九尾の狐と陰陽師 〜玉藻の前という天竺から来た美女 | かんながら

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旅の記録です

 
 
 

 

 

 
 

国栖(くず)と葛の葉(安倍晴明の母)との引き寄せから、気になって、調べた国栖。

 

葛って植物は、繁殖力が強くて邪魔者なんだって。

根塊が葛湯や葛切りになったり、根っこが葛根となって漢方薬になるわけだけど、有益だけど繁殖力が強くて邪魔、ということみたい。

歯の裏側が白い毛がふっさり生えてていて白ギツネに例えたりとかも、奥が深いじゃないか。

 

葛ってつく地名は結構あって、

葛城なんかもそうだ。

葛、カツラ、そういうの、みんなそうなんだ(謎)。

 

 

 

このタイミングで現れた殺生石。

那須に住んでいたことのある友人を知っている。

「善政」というキーワードがガッチリ当てはまる血統の持ち主。

 

「殺生石って知ってる?」

「那須か」

「そう」

 

電話でのやりとり。

 

地元だったじゃんね。

伊勢の女にはいい思いがないと言いながら、わたしに食べ物と酒をくれる人。

 

旅が続いていたから久しぶりに電話したけど、なんか、いつもとは違うレベルに声に張りがある。

これはきて欲しいってことか。

那須が呼んでいる。

 

予約サイトを見ながら電話してて

 

「一人で泊まれる宿が少ないよう」

って言ったら

 

「仕事なければ一緒に行ってやるんだけどな」

って

 

 

いや、傷つく心を持ったちゃんとした普通の人とは同じ部屋にとまれません。

 

それでも、

 

「晩ご飯一緒に食べよう」

と言ってたかる。

 

そして猛ダッシュで新宿駅に駆け込んでぎりぎりセーフ。

 

 

 

 

ホテルの周りは真っ暗で、見つけるのに苦労した。大浴場が使える時間は5分しかなく、仕方なくお風呂に直行。自動販売機のドリンクはアルコールどころか、水に至るまで全て売り切れ。

 

そして朝。

 

 

 

温泉(ゆぜん)神社。

 

 

 

 

 

見立神社。

温泉を発見した人を祀っている。

その人は狩野三郎行広(かりの さぶろうゆきひろ)。630年に温泉を発見。

その後知り合う、人見さん(狩野三郎行広の子孫)のお話によると、

 

第34代舒明天皇の御代[西暦630年](飛鳥時代)、那須郡司であった狩野三郎行広(かりの さぶろうゆきひろ)は、山間の痩せた土地に植え育てた作物が立派な大角を立てた白鹿に荒らされ続けた事に領民が苦しむ事を聞き、弓矢を携えて鹿を討つべく追った。白鹿に深手を負わせたが、この深山に逃げ込まれ濃霧の中行方を見失うところに白髪の温泉神が現れ白鹿が谷に湧く温泉で傷を癒やしている事。その温泉は万病に効果あり とのお告げを受け見事鹿を討ち取った。その後この地に社を建立し温泉神をお祀りした。

くにたまの会HPより引用

らしい。

 

きたよ、鹿。

そして、飛鳥。

 

 

 

 

これ、たぶん、土俵。

ちゃんとした神社なのだ。

 

 

美しき御神木。

 

 

 

 

 

 

温泉(ゆぜん)神社。

 

大己貴命

少彦名命

誉田別命を祀る。

 

 

 

 

九尾稲荷神社。

 

 

 
 
殺生石の伝説は、
 
尾の狐は、玉藻の前という天竺・唐から来て朝廷に仕えた美女、玉藻の前。
「偉いひとを殺す」という悪事を働いていたが、安倍泰成に見破られて那須野が原に逃げてきた。
上総介、三浦介に退治されるが石になってなお毒気を放って人や動物を殺した。
源翁和尚が大乗経をあげると、一筋の白煙とともに玉藻の姿が現れ、石は3つに割れて飛び散った。
ひとつは岡山、ひとつは会津に、など各地に伝承がある。
 
 
というものだ。
 
ちなみに、殺生石伝説は、大津祭りでは、「殺生石山」という曳山となっているし、能にもなっている。
 
こちらでは
 
鳥羽院に寵をうけた玉藻御前は実は金毛丸尾の古狐で、帝の生命を縮めんとしているのを安部泰親に発見され、東国に逃げ上総国三浦之介に退治され、殺生石となる。そして那須野ケ原で農民を悩ましていたが、玄翁和尚の法力で解脱(成仏)する。
 
とある。
 
ふーん。「偉い人を殺す」っていう悪事。
朝廷に入って。
ほーー。
 
そして成敗するのは陰陽師安倍泰成。
 
なんか、似すぎていないか。
 
陰陽師安倍某のやることに狐が絡む構図。
 
 
そして、三つ石なんだ。
 
三ツ石。
わたしにとっては3つの石のサインは沖縄の台所にもれなく祀られている火の神「ヒヌカン」である。
そしてわたしのイメージでは、「荒神さん」と同じと思っている(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅)。
 
 
福井の三ツ石は閼伽井戸にあった。その井戸の水は「鵜の瀬」を経て、東大寺二月堂へと送られる。
 
三ツ石は、まだよくわからないけど、壮大なテーマになりそうな、島の香りのするサインなのである。
 
 
 
お狐さんが、亡くなっているのに遭遇した。
線香も持っていなくて、お水をあげて祈るしかなかった。
 
ただ、わたしにはわかったよ。
誰かのために、「悪役」を引き受けてきた(ている)、あなたの気持ち。
この聖なる犠牲によって、この地上の平和が保たれているってことだよね。
 
 
安倍晴明のお母さんの葛の葉は、「狐」。葛の葉伝説の方は有名だけど、芦屋道満大内鑑は、後発のための差別化として従来悪役であった芦屋道満を「善人」として描く大胆な翻案(wiki)ということで、なかなか興味深い印がたくさんある。
 
 
 
「勝てば官軍」とはよく言ったものだ。
誰か「悪者」を作って一件落着。
 
 
 
尻尾の生えた人(国栖)、土蜘蛛、狐、熊、
みんな人間でしょ。
 
 
 
海行かば でも書いたけど、今の世は、たくさんの犠牲の上にできている。
そして、「かへりみはせじ」と大伴家持が歌ったように、私情を超えて日本武尊(ヤマトタケ)の目指した「天なりの道」にコミットしたのである。
 
 
 
 
母心を利用して封印に使うとか、やっぱり違うと思う。
母親だもの。最愛の息子のためなら、狐に貶められても、濡れ衣を着せられても、黙って息子の成功を願うと思うよ。
だから、息子(安倍晴明)のかけた呪術の成就を願ってきた。
 
 
神の世界に情はない。

 

だから、自然の世界では、人間の目で見たら理不尽なことがよく起きる。

 

 
境内を掃除していらっしゃる方と出会って、話しかけられた。
 
「どちらから」
 
 
一瞬ドキッとして答える。
「明治神宮です」
 
「もしかして、原宿ですか」
 
「(コロナ心配たかな)はい」
 
「東郷神社の宮司さんが・・・」
 
 
 
よかった、コロナじゃなかった。
 
東郷神社の福田宮司さんのお話になり、しばし雑談。
 
ここで東郷神社が出てくるとは。
ますます「海ゆかば」である。
 
 
そして、いろいろ教えていただく。
 
そのかたは、境内にある「見立神社」のご祭神の「狩野三郎行広(かり さぶろうゆきひろ)」の子孫だという。
 
狩野三郎行広は、山間の痩せた土地に植え育てた作物が立派な大角を立てた白鹿に荒らされ続けた事に領民が苦しむ事を聞き、弓矢を携えて鹿を討つべく追った。白鹿に深手を負わせたが、この深山に逃げ込まれ濃霧の中行方を見失うところに白髪の温泉神が現れ白鹿が谷に湧く温泉で傷を癒やしている事。その温泉は万病に効果あり とのお告げを受け見事鹿を討ち取った。
 
温泉のわいたというこの伝説の時期は、第34代舒明天皇の御代(西暦630年=飛鳥時代)とある。
飛鳥時代!!
 
 
飛鳥の「玉藻」とやはり、つながっていた!!
 
 
明日香川 瀬瀬(せぜ)に玉藻は 生(お)ひたれど 
しがらみあれば 靡(なび)きあはなくに 
 
 
まだ、本当の意味はわからない。
 
でも玉藻は、天竺・唐からきた女性なのだろう。
しがらみはあったであろう。朝廷に仕えていて、「偉い人を殺した」ってことになっている。
 
 
靡きあわなくに、ってなんだろう?
 
あわのくに?
 
 
 
 
ここは那須与一(地元では余一)ゆかりの場所。
 
考えてみれば、当たり前か。
「那須」の「余一」なんだ。
 
本当は「余一」。
 
なんか、余一って字を見てると「たたら」ってみえてくるのはなぜだろう?
 
 
ここで祈願して、壇ノ浦で平家の扇を射抜いた鏑矢はここの温泉神社に伝えられている。
実は平家が呼んだのか。この間訪れた、大鳥神社(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その2 和泉の森編)も「実は平家」が呼んでいた。
 
今上陛下が、皇太子時代、訪れられていて、「高湯山行道」の石碑と「那須与一の鏑矢」を見にこられたそうである。
 
高湯山というのが、那須岳のことで、古い山岳信仰の場だったようだ。
出羽三山との関連を思わせそうな、「月山寺」という寺もかつては存在していた、という記事も。
かなり奥が深い。
 
ほぼ日帰りみたいな旅ではそこまで到達できないけど、湯治にでもきたい。
まあ、治すところは、頭くらいで、身体は至って健康な美志摩である。
 
 
 
那須に御用邸があるのは、きっと意味があるんだな、そう思った。
 
愛宕神社に向かう階段は163段。
オリンピックの聖火台への階段数と同じ。
 
「こちらの方が古いんだけどね」
って笑う。
 
うん?どういう意味??
 
 
話を聞いてると「学生さん?」と。
 
マスクしてるからね、若みえするのかな。
それにしても嬉しい。
 
 
気分よく、那須の旅を終えて帰京。
いよいよ明日は、東京開催となった大相撲七月場所の千秋楽。
 
 
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