今日は夏至。
夏がきた。
日は長いが、太陽は地球から一番遠い場所にあるという。
今日から東京は緊急事態宣言が解除された(マンボウとやらになったらしい)。
世間では、相変わらずマスク警察 VS ワクチン反対派みたいな戦いが繰り広げられている。
わたしは、マスクは(必要と思うときだけ)していて、ワクチンも(注射が嫌いなので)するつもりがない、
いいかげんで無責任なノンポリの「コロナは恩寵」派である。
ちゃんとしている人たちは、昔からちゃんとしていた、って共感できるブロ友さんたちの記事を読んでいたら思える。
でもわたしたちの声は小さく、そして分断させられている。
コロナも2年目の今年、もう自分の中には確信があると思う。
「なんか変だな」って思ってたことが「やっぱりな」って。
わたしたちは、眠らされていたののかもしれない。
「正しいこと」や「望ましい方向」に進まなければ「迷惑をかける」っていう呪縛があって、自分を表現することができなかったのだ。
わたしは2万件くらいの人生相談をしてきたが、わたしがしてきたことは、「よい方向に導くこと」でも、「成功するように手助けすること」でもない。
禅の窪田慈雲先生ががよく使われる言葉である(近いうちに出る「致知」にインタビュー記事がでるらしい)。
伊勢平氏おじさんに「因果」っていうと「ネガティブなことをいうな」って怒られるけど、それはあなたの因果(まいている種)がネガティブなだけだ、とわたしは思う。
わたしは因果って聞くといいことが起きるに決まってるってワクワクするけどな。
生きるっていうのは、何かの種をまきつづけることだ。
自分にとって素敵な種をまきつづけたら、わたしの世界はわたしの望む素敵な庭になる。
そうしていろんな人生がこの地上で展開されている様子が「展覧会」なんだとわたしは思える。
よく「好きなことをしたらいい」っていうと、
「自分勝手なことをしていいんですか」とか
「他人に迷惑かけていいんですか」
って言われるけど、
あなたの庭に雑草の種をまいたら雑草に覆われる。
ただ、それだけ。
そうしたいなら、それもいい。
刈り取るのも自分自身である。
本当は、この世には、他人など存在しない。
「たったひとりの自分がいるだけ」なのだから。
だから、どんどん自分の思うようにやったらいい。
誰かが作った基準(北極星)に合わせて回る時代は終わったのだ。
自分の意思で行動すれば、社会が動く。
このあいだも吠えたように(智慧を貸すのではなく、力を借りるのだ)、
わたしたちが、わたしたちの意思の力で地球を回す。
すると、軸が、定まる。
それが、民意だ。
インターネットができた頃、そこは豊かな知識を分かち合う場だった。
しかも無料で。
わたしはまだ20代で社会的な地位もなく、社会では偉い人と話せる機会自体がなかったが、リアルな社会では絶対に話せないような人が拙い質問にこたえてくれたり、メッセージをくれたりして驚いたし楽しかった。
そしてその頃からの付き合いは、なんとなく今もいろんな形で続いている。
経済って、「経世済民」って言葉からできた言葉なのだそうだ。
経世済民とは、「世を治め、民を済(すく)うこと。」
経済というのは、人を済うものであって、損なうものであってはならない
お金のために、
家族との生活を犠牲にするとか、
したくないことをして、ストレスを溜めて健康や人間性を損なうとか、
おかしいのだ。
そんなおかしくなった私たちの世界に、コロナはやってきた。
働かなくても必要最低限のお金がもらえる
通勤しなくてもいい
人との過剰な接触を避けていい
壮大な社会実験の機会が訪れた。
神の世界の目で見たら、コロナは恩寵。
コロナは苦しい病なのかも知れないが、死はすべての人に等しく訪れる。
わたしには、死は抱える苦しみがいずれ必ず終わると知らせてくれる福音でもある。
コロナ後の社会がどうなるのか、それは私たちの意識にかかっている。
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城春草木深
感時花濺涙
恨別鳥驚心
烽火連三月
家書抵万金
白頭掻更短
渾欲不勝簪
國破れて 山河在り
城春にして 草木深し
時に感じて 花にも涙を濺ぎ
別れを恨んで 鳥にも心を驚かす
峰火 三月に連なり
家書 萬金に抵る
白頭掻いて 更に短かし
渾べて簪に 勝えざらんと欲す
国都(長安)は破壊されてしまったが、山や川は(昔と変わらずに)存在している。
(荒れたこの)町にも(いつもと同じ)春がやってきて、草木は深く生い茂っている。
この時世に心を痛め悲しんで、(いつもの春ならば楽しいはずの)花を眺めて涙をこぼし、
(家族と)はなればなれになっていることをうらめしく嘆いては、(楽しいはずの)鳥の声にはっと胸をつかれる。
(戦さの)のろしは幾月もの間ずっと続きうちあげられて(戦乱はいつ終わるとも知れず)、
家族からの手紙は万金に価するほど貴重なものに思われる。
(悲しみのあまり)しらが頭をかきむしると、(髪は心労のために)ますます短くなり、
冠をとめるかんざしをさすこともできなくなろうとしている。