<亀戸天神と亀戸七福神>☆藤まつり☆ | ☆同窓生の窓☆西一之江小&松江五中

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<亀戸天神と亀戸七福神>☆藤まつり☆

01亀戸天神・他
 
☆亀戸天神と亀戸七福神
『平成』も終わり、
『令和』になってしまいました・・・。
 
普段から人混みや渋滞の所は避けるようにしていますが、
たまにはということで、家族で出かけて来ました。
ちょうど藤の花の時期で、
ニュースなどでしばしば見かけられた、
藤の花の名所の内、
身近な亀戸天神に行くことにしました・・・。
藤の花は、
青や紫、水色と白が相まって、
厳かで優雅、華麗なところがとても好きで、
近所でも咲いているところを見かけると、
つい見とれてしまいます・・・。
 
どうせならということで、
周辺の『見どころ』でもある、
『亀戸七福神』も回ってみようということになりました。
『亀戸七福神』といっても、
あちこちにあるような『七福神めぐり』の一つで、
ローカルなものですから、
小さなお寺や神社ばかりです・・・。
大きな期待を持って行くと、
がっかりすることもあるかもしれません。
こんなものだと思って行くといいと思います・・・。
 
今回は、時間等の都合もあり、
回れる範囲内で回ろうということで、
3ヶ所、四福神を回りました・・・。
 
 
 
☆錦糸公園と周辺
◎24時間切符
まずは亀戸天神ですが、
以前は子供の祝いなどもあり、
毎年のように参拝に行っていました・・・。
最近は子供達も成人していますので、
毎年行くようなことはなく、
久しぶりに行きました・・・。
これまでは車で行くのがほとんどで、
電車で行っても亀戸駅からでした。
今回は、
JR総武線で行かず、
メトロ半蔵門線で錦糸町駅に行き、
そちらのほうから行くことにしました・・・。
時間的には1時間位と、
総武線で行くより倍近くかかりますが、
メトロの『24時間切符』ですと、
600円と料金も安い上、
自由に乗り降りできますし、
あとの行動や翌日まで使えます・・・。
 
 
◎ロッテシティホテル錦糸町
で、
錦糸町で降りると、
すぐ線路脇に『ロッテシティホテル錦糸町』があります。
以前は『ロッテ会館』といい、10年位前に建て替えられたようです。
私が20代半ばのとき、
従兄弟がここで結婚式を挙げ、
父の送迎をしたことがありました・・・。
私は出席しませんでしたが、
エスカレーターを上って式場の所まで行ったのを、
思い出します・・・。
錦糸町もいろいろ思い出があり、
よく楽天地で映画を見たり懐かしい所ですが、
なぜかその日のことを覚えています。
従兄弟の家が日立製作所の下請けをやっていましたので、
日立の重役の方々も出席されたと聞いています・・・。
仲人もその一人だったようです。。。
 
 
◎錦糸公園
さらにすぐの所に錦糸公園があります・・・。
亀戸天神までの道はいくつかありますが、
どうせですので錦糸公園の中を抜けて行きました。
わずかですが近道にもなります。
公園内は、休日だったこともあり、
たくさんの人がいました。
特に遊具のあるエリアでは、
親子連れがたくさんいました・・・。
グラウンドでは、
少年サッカーの大会のようなものが行われていました。
 
昔は何もなかったような公園だったと思うのですが、
いろいろとできているようで、
『墨田区総合体育館』という、
大きな建物も公園内にできていました。
公園の配置デザイン自体も、
昔とは違うようです・・・。
 
錦糸公園といえば、
『Pokémon GO』が2016年に発売された当時、
ニュースなどで錦糸公園が映っていたのを思い出します・・・。
多くのポケモンや、レアなポケモンが出るとかで、
夜中でも人が集まっているということでした・・・。
 
 
◎精工舎
錦糸公園の北側は、
大きな建物が並んでいました・・・。
歩いているときは、
錦糸公園の北側が何だったか、
思い出せませんでした・・・。
昨年まではしっかり覚えていたのに、
久々に行って、
その変わりようのせいか、
思い出すことができませんでした・・・。
年々、昔のいろいろな記憶が薄れていきます。
逆に偶然思い出すこともあるのですが・・・。
そこには、
『SEIKO』のメインの時計工場がありました。
『第一精工舎』と言って、世界的な工場でした・・・。
四ツ目通りの角から横十間川の所までが、
第一精工舎でした・・・。
1996年、『セイコー・プレシジョン』として、
南船橋に移転し、
2002年に解体されたようです・・・。
その後、
2006年、ショッピングモール『olinas オリナス』などになっています。
帰りは、
その『olinas』の中を歩いて来ました。
まだ、第一精工舎の跡地だと思い出さずに・・・。
わかっていれば多少の感慨もあったのではないかと思います。
 
子供の頃は、
トロリーバスや都バスが、
今井から上野公園行きというのがありました。
途中、亀戸駅から蔵前橋通りに入り、
四ツ目通りを押上駅に向かいますが、
蔵前橋通り沿いにある第一精工舎の前を通っていました。
時々乗って、
第一精工舎の姿を記憶に留めていました・・・。
小4からの3年間、毎年日光の林間学校に行っていましたが、
押上駅の隣りの業平橋駅集合で、
そこまでバスで行っていました・・・。
今では押上駅も業平橋駅も、
スカイツリー駅になって変わりましたね・・・。
沿道が商店等、小さな建物ばかりの中、
大きな建物で印象的だったのかもしれません。
地元ではランドマークだったようです。
大人になってからは、
車で時々第一精工舎の前を通っていました・・・。
父の仕事のお得意さんが浅草に多くあり、
手伝っていたときは、
毎日のようにここを通っていました・・・。
歩いたり自転車で通った、
ということはなかったと思います。
もしかしたら、
記憶にないだけで、
数度はあるかもしれませんが・・・。
 
第一精工舎の印象は、
他の民家と違うのはもちろんですが、
塀が印象に残っています・・・。
第二精工舎が亀戸の京葉道路沿いにあり、
子供の頃から馴染みがありました。
そちらも塀が印象的で、
コンクリートの高い塀だったと思います。
ところが、
第一精工舎のほうも高い塀だと思っていたのですが、
調べているうちに昔の写真を見ると、
それほど高いものではありませんでした。
何日も経って、別の写真を見つけることができ、
やはり第二精工舎のように、
高い塀だった所もあったのがわかりました。
つまり、正門は四ツ目通りに面し、
こちらのほうの塀は低めになっていました。
私がよく通っていた蔵前橋通りのほうは、
高いコンクリートの塀がめぐらされていたのでした。
どちらの塀も記憶にあり、
あやふやになっていました・・・。
 
第二精工舎は、
1983年に『セイコー電子工業』になり、
当時私はセイコー電子工業の、
松戸市高塚事業所の仕事をしたこともありました。
また、
私の家のお墓は松戸にある八柱霊園(都営)で、
松戸市高塚は、
自宅から八柱までの道沿いにあり、
車で行くときはすぐ近くを通っていました・・・。
自転車で行ったこともあり、
偶然、手前の市川市宮久保の所で、
セイコー電子工業の市川工場?の脇を通ったこともありました。
さらにその後セイコー電子工業は、
『セイコーインスツルメンツ』に改称されています・・・。
 
1997年、第二精工舎の跡地は、
商業モール『サンストリート』になって、
数年前に閉鎖されてしまいました・・・。
常設のステージは、
Perfume、E-girls、橋本環奈、河村隆一なども出演し、
いろいろなアーチストの登竜門になっていましたが・・・。
 
第一精工舎には、
西一之江小・松江五中の卒業生も就職していて、
私の知っているかたも勤めていました・・・。
第二精工舎に勤務していたという、
亀戸の父の生家の近くの住まいだった人と、
10年位前に知り合うことができました。
精密な絵を描く画家になっていましたが、
まだテレビが出たてで普及していない頃、
テレビを自作してしまったというスゴイ人でした。
第二精工舎の所は亀戸駅に近く、
その塀越しに私も歩いたもので、
第二精工舎や地元の昔話などして、
懐かしく思ったものでした。。。
 
 
◎東京区検察庁・墨田庁舎
錦糸公園の東側には、
東京区検察庁の墨田庁舎があります。
墨田庁舎は、
本庁でやらない道路交通部の業務をやっています。
特別思い入れはありませんが、
父が何か交通違反をしたとき、
ここまで送迎したのを思い出しました・・・。
とはいえ、
他の懐かしさと合わさり、
変に懐かしく感じました。。。
 
 
◎駄菓子問屋街
そういえば、
四ツ目通りを挟んで、錦糸公園の西側の一角には、
『駄菓子屋横丁』のような、
駄菓子等の問屋などが並んでいたのを思い出しました・・・。
ここも父関連で、
父がやっていた浴場関係の仕事で招待旅行をしたときか、
観光バスでのおやつなどを、
買いに行ったことがありました・・・。
日暮里、蔵前、錦糸町は、
3大駄菓子問屋街だったそうです・・・。
蔵前ではなく、上野を挙げている記事もあります。
関東大地震により被害を受けた神田の菓子問屋が、
錦糸町に移転したということで、
かなり前からあったのですね・・・。
現在は、数軒しかないようですが、
有名な『うまい棒』の『株式会社やおきん』も、
創業はここで、現在、
錦糸公園の北側500m位の所に本社があります。
『うまい棒』の製造は『リスカ』ですが、
親戚会社とのこと・・・。
 
 
 
☆『四ツ目通り』と『京葉道路』
若い頃はあちこち回っていましたので、
私にとって縁の深い所は多いのですが、
錦糸町も、
馴染みのあるといいますか、
縁の深い場所です・・・。
南北に走る『四ツ目通り』と、
東西に伸びる『京葉道路』は、
沿道に私の縁の深い場所がたくさんあります。
 
そもそも私の生まれた所は、
『賛育会病院』という所です。
私が生まれる前年に昭和天皇が視察されたとのことです。
錦糸町駅からスカイツリーの押上に向かって、
蔵前橋通りを越えた四ツ目通り沿いの所にあります。
しかし、何年か前、新生児の取り違えが発覚しました。
60歳にもなって、そんなことがわかるなんて、
たまらないですね・・・。
しかも私が生まれた年の、
翌年のことだったとのことです。
もしかしたら、
私も取り違えられていたかもしれない、
ということになります・・・。
私の弟と妹は、
錦糸町駅の南側の京葉道路を越えた所にある、
都立墨東病院で生まれています。
どちらの病院も墨田区ですが、
戸籍は江東区亀戸で、
その江東区役所も四ツ目通り沿いの東陽町にあります。
私が結婚したときに勤めていたのが、
その近くの東陽町で、
私の長女は1年前まで同じ東陽町に勤めていました。
他にも挙げればいろいろありますが、
四ツ目通り、京葉道路には縁があります。。。
 
 
 

05亀戸天神・他
☆亀戸天神社
◎亀戸天神社・藤まつり
ちょうど『藤まつり』が、
4月中旬から5月6日までやっている最中でした。
藤の花は、
最盛期をちょっと過ぎたかなという感じでした。
花が長く伸びた棚もありましたが、
短い棚のほうが多かったようです。
曇り空でもあり、
全体に暗い色合いに感じました・・・。
人出は多くありましたが、
以前、同じ藤まつりの時期に行ったときは、
中央の太鼓橋の通路が一方通行になっていて、
身動きがつかないほどだったように思います。
それに比べれば、いくらかですが、
少ないように感じました・・・。
誰もがカメラでパシャパシャ・・・。
かといって落ち着いて撮っていることも、
気が引けます・・・。
場所にもよりますが、
なかなか立ち止まっていられません・・・。

02亀戸天神・他
 
 
◎催し物
藤まつり開催中、
神楽殿では、いろいろと催し物がありました。
私が行ったときは、
津軽三味線の演奏をやっていました。
数人の演奏でしたが、
神社の境内で和風なものを聞くのも、
いいものだと思いました・・・。
家内が御朱印を待っている間に、
津軽三味線は終わってしまいました。
御朱印は、
けっこう長い列ができていましたが、
整理札をもらうだけで、
割とすぐ列から外れました。
受け取るのを含めて、
約30分かかりました・・・。
その間、津軽三味線を聞いていましたので、
時間つぶしにはなりました・・・。
津軽三味線が終わって、
次の目的地に行こうとしましたが、
次の演目を見てしまい、
『江戸かっぽれ』だとわかると、
家内がどうしても見たいと言い出しました。
まだ10分以上待たなければならず、
しかたがないので、
境内の回っていない所を回って、
時間つぶしをしました・・・。

03亀戸天神・他
 
 
◎料亭『若福』とオウムのおタケさん
時間つぶしの経路で、
境内の中に、
『若福』という日本料理店がありました。
和食・懐石料理が主で、
昔は天神様の裏手に花街があり、
『亀戸温泉』も経営していたとのこと。
子供の頃、駅前のビルに、
そのような名前の温泉があり、
何度か入った覚えがあります。
場所が違うので、
関係はわかりません・・・。
 
で、子供の頃、
その『若福』というお店の前で、
池のほとりに、
鳥小屋だったか、
止まり木だけだったか忘れましたが、
オウムが飼われていました。
「おタケさん!」って言うと、
「おタケさん!」って返してくれました・・・。
いつ頃までいたのかは覚えていません・・・。
2008年のどなたかのブログで、
幼少の頃、おタケさんというオウムがいたと、
書かれている記事を見かけたことがありました。
その場所で、息子にオウムの話をしましたが、
たぶん忘れてしまうことでしょう・・・。
懐かしいだけですね。。。

04亀戸天神・他
 
いよいよ待望の『江戸かっぽれ』が始まりました。
けっこう年配の女性達が、
粋な格好をして踊っていました・・・。
もしかしたら、
私より上ではないかと思うような人ばかり。。。
数曲が終わって、
そろそろいいというので、
ようやく次の目的地に向かうことにしました・・・。
 
 
◎弁財天
亀戸天神社は、
『亀戸七福神』には含まれていませんが、
境内には『弁天堂』があり、
七福神の弁財天が祀られています。
弁財天は、
芸道富有のご利益があります。
天神様は参拝者が多いので、
あえて七福神に加えなかったのかもしれませんね・・・。
 
 
 
☆普門院
◎不評・・・
亀戸天神を出て、ほぼ隣り、
東にしばらく行くと、普門院があります。
敷地も亀戸天神と同じくらいあります。
末寺数ヶ寺を擁するほどのお寺で、
夏目漱石にも称賛された、
『野菊の墓』で有名な伊藤左千夫の墓もあったり、
重要なお寺と思いますが、
ちょっと手入れがよくないようで、
木々が生い茂っています・・・。
自然がいいということなのか、
うっそうとした感じです・・・。
かなり前から、
いろいろなところで書かれていますが、
評判はよくないようで残念です・・・。
 
ちょうど僧衣をまとった、
恰幅のいい僧侶が出て行くところでした・・・。
あと誰か残っているのかと思いました。
社務所に人手がないのか、
対応もよくないと書かれていましたので、
家内が御朱印をもらうとしたら、
きちんと対応してくれるか心配になったのです。
 
門を入った辺りから、
ユスリカと思われる虫の群れが飛び回っていました。
この日は、あちこちで、
ユスリカの群れがありましたが、
普門院ではいたる所に飛んでいました・・・。
それで、家内は一刻も早く外に出たいのか、
御朱印はいらないと言いました。
社務所の人員の心配よりも、
境内にいること自体が危ぶまれました・・・。
 
「普門」というのは、
「どこから入ってもよい門」という意味で、
『観音経』の原題にも使われる仏教用語だそうです。
だからというのではないでしょうけど、
ネットでの書き込みなどによると、
門は開けっぱなしのようで、
「来る人拒まず」のようです・・・。
おおらかなのか、
広い心でおられるのでしょうか。。。
手入れが行き届いていなかったり、
虫が多かったりすると、
歓迎されても拒みたくなってしまいがちです。。。
 

06亀戸天神・他
七福神の各寺社は、
小さくてもそれなりに大きかったりしますので、
どこが入り口かわからないと、
ぐるっと回らなければなりません。
ネットで各寺社の境内の案内図を探しましたが、
ほとんどありませんでした・・・。
ネット・マップで確認できる所もありましたが、
わかりにくい所もありました。
入り口だけでなく、
お堂や碑の場所などもわかりません。
行ってすぐに見つかる所ならよいのですが、
普門院はその前の段階でリタイヤしそうでした。
突き当りが本堂で、
毘沙門天のお堂は、
その手前左側にあるのがそうだとわかりました。
お堂の入り口が、本堂のほうを向いていて、
一見、わかりづらくなっていました・・・。
毘沙門天のお堂と並んで、
世界大戦の『三月十日の大空襲』で、
亡くなられた方々を悼む碑がありました。
『三月十日の大空襲』は、
我が家にとっても忌々しいことでしたので、
碑が陰に隠れているようで残念に思いました・・・。
 
 
◎伊藤左千夫
門の所に、
「伊藤左千夫の墓」という碑があり、
これがお墓と思う人もいるかもしれませんが、
奥のほうに墓地があり、
その一角にきちんと伊藤左千夫のお墓もあります。
毘沙門天のお堂の奥に、墓地があるのが見えました。
墓地の中間の一角で、
うっそうとした木々に囲われた所らしいです。
伊藤左千夫のお墓は、
欠けたりして傷んでいますが、
戦災によるものらしいです・・・。
 
伊藤左千夫は、
千葉の成東生まれですが、
1989年、25歳のとき、
錦糸町駅辺りに牧舎を建て、
牛乳を出荷していたとのことです。
駅前の広場辺りで、
掲示板が建てられています。
当時、総武本線は、
1894年には佐倉から市川、本所(錦糸町)まで開通し、
1904年に両国、
1932年ようやく御茶ノ水まで接続しています。
ということですので、
鉄道・駅ができる前から、
牧場をやっていたのですね・・・。
駅前になる所で。。。
先見の明があったのか、
知り合いから教えてもらっていたのか、
どうだったのでしょうね。。。
 
しかし、
1910年(明治43年)の水害などにより、
晩年は大島6丁目に牧場を移し、
家族で住んでいたということです。
なんと、
私の母は、大島6丁目で生まれていますから、
すぐ近くに住んでいたのですね・・・。
しかし、
伊藤左千夫は1913年に亡くなっていて、
私の祖父母が上京したのは1917年で、
大島6丁目に住みはじめたのは、
1920年代だと思いますので、
伊藤左千夫が住んでいたことを、
知っていたかどうかはわかりません。
大島6丁目の家は戦争で建て直し、
私が子供の頃まだあり、
何度か行ったことがあります。
そんな近くだったのですね・・・。
 
『野菊の墓』は、
細川たかしの『矢切の渡し』で有名な矢切の渡しを挟んで、
松戸市矢切や市川市の里見公園の辺りと、
帝釈天で有名な葛飾柴又の辺りが舞台になっています・・・。
私の住んでいる市川市にも縁があり、
私にとっては、身近に思われます・・・。
原作は読んだことはないと思いますが、
私の大好きな山口百恵や松田聖子が、
ドラマや映画で主演したのを、
何度となく見たことがあります。。。
 
 
 
◎鐘ヶ淵・カネボウ・カネカ
普門院は元々、千住にありましたが、
江戸初期、亀戸に移転しました。
その際、
南千住辺りで梵鐘を隅田川に落としてしまい、
そこを「鐘ヶ淵」と呼ぶようになったということです。
千住といっても、
「石浜」という所にあったといいますから、
現在の南千住3丁目辺りですので、
運び出してすぐの所で落としてしまったようです。。。
 
その地にできたのが、
『鐘淵紡績』、『カネボウ』です・・・。
紡績以外の部門を独立させ、
『鐘淵化学工業』ができ、
2004年、『カネカ』に社名変更・・・。
 
同年、『カネボウ化粧品』を独立。
ところが粉飾決算の問題が起き低迷し、
2006年、花王グループに吸収。
2013年、白斑症状の問題が起き低迷し、
翌年、花王に完全統合されます・・・。
 
一方、
2006年、カネボウ化粧品の化粧品以外の部門が、
ファンドによる会社に譲渡され、
2007年、『クラシエ』となりました。
しかし、クラシエも、
2012年、ホーユーに完全子会社化されます。
 
私は以前、
『怪談かさねが淵』の累ヶ淵と、
混同しやすかったのですが、
累ヶ淵は、茨城県水海道・・・。
ところが、
今調べているうちに、
「松浦だるま」という人が、
『怪談かさねが淵』からヒントを得、
『累』(かさね)という漫画を出しているのがわかりました。
水海道も馴染みの所ですが、
同じ「松浦」というのも、親近感を覚えました。。。
 
 
◎持経観音像
普門院には、比較的多くの文化財があります。
持経観音像は、文化財の指定はされていないようですが、
かの高村光雲の弟子で薬師寺行雲が製作といいますから、
文化財に指定されてもおかしくないと思います。
写真でしか見たことはありませんが、
とても優雅な顔立ちで、
さすが光雲の弟子だと思わされます。
是非、この像を見たいと思っていましたが、
見ることはできませんでした・・・。
帰って来て、再度念入りに調べましたら、
なんと、門を入ってすぐの左側にあったとのこと・・・。
台座の上にあり、大きさもそこそこありますので、
見落とすわけがないのですが、
木々に囲まれていたせいか気がつかず、
虫の群れなどで足早になっていたせいもあるかもしれません。
もっと奥のほうにあるのかと思っていましたし、
光雲の弟子の作だと知ったのも帰って来てからで、
先に知っていれば是が非でも見て来たと思います。
そう考えると、とても残念です・・・。
もし、また行くようなことがあれば、
是非見たいものです。。。
 
持経観音像は、
右手に経巻を持っていて、
この経巻には仏様のすべての説法が記されているそうです。
その説法に耳を傾けて、悟りを目指す者を教え導く姿で、
観音菩薩の三十三変化身の一つということです。
この像は、
昭和20年東京大空襲の犠牲者の三十三回忌(満32年目に行う法要)で、
昭和55年に供養で奉納したものということですので、
歴史的には新しいものです・・・。
 
高村光雲の弟子で薬師寺行雲が製作ということですが、
薬師寺行雲のことを記したものが、
一つだけありました・・・。
高村光雲が1929年に著わしたもので、
『幕末維新懐古談 その後の弟子の事』、
という書の一節です。
何人もの弟子のことが書かれている、
その一部です・・・。

薬師寺行雲君は本所茅場町かやばちょうの松薪問屋の息で、
家が資産家であるから、いろいろなことを研究し、
盆栽、小鳥、尺八、書画のことなどいずれも多芸であるが、
最後に彫刻をやろうという決心で、私の門下となった。
小刀もよく切れ、原型をやってもうまく、
美術協会で銀賞を得たこともあるが、
多病と生活に追われぬためかえって製作は少なく、
今日は意に適する程度にやっている・・・

本所というのは、
今の錦糸町辺りです・・・。
 
 
 
☆亀戸香取神社
◎V6・坂本昌行・生家
普門院を出て、左(北)に少し行くと、
右折できる所があり、
曲がって道なりに行けば香取神社の参道に出ます。
約5分くらいというところでしょう・・・。
 
左はすぐ鳥居があって、香取神社の入り口になっています。
右には参道沿いに商店街があります。
蔵前橋通りのほうから入って来ると、
6軒目位に『坂本商店』という青果店があります。
そこはジャニーズの、
『V6』の坂本昌行の生家になります。
 
 


◎勝矢祭(かちやさい)
940年の『天慶の乱』を平定した俵藤太秀郷が、
礼に弓矢を奉納したものを、
「勝矢」と命名したのに因み、
毎年5月5日に『勝矢祭』が行われています。
当日は武者行列などが催されるようですが、
そのときまとう鎧兜が、
神楽殿にいくつも並べてありました・・・。
 

07亀戸天神・他
参道の両脇には、
赤く縁取られたお祭りの行燈(灯ろう)が、
1・2メートルおきに置いてあり、
お祭りの雰囲気を出していました・・・。
亀戸香取神社は、
スポーツ振興の神として多くのアスリートが参拝に訪れます。
これらの行燈には、吉田沙保里、池江璃花子などのアスリートが、
大切にしている言葉が書かれているそうです。
行燈は、お祭りに関係なく、年中置いてあるようです・・・。
 
 
◎境内
神楽殿の先の右側には、
四つの小さい社が並んで鎮座しています。
一番手前が、
熊野神社(家都御子命)、三峯神社(国常立尊・伊弉諾尊・伊弉冉命)、
水神社(水象女尊)の三つの神社の合祀殿になっています。
二つ目が、七福神の大国神(大黒天、大国主)と恵比寿神を祀る、
福神社です・・・。
三つ目が、
稲足神社(面足神・惶根神・金山毘古神・宇賀御魂神)、
四つ目が、
天祖神社(天照皇大御神)です。
 
小さい社の先の建物は神輿庫で、
江東区有形民族文化財などが展示され、
宝物殿のようになっています。
外からガラス越しに見れますが、
反射があり見づらい部分もありました・・・。
 
その奥には、
大国神と恵比寿神の尊像があります。
柄杓で『亀ヶ井戸』からの水をかけて参拝する人の、
列ができていました・・・。
この『亀ヶ井戸』は、
亀戸の地名の由来とされますが、
井戸の場所などには諸説あります・・・。
 
左側には、
社務所の他、『勝石』、
歌川広重が描いた香取神社の道祖神祭の絵とその説明の碑、
などがあります・・・。
 
 
◎亀戸大根と小松菜
亀戸大根は、
江戸野菜の一種で、
1800年代半ばに盛んに栽培されていました。
都市化が進んで、今では、
葛飾区のほうで生産されているようです・・・。
香取神社周辺が生産の中心であったことから、
発祥の地として、
『亀戸大根之碑』が境内に建てられています。
狛犬を抜けたすぐ左側の手水舎の所にあります。
 
小松菜は、
八代将軍・吉宗が鷹狩りの際、
献上されたものを気に入り、
地名から名をつけたと言われています・・・。
その場所が西小松川村(現・中央4)の香取神社で、
亀戸の香取神社の神官が献上したと言うことです。
この新小岩香取神社には小松菜の碑があり、
吉宗が訪れ、小松菜発祥の地とされています。
新小岩香取神社の神主・亀井和泉守永範が、
吉宗に御膳を献上したというのが通説のようです・・・。
亀井家は香取神社の隣りにあり、
『小松菜屋敷』と呼ばれています・・・。
鷹狩りというのは、ご存知のように、
鷹を狩るものではありません。
鷹で鳥獣などを狩るものですね。
西小松川村の辺りでは、
鶴などを狩っていたようです。
サギなども狩っていたのでしょうか・・・。
 
その前に、
地名の「小松」というのも、
吉宗がつけたという話もあるようです・・・。
吉宗ではなく、
三代将軍・家光だったとうい説もあります・・・。
また、小松菜はそれ以前、
『葛西菜』と呼ばれていたようです。。。
なお、この『葛西』というのは、
下総国葛飾郡の西半分をさし、
隅田川と江戸川の間の地域でした。
現在の墨田区、江東区、江戸川区、葛飾区の辺りになります。

08亀戸天神・他
 
 
 
☆東覚寺
亀戸香取神社は東側が四ツ目通りに面しています・・・。
亀戸香取神社を出ると、すぐ歩道橋があります。
交通量が多いときは、
その歩道橋を渡ったほうがいいかもしれません。
四ツ目通りを越えてすぐ南側の角を曲がると、
すぐの右の角が東覚寺です・・・。
そこを右折し、
東覚寺の入り口は南側にありますので、
もう一つ先の角で左に曲がれば、
正門が見えてきます。
 
門を入ると、左側がずっと整理されたような、
新しい感じのお墓になっています。
建物も何も全体に新しい感じでした。
御朱印をもらおうと思って、
右側の建物を見渡したのですが、
引き戸が閉まっていて、中が見えなく、
ちょっと不安げに開いたものでした・・・。
 
正門の並びに、
お寺の経営とかの喫茶室もあると、
案内が掲示されていました。
余裕があれば、
一服するのもいいかもしれません・・・。
 
七福神の弁財天のお堂は、
門を入ってすぐ右側にありました・・・。
 
 
 
 
 
☆余談
東覚寺を出ると、
もういい時間になっていました・・・。
『亀戸七福神』は3ヶ所で、四福神を巡ったところですが、
今回は、ここまでにしました。
船橋屋の臨時販売店でくず餅を買って、
錦糸町駅に戻り、食事をして帰って来ました・・・。
あと3ヶ所で、
龍眼寺と天祖神社は、
亀戸天神社のすぐ北側にありますが、
常光寺は少し離れています。
 
常光寺は、
東武亀戸線で一つ隣りの、
亀戸水神駅のほうが最寄り駅になっています。
亀戸水神駅といえば、
知人が亀戸水神の駅長をやっていたこともありました。
常光寺の隣りには江東商業高校があり、
私の中学生のとき最も好きだった人が行った高校でした。
お互い祖父の名前が、偶然同じでした・・・。
偶然なのですが、
高校の部活で江東商業に行ったことがあり、
偶然出会わないかと願ったものでした・・・。
今回、東覚寺から四ツ目通りを蔵前橋通りまで行ったとき、
見覚えのあるセーラー服を着た女子高生数人に出会いました。
江東商業の学生でした・・・。
その制服を、かなり久しぶりに見ました・・・。
戻れるものなら戻りたい気持ちになりました。。。

   
なんと、
私が生まれた家から、昔、日立製作所のあった所を通り、
亀戸水神駅、亀戸水神宮、常光寺、
江東商業高校までは一本道なんです・・・。
江東商業には、縁があったのかなかったのか、
多少曲がりくねってはいますが、
道なりなんです・・・。
さらにその先には、東覚寺があり、
亀戸香取神社に突き当たります。。。
もし、
その道をそのまま数百メートル延ばせば、
普門院や、亀戸天神社を通ることになり、
今思えば、貴重な道だったのだと思います。。。
 
 
 
 
 
☆亀戸の芸能人等
◎坂本昌行:『V6』
亀戸香取神社の参道の、『坂本商店』が生家。
 
◎持田香織:『ELT(Every Little Thing)』
亀戸天神や香取神社のあるのが亀戸3丁目で、
3丁目と亀戸駅の間が2丁目ですが、
そこに持田香織が住んでいました。
実家はまだ近隣にあるようです・・・。
 
◎おりも政夫:『フォーリーブス』
平井に近い所になりますが、
亀戸中学校で、1学年下の私の幼馴染みが、
同じクラスだったとのことです。
 
◎佐藤秀光:『COOLS』
『COOLS』は、
舘ひろしと岩城滉一を中心に結成されたバイクチームで、
矢沢永吉の『キャロル』の親衛隊を勤めたのち、
ロックンロールバンドとしてデビュー。
『クレイジーケンバンド』の横山剣も、
一時所属していて、現在も時々ゲスト参加しています。
田代まさし(元『シャネルズ』・『ラッツ&スター』)も、
最近よくゲスト参加しています・・・。
 
佐藤秀光は、1951年4月1日生まれ、江戸川区在住。
結成当初からのメンバーで、ドラマー兼リーダー。
亀戸でハーレー&トライクカスタムショップ、
『CHOPPER』を経営。
なんと、その店舗の向かいを入った所が、
私の本籍地になります!!!
 
『CHOPPER』&佐藤秀光は、
テレ東の『モヤモヤさまぁ~ず』に登場し、
ドラム・ソロを披露・・・。
 
 
◎田中圭:俳優
今、最注目の俳優。
隣の江東区大島生まれですが、
小5から20歳まで亀戸に住んでいました。
私の母同様、大島生まれで、
亀戸に移住です・・・。
バスケットボール等、スポーツ万能で、
学業も百点以外取ったことがない、
という時期もあったくらい優秀。
 
◎飯島愛:タレント
坂本昌行と同じ中学校で1学年下。
持田香織の姉と同級生。
生まれたのは五之橋近くのようで、
実家は亀戸駅近くのマンション。
中1のときはとても成績優秀だったよう・・・。
 
 
◎池江璃花子:競泳選手
江戸川区小岩の出身ですが、
中学生になってから、
亀戸のスポーツクラブ『ルネサンス亀戸』に所属です。
 
◎佐藤江梨子:タレント
小学生のときは福住剣友会、
東陽フェニックス(野球)所属。
中学生で江戸川南リーグ(リトルリーグ)に所属。
砂町出身?
 
 
 
 
 
 
 
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 (参考)
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<亀戸天神社>
・御祭神
天満大神:菅原道真公 (てんまんおおかみ)
天菩日命:菅原家の祖神(アメノホヒノミコト)
 
1646年、
九州太宰府天満宮の菅原道真の末裔の神官、
菅原大鳥居信祐公が神のお告げにより、
亀戸天神社を創建。
関東などに十社ほどの天神様を祀り、
全国に天神信仰を広めた。
 
 
 
 
 
☆亀戸七福神
①龍眼寺(りゅうげんじ)    ◎布袋尊
  亀戸3-34-2
②天祖神社(てんそじんじゃ)  ◎福禄寿
  亀戸3-38-35
③普門院(ふもんいん)     ◎毘沙門天
  亀戸3-43-3
④香取神社(かとりじんじゃ)  ◎恵比寿神 ◎大国神
  亀戸3-57-22
⑤東覚寺(とうかくじ)     ◎弁財天
  亀戸4-24-1
⑥常光寺(じょうこうじ)    ◎寿老人
  亀戸4-48-3
 
亀戸七福神のうち四つは、
亀戸天神社と同じ、
亀戸3丁目の一角にあります。
東覚寺は4丁目ですが、
香取神社から明治通りを渡ってすぐの所です。
常光寺も4丁目ですが、
少し離れていて、
亀戸水神駅の近くになります。
 
御朱印は、
正月は色紙を売っていて、
それにすべての御朱印をもらえるようになっています。
手書きが300円で、スタンプが200円のようです。
もちろん持参の御朱印帳でもかまいません。
 
 
【距離】
亀戸駅 →(900m位)→ 亀戸水神駅
 ↓ (1100m位)
<亀戸天神社>
 ↑ (1200m位)
錦糸町駅 →(1300m位)→ 亀戸駅
---------------------
<亀戸天神社>→(300m位)→ 普門院
 ↓ (430m位)
龍眼寺
 ↓ (300m位)
天祖神社
 ↓ (620m位)
普門院
 ↓ (370m位)
香取神社
 ↓ (240m位)
東覚寺
 ↓ (460m位)
常光寺 →(930m位)→ 亀戸駅
 ↓ (480m位)
亀戸水神駅
 
亀戸天神社を含めてすべて回ると、
4000~4200m位で、
1時間半~2時間程度のコースになります。
 
 
 
 
 

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①龍眼寺(りゅうげんじ)
 亀戸3-34-2
◎布袋尊:清簾度量のご利益。
・天台宗 慈雲山 無量院 龍眼寺。
・本尊:聖観世音菩薩
・創建年代:1395年。
・「萩寺」:江戸初期に百種類もの萩。
 江戸名所図会にも描かれる。
・松尾芭蕉の句碑。
・落合直文の歌碑。
 
 
②天祖神社(てんそじんじゃ)
 亀戸3-38-35
◎福禄寿:人望福徳のご利益。
・祭神:天照皇大御神。
・推古天皇の時代に創建、聖徳太子作のご神体が祀られていた。
・織田信長がこの神社で流鏑馬の行事を行わせたところ、
 悪病がたちまち収まったと伝えられ、病気を治す祈願が多い。
 
 
③普門院(ふもんいん)
 亀戸3-43-3
◎毘沙門天:勇気授福のご利益。
・真言宗智山派 福聚山 善応寺 普門院。
・本尊:大日如来。
・創建年代:1522年。
・1616年、千住から移転。
 その際、梵鐘を隅田川に落とし「鐘ヶ淵」となった。
・徳川の将軍が鷹狩りで寄り、松に腰掛けた。
・伊藤左千夫の墓。『野菊の墓』の作者。
・幕末の名横綱「秀ノ山雷五郎」の墓。
・大島伯鶴(二代目)の歌碑(門の右側)。講釈師。
・持経観音像:薬師寺行雲が1980年製作。
 ※高村光雲の弟子。(門を入ってすぐ左)
・弘法大師府内88か所の内40番札所。
 
 
④香取神社(かとりじんじゃ)
 亀戸3-57-22
◎恵比寿神:愛敬富財のご利益。
◎大国神(大黒天、大国主):有富蓄財のご利益。

・御祭神:経津主神(ふつぬしのかみ)。
・区内で最も古い歴史を持つ神社。
・中臣鎌足が東国下向の際に勧請したと伝えられる。
・平将門の乱のとき、俵藤太秀郷が当社に戦勝を祈り、
 祈願成就の後、弓矢を奉納。
・古来より武運長久の神として、
 現在ではスポーツの振興の神として親しまれている。
 有名なスポーツ選手も多く参拝。
・亀戸大根の碑。
 
 
⑤東覚寺(とうかくじ)
 亀戸4-24-1
◎弁財天:芸道富有のご利益。
・真言宗智山派 法号山 東覚寺。
・本尊:大日如来。
・創建年代:1531年。
・江戸時代には「亀戸不動」として有名。
・覚王寺と合併し、大日如来と阿弥陀如来がご本尊。
・弘法大師ゆかりの八十八ヶ所の73番目の札所。
 
 
⑥常光寺(じょうこうじ)
 亀戸4-48-3
◎寿老人:延命長寿のご利益。
・曹洞宗 西帰山 常光寺。
・本尊:阿弥陀如来 ※行基作。
・創建年代:737年。
・「江戸六阿弥陀詣」の6番目の霊場。
 
 
 
 
 
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特に同じ学年のかたなら、
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学年・年齢は違っても、
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