牛頭天王と、馬頭観音 〜夏至直前・祇園祭に出るものは 鶴と亀? | かんながら

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旅の記録です

あまりにもいろんなことが思い浮かんで消化できない。
でも書き留めておかなくては。
ということで、メモ的に。
 
 
単なるわたしの思いつきであることを断っておく。
 
 
「牛頭」天王と対になるのは、「馬頭」観世音。
 
(引用ここから)
「馬頭観音」とは、六観音(ろっかんのん)※の一つで、馬頭観世音(ばとうかんぜおん)とも呼ばれます。
頭の上に馬の頭をいただいていることから、六道(ろくどう)※の一つの畜生(ちくしょう)界を済度(さいど)※するといわれ、馬の守護神として昔から広く信仰されています。
観世音菩薩三十三化身(かんぜおんぼさつさんじゅうさんけしん)※の内、唯一忿怒(ふんぬ)の相をしています。第三の目も持ち、普通は三つの顔(三面)で、腕は二つまたは八つ(二臂(にひ)・八臂(はっぴ))もっています。
怒りが強ければ強いほど馬頭観音の人を救う力が大きく、また馬は大食であることから人々の悩みや苦しみを食べ尽くすといわれています。
(ここまで)
 
平将門を祀る神田明神のそばにある弟橘媛を祀る「妻恋神社」(弟橘媛に招かれて)。
そこで「馬頭観世音」って書かれた石をみて気になって調べた。
他にも、内藤新宿の多武峰内藤神社とか、早池峰山のあたりでも見かけた気がする。
馬は、午の日にお祭りがある稲荷と関係があるのかも。単なる推測。
 
稲荷といえば、九尾の狐。
 

玉藻前は、なんと飛鳥にひっそりと歌碑があり、こうある。

 

 

明日香川 瀬瀬(せぜ)に玉藻は 生(お)ひたれど 
しがらみあれば 靡(なび)きあはなくに 

 

 

なぜかぼんやりとみえてくるのは、「老いた」玉藻。

 

 

能「道成寺」で知られる安珍清姫(松と梅と東北の地震)。

 

安珍ってお坊さんが清姫って少女に中途半端な嘘をついて、待ち続けた清姫は苦しむ。
裏切られたとわかって、清姫は怒りのあまり蛇に化身して、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺す。
 
なんだかちょうど会津(福島県)の皆鶴姫の話を聞いたばかりだから、なんか重なってみえる。
 
 
皆鶴姫の話はこうだ。
 
平家打倒を願う義経は、鬼一法眼の兵法書を学ぶために、義理の娘皆鶴姫に近づき恋仲になり、義経は兵法書をひそかに写し取ることに成功しますが、平清盛に気づかれ奥州へ逃げます。姫は、義経の後を慕って藤倉まで来ますが、追いつけないと知り、難波池に身を投げてしまいます。義経は、磐梯町の大寺でこれを知り姫を池のほとりに葬って墓を築いたとされます。 義経に再会できず空しいままなくなった皆鶴姫は、他の人にはこのような別離の気持ちを味合わせたくないとして、参詣する人に良縁を授けると今日でも信じられています。
 
吉野で義経を見送った静御前も白拍子だったというし、同じ感じで女性の思いを利用して自分の力に変えたってことだ。
 
義経、ゆるせん(怒)!!!
 
 
 
こないだ伊勢平氏おじさんがわたしに、「利用される」って告げたのはもしかして重大なメッセージだったのかも!?(金環日食ふたご座新月・水星逆行の八ヶ岳 〜3度目の挑戦のゆくえ
 
 
弟橘媛にしても、皆鶴姫にしても、おそらく石長ひめや宇治の橋姫も、瀬織津姫に象徴されるように、誰か別の人の「罪穢れ」を引き受けて籠(=「過去」)に閉じ込められてきたのだ。
「今」の平和のために。
 
でもちっとも平和じゃなかった。
罪を犯した人たちにとって平和な世の中は、みなの平和にはなっていなかった。
 
 
だから、籠(=過去)がひらいて龍(瀬織津姫)が出た。
昨年の夏越しの大祓は早池峰山だった(くくり姫から摩耶さんへ)。
「白山菊理媛神(しらやまくくりひめ)から摩耶山(まやさん)へ」って書いてるけど、摩耶山は、瀬織津姫がいるっていう六甲山地の山である。
 
大学時代よく夜景をみに摩耶山に行った。
摩耶山の掬星台(きくせいだい)。星を掬うって書く。昭和陛下も来られたらしい。
 
摩耶山とはwikiによると、
 
山頂周辺には掬星台展望台、摩耶ロープウェー星の駅忉利天上寺摩耶自然観察園穂高湖等が点在する。摩耶山の名は空海が天上寺に釈迦の生母・摩耶夫人(まやぶにん)像を安置したことに由来する。古くは八つの国が見渡せるため八州嶺とも呼ばれていた。
 
空海、お釈迦様のお母様の摩耶夫人を祀った?
木更津でみた、「率土(そっと)神社」の祭神のインドの后(ピーナツは瓢箪!?千葉に熊野があった 〜双子座新月前のいろいろ)ってもしかして摩耶夫人??
 
 
 
「道成寺」の話をヨギの治療師に教えてあげたら震え上がっていたが、中途半端な気持ちで女性と関わるなんて、とんでもない話である。こういうのを自業自得というのである。
 
今までは瀬織津姫が籠に閉じ込められて眠っていたから、それで済んだかもしれないが、これからはそうはいかないからね。
 
 
現代の瀬織津姫たちも、みな目が覚めて「ノー」を言い始めたんだから。
 
 
遊女が、神女だったらしい形跡を知ってそれとなく伊勢平氏おじさんに話を振ったときに「遊女は娼婦」と蔑んでいたな。
 
 
バカヤロー!!
これからはもうわたしに向けられる身に覚えのない理不尽を飲み込まない。
全部返してやる!!!
自分の不始末のおとしまえは自分でつけるのだ!!!!
 
 
わたしは運よく今までのパートナーは心から尊敬できる「よい」人だった。
だから、伊勢平氏おじさんが「キミのスイッチが入ると利用される(金環日食ふたご座新月・水星逆行の八ヶ岳 〜3度目の挑戦のゆくえ)」って言ったけど、よいことしか起きていない。よいパートナーに恵まれて再婚していたり、いいポジションに恵まれて幸せに暮らしている。
 
相談の仕事で関わった人たちもなにかに守られて、心から共感できる人としか縁がなかった。
だから、かつてのお客さまたちも、それぞれの世界や社会で活躍してるけど、素晴らしい人ばかりで誇りに思う。
おじさんは社会を変えることができなかったと敗北宣言したらしい(意思のチカラの使い方 〜ネガティブと、どうつきあうか)が、わたしは彼女たちの活躍をみて、社会は変わった、と思える。
 
 
 
で、今コロナがある。
今、社会は眠っている。
多くの人たちは、夢の中だ。
 
 
 
今社会の軸は揺らぎ始めて、まもなくあたらしい時代がきて、ポールシフトが起きる。
北極星が、ピラミッドの頃のものから今のそれに変化したように。
 
そして、眠っていた人たちは、目覚めたとき、世界が変化したことすら気づかない。
昨日の朝と、今朝が、まったく違うものでありながら、「同じ朝がきた」と思うのと同じように。
 
 
 
 
亀が出るとき鶴も出る
鶴亀(つる・ぎ)で剣山。
剣山山頂の剣山宝蔵石神社 の例大祭は7月17日。
しろくまさんと何度か行った祭り。
 
山上に神輿が上がる。
 
 
 
アークだか石板があるとか?
ユダヤの秘宝が埋まってるとか?
 
いろんな噂がある剣山。
空海が隠したっていう剣山。
四国のお遍路で見えないと言われる剣山。
 
陰謀論?とやらでたびたびでてくる
 
「かごめうた」
 
鶴と亀が統べる。
亀が出たなら、鶴も出る。
 
さてどこに?
 
 
 
 
 
赤牛は閼伽(あか)牛。
 
閼伽といえば、閼伽井は、福井神宮寺の「東大寺修二会のお水取り」に送られる水の湧く井戸(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その4 飛鳥・纏向編 (後編))。東大寺には遠敷(おにう)神社があって。祠は赤く塗られていた。
 
あの頃はわからなかったけど、東大寺仁王門の仁王さんが、向かい合ってる(めずらしい)少林寺の型をしているって、湯川流河さんのブログで知ったり、東大寺の狛犬さん(なんと日本最古の狛犬!)が両方とも阿型をしているって狛犬のシッポさんの記事で知った。
なんと両方阿形の狛犬は、その名も恐ろしい?「神呪寺(西宮)」にもあるらしい。
 
 
あかは、丹生(にゅう)でもある。昨年七夕になにわの審神者(さにわ)と行った丹生都比売(にゅうつひめ)神社は和歌山にあるが(七夕だから 〜比売神さまと空海とE.T.と)、空海のお膝元、高野山の中にも丹生都比売は祀られている。
 
 
赤を塗るといえば、「蘇民将来」だが、牛頭天王と蘇民将来の関係はこうだ。
 
むかし、むかしあるところに牛頭天王という人がいて、嫁とりに「竜宮城」へいくことになる。
途中、泊めてもらうところを探しているとこの辺りで一番のお金持ちの家があったが、牛頭天王が「一晩泊めてください」と言ったが、「うちは貧しいから泊められないよ」と嘘をついて断った。
次にたどり着いた、蘇民将来に、「泊めてください」と言うと、牛頭天王を家の中に招き、もてなし泊めてあげた。(牛頭天王と蘇民将来(道の駅蘇民 HP)より
 
松下か。
行ったことがある。あれは、元伊勢籠神社の代参で、高千穂の真名井の水を外宮に届ける御用でのときだ。伊勢に入る前には、二見浦で禊をするものだ、って聞いていたから、二見興玉神社の鎮魂禊行に参加してから行った(高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その8・伊勢二見編))。そのとき、「松下」にも行っていた(高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その9・伊勢番外編))。しろくまさんといるときに残した数少ない旅行記。
今につながるものはちゃんと記録にある不思議。
 
もしかして、龍宮城ってやっぱり宮城かな。
金華山あるし。金のあるところには丹生(にゅう)=朱がある。
 
 
 
伊勢平氏おじさんと同じ、もうひとりの平維盛(たいらのこれもり)の子孫の尾鷲の大先生に木更津でワイン会をやるからとお誘いがあって、千葉に行った。
 
理由はそこに「祇園」があったから。
 
調べたらそこは熊野だった。
そして、「まがた」国からきたインドのお姫様が祀られた「率土(そっと)神社」があった。
 
先生からは、ボスポラス海峡の絵葉書につづいて、ホワイトハウスの絵葉書が届いていたが、次にきたのは、なんとラパヌイ(イースター島)の写真だった。
 
イースター島もなんとなく興味があるけど、行ったことがない。
でも、あの場所をおそらく日本人で一番詳しいと思われる柳谷杞一郎先生を知っている。
あの人とも不思議な出会いだったな。たった1日しか会ってないけど強烈な印象(しかもとてもよい)がある。
20年くらいになるけど、しろくまさんが旅立つ前にもう一度縁を繋いでくれた人たちの中のひとりである。
コロナより深刻な病 〜等彌神社の不思議土偶と北極、そして明治神宮で書いたけど、イースター島でも、北極のイヌイットと同じような問題がある。
 

 

ヨギの治療師が移動中に連絡してきたので、「今どこ?」って聞いたら、

「やさか」って返事がきた。

 

!!

 

もしや、と思って地図を確認すると「八坂」だった。

そしてあった、「八坂神社」。

 

で、行くことに。

 

 

通り道に「田無神社」(お江戸のお水送り その1 〜田無神社は風の神?)。

尉殿大権現は、シナツヒコの神(風神)。

顕現するときには、金龍の姿で現れる、という。

 

そして、それを祀る人たちは、なんと楠木正成の子孫。

そのために「保谷」に移民してきたらしい。

保谷ってレンズのHOYA?

なんか諏訪のあたりは、昔、日本のスイスって言われてた(小学校のとき習った)。

レンズの工場とか時計の工場とかがあった(はず)。

 

そして諏訪周辺にある不思議な信仰。

 

楠木と、シナツヒコの関係はまだよくわからないが、

シナツヒコは、シナノの神だとなんとなく思う。

 

大祓詞の

しなどのかぜの あめのやえぐもを ふき​はなつことのごとく

 

シナドだけど、シナノ。

 

だって、馬だし。楠木正成は馬に乗っている。

そして信濃国、安曇野は、その名のとおり、安曇族(鹿)の土地。

 

そういえば、善光寺は、「牛」にひかれて善光寺詣り、だったな。

牛?なんで牛?ヨギの治療師の意見では、「牛」は煩悩らしいけど(わたしの中のせめぎあい)。

 

でもなんか。

なんでバカって馬鹿ってかくんだろう。

伊勢平氏おじさんにしょっちゅう「バカ!!」って言われてるけど(関西人にはアホより堪えるバカよばわり)、馬と鹿って言われたら「長野」ってわたしは思う。

 

 

多摩湖畔からの水路を八坂神社を訪ねて歩く。

梅雨なのに天気よすぎ。

 

雲のひとつひとつに個性がある。

ヨギの治療師の得意技は雲消しらしいが、たしかにこんなにたくさん雲があったら雲消しも楽しいかもね。

 

 

途中神社みたいなお地場のお屋敷発見。

個人宅だったんだけど、どうみても外からみたら神社か寺。

 

 

この辺は陰陽師(土御門家)がいたっていうからな。

多摩湖、狭山湖は、もともとは名前が逆だったり不思議がいっぱい。

あの一体は、航空隊の基地だったのだから、わたしの見立てでは間違いなく「物部の地」であろう。

 

実際「デーダラボッチ」だか、たたらの神(天目一箇神(あめのまひとつのかみ))っぽい神様がいたりもする。

 

そして、湖畔には、素戔嗚尊をまつる氷川神社がまるで電波の中継基地のように配列されていてアラハバキも祀られていた。

多摩湖に最初にいったとき、そこにはテーマパークみたいな真言宗の寺があった(トトロの森のある場所は 〜多摩湖のほとりを歩いたら)。「勢至堂」は「住吉大明神」って書かれてるけど、それは今ならわかる気がする。勢至菩薩は、「午」年の守護神である。隣に「天女稲荷大明神」馬の神様男女ペア(最強)。

 

 

川を覗き込んでるおじさんがいたので「こんにちは」って挨拶したら、

「すっぽんがでてきてる」って教えてくれた。

 

すっぽんってなんでわかるんです?って聞いたら、

首が長いとか、甲羅が柔らかいとか、特徴をいろいろ教えてくれた。

 

さっきのすごい民家のことを聞いたら、全国に出荷してる有名なお茶屋さんじゃないかなって教えてくれた。このあたりはお茶の産地である。

お茶の産地っていうのもメッセージかもしれないな。

そもそもお茶の習慣は中国からやってきたらしいし。

 

 

あとはおじさんが栽培している農作物の話とか。

「とうもろこしは山梨で作る方がうまいんだよな」とかいう。

 

「山梨詳しいんですか?」

「清里の、八ヶ岳じゃなくて」

「!?」

「松原湖の近くのイナコ」

(イナは、このあたりにも伊那海道なる道があったという)

 

松原湖!!

 

諏訪湖のカタシロみたいに諏訪神社があるとこじゃん(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その1)。2度目の夏、おじさんに怒鳴られながら、大変な思いをして行った場所(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その2)。

 

そういえば、夏を終える旅(八ヶ岳) 〜菊理媛神から国常立尊へ で書いたように「逢坂(あふさか=おおさか)」がなぜかキーワードで出ていて、

 

夜をこめて鳥の空音(そらね)は謀(はか)るとも

よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ

 

の気になる清少納言のあの歌がからんでる。

 

 

鳥の鳴き真似で謀るというのは、「函谷関の故事」らしい。

「函谷関の故事」とは、中国の史記にある孟嘗君(もうしょうくん)の話で、秦国に入って捕まった孟嘗君が逃げるとき、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴き真似をさせて開けさせたってことみたい。(ちょっと差がつく小倉百人一首より)

 

しかもこの歌碑は、京都の泉湧寺にあるらしい。皇室の菩提寺である。

皇室は、神道だって思われてるけど、仏だそうである。

 

 

しかも最近みた、秩父事件、最後の決戦地・東馬流(ひがしまながし)地区(わたしたちが、願う通りに。)のすぐそばだ。

 

 

秩父事件とは、wikiによると

秩父事件(ちちぶじけん)は、1884年明治17年)10月31日から11月9日にかけて、埼玉県秩父郡農民政府に対して負債の延納、雑税[1]の減少などを求めて起こした武装蜂起事件。隣接する群馬県長野県の町村にも波及し、数千人規模の一大騒動となった。自由民権運動の影響下に発生した、いわゆる「激化事件」の代 ともされてきた。

 

どうも明治政府が西南戦争で必要になった軍資金確保のため、明治政府が紙幣を大量発行。

そしてそのために起きたのが物価の上昇(インフレ)。

そこに登場したのが日本銀行を作った、初代大蔵大臣松方正義(薩摩藩)。「松方デフレ」が起き(起こし)たことにより、貧民層が借金地獄に陥ったことが原因で起きたようだ。

 

自由民権運動といえば、丹後の神人・小長谷修聖先生に言われて行った加波山(真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その3 加波山神社編】)。

 

明治17年に加波山事件があった場所。

自由民権運動の激化の事件のひとつ薩摩藩士の三島通庸暗殺未遂事件など。

薩摩の三島だからわたしが呼ばれたのか。

 

と書いている。

薩摩藩士。ここも。

 

薩摩。薩長連合。

薩摩って(長州にくらべて)イメージいいみたいなんだけど、沖縄では「さつまいも」って言うだけで嫌な顔する人がいるくらい人気ない。

奄美も同じく支配をうけたが、琉球にも支配されてたからかもしれないが、強い嫌悪はあまりない。そもそも今では鹿児島県だし。

薩摩といえば、「西郷さん」のイメージがあるからかもしれないが、お人よしのイメージで人気の西郷隆盛の西郷家は、もともとは熊本の出である。だから熊本の姓である「菊池源吾」を名乗っていたのではあるまいか。

 

 

だいたい、あんな山奥に、あんな美しい眺めの道と、集落って絶対おかしいって思ったのだ。

あのときは、なんの道かわからなかったが、秩父から山梨を通って長野に抜ける馬の道だったのである。

 

 

 

しかし、あんな深い山の中に畑があるってどういうことなんだろう。

忍び?

土御門家のお膝元だからな。

そういえば、村山大島紬っていう絹織物も存在する。

 

「おじさんの地元は山梨なんですか?」っていうと、こっちだっていう。

いったいどういうことなんだろう、この辺の人たちは、山梨にも畑を持っているのが一般的なんだろうか。

 

おじさんは、「また会おうね」って言って去っていった。
 
 
少なくとも、多摩湖からのこの水路は、「馬」に関わる場所でありそうだ。
 
 
で、八坂神社。今年の「天王祭」もコロナの影響で中止。
「歴史ある天王祭の本義から鑑みますと、誠に残念なことでありますが」とある。
 
牛頭天王は、「蘇民将来」で、疫病退散の神ってことになっている。
八坂神社のあるところは、祇園。
 
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」は平家物語。
祇園精舎は、釈迦に寄贈された御殿。
 
っていうことは、率土(そっと)神社の天竺の后(ピーナツは瓢箪!?千葉に熊野があった 〜双子座新月前のいろいろ)と関係があるのでは?
だったら牛頭天王(男神)と女神で最強じゃん。
 
多摩湖畔でみたのは、住吉さんと稲荷。「馬」のしるしの男女神。
 
 
牛頭天王=「牛」
牛といえば、天満宮。
いまだによくわからない、天満宮の牛。
 
でも、丹後をご一緒するはずだった歴史オタクのオペラ歌手さんがかつて私に教えてくれたことによると、たしか「織姫(機織)と彦星(牽牛:けんぎゅう)」。
必ずセットで祀られていると言っていた。
 
織姫は、、、なんだっけ。
白山菊理媛神だったっけ。おしらさま。
 
 
 
天満宮に「疱瘡神社」があったりするのと関係があるのかな。
 

陰陽師の「指田摂津正藤詮」の「指田日記」にも疱瘡の記録がある。

 

 

摂津。

摂津っていえば、大阪じゃん。

そういえば、妙見信仰のあるところに「逢坂」って地名が結構あったな。

 

 
 
京都・八坂神社の祇園祭は、年に1度、普段は街の祠に祀られている神々が結界をやぶって京都の町に入る。
 
 
祇園社の中にあるという2体の牛頭天王。
これが街を練り歩くことになっていた。
 
祀られていた神様が街に繰り出す。
「てんのう」がでるのか。
 
今年はフェイク(御神像)ではなく、本物の牛頭天王が出るのかもね。
 
 
 
 
 
キュートなお顔の狛犬さん。
 
 
 
 
まるで真夏のような晴天だった。
 
 
 
直会は「熊だ」のサーモン丼。
なんとそこには、お江戸の遊郭吉原の絵がかかってた・・・。
 
 
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