共産党が所謂「護憲」を自称し、
— 忍 (しのび)🇯🇵🇺🇦 (@PRIVATE_Shinobi) 2023年4月8日
中立自衛の「密教」を有していることは、それとなく知っていました。
そもそも、天皇を象徴として戴く日本国憲法自体が、
共産党のイデオロギーと相対するものであることからも、いずれ改憲することについても想像に難くありません。https://t.co/hd4lLENGJt
次回で最後にするけれど、それにしても安全保障を考えているといつも思うのは、安全保障には正解がないということである。そして、正解がないだけに、国民みずからが考え、判断し、そのリスクも自分が背負う覚悟が必要だということである。
すでに書いたことだけれど、国土の周辺で専守防衛に徹するということになると、敵が国土に近づいてくるまで手を出さないわけだから、国土と国民が犠牲を負う可能性が飛躍的に高まる。だから、その道を選ぶなら、その種のリスクを覚悟することが求められる。
一方、核抑止力をはじめアメリカに頼るというなら、強大なアメリカを敵に回す覚悟を持つ国はないだろうという安心感は得られるかもしれない。しかし一方で、もしアメリカが助けてくれなかったらどうなるのだという不安はつきまとうし、不安であるが故に、何でもアメリカの言うことに従わないといけないという強迫観念が強まり、国家としての主権や矜持まで放棄することにもなる。
9条に徹して軍事力を放棄するという選択肢は、その信念を持っている人にとってはそれしかないというものであろうが、その信念を有しない人にとっては最大のリスクを背負うことになる。国民多数の支持に依拠して政権をめざす政党が選べるものではない。
だから結局は、そういういろいろな選択肢を並べて、リスクとメリットを国民に提示し、「どれを選ぶのだ」と迫っていき、最終的に国民が選ぶという道をとらなければならない。しかし、戦後の日本では、保守派がアメリカに頼るという道を無条件で選び、革新派は憲法9条の非武装を好み、どちらにもリスクがあるという認識がなかったため、議論が交わることがなかった。
唯一、90年代初頭までの共産党が「中立自衛」政策を提示し、国民のいのちにも責任を負う革新派の道を進んだ。けれども、当面は護憲で、将来は改憲というのは、理論的には成り立っても、あまりに難しすぎて、国民多数に浸透するようなことはなかった。
要するに、あまり思考を働かせないで済む簡便な政策が、国民の支持を得てきたということでもあろう。とはいえ、複雑だけれど理解してもらえるというものでないと、本当のところ、いざという時には役に立たないようにも思う。ということで、次回が最終回。(続)
避戦の安全保障論13ですね。
— 忍 (しのび)🇯🇵🇺🇦 (@PRIVATE_Shinobi) 2023年4月7日
結局「ケンポーキュージョー」ということになるのでしょうけど、
ウクライナ憲法17条も、憲法9条を体現したようなものでした。#憲法9条
言うだけ虚しくなりますね。#憲法9条改正 するしかないと思います。https://t.co/8cT9S6JE0T
日本国民は、天皇陛下を日本国民統合の象徴として奉戴し、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、我らと我らの子孫のために、この憲法を制定する。
そもそも国政は、歴代天皇および日本国民の厳粛な信託によるものであり、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
この原則は、畏くも明治天皇が、御所の紫宸殿にて御誓文を奉られたことにはじまり、自由と公正を希求した先人達の努力の成果として、我が国において近代的な憲法が制定された歴史的経緯に基くものであり、この憲法もまた、その輝かしい伝統を継承するものである。
この憲法の原理に反する専制や独裁は、日本国から永久に排除される。我々は、この憲法に反する一切の憲法、法律、政令、規則等が効力を有しないことを再確認し、この憲法が定める我々の自由と権利を破壊せしめようとする不当な暴力に対しては、断固として屈することのない覚悟と信念を示すものである。
日本国民は、自国のことのみに専念し、この地上の資源を独占しようとしてきた国々によってもたらされた戦争の惨禍に対する緒国民の反省のもと、国際社会が国家間の紛争を平和的に解決すべく努力していることを高く評価し、我々自身も、国家の威信をかけて、平和を愛する緒国民とともに行動し、一日もはやく、敗者なき正しき平和が確立されることを希求し、そのために必要な努力を惜しまないことを宣言する。
日本国民は、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。