↑ ↑ ↑ 地図(駅~法華経寺)
↑ ↑ ↑ 地図(法華経寺)
先日、
中二のとき遠足で行った、
中山法華経寺に行ってきました・・・。
家族3人で、私以外は初めてで、
私は顔には出しませんでしたが、
懐かしくて、
わくわくしながら巡ってきました。。。
★中山法華経寺★
千葉県市川市中山二丁目10番1号
鎌倉時代1260年創建。
日蓮大聖人が開いた零跡寺院(日蓮の重要な寺院)。
日蓮宗の大本山。『日蓮宗大本山正中山法華経寺』。
国宝:
日蓮聖人の御真筆(立正安国論、観心本尊抄)。
国指定重要文化財:
五重塔、祖師堂、法華堂、四足門。
絹本着色十六羅漢像 趙璚筆 八曲一双。
日蓮筆遺文 56巻、4冊、1帖、3幅。
他の見所:
中山大仏(銅造釈迦如来坐像)。
聖教殿(宝物塔)。
鬼子母神堂。
本阿弥光悦筆の扁額 3面。
本阿弥家分骨墓 3基。
本阿弥光悦分骨墓 法華経寺 1基。
関連著名人:
連歌師・宗長、
正岡子規、高浜虚子、斎藤緑雨、
幸田露伴、永井荷風などが訪れ、
作品にも記されたりしています。
(アクセス)
京成線・中山駅 ~仁王門(赤門・三門)
約300m 約5分
JR総武線・下総中山駅~仁王門(赤門・三門)
約570m 約7分(10分)
仁王門(赤門・三門)~五重塔:約230m 約3分
五重塔~聖教殿(宝物塔) :約220m 約3分
※滞在時間の目安:1~2時間
★連休の遠出★
ゴールデンウィークも、
あっという間に過ぎてしまいましたね・・・。
我が家は昔から人混みの所は避けるようにしています。
特に子供が小さい頃は、
近場の中でもちょっと離れた、
でも少し大きな公園など、
渋滞や行列にならない所に行っていました・・・。
今回の連休も出かけるつもりはなかったのですが、
運動不足解消と近場でということで、
前日、急に出かけることになりました・・・。
いろいろ考えたのですが、
どこも行ったことがある所ばかりで、
なかなか決まりませんでした。
やっと、当日未明に、
私が中二のとき学校の遠足で行った、
法華経寺を思い出しました。
ネットで下調べをし、
当日、朝、家族の了承を得て決行となりました。
法華経寺は、
総武線の列車の中からも見え、
通るたびに遠足を思い出し、
行ってみたいと思っていました。
近くまでは行ったことがあっても、
遠足以来、実に51年間も行っていませんでした。
ようやく思いが叶うことになりました。。。
法華経寺は、
京成線の中山駅が最寄り駅ですが、
総武線では下総中山駅が最寄り駅です。
私の家からは3駅先にあります。
行きは手前の原木中山駅で降りて、約3km歩いて行きました。
結局1万2千歩で、1万歩は超えることができました。
日蓮宗の有名なお寺で、
鎌倉時代の創建で、『小京都』ならぬ、
『プチ鎌倉』を手頃に味わって来ました。。。
★中二のときの遠足★
中学校は江戸川区の一之江という所にありましたが、
遠足では隣県の市川市に行っていたことになります。
その遠足では、
早い時間に法華経寺を巡り、
そのあと、近くの畑で芋掘りをし、
さらに歩いて中山競馬場に行き、
センターコートで昼食と休憩をして帰ってきました。
昔のことに触れるのは、とても懐かしことです。。。
しかし、
法華経寺のことで思い出せるのは、
ごく一部しかありません・・・。
聖教殿の所で写真を撮ったことだけです・・・。
あとは思い出せないのです。
記憶に残りそうな五重塔や大仏も、
なぜか記憶にありません・・・。
見てないのか、
見ているのに忘れてしまったのか、
51年の歳月を経て、
定かではなくなってしまいました。。。
よくよく思い出して、
境内を一巡りして、
最後に聖教殿の所で自由時間があったと、
思い出しました・・・。
境内をまわったときに、
五重塔らしきものがあったようにも、
思えてきました。。。
当時は田畑が多く、
法華経寺のまわりもそうだったと思います。
観光バスで行って、
法華経寺の東側の道にバスを停めていたように思います。
片側が林で、片側が田畑が広がっていたように記憶しています。
法華経寺は総武線沿線にあり、
中山競馬場は、
武蔵野線沿線で離れているように思いますが、
意外に近く、道もほぼ一本道で、
法華経寺からは約1.5kmですので、
成人男性なら15分位の所です。
法華経寺を巡ったあと、
その間の畑で芋掘りをしました・・・。
当日は、たぶん早い時間、
8時とか、9時とかに出発していて、
中山競馬場も、
午後3時位には引き上げていたのではないかと思います。
少し欲張りなコースではなかったかと思います。
芋掘りは初めてでした。
軍手と袋、クマデか小さいスコップを用意し、
まさに芋づる方式でいくつも連なっているのを、
掘り出しました。
家族はおイモが好きでしたので、
いいおみやげになりました・・・。
中山競馬場では、
観客スタンドの長屋根が、
柱無しで造られていて珍しいなどの説明を受け、
確か芝生になっていたセンターコートで食事をし、
歩きまわったりしていました・・・。
武蔵野線が貨物線から旅客線になったのが、
1978年頃ですから、
当時はバス便だったようです。
総武線の下総中山駅などから数十分かかって、
歩いた人も多かったようです・・・。
行きはヨイヨイですが、
帰りはオケラ街道だったのでしょう・・・。
遠足以降、中山競馬場には数度しか行っていませんが、
自動車で行っていました。
列車でも自動車でも、
中山競馬場のすぐ脇はよく通っていましたが、
中に入ることは数度しかありませんでした。
センターコートは、
その一回だけとなりました・・・。
中山競馬場は、けっこう古く、
元々1906年松戸に開設され、船橋に移転して、
私の住む行徳の海岸に新設工事されていましたが、
1923年(大正12年)の関東大震災の大津波で、
完成間際で壊滅し、現在の所へ移転したとのことです。
津波といえば、関東大震災の6年前に、
『大正六年の大水』で、
行徳や浦安は壊滅的な被害を受け、
長年続いていた塩田も流され、
塩づくりに終わりを告げてしまったこともあったばかりでしたのに・・・。
津波がなければ行徳に競馬場があったのですね。。。
なお、法華経寺は、
1946~72年の間は日蓮宗を離脱し、
独立宗派だったようですので、
私が遠足で行ったときはちょうどその時期だったようです。
★参道★
話を今回に戻して・・・。
今回、列車は手前で降りて、
裏通りをブラブラ歩いて行きました。
総武線は高架になっていて、
線路を越えるには道が限られています。
下総中山駅は何度も行ったことがありましたが、
駅の南側にしか出たことがなかったこともあり、
通り抜けできたかまでは覚えていませんでした。
ようやく下総中山駅に着き、
通り抜けできるのがわかってほっとしました。
わずかでも近回りのほうが、
面倒ではありませんから・・・。
ここまで来れば、あとは簡単です。
下総中山駅で反対側に抜け、
駅前正面の道をまっすぐ行くだけです。。。
とは言うものの、参道を歩くのは初めてです。
中二の遠足のときは境内の横か裏から入っていますので・・・。
テレビでは旅番組などで何度か見ていますし、
ストリートビューで下見していますが、
実際に通るのは初めてです・・・。
駅前から参道ということらしいです。
駅の辺りから、ゆるい上り坂になっていて、
赤門まで上り坂が続きます・・・。
下総中山駅から200メートル位で、
すぐに千葉街道(国道14号)に出て、
法華経寺の看板が交差点の反対側に現れます。
駅の近くはお店もありますが、
だんだんまばらになってしまいました・・・。
いわゆるシャッター通りの商店街のように、
シャッターの閉じられた店舗が目立ちました・・・。
千葉街道を渡ると、
すぐ京成線の踏切になり、
ここから参道という感じが強くなりますが、
さらにシャッターの数が増え、
駐車場になっていたり、
店舗がまばらになっています・・・。
昔は、もっとにぎやかだったのでしょうけど、
さびれた感じになり、残念に思います。
由緒あるお寺ですので、
もう少しにぎわってほしいですね。。。
↑ ↑ ↑ 京成線踏切
京成線の踏切の手前から先を見ると、
踏切のすぐ先に門があり、
さらにその門の向こうにも門が見えてきます・・・。
法華経寺には主に二つの門があります。
京成線の踏切を渡ると、
すぐの所に道の真中に門が現れます。
この門は黒塗りのため、
『黒門』と呼ばれています。
この道の突き当りにあるのが、
『赤門』と呼ばれる仁王門(三門)です。
赤くはないですが、元は赤かったのでしょうか・・・。
『赤門』というと、
東大の門を思い出してしまいますね・・・。
千葉県北西部に広がる焼肉チェーン店の『赤門』の、
名前の由来がもしかして法華経寺の赤門?
かと思いましたが、
東大のほうでした。。。
★和菓子店★
どこも参道といえば和菓子店が目立ちますが、
法華経寺の参道にもいくつかの和菓子店がありました・・・。
まず、
「新宿中村屋」のお店が、
京成線の踏切の手前右側にあります。
新宿中村屋といえば、
和菓子、洋菓子から、中華まんやカレーなど、
各種食品を扱っていますが、
いわゆる和菓子屋さんとは違いますね・・・。
喫茶室も併設されているようです。
京成線線路際、踏切手前の左角には、
「深川伊勢屋・中山店」があります。
ここはちゃんとした和菓子屋さんですね。
今川焼なんかもやっていて、
寒いときはいいですね・・・。
店の造りも新しいようで、
小ぎれいに見えます・・・。
黒門のすぐ左には、
「とむら」という造りは新しいけれど、
風格のある和菓子店があります。
赤い縁台も置いてあります。
こちらも、まさに「和菓子店」という感じですね。
黒門をくぐったすぐ右側にも、
「松月堂」という和菓子店があります。
大きめの店造りで、
縁台も出ていて、和菓子屋さんという感じです。
しばらく行くと、右側に4店舗が同じ棟であります。
その中に、
「なの花」というお店があり、
栗きん焼とかののぼりが出ています。
中で甘酒とかも飲めるようです。
うどんやそばもやっているようですね・・・。
和菓子屋と言っていいか・・・?
あとは赤門(仁王門・三門)をくぐって、
五重塔などがある広場に出る手前に、
数件、お茶屋さんがあり、
和菓子なども食べられるようです。
↑ ↑ ↑ 黒門
↑ ↑ ↑ 黒門・扁額
★黒門(総門)★
参道をまたぐように、
道の両脇の門柱から屋根が渡っています。
総門ですが、黒い門ですので、
「黒門」と呼ばれているそうです。
屋根の下には額(扁額)がかけられ、
「如来滅後 閻浮提内 本化菩薩 初転法輪 法華道場」
と書かれています。
門は江戸時代初期の建立らしいですが、
扁額を書いたのは、
江戸後期の掛川藩藩主の太田資順(すけのぶ)とのことです。
いよいよここから本格的な参道という感じですね。。。
↑ ↑ ↑ 清華園・門
↑ ↑ ↑ 清華園・庭
★清華園★
黒門を抜けて間もなくの右側に、
屋根付きの門構えの庭園が現れます・・・。
『ふれあい広場 清華園』といって、
市に寄贈された民家で、無料で開放されています。
「清華堂」という書店と文具店をやっていた、
石井家の家屋と庭園だったそうです。
開館日が、金・土・日曜日とありましたので、
入れないかと思っていましたが、
たまたま五月人形展をやっていて、
開園していました・・・。
五月人形展は、
いらなくなった五月人形を、処分するのは忍びないとか、
もったいないというかた達からの、
寄贈によるものということです。
りっぱな鎧兜や武者人形などが、
二部屋に渡って飾られていました・・・。
飾り付けや後片付けが大変だろうと思いました・・・。
うちも、
兜や雛人形があり、
ごくたまに、最小限の組み合わせで飾っていましたが、
近年はほとんどしまったままです・・・。
簡単に飾れるタイプのほうが、
毎年飾れてよかったのかもしれません。。。
庭園といっても、
一般の家ですから、そんなに広いわけではありませんが、
ちょっとした公園くらいはあるかもしれません。
変わっているとすれば、
所々に小さな石像が置いてあります。
オブジェなのか、
お地蔵様的なものなのかわかりません・・・。
小道が奥まで続いていて、
ベンチやテーブルなども置いてあります。
日よけが付いた所もあったり、
屋根のある休憩所もありました。
昔ながらの屋根付きの井戸もあり、
滑車に木桶が吊るされていて、
昔の使われ方がわかるようになっています。
もちろん井戸は金網で塞がれています。
その脇には、水道の水飲み場もあります。
新緑の季節で、おおむね緑におおわれていました。
赤や白のツツジがきれいに咲いていて、
いっしょに写真を撮りました。。。
↑ ↑ ↑ 参道
☆☆☆<ご連絡ください>☆☆☆
↑松浦稔(1952年7月7日生)↑
<☆ご連絡ください☆>
関係のあるかたや、
何かご存知のかたご連絡ください♪
特に同じ学年のかたなら、
とても嬉しいですが、
学年・年齢は違っても、
同じ学校、
西一之江小、
松江5中 に関係のあるかた、
是非、ご連絡ください♪
同窓生でなくても、
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