『ダーティハリー』を観ました。
サンフランシスコで次々に起こる連続殺人。事件を担当するのは過激なやり方で犯人を追い詰めるハリー刑事。“さそり”と名乗り大金を要求する犯人に対し、市長や警察は支払いを検討する中、ハリーは相棒のチコと共に調査を進める。
犠牲者は後を絶たず、警察は”さそり”の要求を飲まざるを得なくなる。現金の受け渡し役になったハリーは負傷しながらも、どうにか”さそり”を捕らえる事に成功する。
しかし、世間の目を気にする検察局は、証拠不十分を言い分に“さそり”を釈放してしまう。
不服に思いながらも手を出せないハリーを尻目に、自由の身となった”さそり”は新たな犯行を開始し……といったお話。
本作の公開は1971年で、半世紀も前の作品になります。
それを知りつつ本作を見ると、人権という言葉を盾に、罪を犯した人間を丁重に扱う体制って、そんな昔から変わっていないんだなと。
100人中100人が悪人だと思える人間に、なぜ早々に罰を与えられないんだろうという疑問を感じる事は現代の日本でも多々ありますしね。
本作のような作品が作られる、かつヒットするという理由は、そんな世の中の理不尽に納得できない人が多いという表れでもあるんじゃないかと。
敵は、さそり(座の男)を名乗る異常者。
10年以上前に観た際には、ちょっとアブない奴くらいにしか思わなかったんだけど、久々に見返してみると、ちょっとどころか、1971年という時代に現れるには早すぎるくらいのヤベー奴です。
ライフルによる狙撃が趣味なのかと思いきや、若い女を嬲った上で生き埋めにしたり(証拠の品々が恐い…)、完全に人殺しに快楽を見い出しています。
さらに、自分を捕らえたハリーを逆恨みし、痛い思いをしてまで当て付けがましい真似をする偏執っぷり。
さそりを演じるアンディー・ロビンソンさんは、この役が与えた影響に悩んだ時もあったようですが、逆を言えば、この難役をそれだけ巧みに演じたという事の表れでしょう。
数十年後には、これに近い人間が現実に現れる時代が到来していたのにね…。
手段は強引でしたが、ハリーは一度はさそりを捕まえます。
けど、証拠不十分で釈放(もう少し突っ込めば証拠もあると思うんですが)。
当然ハリーも納得しかねますが、いかなる人間にも人権があるんだとか言いくるめられて終了。
――この辺、現代の日本でも近いところがあると思いませんか?
確実な悪意を以て罪を犯しておきながらも、人権という盾のおかげで、その身は護られます。
けど、そんな加害者から被害を受けた人達の立場はどうなるんだ?という話です。
人権とは、文字通り、人の権利。
でも、人に非ざる振る舞いを行える人とは、人にあらず。つまり、人でないなら人権だって要らないじゃん?と、個人的に考えます。
基本的に人権は、生まれた時点で全ての人間が持っているものですが、それを落っことしたり自ら捨ててしまう人もいます。
ハリーの標的になるのはそんな連中ばかりでなく、綺麗事を並び立てる連中に対する反抗なのかもしれませんね。
チコという刑事を相棒としてよこされますが、ハリーは渋い顔。
まぁまぁ使えるキャラだったから、途中での退場はチト残念です。
なので……やっぱりハリーの真の相棒は銃=マグナムです。マギーじゃないよ(笑)?
刑事が持つにはデカすぎる銃ですが、ある意味、本シリーズの影の引き立て役者です。
マシンガン等で乱射するのではなく、ハリーの場合はマグナムによる力強い、重い一発が魅力なのです。
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Blu-ray版は映像特典多め。盲信者が多い山田康雄さんがイーストウッドさんを担当する吹替版も収録しています。
ところで、昔レーザーディスクで観た時もそうだったかなぁ、DVD&Blu-ray版の字幕では“お不潔ハリー”という謎の翻訳がされていましたが……お不潔って何だ?