『機動戦士Zガンダム A New Translation 星を継ぐ者』を観ました。
人類が経験した最大規模の宇宙戦争から約10年が経過した、宇宙世紀0087年。
スペースコロニー、グリプスに侵入したクワトロは、ティターンズが密かに開発しているというガンダムMk-Ⅱと遭遇する。
時を同じく、ティターンズの士官とトラブルを起こしたカミーユが警察の尋問を受けていた際、飛行訓練中のガンダムMk-Ⅱが落着する。
そのどさくさに紛れ脱走したカミーユはガンダムMk-Ⅱを強奪、クワトロらと共にグリプスを脱出し、反地球連邦組織エゥーゴに身を寄せる。
両親の死や、幾多の戦闘の中でカミーユが見るものとは……といったお話。
ガンダムシリーズ第2弾『機動戦士Zガンダム』の、約30年ものスパンを空けた劇場版です。
副題として“A New Translation”=新訳というワードがある通り、TV版の再編集に新たなシーンを追加した形として3部作として公開されました。
ちなみにこの手法、実は初代『機動戦士ガンダム』の劇場版でも限りなく近い事をやっていたんですよね。
先頃、テレビ版『~ガンダム』を観終えたんですが、特に3作目=『~めぐりあい宇宙編』なんかはまさにそれで、単にテレビ版では目も当てられなかったカットを描き直しただけでなく、大同小異ながらストーリー展開の方にも変更が多々あるため、ほぼ別物として楽しめました。
本作の方はと言えば、追加シーンが多々あるものの、特にキャラ関連の新作画カットの絵柄がオリジナル版(=テレビ版)とは異なりすぎて、切り貼り感が色濃く出てしまっているのが本シリーズどころか、一編の映画として致命的な短所じゃないかと思います。
何しろ同一キャラが同一に見えなさすぎなんですよ。実写映画であれば、カット毎に俳優のメイクが違う感じです(笑)。
キャラクター作画監督の恩田尚之さんはテレビ版でも参加していた方ですが、あれから30年も経てば色々と手癖も付いてくるだろうから、当時の絵柄に寄せるのは難しい、もしくはできないのかなぁと…。
上手く言えませんが、そんな違和感も映像のダイナミズムというか、勢いに乗りながら観てみれば、そこまでストレスは感じません。カット割りや洗練された台詞のおかげってのもありますね。
この絵は綺麗だの汚いだのツッコみながらチマチマと一時停止なんかしないで、イッキに観終えろよというか。
レコアがクワトロにお尻を触られていた云々というやり取りのシーンは、チト意味不明に思った人って少なくないんじゃないかな? 俺ッチも、初めて観た時にはピンと来ませんでしたが…。
例えば会社で、同僚と無駄話をしているところへ上司がやって来た際、急に仕事の話をして取り繕う事ってあるじゃないですか? 俺ッチは、よくあるんですよ(笑)。
この時の状況を思い出しながら観てみれば腑に落ちると思うと同時に、アニメらしからぬ芝居をアニメに取り入れる富野由悠季さんの感性や着眼には、ただただ感服です。
…と、ここまで読んで、ロボットの話がサッパリ出て来ない、つまんねぇブログだなと思う方も多いでしょうが(笑)、オモチャに直結するキャラクターへの興味が失せてくるのは歳を取った証だなと思ってやって下さい…。
「今、ちょっとだけクゥエルが映ってた!」「こんな時期からネモが配備されているんだ?」なんて話は飽き飽きどころか、どうでもいいんです。
ただ、モビルスーツ戦という一般的な映画で言うところのアクションシーンで見せる細かい動き、特に新作画シーンにおけるそれらは目を凝らしてまで見る甲斐があると思います。
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俺ッチが買ったのは↑ですが、確実に再生させたいなら↑↑が良いと思います。
値段も大差はないし、日本語字幕が収録されているのが羨ましひ…。