頭の上に馬の頭をいただいていることから、六道(ろくどう)※の一つの畜生(ちくしょう)界を済度(さいど)※するといわれ、馬の守護神として昔から広く信仰されています。
観世音菩薩三十三化身(かんぜおんぼさつさんじゅうさんけしん)※の内、唯一忿怒(ふんぬ)の相をしています。第三の目も持ち、普通は三つの顔(三面)で、腕は二つまたは八つ(二臂(にひ)・八臂(はっぴ))もっています。
怒りが強ければ強いほど馬頭観音の人を救う力が大きく、また馬は大食であることから人々の悩みや苦しみを食べ尽くすといわれています。
玉藻前は、なんと飛鳥にひっそりと歌碑があり、こうある。
明日香川 瀬瀬(せぜ)に玉藻は 生(お)ひたれど
しがらみあれば 靡(なび)きあはなくに
なぜかぼんやりとみえてくるのは、「老いた」玉藻。
能「道成寺」で知られる安珍清姫(松と梅と東北の地震)。
途中、泊めてもらうところを探しているとこの辺りで一番のお金持ちの家があったが、牛頭天王が「一晩泊めてください」と言ったが、「うちは貧しいから泊められないよ」と嘘をついて断った。
次にたどり着いた、蘇民将来に、「泊めてください」と言うと、牛頭天王を家の中に招き、もてなし泊めてあげた。(牛頭天王と蘇民将来(道の駅蘇民 HP)より)
行ったことがある。あれは、元伊勢籠神社の代参で、高千穂の真名井の水を外宮に届ける御用でのときだ。伊勢に入る前には、二見浦で禊をするものだ、って聞いていたから、二見興玉神社の鎮魂禊行に参加してから行った(高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その8・伊勢二見編))。そのとき、「松下」にも行っていた(高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その9・伊勢番外編))。しろくまさんといるときに残した数少ない旅行記。
ヨギの治療師が移動中に連絡してきたので、「今どこ?」って聞いたら、
「やさか」って返事がきた。
!!
もしや、と思って地図を確認すると「八坂」だった。
そしてあった、「八坂神社」。
で、行くことに。
通り道に「田無神社」(お江戸のお水送り その1 〜田無神社は風の神?)。
尉殿大権現は、シナツヒコの神(風神)。
顕現するときには、金龍の姿で現れる、という。
そして、それを祀る人たちは、なんと楠木正成の子孫。
そのために「保谷」に移民してきたらしい。
保谷ってレンズのHOYA?
なんか諏訪のあたりは、昔、日本のスイスって言われてた(小学校のとき習った)。
レンズの工場とか時計の工場とかがあった(はず)。
そして諏訪周辺にある不思議な信仰。
楠木と、シナツヒコの関係はまだよくわからないが、
シナツヒコは、シナノの神だとなんとなく思う。
大祓詞の
しなどのかぜの あめのやえぐもを ふきはなつことのごとく
シナドだけど、シナノ。
だって、馬だし。楠木正成は馬に乗っている。
そして信濃国、安曇野は、その名のとおり、安曇族(鹿)の土地。
そういえば、善光寺は、「牛」にひかれて善光寺詣り、だったな。
牛?なんで牛?ヨギの治療師の意見では、「牛」は煩悩らしいけど(わたしの中のせめぎあい)。
でもなんか。
なんでバカって馬鹿ってかくんだろう。
伊勢平氏おじさんにしょっちゅう「バカ!!」って言われてるけど(関西人にはアホより堪えるバカよばわり)、馬と鹿って言われたら「長野」ってわたしは思う。
多摩湖畔からの水路を八坂神社を訪ねて歩く。
梅雨なのに天気よすぎ。
雲のひとつひとつに個性がある。
ヨギの治療師の得意技は雲消しらしいが、たしかにこんなにたくさん雲があったら雲消しも楽しいかもね。
途中神社みたいなお地場のお屋敷発見。
個人宅だったんだけど、どうみても外からみたら神社か寺。
この辺は陰陽師(土御門家)がいたっていうからな。
多摩湖、狭山湖は、もともとは名前が逆だったり不思議がいっぱい。
あの一体は、航空隊の基地だったのだから、わたしの見立てでは間違いなく「物部の地」であろう。
実際「デーダラボッチ」だか、たたらの神(天目一箇神(あめのまひとつのかみ))っぽい神様がいたりもする。
そして、湖畔には、素戔嗚尊をまつる氷川神社がまるで電波の中継基地のように配列されていてアラハバキも祀られていた。
多摩湖に最初にいったとき、そこにはテーマパークみたいな真言宗の寺があった(トトロの森のある場所は 〜多摩湖のほとりを歩いたら)。「勢至堂」は「住吉大明神」って書かれてるけど、それは今ならわかる気がする。勢至菩薩は、「午」年の守護神である。隣に「天女稲荷大明神」馬の神様男女ペア(最強)。
川を覗き込んでるおじさんがいたので「こんにちは」って挨拶したら、
「すっぽんがでてきてる」って教えてくれた。
すっぽんってなんでわかるんです?って聞いたら、
首が長いとか、甲羅が柔らかいとか、特徴をいろいろ教えてくれた。
さっきのすごい民家のことを聞いたら、全国に出荷してる有名なお茶屋さんじゃないかなって教えてくれた。このあたりはお茶の産地である。
お茶の産地っていうのもメッセージかもしれないな。
そもそもお茶の習慣は中国からやってきたらしいし。
あとはおじさんが栽培している農作物の話とか。
「とうもろこしは山梨で作る方がうまいんだよな」とかいう。
「山梨詳しいんですか?」
「清里の、八ヶ岳じゃなくて」
「!?」
「松原湖の近くのイナコ」
(イナは、このあたりにも伊那海道なる道があったという)
松原湖!!
諏訪湖のカタシロみたいに諏訪神社があるとこじゃん(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その1)。2度目の夏、おじさんに怒鳴られながら、大変な思いをして行った場所(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その2)。
そういえば、夏を終える旅(八ヶ岳) 〜菊理媛神から国常立尊へ で書いたように「逢坂(あふさか=おおさか)」がなぜかキーワードで出ていて、
夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも
よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ
の気になる清少納言のあの歌がからんでる。
鳥の鳴き真似で謀るというのは、「函谷関の故事」らしい。
「函谷関の故事」とは、中国の史記にある孟嘗君(もうしょうくん)の話で、秦国に入って捕まった孟嘗君が逃げるとき、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせたってことみたい。(ちょっと差がつく小倉百人一首より)
しかもこの歌碑は、京都の泉湧寺にあるらしい。皇室の菩提寺である。
皇室は、神道だって思われてるけど、仏だそうである。
しかも最近みた、秩父事件、最後の決戦地・東馬流(ひがしまながし)地区(わたしたちが、願う通りに。)のすぐそばだ。
秩父事件とは、wikiによると
秩父事件(ちちぶじけん)は、1884年(明治17年)10月31日から11月9日にかけて、埼玉県秩父郡の農民が政府に対して負債の延納、雑税[1]の減少などを求めて起こした武装蜂起事件。隣接する群馬県・長野県の町村にも波及し、数千人規模の一大騒動となった。自由民権運動の影響下に発生した、いわゆる「激化事件」の代 ともされてきた。
どうも明治政府が西南戦争で必要になった軍資金確保のため、明治政府が紙幣を大量発行。
そしてそのために起きたのが物価の上昇(インフレ)。
そこに登場したのが日本銀行を作った、初代大蔵大臣松方正義(薩摩藩)。「松方デフレ」が起き(起こし)たことにより、貧民層が借金地獄に陥ったことが原因で起きたようだ。
自由民権運動といえば、丹後の神人・小長谷修聖先生に言われて行った加波山(真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その3 加波山神社編】)。
明治17年に加波山事件があった場所。
自由民権運動の激化の事件のひとつ。薩摩藩士の三島通庸暗殺未遂事件など。
薩摩の三島だからわたしが呼ばれたのか。
と書いている。
薩摩藩士。ここも。
薩摩。薩長連合。
薩摩って(長州にくらべて)イメージいいみたいなんだけど、沖縄では「さつまいも」って言うだけで嫌な顔する人がいるくらい人気ない。
奄美も同じく支配をうけたが、琉球にも支配されてたからかもしれないが、強い嫌悪はあまりない。そもそも今では鹿児島県だし。
薩摩といえば、「西郷さん」のイメージがあるからかもしれないが、お人よしのイメージで人気の西郷隆盛の西郷家は、もともとは熊本の出である。だから熊本の姓である「菊池源吾」を名乗っていたのではあるまいか。
だいたい、あんな山奥に、あんな美しい眺めの道と、集落って絶対おかしいって思ったのだ。
あのときは、なんの道かわからなかったが、秩父から山梨を通って長野に抜ける馬の道だったのである。
しかし、あんな深い山の中に畑があるってどういうことなんだろう。
忍び?
土御門家のお膝元だからな。
そういえば、村山大島紬っていう絹織物も存在する。
「おじさんの地元は山梨なんですか?」っていうと、こっちだっていう。
いったいどういうことなんだろう、この辺の人たちは、山梨にも畑を持っているのが一般的なんだろうか。
陰陽師の「指田摂津正藤詮」の「指田日記」にも疱瘡の記録がある。
摂津。
摂津っていえば、大阪じゃん。
そういえば、妙見信仰のあるところに「逢坂」って地名が結構あったな。
夏越の大祓はくくりの旅へ 〜盛岡 三ツ石神社と 遠野(メモ的に)
真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その3 加波山神社編】