avengers in sci-fiの軌跡 ―4th『D4TS』から6th『Dune』まで― | A Flood of Music

avengers in sci-fiの軌跡 ―4th『D4TS』から6th『Dune』まで―

【お知らせ:2019.5.26】令和の大改訂の一環で、本記事に対する全体的な改訂を行いました。この影響で、後年にアップした記事へのリンクや、以降にリリースされた作品への言及が含まれる内容となっています。


イントロダクション

 本記事では、avengers in sci-fiの音楽を特集します。レビューの対象とするのは、4thアルバム『Disc 4 The Seasons』(2012)、5th『Unknown Tokyo Blues』(2014)、6th『Dune』(2016)の3枚です。各ディスクから、数曲を抜粋するスタイルで書き進めていきます。なお、記事タイトルでは字数制限のため、4thのディスク名を略して表記しました。

 当ブログでアヴェンズのアルバムを扱うのは、3rd『dynamo』(2010)の記事以来で、その中で僕は「最高傑作」という言葉を持ち出し、同盤を高く評価していました。この形容はその後も更新され続けることとなる、即ち「最新作が最高傑作」との評が堅持されるに相応しいほどに、彼らの奏でるサウンドはリリースの度に目覚ましい進化を遂げていると絶賛します。決して過去作が衰えていくといった意味ではなくです。

 誇張抜きでこう思えるバンドは非常に稀有で、当ブログをざっとご覧いただければ、僕が他にも多くのバンドを好んで聴いていることはおわかりいただけるでしょうが、アヴェンズほど作品の出来栄えに波や斑がなく、常に高い水準を維持し続けている存在は、文字通り貴重だと表すほかありません。その軌跡を通時的に見ていこうじゃないかということで、半端な位置からで恐縮ですが、まずは4thをピックアップします。


4thアルバム『Disc 4 The Seasons』(2012)

Disc 4 The SeasonsDisc 4 The Seasons
1,850円
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 ディスクタイトルの通り、4thは季節感に溢れる一枚でした。4枚目に「四季」を取り立て、おそらく'for the seasons'とのダブルミーニングを持たせるコンセプト自体が、日本人らしい発想で馴染みやすいです。アヴェンズと言えば、先進的なイメージを有する言葉;例えば「SF」や「宇宙」や「未来」などが似合うバンドですが、本作はそれらに加えて「和」の要素が大きくフィーチャーされている点が特徴的で、換言すれば「過去と未来が現在で融合を果たした作品」となるでしょう。

 とりわけ和を強く感じさせるナンバーは01.~03.で、メロディにもサウンドにも和風の趣を感じ取れるのと同時に、決定的なものとして古語を含んだ歌詞が印象深く、アヴェンズの表現力に新風を齎した特筆性のある楽曲群だと評しています。




 本作のリードトラックたる01.「Yang 2」は、MVのユニークさにも光るものがあり、この点に関しては後にアップしたお気に入りMV紹介記事に詳しいので、興味のある方はリンク先の11番をご覧いただければ幸いです。

 コズミックスケールで描かれるラブストーリーといった歌詞内容からは、七夕伝説や『竹取物語』を思い浮かべられます。この観点で特に好みなのは、1番の"あなたが子供へ帰るならこの手/振るから裸足でここまで来て"と、2番の"あなたを大人へ変えた手離して/月まで裸足で迎えに来て"の、キュンときてしまう対句です(…対句というか言い換え?)。当該部はメロディラインにも得も言われぬ切なさが宿っており、言葉と旋律の寄り添い方が只管に美しくあります。これだけでも高評価であるのに、2番で和太鼓的なドラムスが挿入されるアレンジの変化には、更に大きな衝撃を受けました。

 ロックと和を掛け合わせるのは、邦ロック界ではある種の王道と言えなくもないですが、その殆どが馴染みやすく日本に寄せたサウンドを展開してしまいがちになる中(それが悪いわけではありません)、アヴェンズの音からはきちんと西洋文化的なロックの主張も窺えるところが好みです。本曲の随所に日本的なエッセンスが鏤められているのは確かですが、骨子となっているロックの音色はとても洋楽的だと感じます。先の和太鼓風ビートメイキングも、和を感じさせる煌びやかなシンセの音作りも、言わば「神は細部に宿る」の装飾性であり、対するアウトラインには、ロック元来の荒々しさが据えられていることで、真の意味でロックに和を取り入れ調和を図った楽曲になっていると、そう主張したいです。


 02.「Psycho Monday」も、前述の立脚地から良曲と断じられます。ボーカルラインの美麗さと、それと呼応するもしくは競い合うようなギターラインの流麗さは、まさにハーモニーです。天才的な造語センスによる歌詞も素敵で、冒頭の"よにふるレイヴァーのうつりにけりなフォースの/ながめにマンデーの濡れてる万葉ターミナル"を見ただけで、日本が舞台の海外製サイバーパンク作品で出会せるような珍妙な和洋折衷感に、思わずニヤニヤしてしまいました。

 03.「Two Lone Swallows」については、後に【テーマ:春|卒業/別離】で書いていた「今日の一曲!」にて取り上げる機会があったため、詳細なレビューはリンク先を参照してください。ただ、その中には本記事の初稿(改訂前の文章)からの引用が含まれるため、ここにも敢えて原文を残しておきます。以降の墨付括弧内が当該部分です。

 【脳内に桜吹雪が舞うかのような、春の多幸感と別離の虚しさを感じる、暖かく切ないロックナンバー。"ダンスビート絶えた枝の/侘びに添いもう休もう/愛の絶えたこの枝の/寂びに添う2人でいよう"という歌詞を見た時は、木幡さんの文学的なセンスに惚れ惚れしてしまいました。侘び寂びと横文字が同居していいんだ…!という衝撃。】


 初聴時からこの冒頭の三曲は衝撃的でして、より詩的に情報量を増した歌詞と、多様性を得た作編曲のスタイルに、アヴェンズの飛躍的な進歩を見た結果、「こんなに素敵な曲ばかりが続いてこのアルバム大丈夫か?」と、謎の心配まで飛び出すレベルでした。笑




 アルバム中唯一のシングル曲たる06.「Sonic Fireworks」は、本作に収められ「夏」を担ったことで、一段と名曲度合いが高くなった気がします。ちなみにですが、上掲の03.の項にリンクした記事には、本作の全収録曲に対する「春夏秋冬」のイメージについての記述もあるので、解釈の際のヒントとなるかもしれません。本曲の美点はタイトル通り、花火のようなグリッターさを携えたサウンドにあると言え、歌詞とMVの内容も考慮した形容に改めるならば、ジュブナイルな甘酸っぱいドキドキに伴う煌めき感としたいです。


 08.「Pearl Pool」は、Daft Punkリスペクトが冴え渡るダンスロックチューンで、このことは後にアップしたダフトパンクの記事でも言及をしました。ただ、03.と同様の理由でここには原文を残しておく必要があり、その内容は【"泣きたいほどワンモアタイムしてなよ ダフトになるといいぜ"という歌詞からの、Daft Punkオマージュにあふれるサウンドに全て持っていかれた気がします。】となります。

 09.「Lady Organa」は、作編曲の多彩さが特徴的です。聖歌を思わせるゴスペルライクな歌い出しから、直球のロックに変化してノリ良く展開していったかと思いきや、俄にメロウな旋律が飛び出したり("魔法に堕ちたら"~のスタンザ)、譜割りがユニークなパートがあったりと("ワンダーフラワー咲くインサイド"~)、元ネタ宛らに『スター・ウォーズ』的叙事詩性を覚える一曲となっています。とりわけツボなのは、"魔法に"~の裏でオブリガート的に機能しているギターで、2番の同位置("過去に"~)に表れないのを物足りなく思ってしまうほどです。


 10.「Wish Upon The Diamond Dust」は、クリスマスナンバーと言って差し支えないと考えています。空気の冷たさと涙の温かさが融け合ったような、切ないサウンドスケープに感傷的な気分になる。曲のベクトルは「別離」だと受け取れるので、出来事としてはただ哀しいのですが、"永久に消える前に手を振ってる君は最強さ/雑踏へ消えるあいだならさ泣いてても最高さ/追わないなら崇高さ"に込められた想いと覚悟の強さには、グッと込み上げてくるものがありました。

 ラストの11.「The Planet Hope」は、ライブ会場限定販売曲「El Planeta / Death」(2011)と一部をシェアしており、3rdとの関連性も気になる意味深長なトラックです。"いつか胎動プールで/泳いだのを思い出すから"や、"奪ったものを返すね"または"貰った物を返すね"など、始まりへと戻っていく(生まれ変わっていく?)感覚に陥るフレーズが殊更印象に残ります。希望を冠した曲名ですが、裏腹の哀しさや虚しさを意識せざるを得ない内容です。しかし、クロージングには01.への回帰的な雅なセクションが登場するため、再誕の先には希望があるように思えます。


 本作は四季を通して聴ける一枚ゆえ、どのタイミングで耳にしても、実際の季節や自身の心情とリンクするナンバーが深く刺さり、未だに全然飽きが来ません。「こんな超名盤を生み出してしまったら、次作はどうなるんだろう?」といった、大いなる期待と若干の不安を抱きつつ、季節の移ろいを感じながら5thを心待ちにしていました。ということで、続いては5thを見ていきましょう。


5thアルバム『Unknown Tokyo Blues』(2014)

Unknown Tokyo BluesUnknown Tokyo Blues
2,090円
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 ディスクタイトルは、『Unknown Tokyo Blues』(2014)。前述したように、4thは「和」の要素が特徴的で、それを「過去」とも換言したように、抽出されているのは昔日日本のエッセンスでした。加えて、アヴェンズが元来は近未来的な世界観を描くことを得意としている点にも言及し、「過去と未来が現在で融合を果たした作品」と形容した次第です。

 一方で本作は、「Tokyo」を表題に含むことからも察せるように、過去でも未来でもなく「現代の日本」に、その代表として「首都・東京」にフォーカスしていると受け取れる内容でした。4thとの違いがわかりにくい表現を敢えてしますが、5thは「過去のタイムラインから見た未来としての現在」を描いたものだとしたいです。


 ここで唐突な自分語り&自論展開を挟むことをお許しください。僕は東京生まれで、だからかはわかりませんが、東京に対しては強い思い入れがあります。「東京」と言うと、「人が多い」だとか「雑多だ」とかいった言葉が、マイナスイメージとして挙げられる文脈も多いと思いますが、寧ろ僕は東京のそういうところが大好きです。ちょうど今、小池百合子新都知事が無電柱化の構想を掲げていますが、夥しい電線で空が僅かにしか見えない景色にも、何処か美しさを覚えます。

 坂口安吾は『日本文化私観』(1942)で、『我々に大切なのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである。』と述べました。東京は何も徒に肥大化したわけではなく、まさにこの「生活の必要」に迫られて、大いなる発展を遂げた街だと言えるでしょう。複雑が極まって、ある意味では汚いとさえ感じられる景観に美しさを覚えるのは、人間のありのまま(の欲望)を見ているような気がするからで、きっと僕は人間が、延いては人間の営み自体が好きなのだと思います。これをいちばんよく観察できるのが、東京であるというだけで。とにかく、僕は安吾と同じく「ネオン・サイン」を愛する人間であるため、テクノロジーと電子網の下で数多の人間が犇いている現代東京を切り取った本作は、テーマからして期待大であったということです。




 実質的な幕開けを担う02.「Citizen Song」は、前述したような本作のコンセプトを把握するのに最適なナンバーとなっています。アクロバティックなメロディラインをエッジの効いたボーカルがなぞるセクションと、ファンキーなラップ調のパートが交互に出現し、随分アグレッシブな楽想だなと思わせておいてからの、サビの美メロっぷりに痺れました。特に後半の"IDなど要らないよ/宇宙へと帰ろうよ"の部分は、歌詞内容は勿論として、旋律から醸される「帰りたい感」が凄まじく、なぜだか泣けてきます。文字に起こしにくいのですが、サビ裏でずっと鳴っているサイレンのような音のうねりも好みです。

 本曲の歌詞には当然のように"東京"が出てきますが、"iPhone"や"アンドロイド"、"アイコン"に"バージョンアップ"などと、"モバイルエイジ"に馴染み深い単語が配されているのも特徴で、これらからも現代が切り取られていることがわかります。特に好きなフレーズは、スタンザを跨いだ引用になりますが、"GPSの電波にアカウント晒して生きていこうぜ/スパイ衛星にピースをしよう"で、この開き直りもこの先の時代には肝要かもしれないと思いました。


 03.「Riders In The Rain」については、後に【テーマ:雨】で書いていた「今日の一曲!」にて取り上げる機会があったため、詳細なレビューはリンク先を参照してください。

 04.「Tokyo Techtonix」は、スクラッチサウンドに代表されるように、DJマインドに満ちたトラックメイキングが印象的です。調べたところ、このスクラッチ音はギターによるものらしく驚きました。KAGAMIの「Tokyo Disco Music All Night Long」(2000)からのサンプリングにも、表題たる"トーキョー・テクトニクス"のハイセンスな切り刻み方にも、それぞれ遊び心が感じられて耳に楽しい。

 歌詞は諸行無常の向きがあると言いましょうか、将又シティーボーイ風としてもいいかもしれませんが、「都市に生きるのであれば変化は常と心得よ」と、優しく諭してくれているような気になれる点がお気に入りです。"変わってくのは誰のせいでもないんだ"との一節には、ある種の諦めも内包されているとは思うものの、何かに踏ん切りをつけたいと考えている人を後押しする面では、素敵な言い回しであると評します。


 05.「Superstar」はタイアップ付で、JRAのCMソングでした。だけあってキャッチーな仕上がりになっていますが、メロディの種類が豊富且つ展開の多い楽想であるため、複雑なのに聴き易いというアヴェンズの高い技量が窺える一曲です。何処を切り取っても確かな盛り上がりを見出せる、言い換えて、何処がサビでも成立する曲であると認識しています。

 想定されるサビは"明日僕らは"~の部分だと思いますが、掛け合いが楽しい"リラックスしろよ"~のセクションもフックとしてインパクト大ですし、アウトロに登場する若干のメロ変化を付けられた"のたれようぜ"~のパートに於ける疾走感も、非常にサビ的だと感じました。どれを取っても一級品であるのは、まさしく"スーパースター"といったところでしょうか。あとは小ネタ的な情報ですが、一部に「Psycho Monday」と共通の音が使われているのも面白いポイントです。


 ユニークさの観点では、09.「Anonymous」にも特筆性があります。声ネタが印象的な冒頭十数秒の展開から想定される後の楽想(例えば「04.のようなミクスチャー系の曲かな?」といったもの)は、0:17~の場末感の漂うサウンドによって良い意味で裏切られ、この意外性のある転身に一層期待値が高まりました。場末云々というのは、歌詞の"映画みたいな路地裏で立ってて"に引き摺られて出てきた形容の節はあるものの、哀愁漂うシンセの音色には、それだけでも物語性を宿していると考えています。殊更歌詞に巧さを感じたのは、"テラバイトの小鳥がストーリーの続きを始める"や、"ウェブサイトの明かりは通りを照らし続けてる"などの表現です。電脳世界を現実の街に見立ててマッピングしたならば、このようなビジョンがしっくりきます。

 サビはディスクタイトルたる"アンノウントーキョーブルース"の連呼なので、変則的ではありますが本曲が本作の表題曲となるのでしょう。看板通りのブルージーさが確かにあって、これは当該の言葉の組み合わせ('unknown' + 'Tokyo' + 'blues')から、自然とメロディとサウンドが生まれた結果だと解釈しています。個人的に最も格好良いと思ったのは4:12~の展開で、一言では雰囲気を説明出来ない本曲のカオティックさが愈々爆発して、開き直りに近いポジティブネスが発揮されたと解せるところがお気に入りです。入りがやや遅れ気味の「1, 2, 3, 4」も、段々とクセになってきます。笑


 他の収録曲も、コンセプチュアルで粒揃いです。確かに東京ではなく「トキオ」がしっくりくるような、07.「Metropolis」のダサ格好良さからは、身近な安堵感を得られましたし、"大東京ノー・フューチャーズ"を高らかに掲げる、08.「No Future」の粗挽きなサウンドからは、従来のアヴェンズっぽさが窺え懐かしくなりました。後者に関しては、特にラストの"お前は死んだふりしてる"~のセクションが堪らなく好みです。

 あとは、僕の中で「自信と技術が共にあるバンドを示すバロメーター」のひとつとなっている「サビに歌詞が無い曲がある」の条件に、10.「Soldiers」が見事合致し(「La La La…」の部分をサビと見做す)、蒼穹の美しさと兵器の残虐性が共存してしまう危うい情景描写が冴えた本曲の、言葉にならない思いを鮮やかに切り取っていると絶賛します。


 本作は、利便性を極めた現代社会を覆う得体の知れない不安に侵されつつも、少しずつ適応して未来へと歩を進めるしかない哀しき人々の営みを、「東京」というフィルターを通してアウトプットした作品だと受け取りました。とはいえ、これは単なるファクトで、ラストナンバーたる11.「And Beyond The Infinite」の内容を考慮すれば、そんな中にあっても明るい展望を持って生きていこうと、希望を抱かせるエンディングになっているとは補足しておきます。"全て愛の名のもとに"ですからね。

 自分語りから始めたので最後にも余談を掲載しますと、本作の発売時に僕は某地方都市に居を構えており、申し訳ありませんがアルバムの世界観との乖離が酷く、そのせいもあってか初聴時はあまり本作のことを高く評価していませんでした。後に関東に出戻ってから、「今日はこのアルバムと共に東京を当て処無く彷徨うぞ!」と意識して聴き込んだ結果、4thに勝るとも劣らない超の付く名盤だなと、認識を改めた次第です。笑


6thアルバム『Dune』(2016)

DuneDune
2,215円
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 4thの「四季」に5thの「東京」と、ある意味二作続けて日本が舞台というか、日本人として馴染みやすい世界観を提示してきていたのが、この頃までのアヴェンズでした。この路線は今後どうなるのだろうと思っていたところに、舞い込んできたディスクタイトルは『Dune』(2016)で、この切り口には正直意表を突かれたと白状します。

 平沢進の「デューン Dune」(1989)きっかけで存在だけは前から知っていた、フランク・ハーバートのSF小説『Dune』(1965)およびその映像化作品『デューン/砂の惑星』(1984)。恥ずかしながら僕は小説も映画も未鑑賞なので、作品と絡めた詳しい言及は出来ませんが、「砂の惑星」という言葉から連想される世界観がどういったものであるかについては、多くの人に共通する部分があるのではないでしょうか。


 幕開けを担う01.「Departure」は、歌詞からもわかるようにロケットがモチーフとなっており、打ち上げ時の轟音や宇宙速度の付与を思わせる勢いのあるサウンドメイキングが印象的です。歌詞には"ユーリ"(・ガガーリン)も登場し、これに関して作詞者たる木幡さんはインタビューで、ロケットの核ミサイル転用についてふれていました。こちらの要素も、"チャフと核ミサイルが行き交う"といったフレーズに表れ、曲名の「Departure」が一層多義的に響いてきます。この語は「出発」と訳される状況が多いと思いますが、原義としては「ある場所を離れること」なので、「逸脱」という意味も持つからです。ちなみに"チャフ"とは「電子欺瞞紙」のことで、レーダーを欺くためのデコイを指します。

 2番のサビから出てくる"アディオスと言え"~のセクションは、歌詞もメロディも途轍もなく格好良くて滾りを覚えるほどでした。サビの前半部だけでも充分な熱量は備えていると言えるのに、ここに更に盛り上げるパートを畳み掛けてくる楽想は、多段式のロケットを連想させます。ラスサビ前の"君は今破裂をした"~も、静かな炎の揺らめきを感じさせて好みです。




 表題曲たる02.「Dune」は、重厚なロックサウンドをベースとしたハードなアウトプットのナンバーですが、サビ裏に据えられているキラキラとしたシンセもまた印象的で、奇妙な二面性を覚えます。根底には反骨精神や怒りのマインドがあるため、ロックが強調されているのだと推測しますが、サビではそれらを浄化させてトリップへと導く必要があり、だからこそのグリッターなアレンジに、ゆったりと展開していく高揚感のあるメロディラインなのだと、そう解釈しました。このトリッピーなサビから、再び重苦しいロックに引き摺り戻されるパワープレイが、これまた気持ち好いです。

 歌詞に関しては、きちんと理解をするのにはそれなりの知識が要るなと思いました。従って、正直意味がよくわからない箇所もあるのですが、言葉と旋律の結び付きが強いからか、難解な表現でもすっと耳に馴染んでくると感じます。例えば、おそらく「本能(爬虫類脳)」についての一節だと見受けられる、"大脳系から這って抜け出したトカゲ"は、声に出して反芻したくなる魔力を持った言葉繰りであるとの認識です。また、"ボヘミアの君のペイズリー柄の棺へ/しがみついたスター・スパングルのバナー"や、"グランジの膝とフランネルシャツの君へ"など、デザインやファッションの面から、延いては交易・流通の立脚地に於いても含蓄のあるワードチョイスは、お洒落且つインテリで気に入っています。歴史地名の"ボヘミア"はともかく、ストレートに国名を出さない婉曲表現もニクいですね。


 05.「No Pain, No Youth」は、2019年に本記事を改訂した時点でもなお、アヴェンズの作品で最も愛聴している一曲となっています。その理由のひとつとしては、僕のダンスミュージック嗜好の礎を築いたUnderworldの、アンセムナンバー「Born Slippy .NUXX」(1995)を意識して作られたトラックであるということが挙げられるでしょう。当初はこの裏話を知らなかったのですが、言われてみればイントロは特に「っぽい」ですよね。本曲のダンサブルなサウンドの核を担っているキャッチーなリフは、それ単体でも延々と踊り続けられる中毒性を秘めており、しっかり忘我の音楽になっていると大絶賛します。

 形容にアンセムを持ち出したので、ついでにライブプレイめいた妄想を交えた感想を披露しますと、じわじわとした盛り上がりを見せるAメロからは、徐々にフロアがあったまっていく様子が、歌詞にもメロディにもエモさの宿るBメロからは、一時的なライトアップによりフロア全体が見渡せるビジョンが、それぞれ見えた気がしました。そして、焦らしに焦らして解放の瞬間を迎えるサビでは、色調と明滅が激しくなった照明によって、光の間隙に踊る人々の姿がコマ送りとなって見え、その陶酔と熱気に心地好い息苦しさを錯覚したほどです。

 歌詞は冒頭から天才的なセンスに溢れています。"来たらメールしろってツイートしたのを/見たら電話してってメールしただろ"は、頭がこんがらがりそうな複雑な統語構造を有していて、文字通りに状況を脳内で想像してみると面白いです。ここの"ツイート"に続き、後には"ブロック"も出てきますが、SNS時代の独特な距離感が切り取られた内容であることを加味すると、仮に5thに入っていたとしても違和感はなかっただろうと思います。


 07.「E Z Funk」も、踊れるトラックとして非常に優秀です。Michael Jacksonの「Black or White」(1991)を彷彿させるファンキーさで、05.とはベクトルの異なるダンスチューンに仕上がっています。端的に言えば、こちらのほうがより切ないアウトプットで、特にBメロとサビのバックでギターがなぞっているセンチメンタルなラインは論功行賞ものでしょう。

 歌詞の上では、05.が内向きで07.が外向きであるように映りますが、サウンド的には逆の印象を受けます。05.に関しては"孤独な生物に生まれた僕らダンスしてた"や、"そして永久に痛いさよならをした"などの表現から、07.については"ダンスをシェアしよう"や、"世界で独りしていないで"などの表現から、このように認識したわけですが、皆で踊るのに適しているのは寧ろ前者で、後者は個人の精神性に深く切り込んでくるような、本質を問うてくるダンスミュージックだと僕には聴こえました。"E Z"〇〇に至るまでに、紆余曲折があったことを感じさせるようなね。
 

 その他の収録曲では、03.「Vapor Trail」と09.「The World Is Mine」も好みのトラックでした。前者は激しさと美しさが共存する曲である点では、02.からの流れを汲んでいると感じましたが、02.の形容に出した「奇妙な二面性」といった向きは弱く、ロックナンバーとしてのアグレッシブな調和はきちんと意識されているように思います。

 後者はアヴェンズが得意とするスタイルのひとつだと言える、宇宙祭囃子的なグルーヴ感が耳に残る楽曲で、過去に「Beats For Jealous Pluto」(2008)と「Before The Stardust Fades」(2010)に日本人らしいDNAを刺激されたような人は、一段と気に入るのではないでしょうか。まあこの二曲に比べると、流石に大人なアレンジですけどね。


 本作は、4th/5thよりは元来のアヴェンズらしいアルバムだと評しています。しかし、その視点は必ずしも未来にあるわけではなく、より現代寄りとなった印象を受けました。更に言えば、より現実的になったとも表現出来、リリース時の2016年に於ける我々の世界から、「地続きで味わうことになるかもしれない近未来」にフォーカスしていると、そう捉えられます。このことは、本作に封入されている柴那典さんによるライナーノーツの内容も参考となるでしょう。


2017年以降の作品



 ここまでにも幾度か述べているように、本記事には2019年に全体的な改訂を施したため、6th以降にリリースされた作品に対するレビュー記事へのリンクも、以下に併せて掲載しておきます。

■ 『I Was Born To Dance With You / Indigo』(2017)
■ 「True Color」(2018)

 上掲の動画は、バンド初の映像作品『Live at Club Nowhere』を実現するためのクラウドファンディング告知ムービーで、2019年の動きを知るものとして埋め込みました。200万円の目標に対して達成度455%でフィニッシュなので、旧来のビジネスモデルが失速した現代の音楽業界に於いても、価値のある音楽作品にきちんとお金が流れることには変わりないということでしょう。


アウトロダクション

 avengers in sci-fiというバンドは、日本人の枠からもスリーピースの枠からも良い意味で大きく逸脱している存在で、歌詞の世界観(モチーフに引用される作品や、テーマとする題材など)から、サウンドの一切(演奏は当然として、ミックスやマスタリングから窺える音の質感)に至るまで、どちらかと言えば海外のシーンに親和性を持つような、源流をしっかりと受け継いだ貴重な邦ロックの担い手だと認識しています。

 アヴェンズの作品からは、音楽に限らず自己や自バンドのルーツに寄与した全てをきちんと消化し自分のものとして、その上でオリジナリティを出すといった、フェーズの区別がしっかりと付けられたプロセスを感じられるんですよね。他の多くの場合は、これらを同時並行的に扱った結果、ルーツの確立が曖昧なままであったり、オリジナルか否かも不明瞭なアウトプットに陥ったりするのでしょう。ただ、仮にそうだったとしても、音楽で表現をすることに支障を来すような致命的なものではありませんし、前述の例示も別に非難や批判を加えたいわけではなく、ルーツやオリジナリティの自認がちゃらんぽらんでも、面白く質の高い音楽は奏でられると思っています。

 しかし、「あと一歩」や「もう一声」の場面で差が出るのが上掲の「プロセス」だと捉えていて、ここがしっかりしていればしているほど、一音または一語に宿る情報量の多さが段違いになるとの経験則です。この点に於いて、アヴェンズほどの存在はそうそう居ないと、こうして称賛の言葉を尽くしています。


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