ピーナツは瓢箪!?千葉に熊野があった 〜双子座新月前のいろいろ | かんながら

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旅の記録です

6月初旬の出来事の備忘録。
 
 
からの。
 
似てるって思うのはわたしだけ?
エジプトの象形文字。
またくるんだな、これが。
後から書くとネタバレみたいで自分自身がノラない。
写真だけ先に貼り付けておいたから書いてるけど(謎)。
 
 
 
20年来のネット仲間が小田原でご飯を食べているであろうツイートをしてきたので、
「海鮮丼食べたね?みやげは?」と聞いたら「もう電車」とそっけない返事。
「デパ地下で差し入れて」っていったら差し入れてくれた。
 
このあいだは、LINEに焼肉の様子の写真だけ送って「おすそわけ」って書いてあったので、
「腹立つだけ」って返答したが、やっぱり正直に言ってよかった。
「おいしそう!」って(自分ではなく相手が)気分がいいコメントを返していたら、このまぐろ丼はこなかったと思う。
 
 
 
こちらも長いネット仲間が「よさそう」って教えてくれて、ずっと予約が取れなかった頭のリラクゼーションのお店。
かれこれ2年ほど何度かトライしているが、なんとなく予約画面を眺めてたら空きがあって取れたから行ってみた。
たった30分の施術であったが15分くらいで眠ってしまい、たぶん寝てたのは12、3分と思われるがすっきりと目覚めてびっくりした。
 
もともと不眠はまったくないが、6月のこのころは頭が忙しかった。
たしかにみんなの意識がざわついていたし、自分自身もそうだった。でも5Gのせい(ばかり)ではないと思う。
 
渋谷は5Gでカラスが大量死してるとか、良識あるオトナだと思っている人に言われてなんかがっかりした。
たしかに東京都はカラスの駆除に予算をかけているらしいから、カラスは一時期(20年くらい前)より減った。
少なくともわたしは朝一番くらいの街をほぼ毎日歩いているが、Twitterでみたようなカラスの死骸が散乱している光景はみていない。
 
 
表参道にドル札デザインのTシャツとそのディスプレー。
なんなの。しかも、1ドル札。
 
このあいだ、仙台で島巫女仲間と塩竈にいった(籠に入った龍・宮城へ〜琉球弧・島巫女ネットワーク)が、駅に見たことのある写真がポスターになっていた。
あらー、塩竈じゃん。
 
塩竈、くるよ。だってわたしたちが行ったから笑。
と思ったら、コゥ・パピィもまた訪れていた(蔵王御釜〜塩竈お寿司)。
しかも会津に行ってるし。
 
 
 
会津は、仙台の島巫女さんの本拠地である。
今年「赤べこ」がくる。
 
だって牛頭天王だから(謎)。
瀬織津姫がお役を降りたので、牛頭天王が出る。
なぜ「赤」なのかわからないけど、丑年の今年は疫病退散の「赤い牛」がくるのだ。
 
 
還暦の正月を迎えたとたんに、ヨギの治療師は愛用のジャケットを赤に変えてて笑ってしまった。
「還暦だから赤いちゃんちゃんこだね」って指摘されるまで本人は気づいていなくておかしかったが。しかもプレゼントでなく、自分で準備していたあたりが。
この人も今年ついになにかやるのか、ってそういえば思ったんだったな。
 
12年も時をおいて突然連絡してきたのだ。
わたしに用がある人はもれなく「変化のとき」を迎える人である。
 
「疫病退散の暴れ牛になるのか」と思ってたら、確かにわたしに絶交を言い渡した後に、暴れてたようである。
絶交してくれてよかった。
 
セラピストの仕事は、クライアントの元気な背中を見送ることだから。
彼はわたしのセラピーは望んでないし、わたしを助けたい、って来てくれたらしくて実際助かったこともたくさんあるけど、わたしにとっては自分の使命を果たすことがなによりも大事なのである。
 
だから、彼が連絡してきた目的のひとつは果たせたって思う。
 
 
「古代エジプト展に行ったという記事をみました」って連絡が来て江戸東京博物館。
日本を出て、沖縄の先は、ボスポラス海峡(トルコ)だと白山のサルタヒコも言っていたが、エジプトに向かった瞬間につながるのがおかしすぎる。
ボスポラス関係者はわたしの中で(現在わかっているだけで)2人いる。
 
こちらのおじさまにはヨーロッパの文化や経済のことなどを教えてもらっている。
とにかくわたしは、歴史にも経済にも興味がなく、学生時代全く勉強しなかった。
でも、若い頃何度もバックパッカーで旅をしたので土地には愛着がある。
だからいろいろ質問する。
 
伊勢平氏おじさんは、「キミは何も知らなすぎて話にならない!!!」って怒って話を終えてしまうが、彼以外の人たちは、おおむね知識を披露することを喜んでくれる。
今回はシンジケートとは何か、という話を聞いたりとか。

浮世絵展。
気になった絵をよく見たら、やっぱりというか、豊橋じゃん。
吉田城。そして絶対あると思ってたけど、遊郭。
 
あのあたり、しょっちゅう地名を変えている。
それと、花火。
氾濫したに違いない川(豊川)。
 
 
熊野で木を切って窯で塩を焚き、「野間船」で運んでそれを売っていたという伊勢平氏おじさんの先祖。そしてあるとき忽然と姿を消した。
 
行き先は豊橋。地名に瓜がつくのはスサノオ の印みたい。
阿波の玉ちゃんが教えてくれたけど、スサノオの氏子はきゅうり食べないんだって。
わたし、きゅうりもメロンも好きじゃない。たしかにわたしの産土神はスサノオ(もともとは熊野権現)である。ちなみに伊勢平氏おじさんはきゅうりを普通に食べているようだが。
 
 
彼らは木を切って暮らし、なくなったら移動した。
木がなくなると土砂崩れしやすい。
間違いなく土砂崩れがおきたり、川が氾濫したであろう。
 
その代わりというか、氾濫した川は肥沃な土地を生み出しもした。
そして、豊かな森から流れ出た土の成分は海を豊かにもした。
熊野や伊勢が海産物に恵まれているのはそのせいであろう。
 
自分の留袖に入っている紋があって、よくみたら、「剣酢漿(けんかたばみ)紋が散らされていることから、酒井家に関わる女乗物と思われる」ってある。
 
 
明治神宮では、恒例の水石展。
今年はなんかとくにすごいな、って感じた。
 
 
ボスポラス海峡といえば、もうひとり「尾鷲の大先生」がいるのだが、この方もこのタイミングでワイン会のお誘い。
でもしかし、開催場所が「木更津」。
 

 

「木更津ですか?!」
そんな遠いところで飲んで酔っ払って帰れなくなったら大変じゃん。
「行けたらいきます」って全くやる気のない返事を(普通の人なら大先生にそういうことしないだろうが)しておいたが、何気に開催場所をGoogleMapでみたら、「祇園」という文字が。

 

 
祇園駅ってあるんだ、あのあたりに。
ということは、スサノオの神社があるはず、と思ったらあった。
 
今「牛頭天王」が来ているのでのることにする。
だって、尾鷲の大先生の本拠地の熊野は牛頭天王=熊野権現の土地である。
 
しかも、「率土(そっと)神社」なるものが。
 
率土神社(袖ヶ浦NAVIより)
 
神納の高台に鎮座する率土神社は大変古い歴史を持ち、その縁起によれば、古くインドにあった摩伽陀(マカダ)国の妃が国を追われ、養老2年(718)日本まで逃れてきました。都に迎えられた妃は「天豊媛命(アメノトヨヒメノミコト)」の名を授かり、東国平定のため袖ケ浦へ遣わされ、神納の地に館を構えた、と伝えられています。妃亡き後、神納の人々は妃を偲び、社を建てたのが率土神社の始まりです。
江戸時代から当社に伝来する神納神楽ばやしは、2人立の獅子神楽。獅子の面を被った男が邪気を払うために勇壮に舞います。飯富の飽冨神社の祭礼でも神納神楽は舞われます。
 
インドのお姫様が祀られているとは。
熊野の補陀洛山寺もインドとつながってて(補陀落渡海でながれついた日秀上人)、その先は琉球八社のひとつ波上宮(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その1 聖地の本質)。
 
 
どうも千葉のこのあたりは熊野の匂いがプンプンする。
そもそも、ワイン会の企画をした人は尾鷲の大先生の勧めでこの辺りに移住を決めたと言っていた。
まるで熊野を持ってきたみたいなこの土地おもしろすぎる。
 
しかも、開催場所は「瓜」倉であった。
 
 
会場近くに、龍宮城がある。
龍・宮城。このあいだ行った宮城県。
宮城も龍宮城である。
 
 
だーれもいない海♫(by 森高千里)
ほんとうに我々以外誰もいなかった。
 
しかし、確かめに来たのは先祖の因縁。
 
千葉も黒潮ハイウェイの道の駅だ。
成田山でも島の匂いがしたけど(瓢箪から駒が出て、さて、次は? 〜成田山・星供養)、そう思うと、ピーナツが瓢箪にみえてくるんだけど。
 
なんで千葉の名産がピーナツなのか不思議でならなかったけど、海人族の印の「瓢箪」だとしたら妙に納得するわたし。
 
 
結局参加したのは、先生と関係者ばかりで、ゲストはわたしともうひとり。
しかもその人も「先生の誘いを断れない」って来ただけで、なんと「遠いから」ってクルマで参加。
一滴も飲まずに先生を送っていった。
 
わたしには、千葉に熊野があるってわかったことが収穫だった。