夢で「緑色凝灰岩」って緑色の石をみていた。
緑色片岩。
わたしが「ここ」と思うところに置かれている石。
徳島のユダヤの神殿っていわれているところだったり(神に抱かれる 〜軍用イルカと波動測定器、そしてユダヤ? )、但馬にあった(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その10) 〜 麒麟はくるか!? )みどりのたわらいしの話(本当の鎌倉は茅ヶ崎にある!? 〜鶴嶺・平塚八幡宮と高来(たかく)神社=高麗(こま)寺 )。
味取の俵石(みどりのたわらいし)
俵石の断面は「六角柱」。
六角。やっぱりね。「6」だよ、「6」。
で、元鎌倉ともいうべき、茅ヶ崎の鶴嶺八幡宮の記事にある写真をみて気づく。
とにかく「緑の石」が夢に出てきたっていうことが重要そうなので最初に記録しておく。
で。
写真展をきっかけに、いろんな人たちがメッセージを運んでくれた。
疎遠になっていた人たちも含めて。いろいろ。
動かしてくれたのは、島の神様に間違いない。
あそこにいくようになって、わたしにかけられていた蜘蛛の巣のような呪詛に針穴ぐらいの綻びがうまれた、と思う。
とある日のデートでなぜか行くことになった(みやこをつなぐ旅 琉球・大神島編
)わけだけど、宮古島に「しろくまカフェ」ができたらしいし。
しかも、そのあと、「(創業地の)高田馬場店はなくなったって聞いた」って小ニーニーから聞くんだもん。
今思ったけどさ、「なんで高田馬場?」。
ええ、わたし、気持ち悪いほど、「都の西北」の大学の人とばかりつきあってきたんですけど。
学生のときにつきあっていたドイツで知り合った彼氏もそうで、くまさんもそうだけど、今までのパートナーのうち3分の2超えてたら変でしょ。日本に大学が3つしかないとかなら別だけど。
大学のこと聞いたりしたことないのに、たまたま出会った人が「都の西北」関係者って今思っても変すぎる。
高田馬場は、たしか伊勢平氏おじさんとの最初のデート?で「歩かされた」場所だし(恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか
)。
しかも、そこは「諏訪」町で、「諏訪神社」があり、思い起こせば30年も前からわたしはこの地に呼ばれていたのだ。
神戸の女子大生であったときから。
で、これに関しては、気づいていなかったが、すでに数日前に答えがあった。
島から帰って神宮を歩いていたら、
「高遠の桜が綺麗だったよ」
「え、長野に行ったんですか?」
「いやいや、新宿に2本だけあるんだよ。内藤新宿って言ったからね。」
「高遠のお殿様の土地(花園神社はおいなりさん
)ですものね。」
そうだった、そもそも、わたしは、代々木に引っ越す前、には内藤新宿の物件を紹介されていたんだった。
「大京町」のお部屋。
もし、はないけど、あのとき代々木を選ばなければ、わたしは「天気の子」をしなくて済んだのかな。
でもなんで「大京?」「京」か。
地理的には「信濃」町に接するんだもんね。
そして、「慶応」大学病院があるお土地柄。
なんかいろいろ私の過去の人間関係の力関係が明らかになってくる。
「都の西北」VS「○○」
数少ないけど、わたしが最初に東京にくることになったのは、「都の西北でない方」の関係者のオファーからだった。
そして、同じく、アフリカに行ったのも感じの悪い、「6」と、この関係者からの提案がきっかけだった。
頭にワインをぶっかけて縁談を断ったやつ(みやこの青から青のみやこへ 〜琉球の向こうにみえたもの
)。
高遠の桜は、新宿駅の東南側の広場にある。
高遠の桜、の話も、しろくまさんから聞いていた。
でも、一緒にみたことはなかった。
でも不思議なことに、あるとき(ミシャグチ神と天神とそして蝉 〜諏訪から安曇野へ天神さんに連れられて )、ひとりで高遠に行っている。そして、その道中、「長野の元カレ」と短いメッセージのやり取りをした。たしか「杖突峠にいる」って言ったら「守屋山?」って返してきたんだった。
図書館に本を借りに。
今集まっている本はこんな感じ。
みえない世界からの答え 〜226 Mtg @ しぶや から、のやりとりで、しろくまさんは、「みはり」だったのでは?
という考えに至ってきた今日この頃。
だって本人だって「神馬」とか「執事」って言ってたもん。
わたしはべつに自分は神とか姫とか思ってないけど。
それにしても、私の周り特徴的な人が集まりすぎている。
思えばずっと「見張られてる」というか、「見守られてる」感じ満載。
スパイの本は、たまたま「新着コーナー」にあったから。
は伊勢平氏おじさんリコメンド。
次の時代へのヒント、とわたしは受け取った。
おじさんとは本の趣味はあうけど、まったく話がかみあわないのは相変わらず。
彼はわたしの「知性のなさ」だと断じるけど、わたし昔の夫たちも、尾鷲の大先生も、優秀な人たちたくさんいるけど(おじさんよりも!!)「知性がない」っていうのはおじさんだけなんだよね。「学力がない」って言われたことはあるけどね。勉強はしなかったから。
“縄文の蘇り”とホツマツタヱの世界
の朝倉晃さんがしろくまさんの写真をみに訪ねてきてくれた。
予想通りというか、むっちゃ邪魔が入って、結局待ち合わせ予定時刻より、約2時間の遅れ。
登場した朝倉さんの姿は、縄文のそれではなく、むしろわたしの元叔父・纏向の仙人、卑弥呼の宮殿で自然農をしている川口由一さんみたいな人だった。
「縄文っておっしゃっていたけど、徐福みたいな渡来系にしかみえないですね(だって、「朝倉」だし、、、)」
「いえ、縄文です!!」
「・・・笑。」
コーヒーをご馳走になりながら渋谷の街角でしばし歓談。
ええ、話すチャンスはなかったけど、朝参拝でご縁したばかりの東郷元帥と、海軍の英霊たちとご一緒に。
海軍にも「特年兵」と呼ばれた少年兵が存在した(海行かば
)。
朝倉さんは、「日本武尊」の読み方をわたしに指摘してこられた「ヤマトタケ崇敬者」である。
だから、きっとわかっておられるはずである。
日本武尊が、「日本の国の真の歴史ならびに天成(あまなり)の道を子々孫々にのこすべし」(ヤマトと卑弥呼と沖縄と 〜伊江島の神様が宇宙人ヒロをとおして25年かけて伝えてきたこと )、というホツマツタヱの成り立ちの意味を。
英霊たちは、命を賭したことを悔いていらっしゃらないが、
「こんな世の中のために、命を差し出したのではない!」と悲しんでおられるとはずである。
だから、わたしに話しかけてこられるのである。
こんなふうに。
わざわざ客人を迎えるタイミングで東郷神社に呼ばれたのはこれを伝えるように、ということなのであろう。
明治神宮の北の守り、津島神社から、箒銀杏天満宮(代々木八幡宮)への道。
最近この「てんのう橋」と「天神橋」のこのラインがずっと気になっている。
ここ、すごく大事なラインのはず(天神さまへつづく道 〜てんのうさんから天神さんへ 牛と梅 )。
ふと、逆さまの箒とスサノオ(熊手)ってもしかしたら、「高砂?」って思ったところだった。
また、尉(じょう=おじいさん)が持つ熊手には「福をかき集める(財運)」、姥(うば=おばあさん)が持つ箒(ほうき)には「邪気を払う(魔除け)」の意味があり、これは「夫婦ともに助け合い、夫が福(財)を集め、妻が家庭を守り整える」の意味につながります。
この「尉(じょう)と姥(うば)」の人形は、「高砂やこの浦舟に帆をあげて…」の謡曲(「謡曲」は能の歌詞)で有名な能の「高砂」と、能の元となった「相生(あいおい)の松」という伝説に出てくる、「おじいさん」と「おばあさん」の姿をした松の木の精を表わしています。
松は、古来、神が宿る木とされ、常緑なところから長寿のめでたさを表します。また、雌雄の別があり、夫婦を連想させます。
「相生の松」とは、黒松(雄松)と赤松(雌松)が1つの根から生え出た松のことで、格別の神木とされ、縁結びや夫婦和合、長寿の象徴として尊ばれています。
「相生の松」 は、実際に日本各地に点在し、その中でも、兵庫県高砂市の高砂神社にあるものが特に有名です。 高砂神社に伝わる「相生の松」の伝説は次のようなものです。 ---------------- 昔、播州(兵庫県)高砂神社の境内に雌雄の幹を左右に分った一本の松が生えたので、これを神木霊松として大切にしていたところ、ある日、伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冊尊(イザナミノミコト)の二神が現れ、「我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん」と告げられました。 それ以来、人々はこの木を「相生(あいおい)の霊松」と呼ぶとともに、この二神を「尉(じょう)と姥(うば)」と称し、黒松(雄松)には「尉(じょう=伊弉諾尊 イザナギ)」が宿り、赤松(雌松)には「姥(うば=伊弉冊尊イザナミ)」が宿るとして、祀ってきました。 ---------------- |
大山とも繋がっているし。
最近「大山講」関係者も近づいてきたし。
そういえば。ここの津島神社には、お稲荷さんが祀られていたが、そのお稲荷さんは他にうつした、って聞いたんだった(明治の森に誘われて 〜 ここに至る道
)。
なんか、このエリアを動かすっていうのは、「大丈夫かな」って感じてる。
明治神宮より古くからあるこの場所。
別に大地震が起ころうが、富士山が噴火しようが、それが「自然の摂理」なら致し方ないって思うけどさ。
前にも書いたけど、シャレにならない災難のキャリーオーバー(阪神淡路大震災から27年
)結構あるんじゃないかな。
納得いかないのは、報いを受ける人なり場所が、「そうならない」で、関係のない場所に避けられるっていう構図。
ええ、原発事故の影響は、東京の電力を賄う発電所の事故だったのだから、本当は東京が受けるべきだったはず。
しかし、それを「お金」と引き換えに、別の場所が被害を被った、とわたしは思う。
(自分の行動は変えずに)「災難避けのお札をお金で買って、難を避ける」っていうのと同じこと。
もうそういうの、卒業した方がよくないですか?
「まいた種は刈り取ることになる」がこの世の掟。
お金を頼りにする、ってそういうことなんだよ。
今の人たちは、みんな「神(かみ)」のつもりで「金(かね)」を拝んでるからね。
ええ、今となっては「お金」も「紙(かみ)」でできてるんで。
それを教えてくれたのは、大神島のご先祖さまたちだった(みやこをつなぐ旅 琉球・大神島編
)。
伊勢平氏おじさんも、「話がある」って誘ってきたから、「じゃあパークハイアットに」って言ったが断られた。
別に高い店に行きたいわけではなくて、あの「梅屋敷銀世界(「このはな」の秘密がひらくとき 〜肥後 VS 出雲 そして琉球 (その2) )」がおじさんについてる女たち(母と妻)に間違いなく関係する場所だから言っているのに。
でも、おじさんは、わたしが知らなかったことを伝えてきた。
「あそこは、小田急に売られることになった」
「!!」
2022年2月28日日経新聞に出たニュース。
【小田急、「ハイアットリージェンシー東京」売却検討か】
報道によると、小田急電鉄はハイアットリージェンシー東京に隣接するオフィスビル「小田急第一生命ビル」の同社持ち分も売却する方針であり、売却額は 1,000 億円に登る可能性がある。
小田急電鉄は東京地下鉄株式会社、東急不動産株式会社と共に「新宿駅西口地 区開発計画」として、地上 48 階、地下 5 階建て、高さ約 260 メートルの超高層ビルに建て替え(2029 年竣工)予定だ。
ハイアットリージェンシー東京は昭和 55 年に「ホテルセンチュリーハイアット」として開業し人気を集めた。ただ近年は新型コロナウイルス感染拡大による外出自粛などの影響を受け、稼働率が低下していたという。これまでも、ハイアット リージェンシー 東京を運営する、ホテル小田急での希望退職が実施されてきたほか、2021 年には、「ブラッスリー Vicky’s」など館内の併設レストランや、プールなど大半の施設が閉店・閉鎖されていた。
きたよ。
大きな動き。
ここは要の場所、なはず(灰の水曜日 〜梅を辿って江戸の旅 )。
「梅屋敷銀世界」。
わざわざこの梅を芝公園に移植するくらいの重要度。
芝公園って、徳川のお膝元(続・答えあわせの東京散歩 〜その2 芝公園というお地場(聖徳太子がつなぐ不思議なご縁)
)。
大事な場所がお金で売られようとしている。
海人族は、「お地場」をなによりも大事にしてきたというのに(誰に呼ばれて成田山 〜祇園の匂いと白山、金毘羅、今宮戎 )。
八坂神社をもともと見つけて祀っていたのが、大阪の今宮戎の神人(じにん)だった
って、中沢新一著のアースダイバー には書いてある。
「やさか」だから。「やさか」!!
牛頭天王!!!
なんか、あったな、今宮戎。
そうだ、白山の金劔宮。
金劔宮恵比須社(天地悠久の大神霊と大阪今宮戎神社 御分霊を併せ祀る)、ってなにわの審神者(さにわ)が告げてきてた(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へその4) 〜 なぜか白山へ )。
この旅のときって、あの大事件のときだ。
丹後にいくはずが、白山に行くことになったんだった。
もしあのとき、丹後に行ってたら、「次のステージ」はなかった、と思う。
今伊勢平氏おじさんは、丹後を目指しているようだけど、「そこは、籠だよ(謎)。」
ロシア特集。シベリア鉄道の旅してみて、知ったけど、ロシア人はとても陽気で、ロシアはとても豊かな国である。
プーチンは力を持ちすぎているから、脅威であるのはわかるけど、戦争は避けてもらいたい。
宮古島を歩かされたせいでみつけてしまった(大神の島の大寒の大禊 その2 〜 みやこを繋ぐ大神と長浜と
)、宮古島で西夏語を研究をしていたロシア人「ニコライ・ネフスキー」。
どうもこの方は、アイヌ語も研究していた模様。
結局日本人の妻とともに、スパイと断定されて射殺されている(その後名誉回復)。
西夏語はチベットの言葉に似ているらしい。
カラ・ホト文書だってさ。
Wiki
によると
カムピチュの町(張掖市
)から12日の旅程でエチナの町に到着する。西夏人の町であり北へ向かうとサンディ砂漠(ゴビ砂漠
)へと続く。人々は偶像を崇拝し、多くのラクダや牛を飼っている。セーカーハヤブサ
、ラナーハヤブサ
が多く生息し、住民は貿易をせず、農耕と牧畜で生活している。エチナを抜けると北に砂漠が広がり、40日間は人や町に出会うことはないため、この地で食料を備蓄する必要がある。 — Marco Polo、The Travels of Marco Polo、translated by Henry Yule, 1920
荒野に40日?
それって、イエス様が荒野で悪魔の誘惑を受けて断食したあのシーンと一致するんですけど。
灰の水曜日からの四旬節。今まさに真っ最中。
西夏語から思わぬなにかが出るような。
すごいね、ニコライ・ネフスキー。
ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ネフスキー (Николай Александрович Невский, Nikolai Aleksandrovich Nevsky, 1892年
3月3日
(ロシア暦:2月20日
)- 1937年
11月24日
) は、ロシア
・ソ連
の東洋言語学者
・東洋学者
・民俗学者
。
日本で、アイヌ語
・宮古島方言
・日本民俗学・
台湾のツォウ語
、特に、西夏語
研究ではこの分野の第一人者として没後、評価される。帰国後、社会主義革命が勃発し、日本人妻イソが日本国のスパイとされ、妻と共に銃殺刑に遭う。
Wikiには出てないけど、ニコライ・ネフスキーは折口信夫、柳田國男、金田一京助なる人たちとも会っていて、その記念写真が残っている(天の蛇 )。
伊勢平氏おじさんが傾倒する「折口信夫」と交流があった、ってことだから、その影響力は、推して知るべし。
そして、その「ニコライネフスキー」の「月と不二」。
検索をかけたら、中上健次の「月と不二」がヒット。
中上健次もニコライネフスキーのそれをヒントにこの作品を書いているようである。
中上健次といえば、「熊野」である。「熊野大学」を作った人。
伊勢平氏おじさんは、「ご飯をご馳走する」といってデートしようと言ってきた。
お彼岸だから、だと思う。
完璧にせめぎ合ってる、うちのしろくまさんと、おじさんの女性たち。
おじさんのお母さんは、うちの母と一緒(たぶん)。
会ったことないけど「ひでえ奴」っていう言葉でわかる。
でも、とても正しく、愛ある人だったと思うよ。
で、その血を引いている娘には、わたしと同じく「見張り」がついているようである。
わたし、伊勢平氏おじさんに対して、人としての愛はあるけど、「好き」って気持ち持っていない。
だって、なにひとつ、喜ぶことしてもらったことないんだし、あたりまえでしょ。
「好き」って振る舞いをするようには努力したけどね。関係性を維持するために。
だって、ちょっと前にだって、早稲田の諏訪町で「なんか変だ」って気がついていたし(恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか
)。
伊勢平氏おじさんのお母さんのあの世からの働きかけで、大東島に行くことになったのだが(降誕節は琉球へ その4 北大東島 〜諏訪之瀬島の軽石は奈良の春日の鹿の糞!? )、そこでも彼の両親の謎解きができてしまったし。
大東島で終了って思ってたけど、まだ御用残ってる?
「琉球」が残ってるのはわかるんだけど、そろそろ、わたしの心が折れそうです、おじさん自身が目を覚ましてくれないと。
ケツァルコアトゥルの像(夢の途中 〜終戦記念日と聖母の被昇天
)の前にある「昭憲皇太后」の葬儀場跡地。
ケツァルコアトゥルとの関連性を感じるのはいつもの美志摩妄想。
月の神から、日の神へ。
時代は変わろうとしている。
*根間の神
「美人の生まれぬわけ」
根間家に美しい娘が生まれたが、山原船の妻子ある男とねんごろになり、怒った父が兄に殺せといった。兄はあまりにも美しいので殺せず連れ帰ったが、女は7日祈り、8日目に神になった。それが今の根間の神。