※この記事は前編の続きです。

 

 

〇藤倉氏の記事
・西野氏の近大でのスピーチを取り上げ、時計のたとえ話を引用し、ツイッターで感動したという声を紹介した後、このたとえ話に否定的な声のツイートを紹介し、たとえ話への批判を展開。
 
 
・〈長針と短針が重なることがなぜ「報われる」ことに当たるのかが、全くわからない。放っておいても一定の間隔で2つの針が重なる時計を、定期的に「報われる」とは限らない人生に例える意味もわからない。現実とたとえ話の内容が全く対応していない内容だ。時計の針は、しょせんは歯車によって同じ場所をぐるぐる回らされる存在に過ぎない。時計を人生にたとえるなら、「歯車以下の存在であるお前らは、長針と短針が重なっただけの何の意味もない機会的な出来事を見て報われた気分になるくらいしかできなんだよ」という身も蓋もない話だってできる。どうとでも言えるということは、つまり何も言っていないということだ〉と指摘。

・たとえ話の内容のなさを表現する目的で<このスピーチのせいで、筆者の知り合いの宗教社会学者が〈時計の長針において「報われる」とは何か〉について24時間も考え込んでしまったという。長針と短針が重なると「報われる」なら、この研究者は考え込んでいる間に22回も「報われた」はずなのだが>と知人の話を紹介。
 
・〈スピーチの映像を見て分かる通り、芸人ならではの流暢で明確なしゃべり口調で、雰囲気的な説得力はある。しかし実際に語られている内容は意味不明。「いい話」風に語ることで、雰囲気を成立させているだけのことだ〉と西野氏のスピーチを批判。
 
・藤倉氏はマルチ商法やカルト組織でのマインドコントロールの実態を現地ルポした経験を積んでおり、それらの経験を踏まえて〈物事を、現実に対応しないたとえ話によって抽象化して、「必ず報われる」という根拠のない話に説得力を与える。これがまさに「マルチ商法」の動機づけや成功哲学と同じなのだ〉と述べ、西野氏のたとえ話とマルチ商法の類似性を指摘している。
 
・〈誰しも本来、能力や可能性がある。正しく努力すれば必ず報われる。このポジティブな精神論は、裏返せば「報われないのは、お前自身が間違っているから」という「心の自己責任論」だ。「必ず報われる」という動かぬ前提。現実に対応しない抽象的なすり替えの「たとえ話」。西野氏のスピーチは、こうした自己啓発的な思想や「心の自己責任論」そのものと言っていい〉と述べ、西野氏の時計のたとえ話が結果的に心の自己責任論に結びつく危険性を孕んでいることを総括している。
 
・しかし、藤倉氏は西野氏のプレゼン力の高さを評価し、〈現時点で言えるのは、西野氏は雰囲気的に「やる気」を出させる適当な与太話をした(それがたまたまなのか、マルチ商法や自己啓発ビジネスによくある類いだった)というだけ。それ自体を悪いとかやめろと言うのは無理がある〉と西野氏に悪意はなかっただろうとも述べている。
 
・〈大学の卒業式とは、こういうものが跋扈する世界にこれから放り出されようとしている人々が多く集まる場だ。「いい話」風なものに流されないようにしましょうと卒業生に注意喚起するなら、わかる。しかし近大はその逆。与太話にBGMまでつけてYouTubeに動画をアップしている。完全に自らが西野スピーチを「いい話」として演出している。大学は教育や研究を目的とする機関であって、不合理な「感動」を売り物にする商売ではないはずだ。近大を卒業した学生たちが、与太話を真に受けないだけの批判意識や思考力を持ったオトナであることを祈るばかりだ〉と総括し、近畿大学に「西野氏を卒業式に呼ぶ意義はあったのか」と疑問提起している。
 
・この記事はヤフーニュースに転載された。ヤフーニュースの読者のコメント欄
 
 
 

〇藤倉氏の記事を揶揄した西野氏のブログの記事
・タイトルは「 『ハーバービジネスオンライン』の危うさ。問われる扶桑社の良識。 」
 
・<「近畿大学のスピーチ見ましたよー。感動しましたー!」という声をたくさんいただいております。
一方で、ここ数日、「死ね!」「死刑だ!」という怖いコメントがTwitterのタイムラインに流れてきて、「楽しくなければテレビじゃない」で育った身(フジテレビっ子)として、とても震えています。
>と冒頭部にある。
→そこそこ知名度がある有名人の場合、程度の差こそあれ匿名のネット民から「死ね」などの誹謗中傷を受けてしまうというのは有名な話である。西野氏に否定的な意見を持っているからと言ってそのような誹謗中傷をネット上で書き込んではならない。この件に関して西野氏が震えているというのは当然であろう。
 
・その文章の直後に二つのツイートが引用されている。ゆぅさんのツイートZawaZawaさんのツイート。その二つのツイートはいずれも西野氏に好意的な内容である。
 
・<「それにしても、やたら回ってくるなぁ」と思ったら、どうやら『ハーバービジネスオンライン』というニュースサイトでネガティブ記事になっていたみたいです。コチラです→https://hbol.jp/191318
この記事の投稿者は藤倉善郎という方で、プロフィールを見ると、「やや日刊カルト新聞総裁」とあります。なんだか、怖そうです>と藤倉氏の記事を載せ、藤倉氏への揶揄を開始。
 
・藤倉氏は「やや日刊カルト新聞」というサイトのトップを務めている。このサイトは現実社会に蔓延っているカルトに関する情報を藤倉氏らが整理している新聞風のウェブサイトであり、ほぼ毎日といっていいペースで更新されていることから「やや日刊」というワードが付いている。つまり、オカルト本のような内容のものではない。しかし、やや日刊カルト新聞という固有名詞は藤倉氏について何も知らない多くの方にとっては語感的に(なんか怖そうな名前の新聞だな)と感じさせかねないものではある。事実、私もその固有名詞を初めて聞いたとき、(なんかあやしげな新聞なのかな?)と先入観で感じてしまった。私は西野氏は<「やや日刊カルト新聞総裁」とあります。なんだか、怖そうです>と書くことによってブログ読者に「藤倉って危ないやつっぽい」というイメージを与えようとしているのかもなと感じた。
 
 
・<「11時台は時計の針が重ならない(=鐘が鳴る前は報われない時間がありますよ)」という僕のスピーチを受けて、『ハーバービジネスオンライン』の記事には、こうあります。
====
このスピーチのせいで、筆者の知り合いの宗教社会学者が〈時計の長針において「報われる」とは何か〉について24時間も考え込んでしまったという。長針と短針が重なると「報われる」なら、この研究者は考え込んでいる間に23回も「報われた」はずなのだが。
====
どうやら、藤倉さんのお知り合いの宗教社会学者さんが、「たとえ話」を真に受けて、24時間も考え込まれたらしいのです(暇なの?)。
<長針と短針が重なると「報われる」なら、この研究者は考え込んでいる間に23回も「報われた」はずなのだが。>とありますが、針が重ならない11時は1日に2回あるので(午前と午後ね)、24時間のうちに時計の針が重なるのは23回じゃなくて22回なので、宗教社会学を勉強する前に、算数(さんすう)を勉強された方がいいと思います。その学力のまま、宗教社会学を学ばれるのはあまりにも効率が悪いので、シンプルに心配です
>と続き、「1年生のたしざん」という小学一年生向けの算数ドリルのアマゾンのリンクが載っている。
おそらく西野氏はブログ読者に「藤倉氏は小学一年生レベルの算数すらできない阿呆だ」というイメージをもたせたいのであろう。
 
 
・何故かハーバーオンラインは23→22と後に書き換えているが、スタート時の0時0分を一回目とカウントするかしないかの違いであり、23回と書いたとしても少なくともミスではないと私は考える。「宗教社会学を勉強する前に、算数(さんすう)を勉強された方がいいと思います。その学力のまま、宗教社会学を学ばれるのはあまりにも効率が悪いので、シンプルに心配です。」と書くのは批判ではなくただの暴言に近いといえる。
 
 
・<もちろん、宗教社会学の知り合いなんてそもそも存在しなくて、今話題のニュースにのっかって、アクセス数と小銭を稼ぐことを目的とした藤倉善郎さんの作り話だと思うのですが、気になるのは、この記事をアップした『ハーバービジネスオンライン』さんです。
→藤倉氏はいい話風のトークで金儲けを謀る悪徳組織の危険性を指摘するためにあの記事を書いたと考えられる。それを「アクセス数と小銭を稼ぐことを目的とした」と決めつけるのは藤倉氏への名誉棄損に当たる。そもそも何故「宗教社会学の知り合いなんてそもそも存在しなくて、今話題のニュースにのっかって、アクセス数と小銭を稼ぐことを目的とした藤倉善郎さんの作り話」という西野氏の発想が「もちろん」なのか自体が不明である。別に西野氏が勝手にそう思いこむ分には構わないが、そう考えた根拠がブログのどこにも書かれておらず、結果的にこの文章はただの「根拠なき決めつけ」となってしまっている。
 
 
・その後、西野氏は<気になったので調べてみると、「扶桑社が運営するニュースサイト」とあります。なんと、出版社の公式サイトなんですね(メモメモ)。
コバンザメ記事で小銭を稼ぐ糞メディアは昔からあったので、べつにどうってことありませんが、出版社の公式ニュースサイトなると、信用問題に関わります。
出版社となると、もしかすると、今後、お仕事でご一緒する機会もあるかもしれないので、ちゃんと調べておいた方が良さそうです。
というわけで、扶桑社さんが運営する『ハーバービジネスオンライン』の評判を調べてみたところ、最初に、こんな記事が出てまいりました。

https://togetter.com//li/1153090 
記事を要約すると『ハーバービジネスオンライン』のライターさんが、Twitterで「死ね!」や「知恵遅れ!」というコメントを連発されて(怖いってば!)、アカウントが凍結しちゃったことを受けて、まさかまさか、扶桑社さんがTwitter社に正式抗議をしたというのです。
正気かよ((( ;゚Д゚)))
 >と扶桑社への批判を展開。
→「コバンザメ記事で小銭を稼ぐ糞メディア」というあまりにも品のない悪態が書かれている。西野氏は扶桑社について調べるためにインターネットを活用したようだが、「扶桑社」と検索してたまたま一番上に表示されたサイトに、不祥事といえるような内容の情報を発見し、「扶桑社は怖い会社だ!」と判断したと読み取れる。ある企業の質をネット検索の一番上の記事の内容で判断するというのは安直すぎるといえる。因みにさきほど「フジテレビっ子」というワードが出てきたが、フジテレビと扶桑社は同じグループ会社である。西野氏は記事で「扶桑社さんはフジテレビの子会社なんですね。」と書いているが、その事実を知っておきながら何故無神経に「自分はフジテレビっ子として震えています」と言えてしまうか不思議でならない。
 
 
・その下では、ハーバーオンラインが<「『知恵遅れ』や『死ね』は、お前みたいな奴には言ってもいい」by 扶桑社(代表=久保田栄一)>と公式ツイッターで回答したという扶桑社の不祥事について書かれている。<言葉を扱うプロとして、お客様に対して「死ね」や「知恵遅れ」という言葉を選んでしまう出版社の姿勢は僕は賛成できないので、扶桑社さんとは金輪際お仕事をご一緒しないことに決めました。だって、怖いもん(>_<)なので、僕のマネージャーさんは、僕に確認をとるまでもなく、扶桑社さん絡みのお仕事は全て断っておいてください。よろ。以上、「『ハーバー・ビジネス・オンライン』の危うさ。問われる扶桑社の良識」でした>と、西野氏はブログの記事を結んでいる。
→言葉のプロを自称する西野氏がビジネスをする上でどの出版社選ぶかは西野氏が決めることである。西野氏が扶桑社と仕事をしたくないのならそうすればいいだけのことで、この点について西野氏に落ち度はない。
ただ、個人的に、扶桑社が運営するサイトの一つであるハーバーオンラインのスタッフの一部署の中の一人が「死ね、知恵遅れはお前みたいな奴には言ってもいい」とやや乱暴な公式ツイートをしたという出来事を「こんな公式見解を出す出版社、絶対に嫌だよ!カルトすぎるよ(>_<)」と感じたというのはかなり大袈裟な反応だと思えてしまった。
執筆業は売れるときと売れないときのギャップが著しく激しい業界である。西野氏のようにアニメ、絵本など多角的にビジネス・プロジェクトを展開していくのならなおさらである。どんな出来事が起こるかは今後にならないとわからない。
そうであるにもかかわらず、自分から「かなり大手の出版社とのビジネスに関する可能性」を捨て去ってしまうというのはあまりにも短絡的すぎると思った。
 
 
・藤倉氏の記事を揶揄した「西野氏のブログの記事」は西野氏の手によるコンテンツの広告がかなり多め。ちょくちょく西野作の書籍・絵本のアマゾンのページのリンクが文章の間に添えられている。
 
 
 
 

〇藤倉氏の記事を揶揄した「西野氏のブログの記事」に対する私見と全体を通して思ったこと
・西野氏のスピーチと、藤倉氏の記事を揶揄した「西野氏のブログの記事」を分析して感じたのは「西野氏はフィーリングを重視している人」なのかもなということである。「時計の長針と短針が重なること→何となく素敵な感じがする→良いこと→努力が報われること」という連想が時計のたとえ話の背後にはあったのではないかと推測している。
 
 
・藤倉氏の記事を揶揄した西野氏のブログの記事についてだが、西野氏は藤倉氏の記事について表面的な部分しか扱っていない。藤倉氏はハーバーオンラインのあの記事を通して、以下の5点を伝えたかったのだと考えられる。
 
(1)西野氏の時計のたとえ話は一見いい話風だが、現実と全く対応しておらず、中身のないものであること。
(2)西野氏の時計のたとえ話はカルト組織やマルチ悪徳団体で悪用されているたとえ話と類似していること。
(3)それらのたとえ話は「報われないのは、お前自身が間違っているから」という「心の自己責任論」につながってしまうこと。
(4)西野氏のスピーチは芸人ならではの流暢で明確なしゃべり口調で、雰囲気的な説得力があるものの、実際に語られている内容は意味不明であり、「いい話」風に語ることで、雰囲気を成立させているだけであること。
(5)大学は教育や研究を目的とする機関であって、不合理な「感動」を売り物にする商売ではないはずなのに、近畿大学は西野氏を卒業式にゲストとして呼び、彼の与太話にBGMまでつけてYouTubeに動画をアップしており、完全に自ら進んで西野スピーチを「いい話」として演出していることに対する近畿大学への懸念。
 
 
・しかし、西野氏はブログで(1)~(5)のいずれにも触れず、ただ表面的に藤倉氏の記事を扱っているだけであった。西野氏のブログの記事は藤倉氏への反論になっておらず、ただの見下しや揶揄となってしまっている。西野氏のブログの記事を読んで西野氏の浅はかさを感じ取った方は少なくないのではないだろうか。
 
・西野氏がブログで(1)~(5)のいずれにも触れていなかったのは自分を呼んでくれた近畿大学を庇うためなのかもなとも思った。
 
・今回の話とは直には関係ないが、「議論で絶対に論破されない方法の一つは相手の批判をまともに扱わないこと」なのではないかと感じた。
 

〇リンク

http://web.archive.org/web/20190516004745/https://news.nifty.com/article/domestic/society/12267-260440/

https://ameblo.jp/nishino-akihiro/entry-12449260616.html

https://ameblo.jp/nishino-akihiro/entry-12449261043.html

https://ameblo.jp/nishino-akihiro/entry-12449261117.html

https://ameblo.jp/nishino-akihiro/entry-12458638623.html

 

 

 

〇西野氏スピーチの背景

・漫才コンビ「キングコング」の西野亮廣氏は近畿大学の2019年度の卒業式に招かれ、15分ほどのスピーチを行った。近畿大学はYouTube上の公式チャンネルに「キンコン西野 伝説のスピーチ 」として投稿した。

・西野氏のスピーチの後半に時計というワードが出てきたため「西野時計スピーチ」などと呼ばれている。

・西野氏のスピーチには「感動した」などの評価の声が上がった一方、批判する声もみられる。

・ジャーナリストの藤倉善郎氏が彼のスピーチを懸念視する記事をハーバーオンラインに掲載し、彼にスピーチの場を提供した近畿大学に問題提起を行った。

・西野氏は藤倉氏の記事を揶揄し、今後ハーバーオンラインとその運営会社である扶桑社と仕事をしないことを表明するブログを公開。

・スピーチのタイトルは「世の中に失敗など存在しない」 (2019年3月23日講演)

・この記事では西野氏のスピーチの分析をした上で藤倉氏の記事を分析する。藤倉氏の記事を揶揄した西野氏のブログを分析し、最後に双方の主張に関して総括を行う。

 

〇西野時計スピーチに対する分析

・スピーチは「皆さんはこれから社会に出られるわけですけども、社会に出たらコミュニケーションというものが、より大切になってくることは想像に難くないと思います。んでもって、コミュニケーションの鍵は・・・もうお分かりだと思います」という冒頭部で始まる。当然のことながら、大学の卒業式での大学側のメッセージは卒業を迎える生徒たちに今後ためになることを伝えることにある。この冒頭部は可もなく不可もなくといった内容で特に問題のない無難な内容といえる。

(以下、西野氏のスピーチの原文とそれに対する私見を添えていく)

 

「でね、今、僕が出る前にオープニング映像が流れました。
もう『スーパースターが出てくるぞ!』といった雰囲気たっぷりの煽り映像です。
あの映像を作られた方が、映像終了後に求めているものは『スーパースターの登場』で、
私は、自分がスーパースターでないことは百も承知ですが、でも、そこは社会人として大切なコミュニケーションです。私、それはそれは皆様に申し訳ないと思いながらも、スーパースターのごとく、堂々と舞台袖から出てきましたよ。」
→コミュニケーションが大事だという主張はあまりにも陳腐だが、この部分に関して特に問題があるわけではない。
この部分で西野氏は自分を全力でアピールしている。
 
「スーパースターが出てくるような映像が流れ、スーパースターのような振る舞いで西野が登場し、そして、あなた方は……パラパラの拍手を送った。それでいいのか?という話です。あなた方には二つの選択肢があった。
1つは、キングコング西野をパラパラの拍手で迎える。もう1つは、男は野太い声を出し、女は黄色い声を上げ、大歓声でキングコング西野を迎える。どちらでも構いません。皆さんの人生ですから、皆さんの好きなようにされるのがいいと思います。
あ、もう一点。
もう間もなく…あと10分~15分ほどで皆さんの大学生活が本当に終わってしまうのですが、このまま静かに座って終わらせてしまうのか、それとも、最後にバカをして終わるのか?」
→ビジネス界では二択縛りという心理テクニックがある。このテクニックは本来は複数の(少なくとも三つ以上の)取りうる選択肢が有るにも拘らず、「君にはAかBかという二つの選択肢がある」と相手に告げ、さりげなくAかBかのうち自分が相手にしてほしい選択肢でない方にネガティブな印象を与え、消去法的に自分が相手にしてほしいことを相手にさせる手法である。この場合、西野氏は「キングコング西野をパラパラの拍手で迎える」or「大歓声でキングコング西野を迎える」という二択縛りをしている。
 この状況においては西野氏のいう二つの選択肢以外に「西野氏の話を聞かずに卒業式の席を立ち去る」や、「寝始める」や、「全く拍手せず式場をしーんとさせる」などの複数の選択肢がある。しかし西野氏は二択縛りを卒業生たちにすることによって彼らが大歓声でキングコング西野を迎える」のを誘導している。
 また「あなた方には二つの選択肢があった。」という表現にも問題がある。一般に「選択肢があった」という表現は一種の暗喩である。なぜなら選択肢とは事前に提示されるものだからである。例えば「この問題にはア~オの五つの選択肢があったが、多くの受験生はイと解答した」というように。この例文で「選択肢があった」という表現が使用されているのは受験生が解答用紙にア~オのうちのどれかの記号を書く前の段階で五つの選択肢が事前に提示されているからである。
 一方、近大の卒業生の場合、当然のことながら事前に「キングコング西野をパラパラの拍手で迎える」or「大歓声でキングコング西野を迎える」という選択肢が彼らに提示されているわけではない。にも拘らず、「二つの選択肢があった」という表現を使うことによって西野氏は彼らに「事前に『キングコング西野をパラパラの拍手で迎えるor大歓声でキングコング西野を迎える』という二つの選択肢が提示されており、自分らはキングコング西野をパラパラの拍手で迎えるという選択をしたかのような錯覚」を想起させたともいえる。
 そのイメージ操作を西野氏が意図的にしていたのかそれとも意図していた訳ではなかったのかは私にはわからない。
 
 
「誰かが世界を変えてくれるのを待つのか、それとも自分で世界を変えるのか?
念のため、もう一度言いますね。あなた方には二つの選択肢がある。
パラパラの拍手でキングコング西野を迎えるのか、それとも、割れんばかりの大歓声でキングコング西野を迎えるのか?」
→「キングコング西野をパラパラの拍手で迎えるor大歓声でキングコング西野を迎える」という二択がなぜ「誰かが世界を変えてくれるのを待つのか、それとも自分で世界を変えるのか?」という二択に繋がるのかを論理的に説明するのは困難だといわざるを得ない。もしあなたの知人が壇上の男をパラパラの拍手で迎えることを「誰かが世界を変えてくれるのを待つ」と表現していたら、あなたは知人の精神状態が心配になるであろう。「あなた方には二つの選択肢がある」という表現はあまりにも露骨な二択縛りだと感じられる。
 
 
「決めるのは、あなた方です。
というわけで、ゲストスピーカーの登場……やり直しです」
→「AかBか決めるのはあなた次第さ」というセリフは二択縛りの際に多用される表現である。
 
「まあ、いろいろありまして、こうして僕なんかがスピーチを頼まれたわけですけども、本題に入る前に自分が何者なのかをお話しした方が良さそうですね。話します。
紹介映像にもありましたが、2~3年前に『えんとつ町のプペル』という作品を発表しまして、これが結構売れて、映画化が決定して、今、その映画を作っているところです」
→自己紹介を始める前に「本題に入る前に自分が何者なのかをお話しした方が良さそうですね。話します。」と自分が自己紹介を始めるサインを卒業生に提示している。このようなサインはスピーチのわかりやすさに良い影響を与える。
 
「んでもって、自分は『ディズニーを超える』とか何とか言ってまして、今のところスタッフの皆様からは反対をくらっているのですが、この映画『えんとつ町のプペル』の公開を、ディズニーの新作アニメの公開の真裏にぶつけて、観客動員数で勝とうと思っています。
そこで、ディズニー映画が一体どれぐらいヒットしているのかを知りたくて、ディズニー映画の収支表のようなものを見たら…あの人達、メチャクチャ売れてるんです。」
→西野氏は「ヒット」、「収支表」というワードに言及していることからアニメ制作に関して商業性を重視しているようである。
 
 
「皆さん、ご存知ですよね? 『ベイマックス』とか、『アナと雪の女王』とか。僕は来年、ここに挑まなきゃいけないのかと思うと、膝がブルブル震えてきたんですけども、ずっと、その表を見ているうちに、ディズニー作品の弱点に、ついに気がついたんです。それは…なので、ディズニーがジャングル系の作品を出してきたら、『そろそろ西野が出てくる』と思っていただけると助かります。
そういうセコいやり方で、ディズニーに挑もうと思っております」
→卒業式のスピーチにおいては『ファウスト』、過去の偉人の名言、聖書、漢籍などの古典的教養を引用する演説者が目立つ。それらの古典はtimelessであり、卒業式という場で言及するに値する中身を持つだろう。だが、かなしいことに近畿大学というそれなりの知的水準の大学の卒業生であってもそれらの古典にノータッチの者が少なくない。それらの者に古典を引用した文章を語っても、彼らがその話に興味を持つことはまれだといえるのではないだろうか。一方の西野氏は『ベイマックス』、『アナと雪の女王』など十代、二十代の若者であれば必ず知っている身近な固有名詞をスピーチで多用している。キャッチャー性でいえば、古典の引用が目立つ典型的な演説者よりも西野氏の方が遥かに優れている。
 
「ここまでは、チームの自己紹介です。そして、ここからが個人の自己紹介になるわけですが…好感度は低めです。
街中で『キングコング西野さんですよね?』と声をかけられたので、『あ~、どうもどうも』と手を差しのべると、『大丈夫』と断られたりします。
声をかけられて、フラれたりします。つらいです」
→西野氏のスピーチは「作品を発表しまして、これが結構売れて…」というアピール性と先ほどの「セコい」などにもみられるような自虐性の二面性が見られる。日本ではアメリカ社会のような過度の自己アピールは避けられる風土があるため、「フラれたりしてつらい」といったさりげない自虐表現をところどころに混ぜているのではないかと感じた。
 
「相方は・・・大事故です。酷い有り様でした、ホント。
で、このままフザけた話を続けたいところなのですが、そろそろ先生方に怒られそうなので、ここから、イイ感じの話をします…」
→相方へのいじりやコミカルな体験談がかなり長い時間をかけて語られている。この笑い話は卒業生に受けたようである。15分という時間は特に話すべきポイントがない場合、どうしても時間が余ってしまいがちとなる。また、最初の方は興味津々な態度だった卒業生が時間の経過とともに退屈そうな姿勢に変わってしまう恐れもある。そこで、ぼーとしていても頭に入ってくる軽めの話を途中の長い時間をかけて話すという手法はスピーチ全体を聞いてもらうための有益な技巧の一つといえる。「このままフザけた話を続けたいところなのですが、そろそろ先生方に怒られそうなので、ここから、イイ感じの話をします…」という話の流れのサインをここでも提示している。このような話の流れのサインの提示はスピーチを分かりやすくしてくれる。この部分でも「フザけた」や「イイ感じ」といった自虐的な表現を使っており、「なんか笑い話長いなあ。そろそろ卒業式らしい話してくれよ」と感じている堅実な観客(近大関係者の一部や生真面目な保護者など)も想定していることが窺える。
 
 
 
「想像してください。
僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできません。
そうでしょ? 『10年後の未来を、今、この瞬間に変えて』と言われても、ちょっと難しい。
でも、僕たちは過去を変えることはできる。
 
たとえば、卒業式の登場に失敗した過去だったり、
たとえば、好感度が低い過去だったり、
たとえば、アホな相方を持ってしまった過去だったり、
たとえば、友達と一緒に恥をかいてしまった過去だったり。
 
そういった過去を、たとえば僕の場合ならネタにしてしまえば、あのネガティブだった過去が俄然、輝き出すわけです。
 
『登場に失敗して良かったな』と思えるし、
『嫌われていて良かったな』と思えるし、
『相方がバカで良かったな』と思えるし、
『友達と一緒に恥をかいて良かったな』と思える。
 
僕たちは今この瞬間に未来を変えることはできないけれど、過去を変えることはできる」
→西野氏は話のまとめ方が巧みに感じられる。以上の四つの内容は全てスピーチで前述していた事柄なのである。
これをきいた卒業生は「なんかその話、さっききいた!」と感じたであろう。卒業生は前きいた話と今聞いている話がつながっていると実感でき、西野氏のスピーチがもやもや感のない清々しいものに感じられただろう。
 ただ、ここでも西野氏に特徴的な論理の飛躍が見られる。「過去を変えることはできる」と西野氏は強調するが、確かに過去の出来事に対する自分の解釈・評価が変わるということは現実にありうることである。しかし、当然のことながら過去の出来事自体は変えることなど出来ない。西野スピーチでの例を挙げると、アホな相方を持ってしまったという事実に対して「以前はネガティブな感想を持っていたのが、今ではポジティヴな感想を持つようになった」と感じるようになることは現実に起こりうることである。しかし、アホな相方を持ってしまったという事実を変えることは出来ない。ネガティブな過去を自分の意志でポジティブなものに変えることは不可能に近いのではないだろうか。「過去を変えることはできる」という表現は「過去の出来事に対する自分の解釈・評価は工夫・心がけによって変えられることもある」という意味としてのみ整合性を持ちうる。
 
 
「これから皆さんは社会に出ます。
様々な挑戦の末、
最高の仲間に出会えることもあるでしょうし、
最高のパートナーに巡り会えることもあるでしょうし、
最高の景色に立ち会うこともあるでしょう。
 
一方で、涙する夜もあるし、
挫折もあるし、
傷を背負うし、
言われのないバッシングを浴びることもあるでしょう。
挑戦には、そういったネガティブな結果は必ずついてまわります。
でも、大丈夫。
そういったネガティブな結果は、まもなく過去になり、そして僕らは過去を変えることができる。
失敗した瞬間に辞めてしまうから失敗が存在するわけで、
失敗を受け入れて、
過去をアップデートし、
試行錯誤を繰り返して、
成功に辿りついた時、
あの日の失敗が必要であったことを僕らは知ります。
つまり、理論上、この世界に失敗なんて存在しないわけです。
このことを受けて、僕から皆さんに贈りたい言葉は一つだけです。挑戦してください。
小さな挑戦から、世界中に鼻で笑われてしまうような挑戦まで。
皆さんにはたくさんの時間があるので、たくさん挑戦してください」
→この話を聞いた卒業生の大半は「自分に西野がエールを贈ってくれてる」と素朴に感じたのではないだろうか。だが、私はこの部分に対して疑問点を感じた。「でも、大丈夫。そういったネガティブな結果は、まもなく過去になり、そして僕らは過去を変えることができる。」とあるが、現実世界においてはネガティブな結果が長期にわたることも少なくない。「そういったネガティブな結果がまもなく過去になる」とは全然限らないのである。また、「僕らは過去を変えることができる」と再度主張するが、ネガティブな過去を自分の意志でポジティブなものに変えることは現実的だといいがたい。東日本大震災で家族を失い、悲痛な表情を浮かべている被災者に「僕らは過去を変えることができる。さあ、家族を失ったというネガティブな過去をポジティブなものに変えよう!」と語りかけることができる者などいるのだろうか?現実世界においては自己のネガティブな過去に打ち勝つことができず、自殺という道を選んでしまう者も少なくない。自殺者が世間で相次いでいるという事実を知っている私は、「僕らは過去を変えることができる」と楽天的にいえてしまう西野氏のマインドに違和感を持つ。
 ちなみに「たくさん挑戦して下さい」というメッセージはありがちなものであり、典型的かつ類型的に感じられた。
 
 
「一応、絵本作家もやっているので、最後は絵本の話でまとめます。
今、『チックタック  約束の時計台』という絵本を作っています。時計を舞台にした物語です」
→「最後は」というのも話のサインである。スピーチが終盤の方に差し掛かっても、西野氏は全体の流れに注意を払って話している。
 
「時計の針って面白くて、長針と短針が約1時間ごとに重なるんです。1時5分頃に重なって、2時10分頃に重なって…毎時重なるんですけど、でも、11時台だけは重ならないんです。短針が逃げきっちゃう。二つの針が再び重なるのは12時。
鐘が鳴る時です。何が言いたいかと言うと、『鐘が鳴る前は報われない時間がありますよ』です。
僕にもありましたし、皆さんにも必ずあります。人生における11時台が。
でも大丈夫。時計の針は必ず重なるから。だから、挑戦してください。応援しています。頑張ってください。
僕は、少し先で待っています。いつか一緒にお酒を呑みましょう。」
→この時計のたとえ話は後に賛否を巻き起こすこととなる。「僕は、少し先で待っています」という部分をみて、私は西野氏は「自分はお前ら卒業生よりも少し先にいるんだぜ」という意識を持っているのではないかと感じた。
 
 
「卒業生の皆様、御家族の皆様。本日は、本当におめでとうございます。キングコング西野亮廣でした」

→特に問題のない締めの言葉。

 

 

後編につづく

〇構成

・『週刊少年ジャンプ』1999年34号 - 2000年11号に掲載。

・一部の読者からは高い評価を得るが、万人受けしなかったため27話で打ち切り(当時のジャンプは10週で打ち切られる連載作品がかなり多かったことを踏まえれば、それなりの人気・需要が連載当時あったともいえる)。

・話数はTrackと表示されている。ただし、最終話(第27話)だけtrack for cut downと表示されている(cut downは「打ち切り」という意味ではないだろうか)。

・単行本では「表紙→作者のコメントと写真→巻頭ポエム→あらすじとキャラクター紹介(1巻は無し)→目次→漫画本編(途中でキャラクターのラフ画や解説が挟まれることもある)→読み切り作品(1巻は無し)→出版した年月日などが書かれたページ」という構成になっている。

・最終巻の4巻ではextra poemが載っている。これは単行本書き下ろしである。

 

 

 

〇作風

・描きこみ量は少なめ。『ONEPIECE』(新世界編)などの作品とは対照的。

・『トライガン』という漫画に絵柄の面で影響を受けているという説がある。

・全体的に洋楽のムードが漂っている。おまけのコーナーもDemo TypeやB-sideやBonus Trackといった音楽用語が使われている。

・一部の読者からは後付け設定が目立つ漫画と批判されているが、大半の読者が作中の伏線に気づかないまま読み進めてしまいがちなだけで、実際は伏線がしっかりしている漫画である。ただし打ち切りということもあり、作中で提示された謎は一部が回収されずに連載が終了している。

 

 

 

〇参考資料(単行本全四巻)

ゾンビパウダー解説 第一巻

ゾンビパウダー解説 第二巻

ゾンビパウダー解説 第三巻

ゾンビパウダー解説 第四巻

 

 

 

〇関連情報

ZOMBIEPOWDER.

・Wikipedia「ZOMBIEPOWDER.

久保帯人事件

ゾンビパウダー連載時の久保のジャンプ巻末コメント

 

 

 

〇20世紀末期の2chリンク(匿名掲示板の情報であるため信憑性は不明)

ゾンビパウダーは

 

・ミラーサイト「厨房作家・久保帯人の日記コーナー」(元のリンク

 

新連載も間近!厨房作家久保帯人withゾンビパウダー♪

 

久保帯人を賞賛するページ

 

●▲◆ゾンビパウダー復活希望ーーーー (続き)

 

輝ける明日へ「ゾンビパウダー」

 

 

648 :名無しんぼ@お腹いっぱい:2001/06/08(金) 04:17
2001/06/01(金) 21:08:19 レオニッキー伯爵
タイトル パピリオ・プロテノール。
今日の気分 伯爵の「試験に出るマメ知識」

「地獄蝶」というのを知っていますか。

黒揚羽の異称で、現世と冥府とを繋ぐ道が開いたとき、その周りを飛び、
死者の魂を冥府に引きずり込むと言われています。

そんなわけで、アサダさんに「資料として昆虫図鑑が欲しい」と言った
ところ、注文していないその他の色んな図鑑も届きました。
その中には「大昔の動物」という、ショコラが大喜びしそうな代物も。

いいだろ。ショコラ。やらねえぞ。

あと、体調悪い。カラ咳カラ咳。

誰かいい咳の止め方とか知りませんか。
 
 
 
837 :名無しさんのレスが読めるのは2chだけ!:2001/08/16(木) 23:57
逝くならこっちの方がいいでしょ。
↓久保が家族ぐるみで盛り上がってるサイト
http://isweb26.infoseek.co.jp/play/choco719/t-top.htm

レオニッキー伯爵=久保帯人(一応漫画家、しかし真性厨房としての評価の方が高い)
木綿子(ゆうこ)=松原木綿子(久保帯人の彼女、美容師)
マコビノフ(裏「たいがいにせぇよネットワーク」管理人)
=ショコラ(表「choco-Laboratry」管理人、メガネ君好き)
=松原真琴(木綿子の妹)
No-Qun=のーくん(久保の弟、メガネ君、久保・松原家の家族ぐるみの関係が噂される at 2ch)
ブラッディ・ユキ=「わさび入りヨーグルト」管理人ミカミカの妹
ろみぃ☆みさいる=久保キャラ人気投票で一部人気のサイト「DDD」管理人の春雪美沙(ハルキミサ)

 

〇プロジェクトの目的

日本を代表する漫画家兼詩人である久保帯人の長編デビュー作『ZOMBIEPOWDER』は完成度の高い漫画作品であるのにも拘らず、世間での知名度が高いとはいえない状況である。私はこのプロジェクト(計画)を通して本作の魅力を世界中の人々に伝えていきたいと願っている。

 

 

〇解説記事

ゾンビパウダー概論と参考資料

久保帯人の歩み

・Volume 1  2  3  4

・Track 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10  11  12  13  14  15  16  17  18  19  20  21  22  23  24  25  26  track for cut down

・番外編「zombiepowdersnow

extra poem

・読切作品「ULTRA UNHOLY HEARTED MACHINE」、「刻魔師 麗」、「BAD SHIELD UNITED」の解説

 

 

〇関連記事

ゆっくりジャンプ打ち切り漫画レビュー『ゾンビパウダー』のレビュー

 

 

※解説記事の概要

・底本は単行本全4巻を参照とする。解説記事では単行本の一部のページが引用されている。

・全27話と挿話(巻頭ポエム、キャラクター紹介のページ等、単行本全4巻の全ての内容)を総括的に解説。

・読切作品「ULTRA UNHOLY HEARTED MACHINE」、「刻魔師 麗」、「BAD SHIELD UNITED」も解説。

・作中のストーリーの解説を中心に考察やゾンビパウダー以外の久保帯人作品に関しても言及。

・解説の対象はストーリー、キャラクター描写、台詞の分析、作者である久保帯人に関する分析など多岐に及ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〇予告

新元号記念 ゾンビパウダー全話解説プロジェクト予告

予告通りゾンビパウダー解説の記事をまもなく公開していきます

間もなく終わりを迎えつつある平成に際して

令和初日を祝して

〇挨拶

本日、新天皇陛下と雅子様が天皇と皇后に即位されましたことをお祝い申し上げます。

新時代令和の初日となる本日より、原則毎日一話、最低でも毎月一話ずつゾンビパウダーの解説記事を書いていきます。

 

〇解説記事の概要(草稿)

・全27話と挿話(巻頭ポエム、キャラクター紹介のページ等、単行本全4巻の全ての内容)を総括的に解説。

・読切作品「ULTRA UNHOLY HEARTED MACHINE」、「刻魔師 麗」、「BAD SHIELD UNITED」も解説。

・作中のストーリーの解説を中心に考察やゾンビパウダー以外の久保帯人作品に関しても言及。

・解説の対象はストーリー、キャラクター描写、台詞の分析、作者である久保帯人に関する分析など多岐に及ぶ。

 

 

令和元年五月より、当ブログを通して芸術活動を本格的に始動していくA倉R郎です。

 

明日より、予告通り、ゾンビパウダー解説記事を公開していきます。

 

 

 

お疲れさまでした、今上天皇。

 

来月一日から新元号「令和」が始まるのを記念して、久保帯人初期の代表作『ZOMBIEPOWDER』の全話(全27話)を解説する記事を来月一日より公開することを決定します。

 

 

読切作品「ULTRA UNHOLY HEARTED MACHINE」、「刻魔師 麗」、「BAD SHIELD UNITED」も解説する予定です。

 

※ゾンビパウダー連載時の久保のジャンプ巻末コメント http://www.geocities.jp/mikodayo/zp/hitokoto.html

 

 

大正を象徴する漫画家は岡本一平で、昭和を象徴する漫画家は手塚治虫で、平成を象徴する漫画家は青山剛昌で、21世紀を象徴する漫画家は久保帯人。

19世紀を代表する詩人兼哲学者はニーチェで、20世紀を代表する哲学者兼文学者はサルトルで、21世紀を代表する文学者兼詩人は久保帯人。

 

 

 

本サイトでは、A倉R郎が芸術について語ったり自作の作品を紹介したりする活動を行っています。

 

 

因みに私は完成まで膨大な年月がかかりそうな作品の場合は、構想メモをヤフーメールで自己メールするという方法で保存しています。

短篇とかなら原則、自己メールで保存したりはしませんが、長めの作品は完成までに最悪十数年若しくは数十年かかったりもしそうなので…。