<三嶋神社の所のお兄さん>『春の小川』 | ☆同窓生の窓☆西一之江小&松江五中

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<三嶋神社の所のお兄さん>『春の小川』
 
★三嶋神社の所のお兄さん
子供の頃、
なぜか年上の人との関わりが多くありました。
中でも思い出深いのが、
三嶋神社の所に住んでいた人でした。
当時、大学生と言っていましたから、
私が7・8才でしたから、
干支にすると一回りも違っていました・・・。
西一之江の南の外れ、
現在の松江6丁目にある、
境川沿いの神社です。
すぐ近くに新大橋通り(船堀橋通り)ができ、
都営新宿線も重なるように地下を走っています。
子供の頃には思いもつかなかったことですね。。。
01三嶋神社
↑  ↑  ↑ 2018年 三嶋神社
 
★きれいな小川
昔、西一之江は、田畑が多く、
用水路が縦横に張り巡らされていました。
西一之江小の東側の道、
松江六中へと続く道の片側も、
用水路になっていました。
用水路といっても、
きれいな小川でした・・・。
川の両側は斜面になっていて、
草が生えていました・・・。
道路も舗装されていず、
土の道でした・・・。
まさに、
『春の小川』を彷彿させるような小川でした。
西一之江小の南東の角、
松江五中へ行く道には、
小さい橋が架けられていました。
たぶん、木の橋だったと思います。。。
02三嶋神社
↑  ↑  ↑ 1960年頃 西一之江小 イメージ
 
03三嶋神社
↑  ↑  ↑ 2015年 西一之江小
 
04三嶋神社
↑  ↑  ↑ 1963年 西一之江小周辺
 
★魚やザリガニ取り
小学低学年の頃、
その西一之江小の南東の角にある橋の脇で、
時々、遊んでいました。
一人のときもありましたが、
たぶん、中山隆人君など、
何人かと遊んでいました。
川の水量はあまり多くありませんが、
メダカやザリガニなどがいました。
フナやハゼ、クチボソなどもいました。
たまにライギョ(雷魚)がいました。
ライギョといっても、
本当にライギョだったかは定かではありません。
何度か見ましたが、
20cmくらいで、ナマズのようでした・・・。
遊ぶといっても、
川の中に何かいないか覗いたり、
探したりするだけがほとんどでした。
川の淵にしゃがみ、
水の中を覗き込んだり、
何かいないか歩き回っていました・・・。
トンボ取りの網のようなもので、
すくって小魚などを取ることもありました。
上級生達は、
小さめの四つ手網などで、魚を取っていて、
自分も四つ手がほしいと思っていました。。。
 
★大学生
あるとき、
同じように川端で、一人か数人でいると、
通りかかった男の人が、
「何か取れた?」とか、
「何かいる・・・?」と、声をかけてきました。
他にも誰かいたと思うのですが、
なぜか自分にだけ話しかけていました。
その日だけでなく、
それから何度か、
声をかけてくれるようになりました。
こちらもそのお兄さんを見つけると、
手を振ってあいさつするようになりました。
ある日、
いくつかとか聞くと、
大学生と答えました。
今思えば、
当時はまだ大学生は珍しかったので、
本当だったのかどうかはわかりません。
もしかしたら、
大学生くらいの年齢、
ということだったのかもしれません。
 
★今なら・・・
顔見知りになり、
どこに住んでいるのかと聞いたこともありました。
三嶋神社の所だと聞き、
こちらからついて行っていいか聞いたか、
あちらから来るかいと言ったのか、
その大学生という人の家まで、
ついて行ってしまいました。
今なら、そんなことをしたら、
誘拐で通報されたり、
犯罪呼ばわりされてしまいますね。
悪い人だったら、
大変なことになっていたのかもしれません。。。
 
★三嶋神社の所の家
そのお兄さんの家は、
三嶋神社の隣、
境川のほうから神社につながる、
細い道を入ってすぐの所にありました。
二棟が連なっていたように記憶し、
手前のほうは、
物置のような感じではなかったかと思います。
母屋のほうも小さい家で、
土間のような台所のような所に、
入った覚えがあります。
ガラス窓などもあり、
それほど暗いという印象はありませんでした。
でも部屋のほうがどうなっていたのかは、
ほとんど覚えていません・・・。
 
★その後・・・
その後は一人で、何度か行ったことがありました。
誰かと行ったような記憶もありますが、
定かではありません・・・。
行っても土間の所で立ち話だけだったのか、
部屋に上がった記憶がありません・・・。
ある日訪ねて行ったとき、
土間の所でお母さんと話をしていて、
お兄さんが部屋の奥のほうから出てきた、
という記憶もあります・・・。
奥のほうと言っても、
小さい家だったと思いますので、
そんなに奥のほうでもなかったのかと思いますが・・・。
そのうち行かなくなっていましたが、
何年も経ってからも、
何回か行った記憶があります。
そのお兄さんに会うのが目的というより、
三嶋神社はたまに遊びに行っていましたので、
ついでに様子を見ていたという感じです。
小学高学年のときが最後だったのか、
その後も三嶋神社には、
たまに行っていましたが、
お兄さんに会った記憶がありません・・・。
高校生のときか、
社会人になって間もない頃、
三嶋神社で写生をしたことがありました。
神社と境川の間には蓮田があり、
蓮の花がたくさん咲いていましたので、
きれいだと思って描きました・・・。
そのときも、
お兄さんと会った記憶もないし、
家がどうだったかという記憶もありません・・・。
 
★変遷・・・
しかし、
お兄さんの家は、いつの間にか、
比較的早い時期になくなっていたようです・・・。
05三嶋神社
↑  ↑  ↑ 1947年
1947年の航空写真では、
木が生えているのがわかりますが、
家なのかどうかは判別できません。
この木の辺りに、
なんとなく家があるように見えますが・・・。
家の位置も、
小道の右側だったか、左側だったかも、
記憶が曖昧になってしまいました・・・。
06三嶋神社
↑  ↑  ↑ 1963年
1963年の航空写真では、
木も無くなって、
家も何もない更地になっているようです・・・。
私が高学年のときは、
すでに家がなくなっていたようです・・・。
07三嶋神社
↑  ↑  ↑ 1975年
1975年の航空写真では、
また木が生えているようにも見えます。
08三嶋神社
↑  ↑  ↑ 1980年
1980年の航空写真では、
家が建ち、
脇道づたいに一列に、
工場のような家が連なっています・・・。
1980年以降現在までは、
ほとんど変わっていないようです・・・。
09三嶋神社
↑  ↑  ↑ 2018年
現在、
地図では『長谷川建具』という表記になっています。
その辺りはすっかり変わっています・・・。
 
★『春の小川』
江戸川区の田畑の用水路は、
用水路→小川→ドブ川→暗渠(あんきょ)になり、
歩道・車道の下になってしまいました・・・。
場所によっては、下水道になっているようです・・・。
低学年のときは、きれいな小川でしたのに、
あっという間に工場や住宅が増え、
高学年になった頃は、
すっかりドブ川になっていました・・・。
下水道が整備されていませんでしたから、
工場排水や家庭からの排水が、
すべて川に流されていたのでしょう。。。
暗渠になった当初は、
コンクリート板を敷き詰めただけで、
ただフタをしただけでしたが、
最近は、舗装され跡形もなくなっているようですね・・・。
新しく引越して来た人は、
そこに川があったなんて、
すっかりわからなくなっています。
『春の小川』で知られる渋谷川などが暗渠になったように、
ほぼ同時期、江戸川区でもそうなりました・・・。
 
『春の小川』は、高野辰之が作詞し、
渋谷区代々木周辺を流れる河骨川(こうほねがわ)が、
舞台になったとも言われています・・・。
スイレン科のコウホネという黄色い花が、
たくさん咲いていたそうです・・・。
河骨川は、宇田川に流れ込み、
さらに渋谷川に合流しています。
渋谷駅の辺りの渋谷川の暗渠は、
時々、テレビの番組でも、
『春の小川』と紹介されていますね・・・。
 
★はるか昔の思い出・・・
半世紀以上も昔の、
のどかな時代のできごと・・・。
その後、
あのお兄さんはどうしたのか・・・。
どいう人生を送ったのか。
そろそろ80才近いので、
元気でいるのか・・・。
こちらが覚えていても、
相手にしてみれば些細なことで、
記憶のかけらにもなっていないことがあります。
できれば、
同じ思い出を語り合い、
共有できると嬉しいのですが。。。
 
 
 
 
 
 
 
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↑松浦稔(1952年7月7日生)↑
 
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