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Joon's blog

どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

『ダーティハリー』を観ました。

 

サンフランシスコで次々に起こる連続殺人。事件を担当するのは過激なやり方で犯人を追い詰めるハリー刑事。“さそり”と名乗り大金を要求する犯人に対し、市長や警察は支払いを検討する中、ハリーは相棒のチコと共に調査を進める。

犠牲者は後を絶たず、警察は”さそり”の要求を飲まざるを得なくなる。現金の受け渡し役になったハリーは負傷しながらも、どうにか”さそり”を捕らえる事に成功する。

しかし、世間の目を気にする検察局は、証拠不十分を言い分に“さそり”を釈放してしまう。

不服に思いながらも手を出せないハリーを尻目に、自由の身となった”さそり”は新たな犯行を開始し……といったお話。

 

本作の公開は1971年で、半世紀も前の作品になります。

それを知りつつ本作を見ると、人権という言葉を盾に、罪を犯した人間を丁重に扱う体制って、そんな昔から変わっていないんだなと。

100人中100人が悪人だと思える人間に、なぜ早々に罰を与えられないんだろうという疑問を感じる事は現代の日本でも多々ありますしね。

本作のような作品が作られる、かつヒットするという理由は、そんな世の中の理不尽に納得できない人が多いという表れでもあるんじゃないかと。

 

敵は、さそり(座の男)を名乗る異常者。

10年以上前に観た際には、ちょっとアブない奴くらいにしか思わなかったんだけど、久々に見返してみると、ちょっとどころか、1971年という時代に現れるには早すぎるくらいのヤベー奴です。

ライフルによる狙撃が趣味なのかと思いきや、若い女を嬲った上で生き埋めにしたり(証拠の品々が恐い…)、完全に人殺しに快楽を見い出しています。

さらに、自分を捕らえたハリーを逆恨みし、痛い思いをしてまで当て付けがましい真似をする偏執っぷり。

さそりを演じるアンディー・ロビンソンさんは、この役が与えた影響に悩んだ時もあったようですが、逆を言えば、この難役をそれだけ巧みに演じたという事の表れでしょう。

数十年後には、これに近い人間が現実に現れる時代が到来していたのにね…。

 

手段は強引でしたが、ハリーは一度はさそりを捕まえます。

けど、証拠不十分で釈放(もう少し突っ込めば証拠もあると思うんですが)。

当然ハリーも納得しかねますが、いかなる人間にも人権があるんだとか言いくるめられて終了。

――この辺、現代の日本でも近いところがあると思いませんか?

確実な悪意を以て罪を犯しておきながらも、人権という盾のおかげで、その身は護られます。

けど、そんな加害者から被害を受けた人達の立場はどうなるんだ?という話です。

人権とは、文字通り、人の権利。

でも、人に非ざる振る舞いを行える人とは、人にあらず。つまり、人でないなら人権だって要らないじゃん?と、個人的に考えます。

基本的に人権は、生まれた時点で全ての人間が持っているものですが、それを落っことしたり自ら捨ててしまう人もいます。

ハリーの標的になるのはそんな連中ばかりでなく、綺麗事を並び立てる連中に対する反抗なのかもしれませんね。

 

チコという刑事を相棒としてよこされますが、ハリーは渋い顔。

まぁまぁ使えるキャラだったから、途中での退場はチト残念です。

なので……やっぱりハリーの真の相棒は銃=マグナムです。マギーじゃないよ(笑)?

刑事が持つにはデカすぎる銃ですが、ある意味、本シリーズの影の引き立て役者です。

マシンガン等で乱射するのではなく、ハリーの場合はマグナムによる力強い、重い一発が魅力なのです。

 

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Blu-ray版は映像特典多め。盲信者が多い山田康雄さんがイーストウッドさんを担当する吹替版も収録しています。

 

ところで、昔レーザーディスクで観た時もそうだったかなぁ、DVD&Blu-ray版の字幕では“お不潔ハリー”という謎の翻訳がされていましたが……お不潔って何だ?

 

 

 観た、『ダーティハリー』

 観た、『ダーティハリー2』

 観た、『ダーティハリー3』

 観た、『ダーティハリー4』

 観た、『ダーティハリー5』

『劇場版 推しが武道館いってくれたら死ぬ』を観てきました。

「すみません、“推し武道”のプログラム一つ」と言った後でハッとなったけど、店員さんにはキチンと通じてくれました(笑)。

 

岡山県で活動する地下アイドルグループChamJam。その中の一人、舞菜を推す事に人生を捧げるえりぴよは、今日もオタク仲間のくまさや基[モトイ]らと共に地下ライブで盛り上がる日々を過ごしていた。

ライブ会場のビルの補修のため、しばらく公演ができなくなったChamJamはこれを機に東京で路上ライブを決行。しかし、その最中に舞菜は足を挫いてしまい、休養を余儀なくされる。

その後、ChamJamはローカルCMに出演したり、広島の人気グループめいぷる♡どーるの対バン相手に指名されたりと、徐々に知名度や人気を上げてゆくものの、その場にいられない事に苦悩する舞菜。

そんな舞菜に卒業の噂が立っている事を知ったえりぴよは……といったお話。

 

ずいぶんいい歳したオジサンがサラッとキモい事を言いますが……まぁ泣いたよね。

これ見よがしに泣かそうとするような嫌らしい作風ではなくて、ひたむきに頑張っている彼女らの姿が健気に思えて、むしろオジサンほど感動しちゃうんじゃないかと(笑)。

特にクライマックスの3曲ブチ抜きのライブは、それまでの紆余曲折を思い返しながら見ると、なおさらに感動するんじゃないかな。

 

テレビドラマ版のその後を描いたお話ですが、ChamJamが少しづつ人気が出てくるのを見守るのも一つの見どころです。

人気が出るまでには多くの苦労もあるものですが、その中の一つである路上ライブはいたたまれない気持ちになりますね。

どうも、ChamJamの運営って色々と問題が多くないですか? 

先の路上ライブなんか、ムチャ振りをする運営よりも、れおの方が責任感じちゃってるし(笑)。

ファンの間では告知が遅いとも言われてるし、ChamJamが伸びないのは4年経っても小慣れてこない運営のせいなんじゃない?

 

そして本作の主な見どころは、えりぴよと舞菜の関係ですね。

言葉で自分の想いを延々と語るのではなく、以心伝心に近い形でお互いの気持ちを知った上で、二人の絆が確固たるものになってゆくのが良いんです。お互いがお互いを必要としているというね。

 

本作でのえりぴよは舞菜を世の中にアピールする活動に励みますが、ここはテレビ版と違和を感じる部分ですね。えりぴよはあくまで自分一人で応援してるのであって、他人に勧めるような真似はしなかったじゃない? 他人の力を借りず、あくまで自分だけの力だけで応援するというか。

舞菜の魅力をプレゼン(?)するのはいいけど、それを聞いた人々の全てが舞菜を受け入れるってのはチトご都合的に感じたなぁ。

 

本作を語る上で、推しのチカラが云々とかよく言ってますが、つまりは“好き”っていい事だよなと。

そういえば昔、こんな記事を綴りましたが、“好き”があれば明日(以降)も生きる気になれるんですよ。

えりぴよは舞菜を応援するけど、それには気持ちだけでなくお金が必要です。そしてお金を稼ぐためには働かなきゃなりません。

普通は働くのなんて嫌で嫌で仕方ないところですが、この労働が舞菜に=“好き”に繋がると捉えているからこそ、えりぴよが働いているシーンは常に喜々としています。

「アイドルの追っかけごときのために何やってんの、この子は?」と笑う人もいますが、そう笑う人ほど大した趣味は持っていないでしょうし、自分の“好き”なんか誰に遠慮するものでもないんです(この辺については、くまささんも上手い事を言っています)。

どうせ生きるなら楽しく生きようよ!と言わんばかりに、ボンヤリ生きている人に何か張り合いを持たせようというメッセージを含んだ、観終えて前向きになれる作品なのです。

 

松村沙友理さんはテレビ版同様、本作でもえりぴよ役を好演しています(正確には怪演)。

それはさゆりんご以外のキャストも同様で、テレビ版に登場した名前のあるキャラは(ほぼ)総登場するのも良いですね。テレビ版をキチンと見ていた人に向けた、一つのファンサービスです。

 

割とどうでもいい話ながら、俺ッチはゆめ莉推しですね(←本当にどーでもいいな)。まさに「おっとりパープル、ゆーめーり!」って感じ(笑)。設定通りか、実際のダンス力もピカイチ(死語)ですよね。

余談ながら……ゆめ莉を演じるSOYOさんの全身が映るくらいの引きで見ていると、かつて日向坂46に在籍していた宮田愛萌さんを思い出しませんか?って、これは俺ッチにしか見えない幻覚なので、まぁ聞き流してやってくんさい…。

 

そんなSOYOさんを始めとする、ChamJamのうちの4人を演じているのが@onefiveというガールズグループだそうです。

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普段はこういうタイアップ曲(not主題歌)は興味ないんだけど、@onefiveちゃんには何か惹かれるものを感じるんだよね。↑、買っちゃおうかなぁ。

テレビ版のエンディング曲『未来図』とか、しょっちゅう再生してますよ。

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♪ふふふふふ~、ふふふふふ~ふ〜♪

 

 

…って事で、最後に一つ。

個人的にテレビ版で気になっていた本作最大の謎は、この劇場版でも解明されませんでした。

その謎とは……あれだけ積んだCDってどうしてるの?

『LOVERS』を観ました。

 

西暦835年の中国では、腐敗した政府に反乱する勢力が台頭していた。朝廷は各地に、その最大勢力である飛天門の討伐を命じ、捕吏の金[ジン]と劉[リウ]もこれに当たる。

遊郭にいる女が怪しいという情報を掴んだ金は、盲目でありながら一番の踊り子である小妹[シャオメイ]に惹かれる金。後にやってきた劉の協力の下、飛天門の頭目の娘である小妹を捕らえる事に成功する。

数日後、朝廷に嫌気が差したという金は小妹と共に脱走、追っ手を振り切りながら飛天門のアジトへ向かう。

しかし、それは金と劉による、飛天門の頭目を討つための芝居だった。逃避行を続ける中、小妹は金を信用するようになり、そして金もまた任務を忘れて小妹を愛するようになり……といったお話。

 

個人的に武侠映画とはチャンバラヒーローと時代劇を組み合わせたものだと思い込んでいますが、そこに恋愛要素をミックスした作品です。風光明媚な大自然も美しい。

『HERO~英雄~』や『グリーン・デスティニー』もそうですが、中国映画はこういう時代劇が本当によく似合いますね(逆に現代劇は知りませんが)。

お話は割と明快ですが、騙し&騙されの要素が多分に加味され、犯人捜しというか推理系っぽくもなっています。もしかしたらと、常に裏読みor深読みしながら観るのも一興です。

 

本作の公開は2004年。別名、金城武さんバブルの時代です(笑)。

日本では数多のメディアで活躍していた金城さんですが、近年ではサッパリ名前を見なくなってしまってチト寂しいですね。

チャン・ツィイーさんもこの頃が黄金期かな? どんだけブスメイクをしようが、根本がキレカワなのが隠せていないのがいいんです。その上アクションもできるんだから最強! 


日本人のワダ・エミさんが担当した衣装も美しく、原色を多めに使っているのも画面の美しさを際立たせます。一見して何色というのが分かりやすいのもいい。

アジア人の顔立ちの区別が付きにくいと感じる海外諸国からすれば、スーパー戦隊よろしく(?)着ている服の色でどれが誰だかを判別できるという利点もありますしね。

 

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Blu-ray版の映像特典は予告編のみ、吹替版も収録しています。

 

『間違えられた男』を観ました。

 

以前に観た際の感想はコチラ

 

冒頭で監督であるアルフレッド・ヒッチコックさんが登場(予告編でもないのに…)、これまで恐怖映画を作ってきたが、本作は実話に基づいたものであり、事実とは映画のように奇なるものであると本作の概要を語ります。実話を基にしたお話という事で、“いつもの”ような作風ではないよとでも言いたかったんでしょうね。

けど、やっぱりヒッチさんはエンターテイナーですからね、いくら社会派映画の体を取っていても、その辺のファンサービス(?)は欠かしません。

マニーが監獄に入るシーンでは、警察には無縁の人間が初めて入る世界=監獄への恐怖を上手く表していると思います。ちょっとしたサスペンス描写というか。

ヒッチさんは幼少の頃、警察に怖い思いをさせられたようで、それが生涯のトラウマじみたものになっているらしく、その他の作品においても警察は(一種の)恐怖の対象として描かれています。

不条理に全く抵抗できず全てを受け入れてしまうマニーの姿を見るに、本作ではそれがかなり顕著です。

 

原題&邦題ともにタイトルが既にネタバレになっているし、“どうせ誰かに間違われているんだろう”という先入観を抱きながら観る人がほとんどだと思いますが、このタイトルを忘れた上で見(返し)てみると、“この善人は何故こうまで多くの人に貶められているのだろう?”といった風に、不条理劇として楽しめると思います。

マニーが犯人ではない事は見ている方も知っている、でも真犯人が一向に出てこないという事はまさか…?という陰謀劇のような風味もありますしね。

 

多くの人も感じているでしょうが、お金がないというのも一種の恐怖です。“不安ではなく“恐怖”です。

“人間、お金がなくても幸せに生きて行ける”とか”幸せはお金では買えない”という言葉がありますが、特に本作を観て思うのは、そんな綺麗事はお金のゆとりがある人にしか言えないセリフなんだなと実感させます。

そして貧乏人は貧乏を定め付けられ、そこから人生が好転する事は(滅多に)ありません。

ぶっちゃけ、本当にお金のない人とは惨めな気持ちになり、心までもが貧しくなるものです。

性根が逞しい人はお金に卑しくもなれますが、マニーの妻ローズはそうはなれず、惨めな気持ちがさらに加速してしまいます。

ただでさえ苦しい家計の中、夫=マニーが罪に問われただけでなく、保釈金だの裁判の費用だの(もちろん弁護士費用も含んでいるでしょう)と、無限に膨れ上がる負債に押し潰された挙げ句に精神を病んでしまう様は気の毒というか、もはや胸クソ悪いレベルです。

 

胸クソ悪いと言えば、最終的にはマニーの冤罪が明らかになりますが、それまでマニーを犯罪者扱いしていた面々のイケ図々しさ。

主人公の問題が解決しさえすれば、周囲の問題は完全にスルーしてさっさと終わるのもヒッチコックさんの作風の一つですが、だからって、あそこまでマニーを追い込んだ連中の謝罪や釈明のシーンがないのはモヤッとしますね。

特に、真犯人を発見した後の保険会社のババアのリアクションは100人中100人が殺意を抱きますよ(笑)。

本作は1956年の作品という事で、当時は警察の力が強かったんでしょうね、新聞で今回の事件の顛末が報じられますが、警察の失態に関しては何もなさそうでしたし。

“間違えられた男2”なんてのがあれば、マニーがオコーナー弁護士と共に、彼を貶めた目撃者や警察を徹底的に糾弾する法廷モノになるでしょう(笑)。

 

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今回はBlu-ray版の吹替版で鑑賞。

マニーを演じるヘンリー・フォンfダさんの吹き替えを担当するのは小山田宗徳さん。

小山田さんと言えば“6番の囚人”を思い出しますが、ここでも理不尽に囚われの身になる役というのが興味深い…(笑)。

 

『機動戦士ZガンダムⅢ A New Translation 星の鼓動は愛』を観ました。

 

ティターンズを出し抜き、どうにかアクシズと接触したエゥーゴは会談に臨む。しかし、ザビ家の正統な後継者であるミネバが幼児であるのをいい事に、摂政としてアクシズを我が物にするハマーンのやり方に激怒するクワトロ=シャアのために交渉は決裂。

結果、エゥーゴとティターンズ、そしてアクシズを交えた三つ巴の戦いが繰り広げられる。

様々な人々の葛藤や死を見てきたカミーユは、真に倒すべき相手との決戦に挑み……といったお話。

 

劇場版Zガンダム最終章です。

そんな今作は人間ドラマが希薄で、おおよそ5~7割が戦闘シーンです。戦闘シーンは多いけど、どんな理由で戦っているのかを追いかける戦争映画のような様相というか。

シャアとハマーンとの確執、レコアの裏切り、ジャミトフの暗殺――ドラマがあるとすればこの程度で、あとはせいぜい戦闘中に誰が死んだとか。

つまり、ノーマルスーツを着てる時間が長すぎるんですよね。

昔の俺ッチであればそれでヨシとしたものですが、歳を取るほどにロボットへの愛着は希薄となり、それ故、『~Zガンダム』というドラマとしては今作が一番つまらない作品になってしまった感が否めません。

 

戦闘シーンは息詰まるほどに熱くもなりますが、『~(Ⅰ)』のMk-Ⅱ&百式VSアッシマー戦の衝撃が強すぎたせいか、それ以降は正直パッとしないというのが正直な感想。

もちろん緻密、かつ洗練されているのは分かるんですがね(ビームサーベルの太さの指定するとか!)。

60をとっくに過ぎて、こんなコンテを切る富野由悠季さんの感性はまだまだ瑞々しい…!

 

“野獣”と喩えられ、いかにもロボットアニメバカに好かれそうなヤザンが、オリジナル版に比べちょっとキャラ変したかな?

作戦内容や状況を大局的に見据えるようになって沈着さが身に付いた(?)せいか、とりあえず戦闘になればどうにかなるといった感が抜けた感じがします。子供みたいな戦い方は止めろと、バスクにも指摘されていたしね。

 

最大の話題はカミーユが迎えるラストであり、テレビ版とは違う終わり方をするという触れ込みにワクワク&ヒヤヒヤしたものです。

そして、いざフタを開けてみると……ある意味、テレビ版よりも衝撃的な終わり方(笑)。

とは言え、そこに至るまで色んな女性の間でフラフラしていた(?)カミーユですが、ようやく戻るべき場所に帰ってきたという事なんでしょう。

人目もはばからず(サエグサにも冷やかされていましたし)、ああいう抱き合い方ができるのは、身も心も委ねていいと思える相手である事の実感から来るものなんでしょう。

ラストを見るたび、独り身である事が虚しくなる作品なのです(笑)。

 

ラストと言えば、エンディングで流れる主題歌『Love Letter』がいい雰囲気を与え……るんですが、その後に流れる『Dybbuk』で余韻が台無しにされる感じがイラッ。

主題歌は1作目から一貫してGacktさんが担当していて、それぞれがいい曲に思えたものですが、最後の最後でハズしちゃった感じ。『Love Letter』フルコーラスで良かったじゃん…。

…だから当時から俺ッチは言っていたんだよ、Zガンダムの主題歌なら森口博子さん一択だって! キャストの変更よか、こっちの方を声を大にして言いたい!

そういえば、公開当時の富野由悠季さんとGacktさんの謎の蜜月の関係、現在でも続いているのかな…。

 

キャストと言えば、オリジナル版の役を続投する声優が多いのは結構だけど、確実に老いを感じてさせる方が多いです。張りがないだけでなく、滑舌というか呂律が回ってないような、まぁ人間20年も経てば様々な変化が現れるものなのは分かるんですが…。

そんな中でも、カミーユを演じる飛田展男さんだけは例外中の例外。キチンと聞き比べれば違いはあるんでしょうが、しっかり喋れて声も変わってないんだから、これには拍手! 岡本麻弥さんもまだまだ大丈夫ですね。

劇場版を製作するにあたり、飛田さんはオリジナルキャストでありながら再びカミーユ役としてわざわざオーディションを受けさせられたそうですが、これは形式上のものだとは思います。

だって……ハッキリ言ってしまえば、飛田さんよりもよっぽどマズいオリジナルキャストなんてゴロゴロいるじゃん?

 

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『機動新世紀ガンダムX』を観終えました。

 

地球連邦軍と宇宙革命軍による戦争は、地球に大きな被害を与える形で終結した。

それから15年。生き延びた僅かな人々とともに、世界は復興の兆しを見せ始めていた。

そんな中で、戦災孤児でありながらも逞しく生きる少年ガロードは、何者かに追われる少女ティファと出会う。ティファの導きにより二人が行き着いた先、そこには先の戦争で使われていたモビルスーツ、ガンダムがあった。

全てはニュータイプとされるティファを守るため、ガロードはガンダムに乗って戦い続ける……といったお話。

 

『機動武闘伝Gガンダム』に始まった、宇宙世紀と呼ばれる世界を背景にしていない独自の世界観を持つ、いわゆるアナザーガンダム作品です。

別名、“それ、ガンダムじゃなくてもいいじゃん?”という作品ですね。

打ち切りに遭うのは面白くなかったからだとも言われる作品ですが(残念ながら完全な間違いでもない)、数あるガンダム作品の中でもチト異色というか、っぽさはありつつも先進的というか前衛的な作品に思えました。

令和の時代に初めて観ても目新しい点が多々あって、楽しめました。

 

主人公がガンダムに乗って戦うのは当然ながら、その行動原理は各作品によって異なります。

そんな作品群の中においても、本作のガロードの場合のそれは“ティファを守るため”、それだけです。

某一年戦争の英雄には「たった、それだけのために…?」と突っ込まれそうですが(笑)、それでも十分に男が命を張って戦う理由にはなり得るんですよ。

 

スペースコロニーが地球に落着するシーンはこれまでのガンダム作品にも数多くあり、それが何を招くのかも散々思い知らされていますが、それが一つ二つどころではなく10基近く、もしくはそれ以上の数が落とされているんだから、被害状況的には『北斗の拳』の世界に近付けそうな規模ですよ。あんなヒャッハーな人たちが闊歩しないあたり、こっちの世界の方が民度が高いですが(笑)。

日本で生きている人は現実を知っている上で、「そんだけの被害を被りながら、たった15年ぽっちであそこまで復興できるはずないじゃん?」と思うかもしれませんが、地球の地べたに這いつくばるばかりが生活の場ではない世界ですからね、現在の文明レベルと比べ物にならないんですよ。

 

光岡湧太郎さんという方がレギュラーとしてキャスティングされていますが、俺ッチも含め、本作で初めて知った人も多いんじゃないかな? 

あまり聞いた事のない声や喋りが新鮮に思えたのも納得で、主に舞台や語りの仕事が多かったようです。なるほど、舞台のベテランであれば発声に関しては心配ないし、何よりアニメ芝居が染みついていないのが良いんです。

そんな光岡さんはナレーションの他に、フリーデン付きの医者の役も演じていて、最終回まで観終えても分かんなかったので調べてみましたが、テクス・ファーゼンバーグという役名だったそうです。

知らなかったよ、そんなの……だって、みんな“ドクター”としか呼ばないじゃん(笑)?

 

そんな光岡さんは、本作最大のキーパーソン(パーソン?)D.O.M.Eも演じています。

D.O.M.Eがニュータイプについて語りますが、つまりは“ニュータイプなんて過去の幻想だ、そんなのばっか気にしてないで未来を見なさいよ”と俺ッチは解釈しましたが、まぁそんなところでしょ?

そして、このメッセージには暗喩が秘められているようにも思えるんです。

“ニュータイプ”という言葉はガンダムシリーズ特有のものであり、両者はイコールで結ばれるもの。

D.O.M.Eが言うニュータイプとはガンダムそのものを指し、“偉業を果たしたガンダムばかりに頼ってないで、新しい作品を作りなさい(or新しい作品に目を向けなさい)よ!”というメッセージにも聞こえます。

つまり、本作こそが真にガンダムを終わらせようとした作品なのではないでしょうか?

『機動武闘伝Gガンダム』という作品は、裏ではガンダムを終わらせようとして作られた作品として有名ですが、何だかんだで『~Gガンダム』の後にも『新機動戦記ガンダムW』、そして本作へと続いてしまいます。

本作は放送時間帯の変更→従来通り4クールきっかり放送しなかったせいで打ち切りのように思える終わり方をしましたが、この事情を鑑みた上でも、当時はD.O.M.Eの言い分にそんな深読みをする人も少なからずいたかもしれませんね。いないか。

 

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ガンダムというだけで複雑=敷居の高い作品というイメージは否めませんが、ぞれなりに分かりづらいところはあるかもしれませんが、割と気楽に楽しめる作品だと思いますよ。

逆に、本作を先に見知りしてしまうと、他のガンダムって似たり寄ったりなんだなーと感じるかもしれませんね。

『アメリカン・サイコ』を観ました。

 

完璧なルックスで、若くしてCEOの座に就いているパトリックは、上流階級の仲間と共に高級飲食店で食事をし、金に物を言わせて女を買うような毎日を過ごしている。

しかしパトリックには常態的に殺人の衝動に駆られるという裏の顔があり、今夜も人知れずにホームレスの男や飼い犬を殺しては欲望を満たしていた。

ある日、いつものように集まる仲間の一人であるポールに自尊心を傷付けられたと思い込んだパトリックは、自分の部屋に招き入れたポールを殺してしまう。

ポールは失踪したとされ、探偵のキンボールがパトリックの元を訪れる。曖昧な言動を繰り返すパトリックを怪しむキンボールは、ポールは失踪ではなく、パトリックに殺されたと確信し……といったお話。

 

今や日本でも“サイコ野郎”なんて言葉が普及(?)していますが、その語源と言えば、アルフレッド・ヒッチコックさんの『サイコ』です。

本来サイコ=psychoとは単に精神病患者を指す言葉でしたが、『サイコ』の登場のおかげで、“常人には理解できない異常心理によって殺人を犯す者”=気狂いを表す言葉として変化しているようです。

『サイコ』の主人公ノーマン・ベイツの、気弱でおとなしい青年の二面性がそれほどまでに恐ろしいと感じられた時代からの名残なんでしょうね。

 

かつ、パトリックを演じているクリスチャン・ベイルさんのルックスも、二面性の強調に拍車を掛けます。

程良い濃さの顔だけでなく、美術品の彫刻のような筋肉やスタイル等々、100人中100人が完璧だと思えるルックスではないでしょうか?

映像特典で言及されていましたが、実はレオナルド・ディカプリオさんが本作に出たがっていて、話もあと少しのところまで決まりかけていたようです。今となっては、色んな意味でこっちには出なくて正解だったと思います…。

 

『サイコ』が公開された1960年から今日まで使われる“サイコ”という言葉には、ノーマンだけではなく、アメリカン“サイコ”な本作の主人公、パトリック・ベイトマンの影響も少なからず加わっているかもしれません。

本作の原作が発表された際、あまりのショッキングな内容のため多方面より苦情&抗議が殺到したようですが、なるほど本作を観てみれば、その理由もよく分かります。

 

『サイコ』のノーマンは明らかに“psycho”=精神異常者であり、ああいう行動に走る原因、つまり情状酌量の余地がありました。

が、本作のパトリックに関してはそれがありません。

単純に人を殺したくて仕方がない、何を以て殺人衝動が駆り立てられるのかが分からないのもパトリックの怖さであり、まさに“サイコ”な奴なんですよ。

 

そのヒントの一端となるのが、優越感。

パトリックは、高級そうな化粧品やらを多々使ったり、エクササイズで体を鍛えて筋肉隆々な体を作ったりと、ルックスに過剰に気を遣っています。服装ももちろんハイブランドのスーツ。

さらに、眺めの良い高級マンションに住み、センスのいい音楽について語れたりと、つまりは完璧な自分を追求する超ナルシストなんですよ。3Pの真っ最中、鏡の中の自分に酔いしれているのを、余った相手(笑)が呆れ半分に見ているシーンがパトリックの人物像を上手く表しています。

それ故、そんな優越感に水を差されるとカチンと来てしまう、他人に触られるのを極度に嫌うのもその表れでしょう。

でも、それだけがパトリックの殺人衝動ではないのは一目瞭然。

“サイコ野郎”という言葉には病的という意味も含み、病という不可抗力が同情の余地を与えていますが、パトリックにそれは(ほぼ)なく、一片の同情の余地もないただの“殺人狂”なんです。そこが不気味、そこが怖い。

苦しいor悲しい過去が彼を殺人狂に変えてしまった、その出来事とは……みたいなダッセー蛇足はエピソード・ゼロ商法で勝手にやって下さい(笑)。

 

パトリックは殺人だけでなく、女性への接し方にも問題があります。

ハイソ(サエティ)のエリートを気取っているせいか、女性をスゲー見下すんですよね。女を買うのはいいけど、なかなかマニアックな事を要求するあたり、性癖も上級者のそれです(笑)。

殺人より、こっちの裏の顔の方が気持ち悪いと思う人も少なくないんじゃないかな?

 

本作を真面目に観る女性ほど、気分を害する作品に感じるんじゃないかな? 男の俺ッチが観てもそう思えるくらいだし。

こんな男尊女卑度200%な作品ですが、監督と脚本を担当しているのが共に女性というのも意外です。

 

そして、更なる惨劇が始まりそうなラストも怖いですね。まさか、やっちゃうのか?みたいな…。

 

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本作を端的に表しているとは言え、ちょっと嫌悪感を抱きそうなジャケットがマイナス要素ですかね。ブラックコメディの度が過ぎているというか…。

 

Blu-ray版の映像特典は本作を振り返るものと、80年代のアメリカを回顧するものを収録。

2006年頃のインタビューですが、フェミニストとその運動には2種類があるという話は興味深かったです。現代の暴走思想はおかしいんだよな。

今日、『舞いあがれ!』の総集編が放送されていましたね。

チラ見で終えようと思ってたんですが、割と長めに見入ってしまいました。

 

水島学生のフェイルが確定した時の柏木学生とか、ようやくお父ちゃんに本音を言えた悠人兄ちゃんとか、普段はポーカーフェイスで澄ましている奴が壁を取っ払ってドバ泣きするのって弱いんですよね。

結婚話の破綻が決定的になった時の、久留美ちゃんとお父ちゃんにも泣かされたっけ…。

 

…と、その辺も含め、本放送を観た際には肯定的に楽しめたんですが、全編を観終えて少し客観視できるようになると短所も見えてきます。その逆のパターンもありますがね。

って事で、今回は良くなかった点に関して少々。

 

もちろん舞ちゃんがいい子なのは分かるんですが……ああまで怒らないのって、もはや人間的な感情が欠落しているようにしか思えません

そこは怒っていいところじゃない?と思うような時にも、決して相手を否定しないんだから、若くして悟りの境地に達したのかと思うくらい。

 

「…ねぇ貴司くん、いつまでヒモみたいな事やってんの?」

「おい朝陽、甘ったれた事ばっか言ってねぇで学校行けよ!」

「紗江さんさぁ、一族経営の会社で私にそんな口叩いちゃヤバいとか思わない?」

このくらい、どれか一つくらいは言っても良かったよね(笑)。

 

そもそも本作の世界には、怒る人がほぼ皆無なんですよね。

人間には(主に)喜怒哀楽の感情が備わっていますが、その2番目が消滅した異世界の話にすら思えます(笑)。
 

これは俺ッチの周りにもいるんですが、それ嫌がらせでもされてるんじゃない?と思うような目に遭っても、絶対に怒らない人ってませんか?

職場でのちょっとした井戸端会議で、会社の不条理なやり口に怒りを感じても、「まぁ仕方ないよね」のひと言で片付けられて、こちらがクールダウンしてしまうという(笑)。

 

でも、そういう人って、他人に嫌われる事はあっても憎まれる事は決してないんですよね。嫌いとか苦手という意見は聞こえるけど、悪い評判は全く聞こえない。

むしろ人好きがするくらいで、分け隔てなく色んな人と談笑している姿をよく見掛けます。

 

――ずいぶん話は逸れましたが、舞ちゃんを始め、『舞いあがれ!』に登場する人はそんな人ばかりで、愛すべきキャラが多いって事なんでしょうね。

リアルを求める人にとっては、ずいぶんお花畑なドラマだなーとか感じるんでしょうが、本作を観てムカムカする人とは本作との相性が良くない人なんでしょう。

 

逆に、多少はイラっとするものの、総合的には良い作品だったと思える人は、優しい感情の方が大きい人なんじゃないかと思います。ゆとりがあるというか。

好きな作品ではありますが、俺ッチはこの作品の住人にはなれないかな…(笑)。

 

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『釈迦』を観ました。

 

インドのカピラ城に太子が生まれた。生まれた直後に「天上天下、唯我独尊」と喋った子はシッダと名付けられる。

20年後。シッダは美しい妻ヤショダラーを迎え、豪奢な宴が毎日催されるような暮らしを送る。しかし、自分がこうも恵まれた生活を送れるのに対し、身分の低い者たちは今も飢えに苦しみ死んでいる現実を憂うシッダは出家を決意。両親や妻を残し、一人旅立つ。

後日、シッダの帰りを待つヤショダラーの前に、シッダのいとこダイバが現れる。ヤショダラーに思いを寄せていたダイバは、シッダの留守を狙いヤショダラーを犯す。絶望のあまりヤショダラーは自害し、ダイバは追放の身となる。

6年間の修行の後に悟りを開き、シッダは仏陀[ブツダ]となる。そんなシッダに救いを求め、弟子入りを望む者が次々に増えて行く。

これを快く思わないダイバは邪悪の神通力を会得し、シッダに取って代わろうとするが……といったお話。

 

タイトル通り、仏教をモチーフにした作品。

だからって仏教の教えを説いた布教のための作品ではなく、仏教を始めるに至った人のお話なので、正確には伝記ですね。

「釈迦と仏陀って同じ人なの?」なんて質問から始まるような俺ッチでも、そこそこ理解できた(と思う)上で楽しめました。

宗教の教祖を描いた映画は多々ありますが、映画というエンターテインメントゆえのフィクションや捏造も少なからずあると思います。原作(笑)と違う!と指摘する人も多かったでしょうね。

そもそもインドのお話を日本の映画にするという発想が、なかなかのチャレンジ企画に思えます。この手のデカい宗教は国家間の問題にも発展しかねないのに…。

 

本作の見どころは、“一大スペクタクル巨編”という宣伝文句が伊達ではないほどのスケールの大きさ。

アメリカでは『十戒』や『ベン・ハー』(『クレオ・パトラ』もそうなんだろうけど未見)のような、呆れるほどに人と金を使った時代劇がありますが、それらと余裕で肩を並べられるくらい。

日本映画でこれほどまでにセットの奥行きが深い作品は見た事がありません。クライマックスに登場する巨大な神像(28メートルもあるとか!)とか、実際に作ってるんだよ?

さすがに超常現象的な描写は特撮を使わざるを得ないものの、総じて合成も綺麗で、素人目にも映像に細工がしてあるのが見て取れるような、“古い作品の特撮あるある”が皆無に等しいんですよ。マットアートはバレちゃいましたけど(笑)。

古い日本映画=庶民を描いた地味なドラマというイメージが強いけど、ここまで大規模な作品があったのかと目からウロコが落ちる作品でした。日本映画のどこにそんな金があるんだ?と感じたのは本作と『CASHERN』くらいです。

 

美術関連のみならず、キャストに関してもお金が掛かっていそうな印象です。

俺ッチからすればふた昔も前の大スターなんでしょうが、今でもその名が通るくらいの面々が多々登場しているんだから、大スターの共演でもあったんでしょうね。中村玉緒さんが若い、可愛い!

主人公のシッダを演じている本郷功次郎さんは、古めの作品を観る際に目にする機会が多いですが、あんまり話題に上がる事がないんだよね……何でだろう? 確実に昭和イケメンなんだけどなぁ。

 

そんな本郷さん演じるシッダと言えば、悟りを開いた後は顔は見せず(ロングショットでのシルエットばかりになる)、ほぼほぼ声だけの出演になります。

よっぽど貴い立場になられたお方のご尊顔は、たとえ映画であっても容易く拝顔はできないという事でしょうか(笑)?

 

キャストと言えば、エキストラの数も尋常ではありません。

プレスシート(=宣伝チラシ)によれば、スタッフは30800人、エキストラは55000人ってんだから、もはや目眩がしますね(笑)。

序盤での、城下町の住民には驚くべきところがあって、住民は飢えに苦しんでいるという設定上、これを演じているエキストラの体は過剰に痩せてガリッガリなのが秀逸です。

奴隷の割に筋肉質だったりとか(笑)、アメリカ映画ではここまでのこだわりは見受けられませんしね。

 

特に主人公の生き様に感化され、実生活の参考や糧にできるのも映画としての機能ですが、本作でそれをやる人はいない、正確にはできないでしょう(笑)。

なので、何の深読みもせず、画面の壮大さに目を奪われるだけの作品と割り切って観るのも一つの楽しみだと思います。その程度の一見の価値は確実にあります。

 

…さて、予備知識も身に付いた事だし、黄金聖闘士編の処女宮のあたりでも読み返すかな…。

 

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Blu-ray版の映像特典は予告編のみ。

あと、無意味に『泣き笑い地獄極楽』という、本作には1ミリも関連のない作品のDVDがオマケに付いてきます。

 

『トラック野郎 度胸一番星』を観ました。

 

ある雨の夜、佐渡で待つと言い残して消えた美女の言葉に運命を感じた桃次郎は金造と共に佐渡島へ向かう。
佐渡島に着いた桃次郎は、田舎の分校に荷物を運んだ先で教師の水名子[ミナコ]を見て驚く。水名子は、先の夜に見た美女と瓜二つの姿だったのだ。
一方、川で砂金を採取する水名子の父と知り合った金造はトラック稼業を捨て、砂金採りに精を出す。
砂金が採れない金造を励ましたり、無邪気に生徒と戯れる桃次郎の姿を見ているうちに、水名子の心は徐々に……といったお話。

今作最大のトピックと言えば、シリーズ第5作にしてようやく桃さんの恋愛がついに…!という点ですよね。
とは言え、毎度のパターンは崩さずに、この後に5作も続いてる時点でお察し……とは言え、シリーズ最大級の悲しい別れ方です。“星水名子”とか書いてあげたくなるじゃん…!
どっかの洋画に感化されたようなファンタジー要素を取り入れたり、細かいところでパターンを崩した今作は、シリーズの中でも異色作と言ってもいいかもしれません。

洋画と言えば、クライマックスの大爆走で、警察がパトカーやブルドーザーで道路を封鎖する画は『バニシング・ポイント』ですかね?

金造=ジョナサンの家族が一切登場しないのもシリーズ初。
ジョナサンは家族のために身を粉にして働いている全国のお父さんを投影したようなキャラでしたが、
今作では家族の描写がほぼ皆無のせいか、一家の大黒柱としての側面が薄く見えます。
その裏で今作では、全国のお父さんの過半数がそうであろう、奥さん以外の女性に目が行ってしまう心理を代弁しています。
ジョナサンって、もちろん女性に興味はあるけど、しっかりとした浮気ができない人なんですよね。浮気の願望はあるけど、単に“食べ方”を知らないだけで(笑)。

そんなジョナサンは砂金で一獲千金を夢見て、トラック稼業から足を洗ってトラックを売り払おうとします。『~望郷一番星』でも似たようなシチュエーションがありましたね。
そこでどれだけ突き放しても、仲違いしていても、桃さんはジョナサンがトラックを売る事だけには猛反対します。
これ、個人的に感動するポイントなんですよ。
映画にしろテレビドラマにしろ、昭和のシリーズ物って前作までの設定をコロッと忘れる事が多いけど(笑)、桃さん&ジョナサンの関係性だけは不動、かつ一貫しているのがいいんです。


シリーズで最強のワッパライバルは?と聞かれると、『~望郷一番星』でのカムチャッカの熊=梅宮辰夫さんが挙げられる事が多い気がします。
…待て待て、今作のライバルであるジョーズを演じるのは千葉真一さんだよ? それだけで最強じゃない?と思うんですが、意外にもシリーズ最強の座には就けません。

ジョーズは無線の4チャンネルの使用を腕ずくで禁止したり、多くの仲間とつるんでいたり、原発建設の立ち退きに遭ったという悲しい過去があるものの、桃次郎の指摘通り、根っこにあるのは焼きもちやひがみ。つまり、ずいぶん卑小な人物なんですよ。
終盤では男っぷりを見せてくれるものの、この辺のせいで損をしているんじゃないかな。
とは言え、アクションシーンに限れば最強の座はジョーズに決まりでしょうね。

女性キャストに注目すべきはジョーズの幼馴染み、マヤを演じるのは夏樹陽子さん。
個人的に夏樹さんは『吉宗評判記 暴れん坊将軍』での、おその役を見て以来のファンなので贔屓目に見てしまいます。
そして、当時のリアルトラック野郎の間でも超人気だった(らしい)八代亜紀さんが満を持しての登場ってんだからラッキー&クッキーですよ(笑)。公開時の最新曲『恋歌』のしみじみした曲調が画面とマッチしていて、いい雰囲気です。
余談ながら、夏樹さんと八代さんが今でも交流があるのは本作繋がりだという話を聞くと嬉しくなりますね。

 

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Blu-ray版の映像特典は予告編のみという最低限仕様。

先にも綴ったけど、夏樹さんや八代さんあたりは本作をよき思い出としていてくれてるっぽいので、当時を振り返るインタビューや座談会でも映像化して欲しいんだよなぁ。

まぁ、主役二人がいない今では、それも叶わないんですが…。

 

 

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観た、『トラック野郎 御意見無用』

観た、『トラック野郎 爆走一番星』

観た、『トラック野郎 望郷一番星』

観た、『トラック野郎 天下御免』

観た、『トラック野郎 度胸一番星』

観た、『トラック野郎 男一匹桃次郎』

観た、『トラック野郎 突撃一番星』

観た、『トラック野郎 一番星北へ帰る』

観た、『トラック野郎 熱風5000キロ』

観た、『トラック野郎 故郷特急便