<野ションのお婆さん> | ☆同窓生の窓☆西一之江小&松江五中

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西一之江小&松江五中の卒業生のブログ

<野ションのお婆さん>
 
『男はつらいよ』の、
渥美清さんことフーテンの寅さんの口上の一節に・・・

けっこう毛だらけ猫灰だらけ、
お尻のまわりはクソだらけ。
見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ。
 
タコはイボイボにわとりゃハタチ、
イモむしゃ十九で嫁に行く。
 
黒い黒いは、何見てわかる、
色が黒くてもらいてなけりゃ、
山のカラスは後家ばかり。
ヤケのヤンパチ日焼けのナスビ、
色が黒くて食いつきたいが、
あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときやがった。
 
ものの始まりが一ならば、
国の始まりが大和の国、
島の始まりが淡路島。
泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、
博打打ちの始まりが熊坂の長範(ちょうはん)。
 
続いた数字が二。
兄さん寄ってらっしゃいは、吉原のカブ。
仁吉(にきち)が通る東海道、
日光結構東照宮、憎まれ小僧が世に憚る(はばかる)。
仁木(にっき)の弾正、
お芝居の上での憎まれ役、ときた。
 
続いて数字が三ならば、
三三六法で引き目がない。
産で死んだが三島のお千。
 
続いた数字が四つ。
四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。
白く咲いたか百合の花。
四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、
粋な姐ちゃん立ちションベン・・・。

 
 
 
四谷、赤坂、麹町でもない西一之江・・・。
粋な姐ちゃんでもありませんでしたが、
子供の頃、
立ちションベンされている女性を見かけました・・・。
お姐ちゃんどころか、
お婆ちゃんでしたが・・・。
さすがの昔でも、
そうそうは若いお姐ちゃんが、
そんなことをしているわけがありません・・・。
電車やバスで、赤子に乳を与えているのは、
何度か出合いましたが。。。
 

野ション
見かけたのは、
西一之江小のすぐ近くで、
東側の通りを、上田工舎の前を通り、
現在の松江六中のほうへ行った所でした。
当時は、
道は舗装されていず、土の道で、
片側には小川が流れていました。
ほぼのどかな田園風景という感じでした・・・。
 
私は、たぶん低学年だったと思います。
西一之江小の辺りから、
上田工舎の前ぐらいの所で、
向こうから和服を着た女性が来るのに気づきました。
あまりキレイな感じではないような、
茶系の着物のように記憶しています。
子供ながらも、
その人が小柄に思えました。
何か風呂敷包みのような、
荷物を持っていたように思います。
年齢は、お婆さんのように記憶していますが、
もしかしたらもっと若かったのかもしれません。
子供の見た目ですから、
実際より年上に見えていたかもしれません。
 
すると、
川端に佇み、荷物を置いて、
小川のほうを向きました。
ここで、
記憶が定かではなくなってしまったのですが、
立ったままだったか、
しゃがみ込んだのか思い出せません。
ただ、何やら小便をしているのはわかりました。
先に「立ちションベン」と書きましたが、
もしかして、立ってはいなかったのかもしれません。
いずれにしても、
『野ション』には違いありませんでした・・・。
 
私は、
それに気がつき、
どうしたかもよく覚えていませんが、
たぶん気がつかないフリをして、
そっと通り過ぎたのだと思います。
それでも、何度か振り返って、
自分の目を確かめたのではなかったかと思います。
お互い、
何事もなかったように去りました。。。
 
なお、
小川の向こうに工場などの、
建物がいくつかあったと思いますが、
1963年の航空写真よりは、
数年前のことですので、
少なかった可能性もあります。
建物があったとしても、
シャッターが閉まっていたり、
壁が多かったように思います。
また、
川端には、いくらか背のある草も、
生えていたのではないかと思います。
ですから、
向かいから見られるということは、
なかったのかもしれません・・・。
 
この西一之江小の東側の道では、
いろんなことがあって、
私の中では、
思い出深い道となっています。。。
 
そしてそれは、
子供ながらも記憶に残ることになりました。
そういう風景?も、
その頃で最後ではなかったかと思うからです。
物心がつく前で、物事にうとかった自分でも、
時代の変わり目や流れを、
感じていたのかもしれません。。。
 
 
 
 
 
ところで、
フーテンの寅さんで有名な、
葛飾・柴又の帝釈天ですが、
何度となく行っていますし、
すぐそばを通るのは数え切れません。
江戸川沿いの土手道を通ったり、
柴又街道を通ったり・・・。
自転車で土手道を行ったときは、
土手脇にある『寅さん記念館』の所で、
トイレ休憩します・・・。
しかし、『寅さん記念館』には、
まだ入ったことはありません。
帝釈天といえば、
ちょっとした縁もありました。
仲のよかった友達の親戚でした。
同じ会社で、たまたま同じ歳で、
仲よくなったものでした・・・。
うちの親戚が神社系で、
彼の親戚がお寺系で、
どこか引き合うものがあったのでしょうか・・・。
 
帝釈天といえば、
王貞治さんや、
錦織圭さんなども祈願に来られたとか・・・。
皆さんにもご利益がありますように。。。
 
 
 
 
続いて、

七つ長野の善光寺
八つ谷中の奥寺で、竹の柱に萱の屋根、
手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。
信州信濃の新そばよりも、
あたしゃあなたのそばがよい。
あなた百までわしゃ九十九まで、
ともにシラガの生えるまで、というのが本当。
 
角は一流デパート、赤木屋黒木屋白木屋さんで、
紅、白粉(おしろい)つけたお姉ちゃんから、
くださいちょうだいでいただきますと、
千や二千はくだらない品物ですが、
今日はそれだけくださいとは言いません。
 
虎は死して皮を残す。
人は死んで名を残す。
私とて絵心のない人間ではない。
自分の好きな絵は誰にも売り渡したくない。
ましてや気に入らない絵は売りたいわけがない。
いっそのこと我が家の庭にある土蔵の中に、
全部しまっておきたい。
だが、
私にも生活というものがある。
故郷には女房子供が腹をすかして待っている。
 
盛者必滅、会者定離。
会うは別れの始まりと誰が言うた。
当たるも八卦、当たらぬも八卦、
人の運命などというものは誰れにもわからない。
そこに人生の悩みがあります。
 
驚き桃の木山椒の木、
ブリキに狸に蓄音機。
 
男は度胸、
女は愛嬌で坊主がお経、
オカズは桃屋の花ラッキョウ。

    v(^^)v
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 
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