<野ションのお婆さん>
『男はつらいよ』の、
渥美清さんことフーテンの寅さんの口上の一節に・・・
「
けっこう毛だらけ猫灰だらけ、
お尻のまわりはクソだらけ。
見上げたもんだよ屋根屋のフンドシ。
タコはイボイボにわとりゃハタチ、
イモむしゃ十九で嫁に行く。
黒い黒いは、何見てわかる、
色が黒くてもらいてなけりゃ、
山のカラスは後家ばかり。
ヤケのヤンパチ日焼けのナスビ、
色が黒くて食いつきたいが、
あたしゃ入れ歯で歯が立たないよときやがった。
ものの始まりが一ならば、
国の始まりが大和の国、
島の始まりが淡路島。
泥棒の始まりが石川の五右衛門なら、
博打打ちの始まりが熊坂の長範(ちょうはん)。
続いた数字が二。
兄さん寄ってらっしゃいは、吉原のカブ。
仁吉(にきち)が通る東海道、
日光結構東照宮、憎まれ小僧が世に憚る(はばかる)。
仁木(にっき)の弾正、
お芝居の上での憎まれ役、ときた。
続いて数字が三ならば、
三三六法で引き目がない。
産で死んだが三島のお千。
続いた数字が四つ。
四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。
白く咲いたか百合の花。
四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、
粋な姐ちゃん立ちションベン・・・。
」
四谷、赤坂、麹町でもない西一之江・・・。
粋な姐ちゃんでもありませんでしたが、
子供の頃、
立ちションベンされている女性を見かけました・・・。
お姐ちゃんどころか、
お婆ちゃんでしたが・・・。
さすがの昔でも、
そうそうは若いお姐ちゃんが、
そんなことをしているわけがありません・・・。
電車やバスで、赤子に乳を与えているのは、
何度か出合いましたが。。。
見かけたのは、
西一之江小のすぐ近くで、
東側の通りを、上田工舎の前を通り、
現在の松江六中のほうへ行った所でした。
当時は、
道は舗装されていず、土の道で、
片側には小川が流れていました。
ほぼのどかな田園風景という感じでした・・・。
私は、たぶん低学年だったと思います。
西一之江小の辺りから、
上田工舎の前ぐらいの所で、
向こうから和服を着た女性が来るのに気づきました。
あまりキレイな感じではないような、
茶系の着物のように記憶しています。
子供ながらも、
その人が小柄に思えました。
何か風呂敷包みのような、
荷物を持っていたように思います。
年齢は、お婆さんのように記憶していますが、
もしかしたらもっと若かったのかもしれません。
子供の見た目ですから、
実際より年上に見えていたかもしれません。
すると、
川端に佇み、荷物を置いて、
小川のほうを向きました。
ここで、
記憶が定かではなくなってしまったのですが、
立ったままだったか、
しゃがみ込んだのか思い出せません。
ただ、何やら小便をしているのはわかりました。
先に「立ちションベン」と書きましたが、
もしかして、立ってはいなかったのかもしれません。
いずれにしても、
『野ション』には違いありませんでした・・・。
私は、
それに気がつき、
どうしたかもよく覚えていませんが、
たぶん気がつかないフリをして、
そっと通り過ぎたのだと思います。
それでも、何度か振り返って、
自分の目を確かめたのではなかったかと思います。
お互い、
何事もなかったように去りました。。。
なお、
小川の向こうに工場などの、
建物がいくつかあったと思いますが、
1963年の航空写真よりは、
数年前のことですので、
少なかった可能性もあります。
建物があったとしても、
シャッターが閉まっていたり、
壁が多かったように思います。
また、
川端には、いくらか背のある草も、
生えていたのではないかと思います。
ですから、
向かいから見られるということは、
なかったのかもしれません・・・。
この西一之江小の東側の道では、
いろんなことがあって、
私の中では、
思い出深い道となっています。。。
そしてそれは、
子供ながらも記憶に残ることになりました。
そういう風景?も、
その頃で最後ではなかったかと思うからです。
物心がつく前で、物事にうとかった自分でも、
時代の変わり目や流れを、
感じていたのかもしれません。。。
ところで、
フーテンの寅さんで有名な、
葛飾・柴又の帝釈天ですが、
何度となく行っていますし、
すぐそばを通るのは数え切れません。
江戸川沿いの土手道を通ったり、
柴又街道を通ったり・・・。
自転車で土手道を行ったときは、
土手脇にある『寅さん記念館』の所で、
トイレ休憩します・・・。
しかし、『寅さん記念館』には、
まだ入ったことはありません。
帝釈天といえば、
ちょっとした縁もありました。
仲のよかった友達の親戚でした。
同じ会社で、たまたま同じ歳で、
仲よくなったものでした・・・。
うちの親戚が神社系で、
彼の親戚がお寺系で、
どこか引き合うものがあったのでしょうか・・・。
帝釈天といえば、
王貞治さんや、
錦織圭さんなども祈願に来られたとか・・・。
皆さんにもご利益がありますように。。。
続いて、
「
七つ長野の善光寺、
八つ谷中の奥寺で、竹の柱に萱の屋根、
手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。
信州信濃の新そばよりも、
あたしゃあなたのそばがよい。
あなた百までわしゃ九十九まで、
ともにシラガの生えるまで、というのが本当。
角は一流デパート、赤木屋黒木屋白木屋さんで、
紅、白粉(おしろい)つけたお姉ちゃんから、
くださいちょうだいでいただきますと、
千や二千はくだらない品物ですが、
今日はそれだけくださいとは言いません。
虎は死して皮を残す。
人は死んで名を残す。
私とて絵心のない人間ではない。
自分の好きな絵は誰にも売り渡したくない。
ましてや気に入らない絵は売りたいわけがない。
いっそのこと我が家の庭にある土蔵の中に、
全部しまっておきたい。
だが、
私にも生活というものがある。
故郷には女房子供が腹をすかして待っている。
盛者必滅、会者定離。
会うは別れの始まりと誰が言うた。
当たるも八卦、当たらぬも八卦、
人の運命などというものは誰れにもわからない。
そこに人生の悩みがあります。
驚き桃の木山椒の木、
ブリキに狸に蓄音機。
男は度胸、
女は愛嬌で坊主がお経、
オカズは桃屋の花ラッキョウ。
」
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↑松浦稔(1952年7月7日生)↑
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関係のあるかたや、
何かご存知のかたご連絡ください♪
特に同じ学年のかたなら、
とても嬉しいですが、
学年・年齢は違っても、
同じ学校、
西一之江小、
松江5中 に関係のあるかた、
是非、ご連絡ください♪
同窓生でなくても、
記事に関係することを知っているかた等、
お気軽にご連絡ください♪
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