↑ ↑ ↑ 地図(駅~法華経寺)
↑ ↑ ↑ 地図(法華経寺)
↑ ↑ ↑ 参道
↑ ↑ ↑ 赤門・日蓮聖人像
↑ ↑ ↑ 赤門・扁額
↑ ↑ ↑ 赤門
★赤門(仁王門・三門)★
黒門を抜けると、
道の突き当りに赤門が見えます。
道の左右に商店がありますが、まばらです。
シャッターの下りている店舗もあります。
八街(やちまた)産の落花生の店があったり、
お寺が多く、お墓も多いせいか、
生花店もあります・・・。
ゆるい上り坂を登りきった所に、
立派な赤門があります。
ここが最も高い位置で、
門を抜けるとわずかな下り坂になります。
本院などの伽藍は、赤門より低い所にあります。
この赤門が最も高い所にありますので、
総武線の電車の中からも見えます・・・。
門の手前の左側に、
案内板がありますので、
参考にしてみてください・・・。
赤門は、
たぶん元々は朱塗りだったのでしょうけど、
ほとんど薄れ、地肌の木の色になっていますが・・・。
法華経寺の山号寺号は、
「正中山法華経寺」といい、
門に架けられた扁額には、
「正中山」と書かれています。
これは本阿弥光悦の筆とのことです。
本阿弥家は刀剣研磨・鑑定の名家で、
光悦は、陶芸や工芸、茶の湯などを極めた芸術家で、
「寛永の三筆」の一人ともいわれた人です。
光悦は、吉川英治の小説『宮本武蔵』にも登場しています。
本阿弥家は、元来、法華宗(日蓮宗)の信者で、
法華経寺にも本阿弥家分骨墓が、
祖師堂南側の墓地内にあります。
なお、小説『宮本武蔵』には、
『法典ヶ原』や、行徳の『徳願寺』なども出てきますし、
徳願寺には武蔵筆の幽霊画などもありますが、
実際には武蔵は訪れていないと思われます。。。
赤門の通路の両側には、
「仁王門」の由来の、
よくある守り神の仁王像があります・・・。
金剛力士像とも言われ、
阿形(あぎょう)像と、吽形(うんぎょう)像が、
阿吽の呼吸で守っているのですね・・・。
こちらの仁王像も立派に見えました。。。
↑ ↑ ↑ 日蓮聖人像
赤門の右側には、
「立正安国を説くお祖師さま」と銘打った、
日蓮聖人の立像があり、目を引きます・・・。
原作は、かの高村光雲だそうです。。。
★林の参道と子院★
赤門を抜けると、わずかな下り坂になっていて、
木々の多い林の参道が約170m続きます・・・。
中央に石畳が続き、雰囲気があり参道らしくなっています。
梅の季節もいいらしいですが、
桜の木が道の両側に続き、
桜の季節にはとてもにぎわうとのことです・・・。
また、正月などは、参道の両側に屋台が並び、
参拝者で混み合っていたらしいです。。。
この林の参道の両側には、
塔頭(たっちゅう)のような境内の中の小寺院・子院が、
いくつもあります・・・。
一時は、末寺200、塔頭28を有していたとのことです。
↑ ↑ ↑ 茶店・五重塔
参道の終わり辺りには、
茶屋のようなお店が数軒並んでいます。
このお店のある所だけ、
いくらか下り坂が強くなっています・・・。
↑ ↑ ↑ 龍渕橋
その先は広くなっていて、
実質的な境内となっています。
その広場にも、桜の木が多く植えてあり、
花見にはいいかもしれません・・・。
その境となるように、
小さい川が流れていて、(※現在は水無し!?)
赤い橋が架けられています。
この橋は龍渕橋(龍閑橋)といい、
第二次大戦の終戦の年、1945年に造られたそうです。
欄干には、鬼子母神の象徴のザクロがかたどられています。
龍渕橋を渡った所が『入り口』という人もあって、
なるほど両脇には高さのある石の門柱があります・・・。
言われなければ気がつかないかもしれません。。。
↑ ↑ ↑ 案内板
石の門柱のすぐ先に、
境内の案内板がありますので、
参考にしてください。。。
★絵馬堂★
赤い橋を渡り、広場に出ると、
右端に絵馬堂があります。
今回は参道から広場に出て、
まっすぐ道なりに行ったため、
行きも帰りも絵馬堂に気がつかず、
見過ごしてしまいました・・・。
絵馬堂というのは、
祈願の絵馬を掛ける所かと思いましたが、
寄進された絵画や美術品などを展示する所で、
いくつもの板絵などが壁に掛けられています。
永井荷風によると、
「絵馬堂を見るに一孟斎芳虎の描ける烏帽子武者人物あり」
とあり、
サンフランシスコ在住のかたが奉納した、
油絵の西洋の風景画も、
だいぶ劣化した状態であったと記されています。
現在も右側の壁には、
額縁の付いた板絵の、
一孟斎芳虎の武者絵が飾られているらしいですが、
だいぶ傷んでいるようです・・・。
一孟斎芳虎は、
歌川芳虎、一猛斎、孟斎、錦朝楼ともいい、
明治初期の浮世絵師で、
歌川国芳の弟子とのことです。。。
★蒋介石像(蒋介石閣下之寿像)★
参道から小道のようになっている所を行くと、
絵馬堂の前の辺りに小さい胸像があります。
よく見ると、蒋介石の像だということがわかりました。
なぜこんな所に蒋介石の像があるのかと思いましたが、
かつての管長が蒋介石との知己で、
日本と台湾の友好を深めたいと、
1972年に建てたということでした・・・。
中二のときに来たときはなかったのですね。
あったとしても小さいし、端のほうにあるので、
気がつかないかもしれません・・・。
今回私達は、なぜかこの蒋介石像に食い入り、
絵馬堂のほうを見逃してしまいました。。。
★泣き公孫樹(いちょう)★
日蓮聖人の弟子で、法華経寺の開祖の、
日常聖人の死を悲しみ、
日頂聖人(日常聖人の弟子で義理の息子)が、
公孫樹のもとで泣き明かしたという、
『泣き公孫樹』は、
絵馬堂の裏手、通りを越えた所にあります・・・。
絵馬堂同様に、泣き公孫樹も見過ごしてしまいました。。。
↑ ↑ ↑ 五重塔
★五重塔★
参道の遠くからも見えていましたが、
広場に出ると、正面に朱色の五重塔が建っています。
周囲を木立ちに囲まれて、
五重塔の全身が見えにくくなっているのが、
写真を撮っていて、ちょっと残念に思いました・・・。
かといって木々は大事ですし、
今さら伐採することはナンセンスです・・・。
広場にも、桜の木が多くありますので、
五重塔などの伽藍と相まって、
いにしえの花見の雰囲気を味わえると思います。
この五重塔は国指定重要文化財で、
1622年の江戸時代初期の建造です。
高さが31.6メートルあります。
本阿弥光室が、
加賀藩主・前田利光の援助を受けて建てたとのことです。
関東では五重塔は、四塔しかない貴重な存在です。。。
2006年頃の、あるホームページでは、
五重塔が足場に囲まれ見えなくなっていました。
十年前位に修繕が行われていたようですね。。。
中二の遠足で、見ていたのでしょうけど、
なぜか五重塔の記憶がありません・・・。
ようやく、かすかにそれらしき記憶が、
あるかどうかという程度です・・・。
五重塔などの印象的なものは、
記憶に残りやすいのではないかと思うのですが・・・。
まさか、見ていなかったのでしょうか・・・?
↑ ↑ ↑ 大仏
★大仏(釈迦如来坐像)★
五重塔の左側には、
鋳像では千葉県一を誇る大きさの大仏があります。
1719年に鋳造され、
座高3.46メートル、総高4.53メートルとのことです。
一昨年から今年にかけて、修復されました。
2月頃だったと思いますが、
法華経寺に来たかたがホームページに、
修復中で見れなかったようなことを書かれていましたので、
もしかしたら見れないかと思っていました。
しかし、3月に終了していてよかったです・・・。
大仏像は、台座から外されての修復だったようで、
まったく見れなかったようです・・・。
おかげできれいに仕上がった大仏様を見ることができました。
逆に、昨9月9日には、
「平成大修理一般見学会」が行われ、
大仏の内部なども見られたようです・・・。
主に基壇が傾いていたのを修理したということです。
大きさは、存在感はありますが、
ちょっと小ぶりな感じです・・・。
座高3.46メートルということですが、
2メートル位にしか見えません・・・。
表情は、すっきりとした顔立ちで、
体全体も修復できれいになって、
つやつやとすっきりしています・・・。
以前の写真では、
鎌倉の大仏と同じように、
風雨にさらされていたせいか、
表面の劣化が目立っていました。。。
中二の遠足のとき、
この大仏はあったはずで、
見ていれば記憶にあってもよいと思うのですが、
なぜかこの大仏の記憶がまったくありません。。。
↑ ↑ ↑ 祖師堂
★祖師堂(大堂)★
広場に面した所に、大きなお堂があります。
一見、茅葺き屋根に見えますが、
細かい端材を敷き詰めた柿葺き(こけらぶき)です。
柿葺きは、端材といっても、
ここまで細かいのはあまりないように思います。
劇場などの新装オープンを『こけら落し』といいますが、
新築の屋根に溜まった木くずを、
払い落とすことからきているようです。
正面からではわかりませんが、
横に回ると、屋根が二つあります。
これは比翼入母屋造りといって、
他に岡山県の吉備津神社しかない珍しいものとのことです。
江戸初期の1678年に上棟されたとのことです。
入母屋造りだったものを、
1987年から10年に渡る修理のときに、
比翼入母屋造りの痕跡を発見し、
比翼入母屋造りにしたとのことです。
なんと、
その修理に関わったのは宮大工の松浦氏ということで、
私と同じ名前に縁を感じます・・・。
正面の大額の、
「祖師堂」という文字は、
こちらも本阿弥光悦の筆になるそうです。
今回、中は見ませんでしたが、
中老日法上人の作の日蓮聖人像が安置され、
両脇には当山歴代六祖の御像を奉安されているそうです。
中二の遠足のときは、
1987年からの大修理のはるか前ですので、
二つ屋根の比翼入母屋造りにはなっていなかったのですね。
でも、
祖師堂ほどの大きさのお堂を見ているとしたら、
忘れにくいのではないかと思うのですが、
すっかり思い出せません・・・。
五重塔とかと聖教殿の間にあって、
広場にも面していますので、
必ず通る所だと思うのですが、
記憶にありません・・・。
★宇賀徳正神堂★
大きな祖師堂の裏には、
三つの小さいお堂が並んでいます。
祖師堂の裏は、少し高くなっていて、
三つのお堂もそこにあります。
祖師堂右奥からの渡り廊下が高架になっていて、
その下をくぐる石階段を上がると、
宇賀徳正神堂があります。
宇賀徳正神堂は、
法華経寺の守護の宇賀徳正神の本社です。
「宇賀神」は福の神の総称で、
「弁財天」と同一視され、
財福の神として広く知られています。
裏には、清正公堂や太田稲荷も祀られています。
★法華堂、四足門★
宇賀徳正神堂の隣にあり、
国指定重要文化財になっています。
鎌倉時代の1260年、
法華経寺の開基とともに創建されましたが、
室町時代後期に再建しています・・・。
日蓮聖人自ら、一尊四菩薩を開眼安置したとのことです。
こちらにも本阿弥光悦の筆、
「妙法花経寺」、
と書かれた扁額があります・・・。
法華堂の前には、
これも国指定重要文化財の四足門が建っています。
切妻造檜皮葺で、
約七百年前の鎌倉の愛染堂にあったものを、
移築したということです・・・。
★刹堂(せつどう)★
法華堂のさらに隣には、
十羅刹女・鬼子母尊神・大黒様を祀って、
罪障消滅の霊場とされる刹堂があります・・・。
★八大龍王堂・龍王池★
今回は見ませんでしたが、
刹堂の南側には、龍王池があり、
池の小島には八大龍王堂があります。
日蓮聖人開眼の八大龍王を祀っているそうです。
雨乞の霊験があり、
商売繁盛の守護神とされているようです。
龍王池には、菖蒲や蓮・睡蓮の花、
紫陽花や銀杏の木もあり、
季節を彩っています・・・。
龍王池の蓮は、古代蓮の『大賀ハス』で、
薄桃色や白の花が咲きます・・・。
植物学者・大賀一郎博士が、
約二千年前の弥生時代のハスの種の発芽に成功したものです。
私の生まれた1952年の7月に初めて開花できたらしいです。
その大賀ハスを譲り受けて増やしたらしいです。
龍王池には、睡蓮もあり、
蓮と混同しがちです・・・。
見分けは、
葉に切れ込みや模様があり、
水面に広がっているのが睡蓮です。
蓮の葉は立ち葉で、中空にあります。。。
↑ ↑ ↑ 渡り廊下
★宝殿門と渡り廊下★
法華経寺は屋根付きの渡り廊下が張り巡らせてあり、
本院から鬼子母神堂はもとより、
本院から常修殿、荒行堂、宝殿門を抜け、祖師堂まで、
雨に濡れずに行くことができるようになっています。
その渡り廊下の途中にある櫓が、宝殿門です。
祖師堂の右側を過ぎた所の、
階段の途中に宝殿門があります・・・。
一見、渡り廊下の一部を、
下の通行のために高床式にしたような感じです。
ちょっとした砦のようにも見えます。
階上の前後の窓が開け放たれていて、
中央に太鼓が設置されているのが見えます。
↑ ↑ ↑ 聖教殿
★聖教殿★
宝殿門が聖教殿への入り口のようになっています・・・。
祖師堂の右脇の階段を上り、
宝殿門をくぐって、
こんもりとしたちょっとした林を抜けると、
右奥に異国の塔のようなものが見えてきます。
それが宝物庫である聖教殿です。。。
やはり異国風の趣きのある、
築地本願寺なども設計している、
建築家・伊東忠太氏の設計で、
1931年・昭和6年に造られたとのことです。
法華経寺の寺宝が保管されていて、
国宝の日蓮直筆の『観心本尊抄』、
『立正安国論』をはじめとした、
貴重な文化財が収められているそうです
11月の『お風入れ』の際には、
その一部を公開しているとのことです 。。。
51年前、
中二の遠足で、
この塔の前で写真を撮ったのを、
思い出していました・・・。
しかし、聖教殿がこんな奥のほうだったとは、
まったく記憶にありませんでした・・・。
バスを降りて、法華経寺の裏側から入ったとしても、
奥まっている所にありました・・・。
50年も前のわずかな時間の、
記憶が残っていること自体、すごいと思いますが、
どんどん消えて行ってしまうのは寂しいことです。。。
★日常聖人像★
祖師堂の右のほうの大仏様の並びには、
日蓮聖人の弟子で、法華経寺の開祖の、
日常聖人(富木常忍)の立像があります・・・。
日常聖人像は奥之院にもあるということです。。。
↑ ↑ ↑ 荒行堂
★大荒行堂★
祖師堂の右のほう、日常聖人像の左側から奥に行くと、
正面に大きな本院の建物が現れます。
その手前左側にあるのが大荒行堂です・・・。
毎年11月から百日間、
全国から百人を超える僧侶が集まり、
たいへん厳しい苦修練行の大荒行が行われています。
大荒行の僧侶達は、
聖教殿左にある瑞門を通り大荒行堂へ入り、
百日後に瑞門から出てくるとのことです。
地下でつながっているのか、何なのかわかりません・・・。
最初と最後の11月1日と2月10日には、
送迎の催しが行われるということです。
★本院大客殿、鬼子母神堂★
本院大客殿というのは、
本堂、寺務所、客殿、僧坊を兼ねる建物ということです。
1997年に再建された、比較的新しい建物です。
中に入ると、中央に賽銭箱が置いてありますので、
まずここでお祈りをするのでしょうか・・・。
右側には、
寺務所の受付カウンターがあるようでした。
靴を脱いで、
中央の通路を行くと、
突き当りに鬼子母神堂があるようです。
靴を脱ぐのも面倒ですし、
寺務所の雰囲気などが物々しいので、
私達は入り口を入った所で引き返しました。。。
★奥ノ院★
絵馬堂と泣き公孫樹の間の道路を、
さらに500メートルほど行った所に、
奥ノ院はあります・・・。
少し離れていますので、
今回はパスしました・・・。
日蓮聖人がはじめて説法をした地とされ、
法華経寺第一世貫主の日常聖人が、
法華寺を建立した所になるそうです。
こちらにも日常聖人像があるそうです。
★法華経寺とゆかりの文人・芸術家★
・本阿弥光悦(1558~1637)
安土桃山から江戸初期にかけて活躍した芸術家。
本阿弥家は刀剣研磨・鑑定の名家。
光悦は、陶芸や工芸、茶の湯なども極め、
「寛永の三筆」とも呼ばれるほど達筆でした。
法華経寺には、
本阿弥光悦筆の扁額が三点あります。
祖師堂の「祖師堂」、
法華堂の「妙法花経寺」、
仁王門の「正中山」と書かれたものです。
また、本阿弥光悦と本阿弥家の分骨墓もあり、
いずれも市川市指定の文化財です。
・連歌師宗長(1448~1532)
室町時代、静岡県(駿河国)出身の連歌師。
宗祇の門に入り、旅行にも多く同行し、
自らも関西や東国、北国などを旅行していて、
手記や日記などに残しています。
「あづま路のつと」(1509年)に、
「中山の法花堂本妙寺」と記しています。
・正岡子規(1867~1902)
明治の愛媛県松山生まれの俳人・歌人。
俳誌「ホトトギス」により活動し、
「ホトトギス」派、「アララギ」派の礎となった。
中山法華経寺詣でをし、
「命なり小夜の中山秋の蝶」
などの句を残しています。
・高濱虚子(1874~1959)
正岡子規の弟子で愛媛県松山生まれの俳人・小説家。
「ホトトギス」を主宰。
小説「柿二つ」、「鶏頭」、「俳諧師」など。
写生文集「中山寺」に、
訪れた法華経寺や市川・八幡のことを記しています。
「子規の日蓮好き」と言うくらい、
まだ24才だった虚子は、子規の影響で訪れたと思われる。
虚子は祖師堂に腰をおろし、
物思いにふけっていたようです。
・斎藤緑雨(1867~1904)
明治の三重県出身の小説家、評論家、随筆家。
小説「油地獄」など。
緑雨は、借金取りから逃れて市川に住んでいたそうです。
「中山なる法華経寺の會式に參りたる時・・・」
などと記しています。
・永井荷風(1879~1952)
東京生まれの小説家。
戦後、間もない1946年から市川市に居住。
「あめりか物語」、「ふらんす物語」、
「深川の唄」、「すみだ川」など。
日記「断腸亭日乗」には、
散策した市川の様子が記され、
法華経寺の絵馬堂のことなどが書かれています。
法華経寺から中山競馬場まで行ったことも書かれていて、
私の中二のときの遠足と似たコースを歩いていたようです。
私が生まれた年に亡くなっていたのですね。。。
・毛塚静枝(1920~)
茨城県生まれの俳人。
1937年から市川在住。
市川や中山法華経寺を題材とした作品が多く、
宝殿門の所の石段の上左側には、
毛塚静枝の句碑、
「聖教殿へ霜一枚のいしだたみ」
があります。
*************************************
★今回の法華経寺★
私が中二のとき遠足で行って以来、
51年ぶりになりますが、
だいぶ記憶がなくなっていて、驚きました・・・。
でも懐かしい部分もあり、
古くて新しい記憶の、
感慨深い小旅行になりました。。。
今回、欲張っていろいろ書きましたが、
これでも細かいことで書いていないこともあります・・・。
まだまだ見どころがあり、
書きもらしたことがいくつもあります・・・。
妙見堂、本行院、鐘楼堂、車祈祷所、
方丈門、常修殿、清正公堂、太田稲荷など・・・。
ちなみに、
東山魁夷記念館が近くにあり、
流れで行ってみようかと思っていましたが、
結局、行きませんでした・・・。
法華経寺の龍王池から約400mありますので、
わずかですがつらい所です。。。
また、東山魁夷の絵画は、
以前、コルトンプラザの所にある、
中央図書館の一室に常設展示してあり、
無料で何度か見たことがありますので、
東山魁夷記念館入館料が一人510円かかると、
あえてという感じになります。。。
↑ ↑ ↑ 『アイサダ』
余談になりますが、
法華経寺から駅に戻る道すがら、
野菜を買いました・・・。
店先にいろいろな野菜が並んでいて、
比較的大きく安かったのです。
てっきり八百屋さんだと思っていましたが、
奥に入るとけっこう奥が深く、
いろいろなものが置いてあり、
『アイサダ』というスーパーだとわかりました。
たまに長ネギがはみ出したスーパーの袋を持って、
電車に乗ることもありますが、
今回は量も多くなかったので、
ショルダーバッグに入れて帰りました・・・。
結局、地元に戻ってから、
大手スーパーに寄って、
改めて買い物をして帰りましたが。。。
v(^^)v
☆法華経寺:ドラマ・ロケ地!!☆(追記2018.07.10.)
先日、6月30日(土)13:30~15:25に、
『土曜ワイド・山村美紗サスペンス赤い霊柩車』という、
テレビをかけながら作業をしていましたら、
どこかで見たことのある景色が映っていました。
なんと先日51年ぶりに行った、
法華経寺の祖師堂でした・・・。
祖師堂は、
全国でも二箇所しかない比翼入母屋造の二屋根で、
珍しいものですので、
間違いないと思いました・・・。
映像は、祖師堂の裏の刹堂の所から、
渡り廊下・橋・祖師堂を映していました・・・。
右側には、おみくじを結ぶ柵が映っていました。
ネットで調べてみると、やはりそうでした・・・。
行く前の下調べのときどこかに、
法華経寺がドラマのロケに使われていた、
と書かれていましたので、
どんなドラマかと思っていましたが、
まさか、
再放送がこのタイミングでされるとは、
思いもよりませんでした。。。
京都が舞台のドラマですから、
ほとんどは京都のロケでしたので、
知らない人は映っていた法華経寺を、
京都のお寺だと思ったに違いありません。
ながら作業でしたので、
見ていなかった部分も多かったのですが、
「呪いの絵馬」というので、
もしかしたら法華経寺の絵馬堂が、
使われていたのかもしれません・・・。
でも、映像ですと、
刹堂のおみくじを結ぶ柵の脇に、
絵馬を掛ける柵が設けてありますので、
ここが「呪いの絵馬」の場所だったのでしょうか。。。
1997年に比翼入母屋造になっていますので、
それ以降だとわかりましたが、
2010年の作品だったのですね。。。
他に、
名探偵コナンの実写版でも使われていたようです。。。
***************************
『赤い霊柩車シリーズ』
1992年からフジテレビ系で放送。
推理作家・山村美紗の作品
「葬儀屋社長 石原明子シリーズ」が原作。
※最新作:第36作「惻隠の誤算」(2016年)
第25作「呪いの絵馬」(2010年)
原作:山村美紗『京都絵馬堂殺人事件』
片平なぎさ、神田正輝、大村崑、山村紅葉、若林豪、
川島なお美、東てる美、いとうあいこ、金山一彦、他。
↑ ↑ ↑
『赤い霊柩車シリーズ第25作「呪いの絵馬」』2010年
***************************
『名探偵コナンスペシャルドラマ 工藤新一京都新撰組殺人事件』
2012年04月、SP番組。
工藤新一:溝端淳平、毛利蘭:忽那汐里、毛利小五郎:陣内孝則、
服部平次:松坂桃李、遠山和葉:岡本玲、他。
v(^^)v
↑ ↑ ↑
『名探偵コナンSP 工藤新一京都新撰組殺人事件』2012年
☆☆☆<ご連絡ください>☆☆☆
↑松浦稔(1952年7月7日生)↑
<☆ご連絡ください☆>
関係のあるかたや、
何かご存知のかたご連絡ください♪
特に同じ学年のかたなら、
とても嬉しいですが、
学年・年齢は違っても、
同じ学校、
西一之江小、
松江5中 に関係のあるかた、
是非、ご連絡ください♪
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お気軽にご連絡ください♪
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承認しなければ表示されません。
是非、よろしくお願いします。
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