恋しくば 訪ねきてみよ 和泉なる 信太の森の 恨み 葛の葉
旅から帰った翌日。
予告(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その3 飛鳥・纏向編)通り、あまりにも絶妙すぎるタイミングで伊勢平氏おじさんにばったり会った。
普段は通らない時間に、普段は通らない道で。
「続き」ってことか。
「来週山に行くつもり」と伊勢平氏おじさんは言った。
誘わないつもりか。それとも試してるのか。
まあいいや、こちらは続きの神事がある。だからこちらからいう。
「行きたいです」
「ああそう」
彼が行こうとしているのは、わたしが予定しているより少し先であったが、頼んでみた。
結構重要なのだ。この日程は。
とりあえずOKをもらって、
「では、いつもの場所で」
と別れた。
わたしの中にある伊勢平氏のDNAは島のDNAとなかなか折り合えない。
母もそうだし、おじさんもそうだし、他にも複数の心当たりがある。
外の世界に起きる不調和も、元を正せば自分の中にすでにあるものだ。
島の血と、伊勢の血の混血。父と母はわたしが生まれてすぐ離婚して絶縁したまんまだ。
もうあれから50年以上経つというのに。
わたしがもし彼らとまたうまくやっていける時が来るとしたら、わたしの中の睦合わせが済んだときなのであろう。
彼らとうまくやれたほんのわずかな時間は、安らかで幸せな時間だった。
今日は幸先いいな、と思っていたら、緊急地震速報。
え?このタイミングで!?
と思ったら、揺れなかった。
安倍晴明の母と言われる信太の森の狐(ということになっている)、「葛の葉」。
狐だということが知れて、安倍保名に家を出される。
そして愛しい息子(安倍晴明)を取り上げられる。
同じ目に2度も遭った(自分が選んだことは百も承知だが、それだと共感が得られにくいのであえて普通にこう書く)わたしとしては、このストーリーに注目せざるを得ない。
ここに自分の血というかルーツというか、はたまたカルマというのか、何か、ある。
この「葛の葉」の歌にも、隠された秘密があるような気がして、ずっと考えていた。
そして
昨日のブログ(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その3 飛鳥・纏向編)もちらと書いたけど、「葛」って、国栖じゃないのか?と思い至った。
葛(くず)という植物は、主に根っこを乾燥して用いる。薬用植物である。
葛の根っこを乾燥したものは、風邪薬で有名な「葛根湯」に配合される「葛根(カッコン)」と呼ぶ。
また、その大きく肥大した塊根からとれる澱粉は、葛湯や葛切りなどに用いられる。
そして葛の葉の裏は白い毛が密生し、葛葉(かつよう)と読んで薬用にする。民間療法で、山歩きなどで怪我をしたときの傷の止血に用いられ、葉を手で揉んで汁をつける用法が知られる、とwikiにはある。
効能は止血というのだから、蘆屋道満の占いによって野狐の生肝を取ろうとした石川悪右衛門から、狐(国栖=クズ)を守った安倍保名を国栖が身を尽くして介抱した、というのはまさに「葛の葉」の働きのたとえであろう。
(画像はリンク先よりお借りしました)
「ふさふさした白い毛」とはまさに白狐そのものではないか。
そうか、「恨み」とは、「裏見」なんだ。
前に訪れた時のブログ(飛鳥と卑弥呼と自然農 〜その2 大好きな場所と時代をかんじて)に偶然にも引用した、祝戸にある不思議な滝の石碑。
明日香川 瀬瀬(せぜ)に玉藻は 生(お)ひたれど
しがらみあれば 靡(なび)きあはなくに
しがらみあれば 靡(なび)きあはなくに
「玉藻」ってなんだ?
と思っていたら、答えが。
玉藻前(たまものまえ)の殺生石というのが、あるらしいではないか。
昨日、国栖が気になって、 わたしと同じように葛の葉さんに引きのある、サマリーさんにシェアしたあと、自分でも調べた。国栖のことは、橿原考古学研究所長で、山伏でもあった菅谷文則先生(故人)からお聞きしたことがある。
「わたしは国栖だから、尻尾が生えている」というような話をされたのだった。
その時に吉野には、鬼とか、尻尾がある人が住んでいたのか、と思った。
そのとき、土蜘蛛と呼ばれる人、国栖(クズ)と呼ばれる人、本当は人間なんだけど、「人として数えられない」人が存在していた、ということをなんとなく感じ取った。
わたしは、母が謡曲をやっていた関係で、子どもの時によく母に連れられて能を見たが、わたしは「土蜘蛛」が好きだったみたいだ。
まだ2歳とか3歳とか、そんな頃に、「土蜘蛛」のクライマックスのくもの糸が舞うシーンを不思議なくらい興味を持ってみていたと母が言っていた。
能や歌舞伎には、歴史のエッセンスがちょっぴり残されてて、そこを辿ると、神話や伝承が理解できることが多いのだが、昨晩はたと、「土蜘蛛」ってどんなだったっけな。と思って、なにわの審神者(さにわ)に聞いていた。
「土蜘蛛は、手足の長い人たちやろ」
「国栖は?尻尾生えてる?」
「そうらしいな」
強烈な眠気が襲って、電話を切り、夜中に目覚めたところで、「国栖」を調べたら、「土蜘蛛」と呼ばれることと、国栖(くず、くにす)とは大和国吉野郡、常陸国茨城郡に居住したといわれる住民である、とwikiにはあった。
土蜘蛛、国栖、吉野、茨城、飛鳥、そして「玉藻」。
一体何がつながっていくんだろう?
葛の葉は、茨城につながっていた。
茨城で、狐といえば、当然、笠間であろう。
さてどうなる?ヒントは玉藻、そして、飛鳥。
犬と狐の関係。
「戌年の人は、狐と相性が悪いから、稲荷神社は危険らしくて、わたし神隠しにあったことあるんです」ってこの間(島巫女仲間に支えられ 〜伊雑宮と八ヶ岳 その1)、朝食をご一緒したスタイリストのお友達がまさに言っていたことである。
犬といえば、薩摩隼人って聞いたことがある。
薩摩隼人というと、西郷隆盛って思う人が多いけど、彼は元の姓は菊池で、熊本出身である。
ちなみに彼の2番目の妻は、奄美大島龍郷町「愛加那(あいかな)」である。
そしてその息子は第二代京都市長を務めた。
関係ないが、わたしの4分の1の血は、龍郷町である。
もちろん熊本は、球磨とも書き、八代妙見を抱える、妙見信仰のお膝元。
狐は、もちろん伏見(稲荷)。
白い犬が、北辰妙見、だというのであれば、八代妙見。鎮宅霊符神社。
鎮宅霊符神社の隣は稲荷(豊受大神)が仲良く祀られているのだ。
この間行った(約束の地、國吉に祀られていた神は 〜372年ぶりの日蝕夏至の日に)千葉の日蓮宗 清澄寺だって、稲荷があった。
ただ、狐を祀っている祠があるだけではない。感じる人ならわかる、稲荷のお地場。
夫のしろくまさんの散骨のときに、北極の街で出会ったアーティストの女性から、「彼と、あなたよ」もらった一枚の絵。
実際にはたぶん起こらない、白狐がシロクマに抱かれるその絵は、私たちが久高島で出会った宇宙人ヒロさんを通じて白山から迎えておまつりしてきた白狐のうがふくさんというお稲荷さんだと直感して、やはり彼とのご縁は、神様からの御用だったと確信したのだった。
彼は、シロクマ(北辰)。わたしは葛(国栖)の葉(稲荷)って意味だったのか。
国栖と稲荷が関係する?
そして、北辰信仰と睦み合うことは、ものすごく重要なことだったりするのではないか?
伊勢平氏おじさんは、「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて助かった、不思議な体験の持ち主である。
しかも、関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神に書いたように、おじさんは、千葉神社ゆかりの場所に住んでいたことがあったのである。
さて、次の課題は。
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