『超左翼おじさん』こと、
元・共産党 安保外交部長の松竹伸幸氏の著書『シン・日本共産党宣言』を読み終えて、
松竹氏が、除名される前に『党員』として、ここまで党の内部事情について詳しく書いた新しい情報としてとても価値のある書籍だと思います。



日本共産党・中央委員会という外部からは謎のベールに包まれた『最高権力』についての疑問はつきません。

『指導部』である志位和夫が、中央委員会幹部会委員長という地位に就いてから 20年以上が経過しておりますが、
逆に言えば、それだけの年数を経過しても、彼が 宮本顕治(※ミヤケン)不破哲三(※上田建二郎)のように中央委員会議長になれないのは、前議長の不破哲三が幹部会委員として健在であるからだと思われます。

議員としての地位がなくても、中央委員会のなかで志位委員長よりも権力を有する老人達(※裏番)が沢山おり、それらが共産党の独裁体制の継続を望んでいる以上、松竹氏の提案した『党首選挙』は、これから先も実施される可能性はないでしょう。


ここからが本題になります。



【改憲的護憲論の危うさ】
  




私は、予てより『憲法改正』『自主憲法制定』の必要性を説いてきましたが、
それは、国会の議決を経ない政府による恣意的な『解釈改憲』によって、立憲主義・法治主義が軽視されている現状に対する問題提起でもあります。



これは、明治22年に発布された『大日本帝国憲法』の頃から抱え続けている我が国の問題であり、
明治憲法が『不磨の大典』として一度も改正されることなく、

当時も、現代と同じように『解釈改憲』によって運用され続けてきた結果、

『顕教』としての『天皇主権』

『密教』としての『天皇機関説』

によって、自由民権運動の人士達や リベラリストの法学者達の努力が 大正時代に実を結び、辛うじて均衡が保たれていた 我が国のデモクラシー [democracy] が、
明治維新の元勲達の殆どが鬼籍に入った昭和に入って『枢密院』が有名無実化し、天皇陛下の統帥権を振りかざす軍部による圧力を背景とした デモ・クレイジー[demo crazy] に変わっていき、戦争を避けることができなかったことからも、

『やはり、解釈改憲は危険』という結論に至ったわけであります。



現行の『日本国憲法』の抱える問題は、9条のみに限ったものではありません。

あまり議論されることはありませんが、89条が放置されたまま『私学助成』『政党助成』がなされていることについても、私は問題があると思います。

第八十九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

現行の第89条が制定された当時は、宗教法人や私立学校、政党などに対して公金を使用することを想定していませんでしたが、
文化財保護法(昭和25年法律第214号)の制定は、神社、寺院、教会などの建造物、宗教法人や個人の所蔵する宝物の維持管理や修繕に公の財源から補助金等で助成する必要も出てきました。

また、私立学校振興助成法 (昭和50年7月11日法律第61号) も、89条を額面通りに捉えれば違憲となってしまいます。

私学助成については「教育基本法、学校教育法および私立学校法に定める教育機関は、公の支配に属する」という解釈改憲に基づいて合憲と判断されてきましたが、
宗教法人が運営する私立学校の場合、教科として、学校を運営する宗教法人の教義に基づいた宗教教育を行っておりますし、私立学校を公の支配に属するとする憲法解釈は、私学の教育方針に対して国(※政権)がその監督権を濫用し、圧力を加える可能性も否定できません。

政党助成法 (平成6年法律第5号) についても、私学助成と同じことが言える筈です。

日本共産党は、党の方針として政党助成金は受け取っていないとはいえ、その分、党員に対する党費やカンパによる負担額が多くなり、加えて機関紙『しんぶん赤旗』『赤旗日曜版』の購読や拡張などの負担が大きく、
中央委員会の幹部の生活を支えてきた後期高齢者が鬼籍に入れば、いずれは党を解散するか国からの助成に頼らざるを得なくなると思われます。

私個人としては、共産党が財政的に破産しようが正直知ったことではありませんが、
それでも、政党が公費による助成を受ける上で、助成を受けたら政党が公の支配に組み込まれるという心理的なハードル自体は、共産党に限った問題ではないと思います。



【核なき専守防衛は可能か!?】

松竹氏は、今まで共産党が避けてきた『敵性国による侵略』という観点から、憲法9条の下で自衛隊をどのように活用するのかについて焦点を当てている点において、確かに新鮮でありました。

しかし、松竹氏の『反撃能力』に対する評価は一面的であり、
一見すると合理的なように見えるかもしれませんが、
『ウクライナのケース』を例にあげた 専守防衛のみに重点を置く松竹氏の安全保障戦略のモデルは、改憲派の右翼(笑)である私が見ても好戦的な内容であります。

侵略され、戦争状態が続いている国のケースは、
侵略を断念させ、戦争を防ぐモデルには当てはまらないのです。

そもそも『核兵器廃絶』と引き換えに、条約に基づいて安全が確保される筈だったウクライナは、
結局ロシアに侵略されたではありませんか!!

反撃能力という『抑止力』を放棄した上で、戦争を避ける努力よりも、戦争が起きることを望んでいるようにも見えてならないのです。



確かに「攻められたらどうする?」という問いに対し、エビデンスもなしに「外交努力です」と無責任に答える今の日本共産党に比べればまだマシですけど、

戦争を起こさせない。我が国に対する侵略を断念させるにはどうすべきかという問いに対する答えとして『核抜き』は、むしろ危ういとすら思えるのです。

そして、自衛隊は憲法9条の精神を体現しているとする評価についても、松竹氏が議長になった世界の共産党の理論でしかなく、
連立政権をつくる上で他の護憲派のなかで共有されているものではありません。


自衛隊が違憲だと思っているのは『護憲派』だけではないのです。

このような、松竹氏の浮き足立った主張は「自衛隊は戦力か否か?」の論争に終止符を打つほどのものではありません。

『除名』されてからも共産党に対する愛着を捨てきれず、将来的には自衛隊を解体することを諦めていない松竹氏の理想論に付き合えるような自衛官は多くないと思いますよ?

陸上自衛隊に在籍した経験を持ち、
現在も予備自衛官の身分にある私としては、到底、受け入れられるものではありません。

松竹氏が『改憲的護憲派』の左翼なら、
私は『護憲的改憲派』の右翼です。