがりの通りすがり(笑)に見つけた廃物件であります。
まずはこれから。
ここは五條市大塔町阪本地内の国道168号、とある橋の南詰たもと。写真手前が十津川方面、奥が天辻峠方面であります。地図はコチラ。
実はこれに先だち天辻隧道へ向かう際にここを通って、「ん?なんかあったような?」ってところがあったのだ。気になったが、同じ道を戻ってくる予定だったので、戻りにもう一度チェックしようと。
で、帰りに通過しながら見てみたが、ガードレールが邪魔でいまいちわからなかった…が、確実になんかありそうに思えたので、上の写真の場所にノートさんを停めた次第だ。
目の前の橋、お名前は
狼橋。いい名前だ。ニホンオオカミ終焉の地、奈良県だけに。
ノートさんの背後に延びるのは、
この狼橋供用前の旧道だと思われた。
ということは、先ほど見えた(ように思われた)ものは、きっと…。
数十m進むと、
檻罠が道路敷きのど真ん中に。でも棄てられてる感が…。
そして、ここですでに目に入っていた。
やはり「アレ」があった。
かなりステルスだが、サイドからは見間違いようがなかった。
正対。
さっぱりわからんでしょ?(笑)。
これを、少しだけ左に寄って見てみると…
こうですわ(笑)。
そう、そこには自然に還りまくった橋が架かっていた。
そして、今度は右サイドに寄ってみると…
おおおお、あった!親柱!!
そこに読み取れたのは、
「狼橋」。やはり!狼橋の旧橋だった。
旧道は基本に忠実に、川が狭くなるところに橋を架けていた。これだと橋の前後が急曲線となるため、線形改良された現橋は川を斜めに跨いでいる。
この一見自然に還った旧狼橋、アングルを探してよじ登って見ると、
思った以上に「橋」!(笑)
いや、離れて見てみると自然に還っているのは橋上のみ、思いのほか完全体の橋として架かっていた。橋の取り付きの石積み土留めもしっかり拝めるし、このアングルがベストかもな~。
しかしこの橋上の状態…まるで鉢植えみたいになってる。あんだけの土砂はどこから堆積したんだろう?不思議。人為的な廃道化措置か?
そしてわたくし、見逃さなかった。
橋の向こう側にも…
親柱現存確認!
しかしあれを視認するのは極めて困難やな…まあ諦めるのは早い。
いやほんと、
こんなにしっかりした橋だとは。
通りすがりの車内からのチラ見レベルでは、ほぼ橋上のあの状態しか見えないので、とっても意外だった。これだと昭和三十年代くらいの橋ってとこだろうか?
後で意外なことが判明したのだが、それは最後に。
別アングルでの引きで。
これは…前言撤回。川の狭いところに架けたってことじゃなく、「川を狭めて無理くり架けた」が正解か?
右岸のこのマッシヴなコンクリ護岸、これ大雨の後とかの増水した流れを受けるためだよな~やっぱり。いささか野心的すぎる、あるいは楽観的すぎる(笑)架橋状況に思えたが、どうなんだろうか。
そして例の親柱、この角度ならばズームすれば…
ちとブレたが「そんぼたに」。河川名だった。
そうこの川、「損保谷」という保険屋のような変わった名前なのだった。
橋上にリターン。
そこから現道を見たのがこの写真なんだが、いやはや。
逆に現道方向から見た橋。
これしか見えなきゃ、とても橋があるとは思えない。
しかしこれ、なんで手前に現道を入れて撮らなかったんだろうか。詰めが甘い。
なので参考までに、ストビューで見た現場を。
これは8月の画像らしいので、ここまでの植生じゃなかったが、しかしゆたさん、よう気付かれたなあ…。
で、こちらも右側をよく見ると…
半分がた「木に喰われた」親柱アッター!
「おうかみはし」。
なんと、四本中三本現存していた親柱だが、お誕生日判明せず。あ~あるあるやな~(笑)。一番初めに見た左岸下流側の失われた親柱に刻まれていたのか…。
まあよくあること、仕方ない。
十分満足して撤収。堪能した。
せっかくなんで、
現・狼橋も押さえておこう。
先ほど辿った旧道、旧橋を現橋上から見ると、
おおまかにこんな感じ。イメージできただろうか?
で、この現橋のお誕生日を見て、いささか驚いた。
「昭和四十七年三月」。
なんか思ってたよりもだいぶ古かった。てっきり平成初期くらいのやつかと。
さっき見た旧橋、見立てでは昭和三十年代くらいだと思えるのだが、そうなるとあの橋の現役期間がかなり短かったってことになる。ほんとはもっと古かったのだろうか?あるいは…やはり旧橋の取り付きが無理くりすぎて放棄されたとか(笑)。
いろいろと面白い廃橋だった。見つけてよかった。
以上。