生きていると、不平不満がよく出てきますよね。
しかし、「不平不満を言ったらよくない」とも
聞きますよね。 でも不満はなくならない。
なぜ、不平不満はなくならないのか
ひとりさんはこうおっしゃっています。
俺は、不満っていうのは神さまがくれた遊び、
知恵の輪みたいなものだと思ってる。
たとえばだよ。
路上で生活している人は
雨露しのぐ家がないことを不満に思う。
だけど、そういう生活が嫌だからって奮起する。
それで、風呂なし、トイレは共同の
四畳半のアパートに住めるようになって、
「ああ、よかった。しあわせだな」って、
一時期は思うけど、しばらくすると、
「やっぱり、トイレはついてたほうがいいな」って、
不満が出てくる。
夫婦でもそうだよね。
自分の亭主がまじめな人間だと、
「おもしろくない人ね」というけど、
亭主が遊んでて、家をかえりみなかったりすると、
「ふざけた亭主だ」とかいう。
でも、一生懸命働いて、お金を稼いできても、
「お金を稼げばいいってもんじゃないでしょ」
なんだよね。
それで、亭主が総理大臣になっても不満なの。
「大臣になったからってエラソーなことをいうけれど、
自分ひとりじゃ何もできないじゃないのよ」とかって。
それから、病気になると、
「健康がありがたい」っていうけれど、
健康な状態がずっと続くと、
「休みの日なのに、家でジッとしているのは
おもしろくない」とかっていい出すんだよね。
だから、人間っていうのは、何をしても不満なの。
それが人間、
人間は不満な生き物なんだよ。
不満があることが異常だ、じゃなくて、
不満があって正常。
不満があれば、ほぼ間違いなく生きてる。
それが俺の持論なの。
問題は、この不満を嘆くだけになっちゃうか、
この不満をどうやって解決するか、
どっちをとりますか?
ということだと俺は思うんだよね。
昔と比べたら、今の日本って、
車はある、冷蔵庫はある、
クーラーはある、何でもある。
徳川家康よりもゴージャスな暮らしをしてるんだよ。
だけど、それでも不満があるんだよね。
どうしたって不満は残るんだよ。
だから、不満を嘆いているだけじゃ
苦しいんだよ。
だけど、この不満をどうやって解決しようか、
って思えば、人は動き出すんだよね。
そういうことを、
「不平多くして、もの流れる」
っていうんだね。
不平っていうのは、平らじゃない、
っていうことでしょ。
シーソーを思い浮かべてごらん。
バランスがとれているときは、シーソーは平ら。
そこに玉を置いても動かないよね。
だけど、シーソーがグーっと傾いてくれば、
玉は動き出す。
幕末だってそうだったでしょ。
不平不満が多かった
下級武士たちが行動を起こした。
だけど、上にいる人たちは
満足しているから動かなかった。
当然だよね。
平らなところで玉が転がるかって、
転がるはずないもん。
だから、不満っていうのは、
そんなに悪いものでもないの。
それで、神さまは、俺たち人間に
不満に思う能力をくれたんだよ。
俺は、そう思ってるの。
だから、不満を利用しておもしろく生きる。
不満が出てきたら、
それを楽しく解決しちゃうゲームにするとか。
ついでに人の不満も解決しちゃって、みんなで、
「しあわせだねぇ」とかいいながら、
お互いにハッピーになったりさ。
不満っていうのは嫌なもんだけど、
嫌だと思ったと同時に不幸がはじまる。
なくならないものを嫌だと思うか、
おもしろいと思うかのどっちかだね。
おもしろいと思えば、
いろんないいことが起きる。
奇跡なんかいくらでも起きるよ。
それで、俺はおもしろいと思える。
何でかって、
そういう性格に生まれてきちゃったもん。
しょうがないよ。
単なるキャラクターの話なんだよ。
それに、こういうことは、
いい悪いじゃない。
それが証拠に、別にこういう
考え方がなくたって生きていけるじゃないか。
あえていうとしたら、こういう考え方は
エレベータみたいなもんだね。
エレベータがあると三階ぐらいまで
スっと行けるけど、エレベータがない時代は、
みんな階段で行ってたんだよね。
その頃はそれで、足も丈夫だったし、
いいこともあったんだよね。
柴村恵美子社長の著書
『斎藤一人の不思議なしあわせ法則』より抜粋
不平不満は、人が進歩向上するようにするために
神さまがつけてくれた能力のひとつだから、
なくすことはできないし、むしろその不満をバネにして
高く飛ぶように利用すればいいということなんですね。
自分の中にある不満を消すよりも、利用してもっと
向上していきましょう!
最後まで読んでいただき、心から感謝します!
【ひとりさんの教え セレクション】
・人は「成功していて、かっこよくて、さらにいい人」に魅力を感じる
・「迷惑かけるな」って言うのは、「平均台の上を歩け」と言うのと同じ