松と梅と東北の地震(追記あり) | かんながら

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旅の記録です

東京でも揺れた。
震源から遠く離れたうちの部屋ですら、水晶の細石を入れてある瓶に入れた元伊勢籠神社の鈴が倒れて細石が部屋中に撒かれた。
 
 
籠の鈴でたよ。
鈴といえばスズキは熊野の名前。
鈴木孫一の名もサルタヒコに聞いたばかり。
 
 
 
旧暦新年。
 
ヨギの治療師は、晦日に、とある宣言をしたけど、結局お朔日には多忙を理由になにもしなかった(ようだ)。
 
どんなに強く願っても、叶うことはごくわずかだ。
この現実世界では投げかけたものしか生み出されないのに。
 
「願いは叶わない、って本を書いて」と言ったことを忘れたのか。
 
 
朝、いちばん、どうしても聞きたいことがあったので、白山のサルタヒコに電話した。
 
必要な連絡は自分からする。相手の状況や気持ちを忖度しない。
時間切れだったが、教えて欲しいことはたっぷりのおまけつきで教えてもらえた。
さすがのサルタヒコ。
 
 
 
用があって、四谷まで歩いた。
途中、「青山師範学校の跡」って石碑を発見。
 
 
五芒星と桜。
 
なんか意味深。
 
うちの母校は、六芒星(じゃないらしい)と梅だった。
 
 
 
世田谷に移ったとある。
学芸大学のことみたい。
もともとは青山にあったんだ。
もとは練兵場なんだよね、青山も。
 
 
 
赤坂の御用邸の通り。
安鎮(安珍)大権現。
 
 
安珍清姫っていったら、能「道成寺」
釣鐘がばーーんと落ちてくるやつ。
 
 
 
安珍ってお坊さんが清姫って少女に中途半端な嘘をついて、待ち続けた清姫は苦しむ。
裏切られたとわかって、清姫は怒りのあまり蛇に化身して、道成寺で鐘ごと安珍を焼き殺す。
 
 
 
安珍清姫(wikiより引用)
時は醍醐天皇の御代、延長6年(928年)夏の頃である。奥州白河より熊野に参詣に来たがいた。この僧(安珍)は大変な美形であった。紀伊国牟婁郡(現在の和歌山県田辺市中辺路熊野街道沿い)真砂の庄司清次の娘(清姫)は宿を借りた安珍を見て一目惚れ、女だてらに夜這いをかけて迫る。安珍は参拝中の身としてはそのように迫られても困る、帰りにはきっと立ち寄るからと騙して、参拝後は立ち寄ることなくさっさと行ってしまった。
 
 
表向きの伝承ではなんか清姫がやなかんじにかかれてるけど、違うと思う。
 
熊野ってそんなところだ。
なんでもうけいれ、飲み込んできた熊野。
秘密がいっぱい埋まっている「き」の国。
 
 
 
それにしても、紀州に縁ある紀子さまがいらっしゃる赤坂の御用邸の前が「安鎮坂」ってなんか意味深。
 
そういえばちょっと前になにわの審神者(さにわ)が送ってきた荷物に入ってた新聞に道成寺の漫画が載ってたのもサインだったか。
そのときすごく久しぶりに、子どもの時みた「道成寺」のお能を思い出したんだもんな。
 
 
 
四谷の用が終わって、内藤新宿。
 
お蕎麦屋さんにはってあった貼り紙に、
 
 
 
「四谷大木戸ができたのは、大坂夏の陣の豊臣の残党の侵入を防ぐ目的」
 
 
って書いてあった。
 
 
玉川上水(お江戸のお水送り その2 〜江戸への水路を歩いてみたら)の終着地点の四谷大木戸。
そして、長野の高遠のお殿様と関係がある(らしい)内藤新宿。
そこにある、「多武峰(とうのみね)」内藤神社。
御祭神は藤原鎌足。
多武峰は、談山神社のあるところ。
そしてやっぱり気になる「遠野(とおの)」。
 
 
高遠といえば、近くに守屋山。
ミシャグチ神。イサクの伝説。
 
 
 
伊勢平氏おじさんが歩こうと言ってきたので、すでにこの日20キロ以上歩いたあとだったが一緒に歩いた。
 
おじさんは、学生時代に当時仕事で仙台に行っていたというお父さんと中尊寺に行ったり、汽車で福島あたりまでのんびり旅した思い出を話した。
今までは同じ話しかしなかったのに、最近違う話もするようになった。
そうだよ、そんなにたくさん時間があるわけじゃない。
 
 
このあいだ(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その8) 〜 一関の造り酒屋 編)行きそびれた「室根山」が気になっている。
室根神社は、熊野権現を祀る。
おそらく気仙沼あたりについて、来たんだろうが、古い歴史をもつ神社である。
 
 

 

 

室根神社の特別大祭は、養老2年に(718年)紀州の熊野から熊野大社の御神霊を勧請して以来、連綿として行われて来たものです。
遠く1287年の歴史をもち、古くから奥州の三大荒祭として有名です。
神社の発祥は、元正天皇の勅命によっての勧請であり、古くは奥七郡の総鎮守として広く地方の信仰を集め、祭典は閏年の次の年を大祭年として継続されて来ました。
神社勧請の年が閏年の次の年であった故事に基づくものです。

(中略)

大祭は、神社の歴史の古さ、由緒の貴さを背景に1287年前勧請の故事を現代にまで継承していることは他に見られぬ特色です。その故に、昭和56年に県から文化財に指定され昭和60年国重要無形民俗文化財に指定されました。

 

宮城県気仙沼市新城から粥の献司が参殿し粥を奉ります。粥の炊き方に秘事があるといわれています。陸尺の御飯炊事役は、神社勧請のとき勅使供奉の神士のお宿をした上折壁郷長、長金某の子孫として維新前までは飯米を献進していたましたが、明治3年後そのことがなく神役として奉仕しています。

 

云々。

祭りはいろいろあるみたい。

 

2021年は行われなかった、と書いてある。

実際はどうなのかわかんないけど、もし今まで正確に継承してきたものをしなくなったとしたら、それなりの一大事であろう。

 

 

 

 

 
室根山は、一関の精神的な柱の山だったと一関の造り酒屋の会長さんから聞いた。
 
子どもたちは遠足で今も登るみたいだが、その霊的(歴史的)な意味は知られていないかもしれない。
 
今思ったけど、「室(むろ)」根山って、安珍清姫の舞台の「牟婁(むろ)郡」。
 
牟婁(むろ)の根。
 
 
道成寺の要のメッセージは蛇。
 
 
蛇っていえば、みーさん(蛇)。
奈良の大神(おおみわ)神社。
 
 
蛇が出雲の龍蛇神とつながってて、
ヤマトでは、「三宝荒神」、
それは沖縄のヒヌカン(ひの神)とつながってる
 
 
って思っているが、
 
 
そういえば、朝サルタヒコがくれたトピックに、
 
「(白山菊理媛神の)石浦神社(琉球から雨降山へ 〜雨降山・大山寺 その2 本当の鎌倉は茅ヶ崎にある!? 〜鶴嶺・平塚八幡宮と高来(たかく)神社=高麗(こま)寺)と大神神社がつながってる」って言ってたことを思い出した。
 
そこのところはまだ検証できていないし理解できていないが、
 
 
とにかく、白山菊理媛神は、(北朝鮮の)白頭山の神であり、なんか、龍蛇神と関係があるらしい。
 
 
 
沖縄と、出雲と、大和(奈良)と、白山(白頭山)はつながっているみたいだ。
 
なるほど、「三輪神社」っていってたからか。サルタヒコが大神神社と関係あるっていったのは。
しかも「長谷寺」って言ってた時期もあるのか。
 
長谷寺っていえば、多武峰(とうのみね)の談山神社と同じ場所。
 
 
 
実は最近20年くらいぶりに、ご縁がつながった人がいて、「一関」縁のひとであった。
しかもその人は「太宰府」を話題にして、梅ヶ枝餅の写真を送ってきた。
 
 
梅。
このところずっときている。
 
白山のサルタヒコと話したときに
 
 
「梅」って石川県に関係なかった?
 
 
って聞いて、前田利家とその妻「まつ」の話になり、白山比咩神社の敷地になっている「船岡山」が石川県最古の神社である石浦神社のあった場所で、、、って話になったのだった。
 
 
 
なにわの審神者(さにわ)は、「三千世界一度に開く梅の花」って本をだいぶ前に送ってきたが、開いたことはなかった。
でも、ここのところ、ずっと梅にまつわるお知らせばかりくる。
 
 
でも、丹後の旅(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その9) 〜 ホンモノの天橋立?久美浜 編)で、丹後の熊野で虹をみてから、沖縄に行ってそこでみたのは「熊野」。
 
 
だって、沖縄の神社は、熊野から補陀落渡海で流れ着いた日秀上人が熊野信仰を広めたからか、熊野権現を祀ってるんだもの。
 
 
花の窟神社をみたら、琉球の匂いするけどさ。
実際に交流していたのだ。
 
 
そして、熊野は、東北ともつながってる。
 
 
 
ここのところ、一関の室根山の話をすることがあった上(その方は室根山が霊山だと知らないようだった)、
伊勢平氏おじさんと、東北や熊野(彼が絶賛するがわたしにはピンとこない玉置神社)の話をした日の夜、帰ったら揺れた。
 
 
しかも、まさにその場所だったので、ざっくりとだけでも書いておく。
 
 
本当の熊野はどこにあるのか?
 
 
蛇はなにか。
清姫は怒ってるんじゃないかな。
 
 
 
わたしの中の瀬織津姫も怒っているし(謎)。
 
 
 
震源地は、金華山の沖だって、なにわの審神者(さにわ)が送ってきた地図にあった、「鵜の尾」っていう地名。
 
もうすぐ、福井の「鵜の瀬」からお水が送られて、修二会がはじまる。
 
 
鵜の瀬。鵜の尾。
 
 
「鵜」を解き放つときがきたのかも。
 
 
 
そういえば、能登一宮 気多大社も「鵜」祭がある。
能登は、総持寺があった場所(お江戸のお水送り その1 〜田無神社は風の神?)なんだよな。