※この記事は前編の続きです。

 

 

〇藤倉氏の記事
・西野氏の近大でのスピーチを取り上げ、時計のたとえ話を引用し、ツイッターで感動したという声を紹介した後、このたとえ話に否定的な声のツイートを紹介し、たとえ話への批判を展開。
 
 
・〈長針と短針が重なることがなぜ「報われる」ことに当たるのかが、全くわからない。放っておいても一定の間隔で2つの針が重なる時計を、定期的に「報われる」とは限らない人生に例える意味もわからない。現実とたとえ話の内容が全く対応していない内容だ。時計の針は、しょせんは歯車によって同じ場所をぐるぐる回らされる存在に過ぎない。時計を人生にたとえるなら、「歯車以下の存在であるお前らは、長針と短針が重なっただけの何の意味もない機会的な出来事を見て報われた気分になるくらいしかできなんだよ」という身も蓋もない話だってできる。どうとでも言えるということは、つまり何も言っていないということだ〉と指摘。

・たとえ話の内容のなさを表現する目的で<このスピーチのせいで、筆者の知り合いの宗教社会学者が〈時計の長針において「報われる」とは何か〉について24時間も考え込んでしまったという。長針と短針が重なると「報われる」なら、この研究者は考え込んでいる間に22回も「報われた」はずなのだが>と知人の話を紹介。
 
・〈スピーチの映像を見て分かる通り、芸人ならではの流暢で明確なしゃべり口調で、雰囲気的な説得力はある。しかし実際に語られている内容は意味不明。「いい話」風に語ることで、雰囲気を成立させているだけのことだ〉と西野氏のスピーチを批判。
 
・藤倉氏はマルチ商法やカルト組織でのマインドコントロールの実態を現地ルポした経験を積んでおり、それらの経験を踏まえて〈物事を、現実に対応しないたとえ話によって抽象化して、「必ず報われる」という根拠のない話に説得力を与える。これがまさに「マルチ商法」の動機づけや成功哲学と同じなのだ〉と述べ、西野氏のたとえ話とマルチ商法の類似性を指摘している。
 
・〈誰しも本来、能力や可能性がある。正しく努力すれば必ず報われる。このポジティブな精神論は、裏返せば「報われないのは、お前自身が間違っているから」という「心の自己責任論」だ。「必ず報われる」という動かぬ前提。現実に対応しない抽象的なすり替えの「たとえ話」。西野氏のスピーチは、こうした自己啓発的な思想や「心の自己責任論」そのものと言っていい〉と述べ、西野氏の時計のたとえ話が結果的に心の自己責任論に結びつく危険性を孕んでいることを総括している。
 
・しかし、藤倉氏は西野氏のプレゼン力の高さを評価し、〈現時点で言えるのは、西野氏は雰囲気的に「やる気」を出させる適当な与太話をした(それがたまたまなのか、マルチ商法や自己啓発ビジネスによくある類いだった)というだけ。それ自体を悪いとかやめろと言うのは無理がある〉と西野氏に悪意はなかっただろうとも述べている。
 
・〈大学の卒業式とは、こういうものが跋扈する世界にこれから放り出されようとしている人々が多く集まる場だ。「いい話」風なものに流されないようにしましょうと卒業生に注意喚起するなら、わかる。しかし近大はその逆。与太話にBGMまでつけてYouTubeに動画をアップしている。完全に自らが西野スピーチを「いい話」として演出している。大学は教育や研究を目的とする機関であって、不合理な「感動」を売り物にする商売ではないはずだ。近大を卒業した学生たちが、与太話を真に受けないだけの批判意識や思考力を持ったオトナであることを祈るばかりだ〉と総括し、近畿大学に「西野氏を卒業式に呼ぶ意義はあったのか」と疑問提起している。
 
・この記事はヤフーニュースに転載された。ヤフーニュースの読者のコメント欄
 
 
 

〇藤倉氏の記事を揶揄した西野氏のブログの記事
・タイトルは「 『ハーバービジネスオンライン』の危うさ。問われる扶桑社の良識。 」
 
・<「近畿大学のスピーチ見ましたよー。感動しましたー!」という声をたくさんいただいております。
一方で、ここ数日、「死ね!」「死刑だ!」という怖いコメントがTwitterのタイムラインに流れてきて、「楽しくなければテレビじゃない」で育った身(フジテレビっ子)として、とても震えています。
>と冒頭部にある。
→そこそこ知名度がある有名人の場合、程度の差こそあれ匿名のネット民から「死ね」などの誹謗中傷を受けてしまうというのは有名な話である。西野氏に否定的な意見を持っているからと言ってそのような誹謗中傷をネット上で書き込んではならない。この件に関して西野氏が震えているというのは当然であろう。
 
・その文章の直後に二つのツイートが引用されている。ゆぅさんのツイートZawaZawaさんのツイート。その二つのツイートはいずれも西野氏に好意的な内容である。
 
・<「それにしても、やたら回ってくるなぁ」と思ったら、どうやら『ハーバービジネスオンライン』というニュースサイトでネガティブ記事になっていたみたいです。コチラです→https://hbol.jp/191318
この記事の投稿者は藤倉善郎という方で、プロフィールを見ると、「やや日刊カルト新聞総裁」とあります。なんだか、怖そうです>と藤倉氏の記事を載せ、藤倉氏への揶揄を開始。
 
・藤倉氏は「やや日刊カルト新聞」というサイトのトップを務めている。このサイトは現実社会に蔓延っているカルトに関する情報を藤倉氏らが整理している新聞風のウェブサイトであり、ほぼ毎日といっていいペースで更新されていることから「やや日刊」というワードが付いている。つまり、オカルト本のような内容のものではない。しかし、やや日刊カルト新聞という固有名詞は藤倉氏について何も知らない多くの方にとっては語感的に(なんか怖そうな名前の新聞だな)と感じさせかねないものではある。事実、私もその固有名詞を初めて聞いたとき、(なんかあやしげな新聞なのかな?)と先入観で感じてしまった。私は西野氏は<「やや日刊カルト新聞総裁」とあります。なんだか、怖そうです>と書くことによってブログ読者に「藤倉って危ないやつっぽい」というイメージを与えようとしているのかもなと感じた。
 
 
・<「11時台は時計の針が重ならない(=鐘が鳴る前は報われない時間がありますよ)」という僕のスピーチを受けて、『ハーバービジネスオンライン』の記事には、こうあります。
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このスピーチのせいで、筆者の知り合いの宗教社会学者が〈時計の長針において「報われる」とは何か〉について24時間も考え込んでしまったという。長針と短針が重なると「報われる」なら、この研究者は考え込んでいる間に23回も「報われた」はずなのだが。
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どうやら、藤倉さんのお知り合いの宗教社会学者さんが、「たとえ話」を真に受けて、24時間も考え込まれたらしいのです(暇なの?)。
<長針と短針が重なると「報われる」なら、この研究者は考え込んでいる間に23回も「報われた」はずなのだが。>とありますが、針が重ならない11時は1日に2回あるので(午前と午後ね)、24時間のうちに時計の針が重なるのは23回じゃなくて22回なので、宗教社会学を勉強する前に、算数(さんすう)を勉強された方がいいと思います。その学力のまま、宗教社会学を学ばれるのはあまりにも効率が悪いので、シンプルに心配です
>と続き、「1年生のたしざん」という小学一年生向けの算数ドリルのアマゾンのリンクが載っている。
おそらく西野氏はブログ読者に「藤倉氏は小学一年生レベルの算数すらできない阿呆だ」というイメージをもたせたいのであろう。
 
 
・何故かハーバーオンラインは23→22と後に書き換えているが、スタート時の0時0分を一回目とカウントするかしないかの違いであり、23回と書いたとしても少なくともミスではないと私は考える。「宗教社会学を勉強する前に、算数(さんすう)を勉強された方がいいと思います。その学力のまま、宗教社会学を学ばれるのはあまりにも効率が悪いので、シンプルに心配です。」と書くのは批判ではなくただの暴言に近いといえる。
 
 
・<もちろん、宗教社会学の知り合いなんてそもそも存在しなくて、今話題のニュースにのっかって、アクセス数と小銭を稼ぐことを目的とした藤倉善郎さんの作り話だと思うのですが、気になるのは、この記事をアップした『ハーバービジネスオンライン』さんです。
→藤倉氏はいい話風のトークで金儲けを謀る悪徳組織の危険性を指摘するためにあの記事を書いたと考えられる。それを「アクセス数と小銭を稼ぐことを目的とした」と決めつけるのは藤倉氏への名誉棄損に当たる。そもそも何故「宗教社会学の知り合いなんてそもそも存在しなくて、今話題のニュースにのっかって、アクセス数と小銭を稼ぐことを目的とした藤倉善郎さんの作り話」という西野氏の発想が「もちろん」なのか自体が不明である。別に西野氏が勝手にそう思いこむ分には構わないが、そう考えた根拠がブログのどこにも書かれておらず、結果的にこの文章はただの「根拠なき決めつけ」となってしまっている。
 
 
・その後、西野氏は<気になったので調べてみると、「扶桑社が運営するニュースサイト」とあります。なんと、出版社の公式サイトなんですね(メモメモ)。
コバンザメ記事で小銭を稼ぐ糞メディアは昔からあったので、べつにどうってことありませんが、出版社の公式ニュースサイトなると、信用問題に関わります。
出版社となると、もしかすると、今後、お仕事でご一緒する機会もあるかもしれないので、ちゃんと調べておいた方が良さそうです。
というわけで、扶桑社さんが運営する『ハーバービジネスオンライン』の評判を調べてみたところ、最初に、こんな記事が出てまいりました。

https://togetter.com//li/1153090 
記事を要約すると『ハーバービジネスオンライン』のライターさんが、Twitterで「死ね!」や「知恵遅れ!」というコメントを連発されて(怖いってば!)、アカウントが凍結しちゃったことを受けて、まさかまさか、扶桑社さんがTwitter社に正式抗議をしたというのです。
正気かよ((( ;゚Д゚)))
 >と扶桑社への批判を展開。
→「コバンザメ記事で小銭を稼ぐ糞メディア」というあまりにも品のない悪態が書かれている。西野氏は扶桑社について調べるためにインターネットを活用したようだが、「扶桑社」と検索してたまたま一番上に表示されたサイトに、不祥事といえるような内容の情報を発見し、「扶桑社は怖い会社だ!」と判断したと読み取れる。ある企業の質をネット検索の一番上の記事の内容で判断するというのは安直すぎるといえる。因みにさきほど「フジテレビっ子」というワードが出てきたが、フジテレビと扶桑社は同じグループ会社である。西野氏は記事で「扶桑社さんはフジテレビの子会社なんですね。」と書いているが、その事実を知っておきながら何故無神経に「自分はフジテレビっ子として震えています」と言えてしまうか不思議でならない。
 
 
・その下では、ハーバーオンラインが<「『知恵遅れ』や『死ね』は、お前みたいな奴には言ってもいい」by 扶桑社(代表=久保田栄一)>と公式ツイッターで回答したという扶桑社の不祥事について書かれている。<言葉を扱うプロとして、お客様に対して「死ね」や「知恵遅れ」という言葉を選んでしまう出版社の姿勢は僕は賛成できないので、扶桑社さんとは金輪際お仕事をご一緒しないことに決めました。だって、怖いもん(>_<)なので、僕のマネージャーさんは、僕に確認をとるまでもなく、扶桑社さん絡みのお仕事は全て断っておいてください。よろ。以上、「『ハーバー・ビジネス・オンライン』の危うさ。問われる扶桑社の良識」でした>と、西野氏はブログの記事を結んでいる。
→言葉のプロを自称する西野氏がビジネスをする上でどの出版社選ぶかは西野氏が決めることである。西野氏が扶桑社と仕事をしたくないのならそうすればいいだけのことで、この点について西野氏に落ち度はない。
ただ、個人的に、扶桑社が運営するサイトの一つであるハーバーオンラインのスタッフの一部署の中の一人が「死ね、知恵遅れはお前みたいな奴には言ってもいい」とやや乱暴な公式ツイートをしたという出来事を「こんな公式見解を出す出版社、絶対に嫌だよ!カルトすぎるよ(>_<)」と感じたというのはかなり大袈裟な反応だと思えてしまった。
執筆業は売れるときと売れないときのギャップが著しく激しい業界である。西野氏のようにアニメ、絵本など多角的にビジネス・プロジェクトを展開していくのならなおさらである。どんな出来事が起こるかは今後にならないとわからない。
そうであるにもかかわらず、自分から「かなり大手の出版社とのビジネスに関する可能性」を捨て去ってしまうというのはあまりにも短絡的すぎると思った。
 
 
・藤倉氏の記事を揶揄した「西野氏のブログの記事」は西野氏の手によるコンテンツの広告がかなり多め。ちょくちょく西野作の書籍・絵本のアマゾンのページのリンクが文章の間に添えられている。
 
 
 
 

〇藤倉氏の記事を揶揄した「西野氏のブログの記事」に対する私見と全体を通して思ったこと
・西野氏のスピーチと、藤倉氏の記事を揶揄した「西野氏のブログの記事」を分析して感じたのは「西野氏はフィーリングを重視している人」なのかもなということである。「時計の長針と短針が重なること→何となく素敵な感じがする→良いこと→努力が報われること」という連想が時計のたとえ話の背後にはあったのではないかと推測している。
 
 
・藤倉氏の記事を揶揄した西野氏のブログの記事についてだが、西野氏は藤倉氏の記事について表面的な部分しか扱っていない。藤倉氏はハーバーオンラインのあの記事を通して、以下の5点を伝えたかったのだと考えられる。
 
(1)西野氏の時計のたとえ話は一見いい話風だが、現実と全く対応しておらず、中身のないものであること。
(2)西野氏の時計のたとえ話はカルト組織やマルチ悪徳団体で悪用されているたとえ話と類似していること。
(3)それらのたとえ話は「報われないのは、お前自身が間違っているから」という「心の自己責任論」につながってしまうこと。
(4)西野氏のスピーチは芸人ならではの流暢で明確なしゃべり口調で、雰囲気的な説得力があるものの、実際に語られている内容は意味不明であり、「いい話」風に語ることで、雰囲気を成立させているだけであること。
(5)大学は教育や研究を目的とする機関であって、不合理な「感動」を売り物にする商売ではないはずなのに、近畿大学は西野氏を卒業式にゲストとして呼び、彼の与太話にBGMまでつけてYouTubeに動画をアップしており、完全に自ら進んで西野スピーチを「いい話」として演出していることに対する近畿大学への懸念。
 
 
・しかし、西野氏はブログで(1)~(5)のいずれにも触れず、ただ表面的に藤倉氏の記事を扱っているだけであった。西野氏のブログの記事は藤倉氏への反論になっておらず、ただの見下しや揶揄となってしまっている。西野氏のブログの記事を読んで西野氏の浅はかさを感じ取った方は少なくないのではないだろうか。
 
・西野氏がブログで(1)~(5)のいずれにも触れていなかったのは自分を呼んでくれた近畿大学を庇うためなのかもなとも思った。
 
・今回の話とは直には関係ないが、「議論で絶対に論破されない方法の一つは相手の批判をまともに扱わないこと」なのではないかと感じた。