今日の一曲!Underworld「dirty epic」【平成6年の楽曲】
【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:平成の楽曲を振り返る】の第六弾です。【追記ここまで】
平成6年分の「今日の一曲!」はUnderworldの「dirty epic」(1994)です。ダレン・エマーソンが加入し、電子音楽に完全傾倒してからの1st/実際は3rdアルバム『dubnobasswithmyheadman』の収録曲で、同年の内にシングルとしてもリリースされたトラックとなります。
同盤の中では「mmm...skyscraper i love you」が最大のお気に入りなのですが、これは前年のシングル曲であるため今回は除外しました。1994年が初出の楽曲に絞っても、他に「cowgirl」や「dark & long」といった有名曲は存在しますが、これらに関しては過去の拙い文章で恐縮ながら、ライブレポとライブ盤のレビューで一応ふれたことがあるため(後者は正確には同曲の別ミックス「dark train」の発展形「nu train」)、未だ当ブログできちんと取り上げたことがなった「dirty epic」にフォーカスする次第です。曲名だけならこの軽い記事に出していますし、MVへの言及ならこの複合記事にもありますけどね。
本曲の背景を説明しますと、元はLemon Interuptという変名下でリリースされたインストナンバー「dirty」(1992)で、これを下敷きにしてボーカル曲に作り直したものが「dirty epic」となります。
この情報だけだと「dirty」は随分とニッチなトラックに映るかもしれませんが、同曲は最も古いコンピ・ベスト盤『1992-2002』(2003)にもアンダーワールド名義で収録されているため、それなりに知名度はあるはずです。ただし、後のアップデート盤『1992–2012 The Anthology』(デジタル:2011/フィジカル:2012)では省かれてしまっています。
更に後に出た『dubno~』のリイシュー盤(2014)の5枚組エディションには、「dirty epic」のミックス違いである「dirty guitar」や未発表バージョンの「dirty epic (dirty ambi piano a1764 oct 91)」も一緒に収められているので、楽曲の変遷を追いたい方はこれを購入すれば間違いはないでしょう。『Beaucoup Fish』のリイシュー盤(2017)の記事にも書きましたが、リマスタリングによる音質向上が必ずしもプラスに働くわけではないという、僕みたいな厄介なこだわりを持っていなければと、但し書きは必要かもしれません。
これは更にコア向けの情報ですが、上掲アルバムのいずれに収録されている「dirty」も、実はLemon Interuptのオリジナルよりは演奏時間がやや短いものとなっています。これはアウトロにあった芸能山城組「ぬいぐるみのポリフォニー」(1988)からのサンプリングパートがカットされているからです。元々は『AKIRA』の音楽が取り入れられていたトラックだということを考慮すると、解釈の幅が広がって面白い理解につながるかもとサジェストしておきます。
原形である「dirty」の解説は以上とし、ここからは「dirty epic」の魅力に迫っていくセクションです。ぱっと見で両曲が判別しにくいため、前者は変わらずに「dirty」と、後者は以降「epic」と表記します。
再度書きますが、インストからボーカルソングに変わったことが最たる変更点です。しかしトラックの骨子は「dirty」の段階で既に出来上がっていて、いくつかのサウンドやフレーズはそのまま「epic」に流用されています。とはいえそれぞれの印象はかなり異なると感じ、前者はまだ電子音楽らしいノリの良さやキラキラとした音作りが心地好いと形容可能なアウトプットであるものの、後者はまさにタイトル通りのダーティーさが前面に押し出されていると表現したいナンバーです。
「epic」はその歌詞内容とメロディラインの暗さも含めると、雨降りの薄汚れた路地裏が似合いそうな、退廃的な雰囲気を携えた仕上がりだと言えます。「dirty」も後半から;具体的には6分半あたりからはダークな向きが強くなっていくのですが、この陰鬱さを仰けから展開させているのが「epic」であると、まずは大きくまとめておきましょう。
10分近くある曲なので、いくつかのブロックに分けつつ、通時的にツボを列挙していくスタイルで書いていきます。
なお、アンダーワールドの記事では毎度のことですが、歌詞は有志が聴き取ったものを参考にするしかないため、特に大文字・小文字の区別や改行位置に関しては適当であることに留意してください。一部は上掲の5枚組盤に付属しているアートブック内の解説文に引用される形で、おそらく正式なものが提示されていますがほんの数行です。
イントロの0:47までで展開されている物悲しいフレーズは、「dirty」に於ける2:56からのものと同じですが、メインに据えられているこのメロディとサウンドに宿りし哀愁は、単なる電子音楽では終わらない情報量の多さを予感させるハイポテンシャルな立ち上がりです。0:48からキックが入り、ビートが本格的に走り出します。
程無くしてボーカルがスタート、歌い出しは"Sweet in winter, sweet in rain"と厳しさを感じさせる内容ではあるものの、始まりは「白」のイメージです。お馴染みの"she said"を含むラインを挟んで、何かの手順書のような意味深な比喩*が続きます。中でも"Connector"と"receiver"は重要なモチーフに思える。手順に従った操作の結果ゆえか、1:21から鳴り出すのは何処かデジタルなサウンドです。
* 十年以上前に某巨大掲示板で見た解釈ですが、本曲の歌詞は全編に亘って淫靡な描写によって占められているという理解の仕方も確かにあります。その時は「言っても日本人(=非英語ネイティブ)の感覚に基づく意見に過ぎないしなぁ」と参考程度に止めただけでしたが、今回改めて調べたら英語での感想にもこの手の受け取り方が認められたので、ある程度の客観性を有しているとの認識に変わりました。従って、以降でこの観点に言及する際は「別解釈」という言葉を使った婉曲表現にします。あけすけに書くと、ペナルティで非表示になってしまうかもしれないので。
続く"Ride the sainted rhythms on the midnight train to Romford"は、地名を含む一節の登場により、ここまでの曖昧な歌詞内容から打って変わって、急に情景描写が深まるので意表を突かれます。ボーカルにはリバーブが掛かって浮遊感が生まれていますが、これは"the sainted rhythms"のサウンドスケープかなと解釈しました。
再び頭のバースに戻り、同一のリリックが繰り返されますが、今度は"You never touch me anymore this way"の裏でハイハット(シェイカーかも?)が一時鳴り止むため、この言葉の遣る瀬無さが一層強烈に響いてきます。ここから歌詞が変わり、落胆もしくは愁嘆の"Oh no"を経て、今度は"Connector"のみが連呼されるパートに。途中で"You're a"が聴こえるので、これは「貴方」の比重が次第に大きくなっていることの顕れではないかと理解しました。別解釈をすると、"You never"~はテクニシャン的な意味、"Oh no"は嬌声の一種、"Connector"は何のとは言いませんが結合部のことに思えてきます。
敢えてJ-POP的な理解をすればここからがBメロでしょうか。表題に絡む"I'm so dirty"および"You're oh so dirty"が登場し、どのような解釈をしたとしても、ここから「黒」のイメージが強くなります。その原因の描写だと受け取りましたが、"And the light blinds my eyes"と、強烈な光に目が眩むことを指して白から黒への移行を示しているのが文学的です。
このセクションの結びの"Here comes Christ on crutches"は、ともすれば冒涜的にも解せる非常にインパクトのあるフレーズで、何らかの成句や聖書からの引用かと思ったくらいですが、調べても「epic」の歌詞に関することが大半でした。これも別解釈をすれば、腰を痛めるほどの激しさを表す一節で、更にキリストを用いることでブラックジョークの向きを濃くしたのかなと思います。
短めの間奏を挟んで次のパートへ。便宜的に"Call me"から"and danced"までをひとまとまりとしますが、ここは全部のラインを別解釈に委ねたほうがいい気がしました。最もわかりやすいのは直球の"I was busy listening for phone sex"ですが、これを軸にして考えると、"wet trampoline"も"with my hand"もかなりストレートな表現に映り、再度の登場となる"Shake well"~も"you never"~も"Coming through"~も、ここでは全てそういう行為のことにしか思えません。
しかしトラック的にはかなり格好良く、徐々に音数が絞られいって緊張感が増していく中、"And we all went mental and danced"というアグレッシブなフレーズが際立って響き、これを合図に何処か不安げなサウンドのダンサブルなシーケンスが鳴り出す流れは、アンダーワールドらしい暗さと明るさの同居であると絶賛します。
僕の理解ではここまでが前半部で、4:48からが後半部です。本曲にメランコリックな質感を付与している最大の功労者だと言える、「dirty」の6:49からのものと同じ憂いを帯びたエレキギターが登場し、これによるシンプルな反復が次第に精神を蝕んでいきます。
4回繰り返されるキャッチーな"I get my kicks on channel 6"も解釈し甲斐のある一節で、続く"to the off-peak"も考慮すると、DTMerとしては全てトラックメイキングに関する自己言及的なワードチョイスに映りました。しかし別解釈としては、海外の放送形態やPPVには明るくないため推測になりますが、大人向けチャンネルのことである可能性も否定出来ません。
再びBへ。この辺りからバックの鍵盤によるグリッターな印象;「dirty」に対して全般的に抱いていたキラキラとした音作りのイメージが主張を強めてきます。とはいえあまりポジティブな情景の音には感じず、個人的には雨脚が激しくなってきたビジョンが浮かぶのみです。
次のセクションは本曲の中で最も歌詞の抽象度が高く難解で、おそらくキリスト教徒でないと真に内容の意味はわからないのではないかと踏んでいます。キェルケゴールの『死に至る病』を読んで、キリスト教的な見地で納得に至る日本人は少ないであろうことと同様に。先の"Here comes Christ on crutches"が伏線になりますが、ここで"Here comes another god"と別の神が侵攻してきて、少し飛ばして"Freeze dried with a new religion/And my teeth stuffed back in my head"と続くことを加味すると、希望と絶望の狭間で揺らいでいるように思える。
ただ、飛ばした部分が何を表しているのかが僕には全くの謎であるのがもどかしくて、"Like a buffalo thunder/With a smell of sugar/And a velvet tongue/And designer voodoo"はクエスチョン×4です。ブードゥー教が出てきているのは信仰と関係がありそうですが、宗教に詳しくないためこれ以上掘り下げられません。ここでの別解釈ネタは"velvet tounge"で、調べればわかりますがエグい意味のスラングでした。これは三次元は疎か二次元の特殊な界隈でも対応する日本語が未だ存在しない、ニッチなプレイではないでしょうか。食○○が近い…か?
このパートで敢えて最後まで残した一節を引用すると、"But I got phone sex to see me through the emptiness in my 501s"は、詳細な意味はともかくメロディラインも含めて中々にお洒落なフレージングで気に入っています。"501s"をリーバイスのデニムのことだとした上で"emptiness"と合わせるのは、ここまでの湿っぽさから一転して渇いた世界観の提示であるため感心しました。このハードボイルドなイメージに別解釈を持ち込むなら、賢者モードの表現でしょうか。
しっかりとトラックを堪能出来る長めの間奏を挟み、ここまでに登場した歌詞の幾つかがリフレインされ、クロージングに向けた比較的静かなパートへと移行します。"They left me confused/I will not be confused/With another man"と、主人公の葛藤が窺える。
愈々曲の終わりが見えてくる8:36からは、ボーカルラインのメロディ性が薄くなり、台詞や独白のような趣に変わるのが特徴的です。ここの歌詞もまた難解ですが、その理由はパーソナライズドされた内容のせいかと思います。アメリカの歌手兼女優として有名なドリス・デイが登場する"But all I could see was Doris Day/In a big screen satellite"と、再びロンドンの地名を含む"Disappearing down the tube hole on Farringdon Street"は、何か個人的な思い出や思い入れからきているのだと受け取れ、視点が現実世界に戻ってくる感覚を覚えたからです。続く"With whiplash willy the motor psycho"は正直意味不明ですが、少なくとも"willy"は別解釈のヒントとなる単語でしょう。
アウトロにはまたも"I get my kicks on channel 6"が据えられ、これがフェードしつつ『dubno~』で次曲にあたる「cowgirl」のイントロと重なって曲は終わります。
様々な方向からのアプローチで歌詞を理解しようと試みてみましたが、「…で、結局何の歌なんだ?」としか言えない、まとまりのない文章になってしまいました。とはいえこの曖昧さこそがアンダーワールドの歌詞の面白さでもあるので、本記事に書かれていることが何かしらの取っ掛かりになれば幸いです。その実全くのナンセンスでも、裏にありそうな何かを探してこうして深読みをするのも一興であるとまとめます。
平成6年分の「今日の一曲!」はUnderworldの「dirty epic」(1994)です。ダレン・エマーソンが加入し、電子音楽に完全傾倒してからの1st/実際は3rdアルバム『dubnobasswithmyheadman』の収録曲で、同年の内にシングルとしてもリリースされたトラックとなります。
同盤の中では「mmm...skyscraper i love you」が最大のお気に入りなのですが、これは前年のシングル曲であるため今回は除外しました。1994年が初出の楽曲に絞っても、他に「cowgirl」や「dark & long」といった有名曲は存在しますが、これらに関しては過去の拙い文章で恐縮ながら、ライブレポとライブ盤のレビューで一応ふれたことがあるため(後者は正確には同曲の別ミックス「dark train」の発展形「nu train」)、未だ当ブログできちんと取り上げたことがなった「dirty epic」にフォーカスする次第です。曲名だけならこの軽い記事に出していますし、MVへの言及ならこの複合記事にもありますけどね。
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本曲の背景を説明しますと、元はLemon Interuptという変名下でリリースされたインストナンバー「dirty」(1992)で、これを下敷きにしてボーカル曲に作り直したものが「dirty epic」となります。
この情報だけだと「dirty」は随分とニッチなトラックに映るかもしれませんが、同曲は最も古いコンピ・ベスト盤『1992-2002』(2003)にもアンダーワールド名義で収録されているため、それなりに知名度はあるはずです。ただし、後のアップデート盤『1992–2012 The Anthology』(デジタル:2011/フィジカル:2012)では省かれてしまっています。
更に後に出た『dubno~』のリイシュー盤(2014)の5枚組エディションには、「dirty epic」のミックス違いである「dirty guitar」や未発表バージョンの「dirty epic (dirty ambi piano a1764 oct 91)」も一緒に収められているので、楽曲の変遷を追いたい方はこれを購入すれば間違いはないでしょう。『Beaucoup Fish』のリイシュー盤(2017)の記事にも書きましたが、リマスタリングによる音質向上が必ずしもプラスに働くわけではないという、僕みたいな厄介なこだわりを持っていなければと、但し書きは必要かもしれません。
ダブノーベースウィズマイヘッドマン<スーパー・デラックス・エディション> 9,894円 Amazon |
これは更にコア向けの情報ですが、上掲アルバムのいずれに収録されている「dirty」も、実はLemon Interuptのオリジナルよりは演奏時間がやや短いものとなっています。これはアウトロにあった芸能山城組「ぬいぐるみのポリフォニー」(1988)からのサンプリングパートがカットされているからです。元々は『AKIRA』の音楽が取り入れられていたトラックだということを考慮すると、解釈の幅が広がって面白い理解につながるかもとサジェストしておきます。
Symphonic Suite AKIRA 1,979円 Amazon |
原形である「dirty」の解説は以上とし、ここからは「dirty epic」の魅力に迫っていくセクションです。ぱっと見で両曲が判別しにくいため、前者は変わらずに「dirty」と、後者は以降「epic」と表記します。
再度書きますが、インストからボーカルソングに変わったことが最たる変更点です。しかしトラックの骨子は「dirty」の段階で既に出来上がっていて、いくつかのサウンドやフレーズはそのまま「epic」に流用されています。とはいえそれぞれの印象はかなり異なると感じ、前者はまだ電子音楽らしいノリの良さやキラキラとした音作りが心地好いと形容可能なアウトプットであるものの、後者はまさにタイトル通りのダーティーさが前面に押し出されていると表現したいナンバーです。
「epic」はその歌詞内容とメロディラインの暗さも含めると、雨降りの薄汚れた路地裏が似合いそうな、退廃的な雰囲気を携えた仕上がりだと言えます。「dirty」も後半から;具体的には6分半あたりからはダークな向きが強くなっていくのですが、この陰鬱さを仰けから展開させているのが「epic」であると、まずは大きくまとめておきましょう。
10分近くある曲なので、いくつかのブロックに分けつつ、通時的にツボを列挙していくスタイルで書いていきます。
なお、アンダーワールドの記事では毎度のことですが、歌詞は有志が聴き取ったものを参考にするしかないため、特に大文字・小文字の区別や改行位置に関しては適当であることに留意してください。一部は上掲の5枚組盤に付属しているアートブック内の解説文に引用される形で、おそらく正式なものが提示されていますがほんの数行です。
イントロの0:47までで展開されている物悲しいフレーズは、「dirty」に於ける2:56からのものと同じですが、メインに据えられているこのメロディとサウンドに宿りし哀愁は、単なる電子音楽では終わらない情報量の多さを予感させるハイポテンシャルな立ち上がりです。0:48からキックが入り、ビートが本格的に走り出します。
程無くしてボーカルがスタート、歌い出しは"Sweet in winter, sweet in rain"と厳しさを感じさせる内容ではあるものの、始まりは「白」のイメージです。お馴染みの"she said"を含むラインを挟んで、何かの手順書のような意味深な比喩*が続きます。中でも"Connector"と"receiver"は重要なモチーフに思える。手順に従った操作の結果ゆえか、1:21から鳴り出すのは何処かデジタルなサウンドです。
* 十年以上前に某巨大掲示板で見た解釈ですが、本曲の歌詞は全編に亘って淫靡な描写によって占められているという理解の仕方も確かにあります。その時は「言っても日本人(=非英語ネイティブ)の感覚に基づく意見に過ぎないしなぁ」と参考程度に止めただけでしたが、今回改めて調べたら英語での感想にもこの手の受け取り方が認められたので、ある程度の客観性を有しているとの認識に変わりました。従って、以降でこの観点に言及する際は「別解釈」という言葉を使った婉曲表現にします。あけすけに書くと、ペナルティで非表示になってしまうかもしれないので。
続く"Ride the sainted rhythms on the midnight train to Romford"は、地名を含む一節の登場により、ここまでの曖昧な歌詞内容から打って変わって、急に情景描写が深まるので意表を突かれます。ボーカルにはリバーブが掛かって浮遊感が生まれていますが、これは"the sainted rhythms"のサウンドスケープかなと解釈しました。
再び頭のバースに戻り、同一のリリックが繰り返されますが、今度は"You never touch me anymore this way"の裏でハイハット(シェイカーかも?)が一時鳴り止むため、この言葉の遣る瀬無さが一層強烈に響いてきます。ここから歌詞が変わり、落胆もしくは愁嘆の"Oh no"を経て、今度は"Connector"のみが連呼されるパートに。途中で"You're a"が聴こえるので、これは「貴方」の比重が次第に大きくなっていることの顕れではないかと理解しました。別解釈をすると、"You never"~はテクニシャン的な意味、"Oh no"は嬌声の一種、"Connector"は何のとは言いませんが結合部のことに思えてきます。
敢えてJ-POP的な理解をすればここからがBメロでしょうか。表題に絡む"I'm so dirty"および"You're oh so dirty"が登場し、どのような解釈をしたとしても、ここから「黒」のイメージが強くなります。その原因の描写だと受け取りましたが、"And the light blinds my eyes"と、強烈な光に目が眩むことを指して白から黒への移行を示しているのが文学的です。
このセクションの結びの"Here comes Christ on crutches"は、ともすれば冒涜的にも解せる非常にインパクトのあるフレーズで、何らかの成句や聖書からの引用かと思ったくらいですが、調べても「epic」の歌詞に関することが大半でした。これも別解釈をすれば、腰を痛めるほどの激しさを表す一節で、更にキリストを用いることでブラックジョークの向きを濃くしたのかなと思います。
短めの間奏を挟んで次のパートへ。便宜的に"Call me"から"and danced"までをひとまとまりとしますが、ここは全部のラインを別解釈に委ねたほうがいい気がしました。最もわかりやすいのは直球の"I was busy listening for phone sex"ですが、これを軸にして考えると、"wet trampoline"も"with my hand"もかなりストレートな表現に映り、再度の登場となる"Shake well"~も"you never"~も"Coming through"~も、ここでは全てそういう行為のことにしか思えません。
しかしトラック的にはかなり格好良く、徐々に音数が絞られいって緊張感が増していく中、"And we all went mental and danced"というアグレッシブなフレーズが際立って響き、これを合図に何処か不安げなサウンドのダンサブルなシーケンスが鳴り出す流れは、アンダーワールドらしい暗さと明るさの同居であると絶賛します。
僕の理解ではここまでが前半部で、4:48からが後半部です。本曲にメランコリックな質感を付与している最大の功労者だと言える、「dirty」の6:49からのものと同じ憂いを帯びたエレキギターが登場し、これによるシンプルな反復が次第に精神を蝕んでいきます。
4回繰り返されるキャッチーな"I get my kicks on channel 6"も解釈し甲斐のある一節で、続く"to the off-peak"も考慮すると、DTMerとしては全てトラックメイキングに関する自己言及的なワードチョイスに映りました。しかし別解釈としては、海外の放送形態やPPVには明るくないため推測になりますが、大人向けチャンネルのことである可能性も否定出来ません。
再びBへ。この辺りからバックの鍵盤によるグリッターな印象;「dirty」に対して全般的に抱いていたキラキラとした音作りのイメージが主張を強めてきます。とはいえあまりポジティブな情景の音には感じず、個人的には雨脚が激しくなってきたビジョンが浮かぶのみです。
次のセクションは本曲の中で最も歌詞の抽象度が高く難解で、おそらくキリスト教徒でないと真に内容の意味はわからないのではないかと踏んでいます。キェルケゴールの『死に至る病』を読んで、キリスト教的な見地で納得に至る日本人は少ないであろうことと同様に。先の"Here comes Christ on crutches"が伏線になりますが、ここで"Here comes another god"と別の神が侵攻してきて、少し飛ばして"Freeze dried with a new religion/And my teeth stuffed back in my head"と続くことを加味すると、希望と絶望の狭間で揺らいでいるように思える。
ただ、飛ばした部分が何を表しているのかが僕には全くの謎であるのがもどかしくて、"Like a buffalo thunder/With a smell of sugar/And a velvet tongue/And designer voodoo"はクエスチョン×4です。ブードゥー教が出てきているのは信仰と関係がありそうですが、宗教に詳しくないためこれ以上掘り下げられません。ここでの別解釈ネタは"velvet tounge"で、調べればわかりますがエグい意味のスラングでした。これは三次元は疎か二次元の特殊な界隈でも対応する日本語が未だ存在しない、ニッチなプレイではないでしょうか。食○○が近い…か?
このパートで敢えて最後まで残した一節を引用すると、"But I got phone sex to see me through the emptiness in my 501s"は、詳細な意味はともかくメロディラインも含めて中々にお洒落なフレージングで気に入っています。"501s"をリーバイスのデニムのことだとした上で"emptiness"と合わせるのは、ここまでの湿っぽさから一転して渇いた世界観の提示であるため感心しました。このハードボイルドなイメージに別解釈を持ち込むなら、賢者モードの表現でしょうか。
しっかりとトラックを堪能出来る長めの間奏を挟み、ここまでに登場した歌詞の幾つかがリフレインされ、クロージングに向けた比較的静かなパートへと移行します。"They left me confused/I will not be confused/With another man"と、主人公の葛藤が窺える。
愈々曲の終わりが見えてくる8:36からは、ボーカルラインのメロディ性が薄くなり、台詞や独白のような趣に変わるのが特徴的です。ここの歌詞もまた難解ですが、その理由はパーソナライズドされた内容のせいかと思います。アメリカの歌手兼女優として有名なドリス・デイが登場する"But all I could see was Doris Day/In a big screen satellite"と、再びロンドンの地名を含む"Disappearing down the tube hole on Farringdon Street"は、何か個人的な思い出や思い入れからきているのだと受け取れ、視点が現実世界に戻ってくる感覚を覚えたからです。続く"With whiplash willy the motor psycho"は正直意味不明ですが、少なくとも"willy"は別解釈のヒントとなる単語でしょう。
アウトロにはまたも"I get my kicks on channel 6"が据えられ、これがフェードしつつ『dubno~』で次曲にあたる「cowgirl」のイントロと重なって曲は終わります。
様々な方向からのアプローチで歌詞を理解しようと試みてみましたが、「…で、結局何の歌なんだ?」としか言えない、まとまりのない文章になってしまいました。とはいえこの曖昧さこそがアンダーワールドの歌詞の面白さでもあるので、本記事に書かれていることが何かしらの取っ掛かりになれば幸いです。その実全くのナンセンスでも、裏にありそうな何かを探してこうして深読みをするのも一興であるとまとめます。