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どんな傑作にも100点を、どんな駄作でも0点を与えないのが信念です

『機動戦士ZガンダムⅡ A New Translation 恋人たち』を観ました。

ロボットアニメの代表格であるガンダムに“恋人たち”というワード、そぐわないというか恥ずかしいというか…。

 

地球に降りたカミーユは、エゥーゴと同様に、地球で連邦軍に反抗する組織カラバに参加し、かつての1年戦争の英雄アムロ・レイと出会う。

そんな中、ティターンズに所属するフォウと心を通わせたものの、別れを経験したカミーユは再び宇宙に上がる。

新たなガンダムを得て、激化するエゥーゴとティターンズの戦いに身を投じるカミーユ。

そして両軍は第3の勢力、ジオンの残党アクシズとの接触を試み……といったお話。

 

そんなサブタイトルですから、今作では恋人たちがフィーチャーされています。まぁ一番のベストカップルはアムロとシャアですが(笑)。

主役たるカミーユはと言えば、一般的にはフォウがお似合いとされるんでしょう。

でもね~、どこか超俗的なフォウより、庶民感のあるファに行き着くのが一番いいんですよ。アムロだって、本当はララァよりフラウの方が良かったと思うんだ(ニュータイプへの覚醒はなかったと思うけど)。

これはフォウの声を当てていたゆかなさんも言っていましたが、悲恋で終わったフォウとの別れから数分も経たずにファとイチャついてるんだから、そりゃイカンよカミーユくん…。

余談ながら、ゆかなさんはフォウにかなりの感情移入をしていたせいで、↑の件が辛すぎてロビーに出て行ったんだとか(笑)。

 

さて、今作と言えば、フォウの声に関しての問題を看過できない人は少なくないでしょう。

原体験を大事にする、または古いものを良しとする保守的な思想を持った人ほど、TV版でフォウの声を担当した島津冴子さんにこだわっていると思います。

当時、フォウはアニメヒロイン大賞だか何だかで1位を獲ったくらいの人気があった(らしい)から、それだけ思い入れが強い人も多いんだろうね。

俺ッチはどっちが良いかと訊かれれば、迷う余地なく劇場版フォウ=ゆかなさんを選びます

まだ子供だったからハッキリと説明はできないながらも、TV版放映当時からフォウの声には違和感があったんですよ。

当時アニメバカ一代だった俺ッチは、それに相応しく数多のアニメ作品を観ていたから、島津さんが出演している作品も観ていたし、多くの役を演じていた事も知っていました。

それが仇となったんでしょうね、他の役のイメージを払拭できず、「またこの人が演じるのか」とすら感じた覚えがあります。ポセイダルの次はこれか、みたいな(笑)。

要は、他の役という垢が付きすぎてしまっているんですよね。

いい歳になってからTV版を観ると、それに加え、若さを感じさせない点が違和感の正体だった事に気付けます。もちろん、声優の実年齢云々とかではなくね。

個人的にアニメを見る機会が激減した今、ゆかなさんに関する情報、つまり過去に演じた役のイメージが皆無だったので、本作でのフォウ役に無理がないように感じられたんだと思います。

 

そっちよりも、個人的に捨て置けないのはサラ・ザビアロフを池脇千鶴さんに演じさせた事です。もちろん、顔出し俳優にアニメの声優をやらせるな!という妄念に憑かれた連中に同調しての意見ではないですよ?

個人的には、アニメアニメしている声(や芝居)には辟易しているので、池脇さんの登板自体はむしろ大歓迎です。俺ッチ的な声優の芝居の基準となる声量に関しても、なんとかクリアしてるんじゃないかと思えますしね。中でも、シンタ&クムとのやり取りとか好きです。

…では、何がイカンのかと言えば、出演が今作限りって点(当時から薄々は分かっていましたが…)。

つまり、一度採用したのなら次作にも出てもらわなきゃ!と。

『スパロボ』なんかには出なくていいんだけど(笑)。

今後の展開も考えない一時しのぎ的なキャスティングって、後に代役をやらされる俳優も気分を悪くさそうな感じがするし。

どうせ1作しか登場しないのなら、思い切ってフォウを演じてもらっても良かったかもしれません。

 

今作でももちろん追加シーン(に伴う新作カット)はありますが、単に絵が描き込んであるだけでなく、動きの細やかさに注目です。

序盤、ステファニーを助手席に乗せてハヤトがエレカを運転するシーンがありますが、カーブを曲がる際、ステファニーが持っていた手紙を、運転しているハヤトの胸ポケットに入れたりとか、そんなのアニメでやる?と思うような小芝居が多いんですよね。

画面内で主だった動きをするキャラの奥で別の何かが起きているような、一つのカットに二つ以上の情報をねじ込む富野スタイルは今作でも健在です。

アニメの基本は絵だから、そこに見入るのも分かりますが、“アニメーション”だからこそ動きにも注目して再見してみると多くの発見があると思いますよ。ロボットの動きばかりではなくてね。

 

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夏の強い陽射しに街が乱反射する『初森ベマーズ』2周目を観終えました。

…どうだい、とっくに忘れていた人も少なくないだろう?

 

今日も初森公園には町の人々が集まり、それぞれの時間を過ごしていた。
そこにやって来たセレブ都市開発の権田原は、マンション建設のために初森公園を丸ごと撤去するという。
思い入れのある公園の撤去に、ななまるを初めとする住民は猛反対。
権田原の娘キレイは、ななまるがソフトボールをやっていると勘違いし、自らも参加するソフトボール大会で優勝できたらこの話は白紙にするという。
受けて立つ形となってしまったななまるたちは初森ベマーズを結成するが、部員はソフトボール未経験者ばかり。
その上、キレイが所属するポラリス学園は優勝候補の強豪校であり……といったお話。

乃木坂46の1&2期生が総出演する2015年の作品です。
今や3期生が最古参となっている乃木坂46の時代を過ごしている今に見返してみると、んま~懐かしいのなんの!
当時を知っていた人にとっては、レギュラーの10+2人はさておき、サブキャラであるその他のメンバーを探し当てるのも一つの見どころです。濃ゆいメイクのせいで見つけにくいメンバーも多いですが(ひめたんを見分けられなかった不覚…)。

漫研の3人とか、ただただ可愛いのひと言しか出てこない…!

乃木坂46が総出演するドラマ、しかもスポーツものです。
半分はコメディとは言え、至らない部分もあるんでしょうが、それなり以上に練習をしていたであろう成果も随所に見られます。生駒ちゃんがボールをキャッチする瞬間には、こちらもヒヤヒヤしたり(笑)。
あくまでドラマ、あくまでフィクションですから、ソフトボールという競技に極限まで準拠するべきだという考えは1ミリもなく、興味も理解もない俺ッチ程度の人間の目にそれっぽく映っていればいいんです。
それ故、別にへっぴり腰だって構わないんですよ。
そもそも汗は流れない・髪は崩れない・ユニフォームは汚れないという時空のお話なんだから、本作をスポーツものと大マジに捉えるのは空しいので止めときましょう(笑)。

 

全てのメンバーが役者を志しているわけではないですからね、芝居の巧拙の差は確実に表れているんでしょうが、俺ッチにはそれは見抜けませんでした。みんな頑張ってるよ。

そんな中で、たった一人だけ上手い人を挙げろと言われれば、出番は少ないながらもジョーさん=能條愛未さんでしょうか? ずいぶん発声が良かった印象。

役が一番ハマっているのは、コテ=高山一実を演じた高山一実さんですね(役とキャストが同名である点も親切な仕様)。「しまっていこー!」なんてセリフがしっくり来すぎる!

時事ネタ的には、実写版星矢を演じた彼がゲスト登場しているのも見どころでしょうか?

昭和のスポーツ漫画のパロディっぽくもありますが、キチンと(?)昭和らしく、ちょっとしたスポ根ものにもなっています。

素人がヘタクソなりに練習やら特訓をするのが健気で、我が身を犠牲にしてまで打ち込む姿を描いているのがいいんです。これぞスポ根の真髄!
ある程度の熱意と偶然が重なれば場当たり的に、ノーリスクでパワーアップできるニチアサの仮面ライダーよりも、よっぽど努力をしていますよ(笑)。

って事で、ちょっとしたノスタルジーにも浸れたのもあって、かなり楽しめました。
一応、次作を匂わせる終わり方だったけど……未だにその報が聞こえないのは、まぁそういう事なんでしょう。ちょっと残念。
…だが待てよ、近頃の乃木坂46(の一部メンバー)は妙に野球にすり寄ってるあたり、これはもしや“初森ベマーズ2”への布石っ…?
今こそ鷲尾史保を登場させるいいきっかけだと思うけど、野球に取り憑かれた日常を送るあの子は、似て非なるソフトボールには興味なさそうだしなぁ(笑)。
まぁ、そんな続編妄想を抜きにしても、乃木坂ドラマは久々に何かやって欲しいですね。

 

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メイキング目当ての人はBlu-ray版なんかとっくに買っているでしょうが(笑)、乃木坂の歴史を振り返りたい人は配信辺りで見てみるのもいいんじゃないかな。

1&2期生の若々しく、瑞々しく、初々しい姿を改めて見よ!

 

昭和のジジイに向けては、いとうまい子さんも見どころだぜ! あったかくさせてくれるんだよ、これが。

つ『聖闘士星矢 The Beginning』を観てきました。

 

神話の時代、ギリシャの神々は人間を苦しめていたが、女神アテナだけは人間を守るためにその力を行使していたという。

現代。行方不明の姉を探しつつ、地下闘技場の選手として闘う星矢。今日の相手であるカシオスとの戦いのさ中、星矢は不思議な力によりピンチを脱する。

そんな星矢を狙う謎の兵士たち。星矢はアルマンに救われ、彼の邸宅に連れて行かれる。

星矢に娘シエナを紹介したアルマンは語る。シエナは女神アテナの生まれ変わりで、先のカシオスとの戦いで見せた不思議な力、小宇宙[コスモ]を使える星矢こそがアテナを守る聖闘士[セイント]であると…。

にわかに信じがたい話ながらも、シエナを守るため、星矢は白銀聖闘士[シルバーセイント]のマリンの下で修業を始める。

その一方、アルマンの妻だったグラードは、強大な小宇宙を持つシエナを求め、カシオスを含めた兵士たちと共にアルマン邸に向かい……といったお話。

 

御存知、『聖闘士星矢』の実写化作品です。

『~星矢』は海外でもメディア展開されていますが、その際は『Knights of zodiac』という洋題になっているそうです。

だったら邦題は“ナイツ・オブ・ゾディアック”でよくない?と。

“星矢”と付けとけば認知度が高まるのは分かるけど、“The Beginning”まで付けたのは無粋ですね。後のシリーズ展開を想定した嫌らしい企みですが、かつて“序奏”と付けときながら、未完のまま終わった(断言)新シリーズがあった事を忘れているのか?

 

さて、そんな本作を観てきましたが、俺ッチがむしろ実写版肯定派というのもありますが、普通に楽しめました。

星矢関連の外伝やら続編は多々発表されていますが、オリジナル版以外に一つ作品を選ぶならどれ?と聞かれれば、俺ッチは本作を選びます。車田正美さんが描いている正統な続編すらさておいても(笑)。

『~星矢』という作品は海外ではこう解釈されているんだなという発見も多々ありましたしね。

 

その一つして、海外では固有名詞(や専門用語)って大して気に留めないんだなぁと。

字幕では聖闘士[セイント]、聖衣[クロス]といった専門用語を原作通りに使っていますが、映画内で使われる原語を聞き取る限り、聖闘士は“knight”、聖衣は“armor”と呼称しているようです(小宇宙はそのまま“cosmo”だった)。

『聖闘士星矢』というお話である以上、その辺の専門用語も世界観の一つだと思うんですが…。

ガンダムで例えれば、“モビルスーツ”ではなく“ロボット”と呼ぶようなものというか。

 

小宇宙を科学技術で解明できちゃうのはチト違うかな?

小宇宙をGPSのごとく検知できたりとか、いかにもデジタルかぶれな昨今に準じた考え方ですよね(お話としては都合がいいんでしょうが)。

東洋の精神的な神秘をあまり信じない欧米的な発想の表れにも思えますね。

 

お国柄の価値観にも差があるし、原作そのまんまの作品なんて作れるわけがないのは分かっていますが、どうにか原作に近付けようとしている努力は伝わってきます。

実写化に伴いリアルの要素を増やすのも含めて、ハリウッド変換がけっこう上手く行っているんじゃないかな?

大まかなストーリーはそのままに、キャラの出自は変えずに立ち位置だけを並び替える事で整合性を図るというかね。

原作とは描き方が異なるものの、木戸や沙織の関係性とか間違ってはいないでしょ? 星矢と沙織も、初めはもっとピリついた関係だったし。

 

みんな大好きな“原作リスペクト”(笑)も多めにあるので、意外に勉強しているのが見て取れます。

この世の万物は原子でできているとか、そうそう&これこれ!って感じ(笑)。

冒頭、アテナを巡って戦っているのがアイオロスとシュラだってんだから、よく分かってる。

海辺で星矢と話すシーンでシエナが着ていたワンピースとか、沙織のいつもの衣装を確実に意識しているよね。シエナと言えば、後頭部の髪に紫のメッシュが入っているのは意味深というか、含みを持たせているのが巧いですね。

原作では辰巳に当たるマイロックは戦闘の達人ですが、銃だけでなく警棒を使うあたり、これは竹刀を持たせたかったんだろうなぁ(防弾チョッキも欲しかった!)。

劇伴に関しても、また似たり寄ったりなハリウッド映画音楽かよと思いきや……このメロディはっ?と思わせる曲もあるので、こちらも必聴です。

 

日本では新田真剣佑さんが注目されていますが、脇を固めるキャストもいいんです。

個人的にはショーン・ビーンさん+ファムケ・ヤンセンさん=『ゴールデンアイ』!というのが真っ先に目に付きました。本作ではしっかり顔を合わせて共演していましたね。

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『ターミネーター3』でジョン・コナーを演じていたニック・スタールさんとか、実写版『ダブル・ドラゴン』(懐かしすぎる!)に出演していたマーク・ダカスコスさんとか、洋画通を唸らせるキャスティングが地味に熱いんですよ。顔はもうほとんど忘れていましたが…(笑)。

 

そう言えば、オモチャ発売の予定が聞こえないのは意外ですね。この手の作品にバンダイが絡んでこないのはいい事です(笑)。

余談ながら、エンドクレジットで聖衣関連だったかな、“TSUYOSHI NONAKA”とありましたが野中剛さんの事でしょうか? ますますオモチャが出ないのが意外に思えます。

エンドクレジットと言えば、スペシャルサンクスのところで、“SONNY CHIBA”の名前があったのは感慨深い…!

 

“これとかあれとか、原作と違う!”なんて意見は取るに足らない、一番つまらない感想ですね。間違い探しでもやってのかよと。

“実写版『ドラゴンボール』に次ぐクソ作品!”“やっぱり実写作品は最悪、大爆死ザマー!キャッキャッ”とか、永遠に同じ事を言ってハシャいでるアニメバカ)冷やかしも確実にありますが、そんなのに流されず、気になる人は見に行くといいと思います。

『聖闘士星矢』という作品を知らない人ほど、むしろ予備知識のない人の方が楽しめると思いますよ。

『ニンジャ★チアリーダー』を観ました。

 

米軍により奪われた日本刀を奪回した3人組。

その正体は短大生のエイプリル、モニカ、コートニーであり、ヒロシの道場で修行を積む彼女らは、先の日本刀の奪回により一人前のニンジャと認められる。

美人で成績も優秀な彼女らは、学校ではチアリーディング部に属し、夜はヒロシが経営するストリップバーのダンサーとしても大人気。近々行われるダンスコンテストの賞金を大学進学の資金にするために優勝を目指す。

ある日、3人がヒロシの店に寄ると、店は荒らされ、ヒロシも何者かによりさらわれてしまう。

店の権利書を要求するラザロに行き着いた3人は、ヒロシを救い出すために行動を開始。しかしラザロは、かつてヒロシに破門されたキンジを用心棒に雇っていて……といったお話。

 

いわゆるB級にクラスされやすそうなタイトルで、まーた日本の配給会社がテキトーな邦題を考えたんだろう?と勘繰ってしまいますが、原題は“NINJA CHEERLEADERS”……や、そのまんまでした(笑)。

 

ニンジャと来てチアリーディング、そしてこのジャケットを見れば、“こんなキレイなお姉さんたちがセクシーな衣装で画面狭しと大暴れするんだろうな~ワクワク”と予想(つーか期待)しますが、劇中でこんな格好はしません

クライマックスのアクションシーンで身にまとうのは、顔まで隠す真っ黒の忍び装束ってんだから色気もクソもありません、まさにジャケット詐欺です(笑)。

正直、セクシー要素と言えばストリップのシーンくらいかな? ストリップと言っても下着止まりだけど、そこは好印象。

 

2008年の作品という事で、まぁ『チャーリーズ・エンジェル』がやりたかったんだろうなと。日本刀を振り回すあたりは『キル・ビル』の影響も少なからずありそうです。

でも、『チャーリーズ~』に追いつけないのは単なる映像技術の問題ではなく、キャラのテンションが低いからなんですよ。

『チャーリーズ~』のエンジェルたちが敵に迫る際には色仕掛けも厭わないし、そんなアッケラカンとした明るさが魅力です。喧嘩の最中にちょっとくらいパンツが見えても気にしなさそうな(笑)。

『チャーリーズ~』の魅力はエンジェルたちが明るいだけでなく、(演じる人としても)楽しそうにやっている点にあると思うんです。

これに対し、本作の3人は私生活の中で色々な問題を抱えていて、ストリップダンサーは稼ぎが良いからやっているようなもので、そんなアルバイトも嫌いなら住んでいる街も嫌いといった風に、根っこが暗いんですよ。他の誰かがいればいいけど、気心の知れた3人だけになると途端に辛気臭くなるような(笑)。

3人のセクシー女子がキレの良いアクションで、バッタバッタと男どもをブッ飛ばすという痛快さを求めるだのはいいけど、つまらない欲を出して人間ドラマ(笑)を深く描こうとしたのが無粋すぎました。

…あ、俺ッチが勝手に結び付けているだけで、本作は『チャーリーズ~』とは一切の関連はありません……念のため。

 

セクシー要素に加え、もう一つの見どころでもあるアクション要素も物足りません。

アクションシーン自体も少ないし、役者としての彼女らがあまり動けないのをごまかすような見せ方ばかりなんです。クライマックスが近付いたのに、忍び装束に加え覆面で顔を隠しちゃうあたりでヤバいと感じましたが…。

敵の女用心棒キンジは外道に堕ちて破門された闇のニンジャという出自で、せめてこっちはどうにかと期待しましたが、あんま大差はなかったです(笑)。

序盤で3人は一人前のニンジャと認めてもらえたのに、結局は師範であるヒロシが最強というんだからモヤッとするなぁ…。

 

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DVD版の映像特典は予告&静止画集、吹き替え音声があるのがマシかな程度。

さすがにBlu-rayには劣るけど、DVDながらも意外に画質が良かったです。

 

『スパルタカス』を観ました。


紀元前1世紀。栄華を極めるローマ共和国は、貴族と奴隷との明確な階級差により成り立っていた。

奴隷として買い取られたスパルタカスは、奴隷商人バタイアタスが仕切る剣闘士養成所に連れて行かれ、見世物として殺し合いをさせられる剣闘士になるべく訓練をさせられていた。

そんな日々を送る中、心を通わせていた女奴隷のバリニアが売られてしまう事を知ったスパルタカスは、思わず指導役を殺害。騒ぎは大きくなり、バタイアタスの養成所は奴隷たちの反乱によって崩壊する。

行く先々で奴隷を解放し、今や大軍団となったスパルタカスたちを危険視するローマ元老院は、討伐隊を送り込み……といったお話。

 

197分=3時間17分という容赦ない長尺です。

まずは序曲から始まり(画面は真っ暗!)、そこからオープニングクレジットと来て、本編が始まるまで7分も掛かるんだから、さっそくハードルが上がります。いびきの音やスマホ弄りは避けられないだろうなぁ(笑)。

 

粗筋通り、古代ローマのお話です。

『ベン・ハー』『十戒』『グラディエーター』、そして本作と、どうも古代ローマ時代の英雄になるまでの立志伝とは、まずは奴隷になるところから始まるのが基本のようです。

観終えて数年もすると記憶がゴッチャになってしまい、その辺の作品を観ても既視感に捉われるのは気のせいではないと思います(笑)。

 

奴隷や兵士や町の住民等々、何しろ人が多く登場する作品です。

中でも反乱軍とローマ軍が激突するクライマックスの平原での合戦シーンは、ただただ圧巻です。映画史上、最も多くの人が出演した作品なんじゃない?と思えるくらい。

そして、その合戦の後、両軍の兵士たちの死体が積み重なった様は、まさに死屍累々! こちらの数に圧倒されるというか、気分すら悪くなりそうです。

さらに勝敗が決した後の、奴隷たちの処し方も悪趣味で胸クソ悪い…!

 

たかだか映画ごときの娯楽のために、自分の功績がどこまで反映されるかも分からないのに、一人の人間があれだけ大勢集った上で一体感を出せるのは、当時の映画が持っている力だったんでしょうね。

映画を作るために協力を惜しまない人々がこんなにも集まるという意味においても、このくらいに古い映画にはロマンを感じます。

未見の人に、わざわざ古っりぃ作品を勧める事はしませんが、こういう作品はもう未来永劫に作れない事実は付け加えておきます。

 

スパルタカスたちは数多の街で貴族から奴隷を解放し、その数は驚くほどに増えていきます。奴隷に老若男女の区別はありませんから、なおさらですね。

膨れ上がった元奴隷たちはベスビオ山に立てこもりますが、野営地というより、誰もが生活できるような一つの村となっています。

そこで男たちは戦いの訓練を受け、女たちは家事(に相当するような仕事)をし、子供たちは遊ぶ。

貴族のように豪奢な生活を送れるわけではないけど、奴隷の身分から解放されたばかりの彼らに見合った幸せそうな暮らしぶりにほっこりします。

そんな人間味のある生活を過ごす反面、戦わねばならない時には屈強な男だけでなく、女性もが武器を手にするのがいいですね。

 

寵愛を受けていながらもクラサスの下を離れ(裏切りとは少し違う感じ)、反乱軍の側に回ったアントナイナス。ホモは苦手だったんだろうね(笑)。

力仕事を得意とする男たちの中で、戦意は持っているもののアントナイナスができるのは詩の朗読や手品ってんだから、さすがのスパルタカスさんもちょっとビミョーな表情(笑)。

でも、そんなアントナイナスの特技も、決して無駄なものではないんですよね。

あの時代における詩の朗読や手品は立派な娯楽であり、人間が生きるには娯楽って不可欠なんだなと感じさせるシーンが良かったです。

 

基本的に本作はスパルタカスの武勇伝ですが、政治劇の側面も強いです。

ローマ元老院にはクラサスとグラッカスの派閥が存在し、反目し合っています。

序盤ではグラッカスが悪キャラ、クラサスが善キャラのように見えますが、話が進むにつれ、民衆や民意を重んじるグラッカスに対し、“偉大なるローマのため”という曖昧な観念を理由付けるクラサスのやり方に徐々に反感を抱くと思います。

この二人に着目するのも、2回目以降に見る際の本作の楽しみかもしれませんね……と言いたいけど、3時間19分という尺がそれを遠のかせる…。

 

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Blu-ray版に収録されているのは、修復版とされる197分のバージョンです(オリジナル版は186分)。

ちょっとしたメイキングたる映像特典も収録されています。

いわゆるゴールデンウィーク=GWに休めるのはいいんですがね。

逆も働いてくれている方々も多いですが、どちらの人々にとっても気になるのは天気。

 

そんな2023年のGWの天気というと、

こんな感じだそうです。

 

休日は引きこもりを趣味とする俺ッチだけではなく、お客の相手をしなきゃならない方々の本音としての願望を言葉にしよう。

もっと雨、降れ!

 

特にお店の方々としては、雨が降れば客足が遠のく→メンド臭ぇ客の相手もせずに済むというのが本音じゃないですか? お前らは休みだからって浮わっついてんけど、こっちは働いてるんだよ!という羨みや妬みの感情も少なからずあるでしょうしね。

 

俺ッチの場合は、近所の子供がうるさいのが嫌ってのが理由です。特にボール遊び。

百歩譲って単なるボール遊びならまだしも、ボールを地面にバウンドさせる時の音や少なからずの振動が響くのが、ホンット~に鬱陶しい。布団を叩く音より、こっちの方がタチ悪いと思うんだけど。

他人の家の壁やら車やらにぶつけて、ご近所トラブルが起きる事例も少なくないしね。

繰り言のごとく言うけど、その程度やっても大して上手くならないんだからインドアな遊びでも見つけろよ。上手くなりたいなら、どっかのクラブにでも入れよと。

 

そこで雨の出番。

雨でも降ってくれれば、その辺の問題を防げるどころか、問題すら発生しないでしょ?

雨音が聞こえているとリラックスもするってのもあるし、雨さんって偉大なんですよ(笑)。

 

…ええ、ええ、我ながら不健全というか小っせー事を言ってるよな……上等だよ!って事で、雨の日は家の中でおとなしくしていようぜ?

誰にも迷惑を掛けないインドア趣味、最高じゃないか!

『機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者』を観ました。

 

人類が経験した最大規模の宇宙戦争から約10年が経過した、宇宙世紀0087年。

スペースコロニー、グリプスに侵入したクワトロは、ティターンズが密かに開発しているというガンダムMk-Ⅱと遭遇する。

時を同じく、ティターンズの士官とトラブルを起こしたカミーユが警察の尋問を受けていた際、飛行訓練中のガンダムMk-Ⅱが落着する。

そのどさくさに紛れ脱走したカミーユはガンダムMk-Ⅱを強奪、クワトロらと共にグリプスを脱出し、反地球連邦組織エゥーゴに身を寄せる。

両親の死や、幾多の戦闘の中でカミーユが見るものとは……といったお話。

 

ガンダムシリーズ第2弾『機動戦士Zガンダム』の、約30年ものスパンを空けた劇場版です。

副題として“A New Translation”=新訳というワードがある通り、TV版の再編集に新たなシーンを追加した形として3部作として公開されました。

 

ちなみにこの手法、実は初代『機動戦士ガンダム』の劇場版でも限りなく近い事をやっていたんですよね。

先頃、テレビ版『~ガンダム』を観終えたんですが、特に3作目=『~めぐりあい宇宙編』なんかはまさにそれで、単にテレビ版では目も当てられなかったカットを描き直しただけでなく、大同小異ながらストーリー展開の方にも変更が多々あるため、ほぼ別物として楽しめました。

 

本作の方はと言えば、追加シーンが多々あるものの、特にキャラ関連の新作画カットの絵柄がオリジナル版(=テレビ版)とは異なりすぎて、切り貼り感が色濃く出てしまっているのが本シリーズどころか、一編の映画として致命的な短所じゃないかと思います。

何しろ同一キャラが同一に見えなさすぎなんですよ。実写映画であれば、カット毎に俳優のメイクが違う感じです(笑)。

キャラクター作画監督の恩田尚之さんはテレビ版でも参加していた方ですが、あれから30年も経てば色々と手癖も付いてくるだろうから、当時の絵柄に寄せるのは難しい、もしくはできないのかなぁと…。

 

上手く言えませんが、そんな違和感も映像のダイナミズムというか、勢いに乗りながら観てみれば、そこまでストレスは感じません。カット割りや洗練された台詞のおかげってのもありますね。

この絵は綺麗だの汚いだのツッコみながらチマチマと一時停止なんかしないで、イッキに観終えろよというか。

 

レコアがクワトロにお尻を触られていた云々というやり取りのシーンは、チト意味不明に思った人って少なくないんじゃないかな? 俺ッチも、初めて観た時にはピンと来ませんでしたが…。

例えば会社で、同僚と無駄話をしているところへ上司がやって来た際、急に仕事の話をして取り繕う事ってあるじゃないですか? 俺ッチは、よくあるんですよ(笑)。

この時の状況を思い出しながら観てみれば腑に落ちると思うと同時に、アニメらしからぬ芝居をアニメに取り入れる富野由悠季さんの感性や着眼には、ただただ感服です。

 

…と、ここまで読んで、ロボットの話がサッパリ出て来ない、つまんねぇブログだなと思う方も多いでしょうが(笑)、オモチャに直結するキャラクターへの興味が失せてくるのは歳を取った証だなと思ってやって下さい…。

「今、ちょっとだけクゥエルが映ってた!」「こんな時期からネモが配備されているんだ?」なんて話は飽き飽きどころか、どうでもいいんです。

ただ、モビルスーツ戦という一般的な映画で言うところのアクションシーンで見せる細かい動き、特に新作画シーンにおけるそれらは目を凝らしてまで見る甲斐があると思います。

 

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俺ッチが買ったのは↑ですが、確実に再生させたいなら↑↑が良いと思います。

値段も大差はないし、日本語字幕が収録されているのが羨ましひ…。

『MEGAZONE23 Ⅲ』を観ました。別に“メガゾーン23”表記でもいいのにな。

 

地球で最後の都市であるエデンシティの情報局E=X[イーエックス]に入局したエイジ。

E=Xはエデンを統率するコンピューターSYSTEMの指令を執行する機関で、荒廃した地球の自然と人間を結び付ける日を目指しつつ、SYSTEMのダウンを図りネット犯罪を繰り返すネットジャッカーたちを取り締まっていた。

テレビゲームだけでなく、本来なら犯罪とも呼べるハッキングの腕前をも買われたエイジは、E=X局長のヤコブよりバイク型移動端末ガーランドを託される。

エイジはネットジャッカーのリーダー格であるシオンと対決。その戦いの中、シオンの言葉を聞いたエイジはSYSTEMを盲信するE=Xの、そしてエデンを導くウォン・ダイ司教のやり方に疑問を抱き始め……といったお話。

 

令和の視点で見れば、インターネットを扱った作品なんてとっくに氾濫していますが、本作が1989年の作品である事を知れば、ずいぶん先進的な事をやっているなと驚けるんじゃないかと。

今ほどにネットが普及していない当時としても、“ネット”というワードにピンと来なかった人が多かったんじゃないかな?

“インターネットを扱った最初の映像作品って何?”と聞かれれば、おそらく過半数が『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)を挙げるんじゃないかと思いますが、本作はそれより前なんですね。

メンドくせー人は『ウォー・ゲーム』を挙げるんだろうなぁ(笑)。

 

得てして、映画内におけるデジタル系の描写って、後年になって見返すと(当然ながら)古さを感じずにはいられないものですが、これ見よがしに当時の最先端を見せびらかしすぎているのが原因なのかもしれません。

本作におけるネットの描写はそこまで克明ではないおかげか、「遠い未来なのに平成並みのテクノロジーじゃない?」といった時代的なギャップを(あまり)感じないので、時代遅れ感のある作品とは感じませんでした。

 

ネットを使った犯罪が珍しくなくなった現代を鑑みると、ネット犯罪の現行犯を取り押さえる武装警官=ネットポリスという存在(設定)は予見的です。

エイジがリョオと仲良くなった際に“アクセスコード教えて?”といった旨のセリフがあり、当時の感覚では電話番号のノリなんでしょうが、“アクセスコード”という言葉のイメージから、マイナンバーがケータイの電話番号に代わるものになるのかなと想像したり。

製作当時にはほとんど現実味のない空想だったんでしょうが、たった1世紀後にはこれらの予見が的中する未来が到来するかもしれないとは夢にも思っていなかったでしょうね。

 

現実を先取りしているだけでなく、映画としても後の作品に影響を与えていると思しきシーンが散見されているのも見どころです。

人間の首の後ろにコネクター穴を設けて機械と直接リンクさせる描写は、言わずと知れた『マトリックス』(より『~攻殻機動隊』の方が先?)ですよね。

他人の遠隔操作により、自分が操縦しているロボットの自由を奪われる描写は『新世紀エヴァンゲリオン』でのダミープラグ作動シーンを想起させます。

あんまり話題にならないけど、1989年の作品という点に着目すると、もっと評価されてもいい作品なんじゃないかと思います。

 

…なのに評価されないのはシリーズ物として、前作&前々作の設定や印象が引き継がれなかった失望の方が大きな不満と感じる人が多かったって事なんでしょうね。

個人的には『~(1)』から『~Ⅱ』になった際の様々な変貌を見ているものだから、前作品にそこまで固執するのも無駄じゃない?と思っているので、その辺は一歩引いて客観視できるんですが…。

 

毎度コロコロとキャラクターの画風が変わるのもメガゾーンシリーズの困った特徴ですが(笑)、今作のキャラクターデザインを担当するのは北爪宏幸さん。

本作での仕事っぷりは北爪さん黄金期と呼べるもので、女子キャラ、特に(前編の)イヴは確実に北爪美人です(恩田尚之さん風味も感じますが)。美樹本晴彦さんによるキャラ原案を北爪さんイズムでアレンジされたイヴはアニメキャラとして描きやすいのか、何より作画が(まぁまぁ)安定しているのが良いんです。

近年のガンダム系の漫画を見知りしている昭和アニメファンほど、やっぱり北爪さんはアニメ屋でいて欲しかったなと思うんじゃないかな(笑)?

 

正直、シリーズとしては蛇足に思えますが、目新しい部分も多く、意外に楽しめました。

ビジュアル的にも『~Ⅱ』のようなドギツさが抑えられていて(エログロも皆無に近い)、誰が見てもいい作品になっていたのが好印象でした。

 

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『メガゾーン23』を観ました。

 

東京都心を遊び場としている省吾は、ふとしたきっかけで由唯と知り合い、親しくなる。

ある日、真二が持ち出した軍のバイクを譲り受けた省吾は、軍人のB.D.に追われる身となる。

どうやらバイク=ガーランドは軍の機密のようで、ならば大っぴらに世間に公表しようと、アイドルであるイヴのテレビ番組でガーランドを見せ付けるが、その模様は放送されなかった。

数日後、白バイに追われる省吾はトンネル内の側道に身を隠す。その先にあったのは広大な、天井にすら建物があるという謎の空間。その中央部には巨大なコンピューター、バハムートが鎮座していた。

再び相まみえたB.D.は省吾に語る。この空間やバハムート、そして省吾たちが住んでいる街に関する真実を……といったお話。

 

OVA=オリジナル・ビデオ・アニメなんて言葉が発祥した、(初)公開形態がテレビでも劇場でもない、ビデオソフト専用の作品です。今で言えば、ネット配信限定作品に通じるところがあるかな?

 

当時のOVAの流行と言えば、メカと美少女でした。この“美少女”というワードには少なからずのエロ要素を含んでいるのは、現代(よりは少し昔か)で言う“萌え”と同様ですね。

当時の俺ッチも、見るきっかけとしてはその辺だったんですが、実際に観終えてみると、SFと青春ドラマという奇妙な組み合わせに圧倒された覚えがあります。

日常的な生活を送っているように見えて、実は大きな力によってそう思い込まされているとしたら……という、陰謀を突き止める系のドラマとして、大袈裟ながらハリウッド映画でも通用するようなストーリーだと思います。

 

それまでのロボットアニメと言えば、命令や義務の全うのためにロボットに乗り込む主人公が多かったですが、本作の省吾は自分のためにしかガーランドを使いません。

あくまで自分至上主義の、どっちかと言うまでもなく、まぁ不良ですよね(笑)。

そんな朝から晩までバイクでフラフラ遊んでいる自由人だった省吾が、それまでの自分を取り囲むものに懐疑的になり、ついには不信(の根源)を叩き潰そうとするといった、省吾=ヒーローの成長譚なのです。

だからこそのああいう終わり方ですが、色々と明確に決着が付いていないと気が済まない人にはお勧めしない作品です。

個人的には新たな一歩(や人生)を感じさせる、いいエンディングだと思います。なんとな~く、『サタデー・ナイト・フィーバー』が頭をよぎります。

 

この頃のOVAは、テレビアニメよりも表現の自由度が高かったのが魅力でした。

この時代の作品の後日談等を読むと、社外の人間であるにもかかわらず、勝手に入ってきて仕事を始める原画マン(←懐かしい響き!)も多かったようで、作り手側の熱量の高さが伺えますね。

やりたい事をやって描きたいものを描くといった、まず作り手が楽しめる事を優先したような、悪い言い方をすれば自己満足な作品を作れた良い時代、というより楽しかった時代だったんじゃないかな?

 

本作がテレビでできない事と言えば、省吾と由唯のアレですよね。

今見れば、ま~微笑ましい程度のものですが(笑)、昭和アニメとしてはずいぶん過激だったと思います。

改めて見ると、下半身を一切見せないあたりは節度があって良いですね。

 

オジサン(もう初老かな?)アニメファンからすれば、エンドクレジットも一つの見どころです。

当時はよく見ていた名前が、今ではベテランの域に達していると思うと、否応なしにも時の流れを感じます。

中でも、昨今ではリメイク(もしくはリ・イマジネーション)の第一人者とされるあの監督も、この頃は原画で参加していたんですね。

“シン・メガゾーン23”とかやらないかな(笑)?

 

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配信版はないようなので、となれば、↑のBlu-ray版しか紹介できませんね。

俺ッチが買ったのは

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↑なんですが、全3作に加え、『~Ⅱ』の海外版が収録されています(こちらもリマスタリング済み!)。

作品としては『~Ⅱ』なんですが、メインタイトルが出る前=アバンタイトルとして本作のダイジェスト(音声は英語によるナレーションのみ)が流れます。

このダイジェストは本作のもう一つのエンディングとも呼べるもので、ダイジェストどころかお話も変わってるし、新規カットも増し増し、しかも画風は本作に準拠しているという贅沢さ。

日本版のエンディングが好きな人には噴飯モノなんでしょうが、洋画のDVDの映像特典にある“もう一つのエンディング”程度に見れば意外に楽しめると思います。舞のその後も危なかったんだな…。

週イチでスーパーへ買い出しに行くんですがね。

そこでほぼ必ず見掛ける、俺ッチをイラッとさせる光景を提供する連中に対して言わせてくれ。

てまえどり、やれ!

 

パッと見で30~40代の女性、60代以上の男性に多いように思えるんですがね。

一度手に取ったものをジーッと凝視した上で納得行かないのか、奥の方から別の商品をほじくり出す客が、特にコロナ禍以降に目立って見えます。

こっちの売り場でも似たような真似をしている人がいるなーと思うと、さっきと同じ奴じゃん?みたいな(笑)。

 

生モノ=生鮮系の物なら、ある程度は仕方ないと思うんですよ。

例えば刺身や肉類は、色だけでなく筋やサシの分量が目に見えて違ったりもしますからね。

値引きシールが貼ってあるものを避けたくなる気持ちも、まぁ分かります。

 

…けどね、その際はなるべく手を触れず、まずは陳列されている状態で見比べろよと。

顔を近付けて見たり、それでも見えないなら虫眼鏡でも持って来いよと。

 

あと、棚に縦方向に陳列してある商品を奥の奥から取り出そうとする連中も、なかなかみっともない姿を晒していますよね。

手首どころか肘どころか、上腕まで腕を突っ込んで奥の商品を取り出そうとする姿って、カチンと来るのを通り越して呆れてものが言えません。

前進作業をしている店員よりも頑張っているように見えるよ(笑)。

 

スーパーでは消費期限が近い物から手前に並べるのが暗黙の(?)ルールですが、そもそものところ、一番手前と奥の物とで消費期限の違いなんて大して差がないんだから、どれを買っても変わんなくない?

奥の奥から取り出したものを買ったところで、ちゃんと期限内に食ってるのかよと(笑)。

 

って事で、政府がわざわざ

こんな啓発ポスターを作るって事は、まずは小市民の声があってからこそ。

主にスーパー(業界)から始まった、塵が積もって大きくなった問題です。

別に、国が言ってる事に従順になろうというつもりじゃないけど、どこのどいつかも知らない他人がしっかり触った物なんか買いたくないと思う客はお前だけじゃねぇんだという自覚は持っておきたいものです。

 

ちなみに俺ッチは、本に関しては絶対にてまえどりはやりません。