降誕節は琉球へ その4 北大東島 〜諏訪之瀬島の軽石は奈良の春日の鹿の糞!? | かんながら

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旅の記録です

ミホノススミを終えて、大神島でのんびりバカンスのはずが、連れられて来た大東島。

「これは瀬織津姫が飲み込まなくなったうんこだ!」

ってきた。

沖縄海に流れ着く諏訪之瀬島の噴火による軽石はまさに、「奈良の春日の青芝に転がる鹿の糞」

わかる人にはわかる、多重構造。
うふあがりの島。

夷(えびす)が流されついた場所。
 
 

 

 

 
宿は西側にあった。
大東島は大神島と違って広い。
 
一周12キロもある。
太陽を拝むにはアシが必要である。
 
バイクもレンタサイクルももうひとつの宿にしかないみたい。
 
「すみません、クルマ借りたいんですけど」
 
1日6600円は大金であるが、昨日送迎があるレストランで、「酒を飲んで食事を(現地で)してくれなければ送迎しない」って言われて本当に嫌な思いをしたので、ここはお金で割り切るしかない。
 
「マニュアル車運転できる?」
「(もう25年以上運転してないけど)はい」
「じゃ、これ」
 
人生初の軽トラック。
 
昔のってたミニクーパーは、坂道でエアコンかけてると、エンストしそうになった。
「大丈夫、慣れる!」って言われてマニュアル車に変えた。
実際そうで、そのクルマでいろんなところに行った。
 
このあいだみたAmazonプライムビデオでみた「逃げるは恥だが役に立つ」で、石田ゆり子ちゃんが言ってたけど、
「(クルマは)思っているよりずっと遠くにいける」っていうのは本当だと思う。
クルマに乗れるからわたしはとても自由だ。
今はカーシェアがあるから所有しなくてもそれほど困らないけど。
 
 

 

きました。沖縄最東端。

「沖縄海」っていうところ。

 

 

なんか、ここは見たことがある景色。

「沖縄師範 健児の塔」(2週連続の沖縄 〜 駒が回り始めた!? その1 聖地の本質)。

大神島も。

希望峰もこんなイメージ。

 

沖縄の慶座絶壁(ギーザバンタ)ってとこもそうなのかな。

鳥取のムキパンダ(妻木晩田)って名前似てるけどそう?

 

自分に縁があるところは全部同じようにみえるのかもね。

 

 

これとか浦添ようどれに向かう石畳に似てるし。

それはすなわちマチュピチュに向かうインカの道に似ているってことだし。

 

 

海には、黒い帯が浮いていた。

これぞ、新原ビーチ(にいばる)でもみたけど、諏訪之瀬島の噴火による軽石。

 

寄ってみてみたら、
 
まんま
「鹿のフン」だった。
 
しかも、「諏訪」之瀬島。
諏訪之瀬島の鹿の糞。
 
 
 
吉永小百合さんが歌ってたのを思い出した。
 
♫ 奈良の春日野 青芝に 腰を下ろせば 鹿のフン ♫
 
瀬織津姫は、便所の係をやめた(便所の便所 〜瀬織津姫のしあわせは? その後のその後)って、
「瀬織津姫のしあわせは?」シリーズで書いたけど、今の世の中ちっとも丸く収まっていないわけ。
 
前回の記事(クリスマスは琉球へ その3 〜宮古島から北大東島へ)で鬼餅(ムーチー)の伝承を書いたけど、
甕星香香背男(ミカボシカカセオ)の倭文姫(しとりひめ)も、鬼ムーチーの話に出てくる鬼の兄貴の妹も、たぶん卑弥呼も、
女陰(ホト)の力で男の暴走を抑えてた。
 
 
「もうこれ以上罪穢れを持ってこないで!!」
つまり、人間が欲望を自粛しないと無理なのである。
 
 
 
春日の青芝っだって。
「隣の芝生はあおい」っていうからね。
 
ちなみに、2番は、「鹿に梅干しやったなら」で(鹿が)怒って立ち去るって歌詞なんだよ。
 
「いによった」って絶対わからない。関西文化圏以外の人は。
それを渋谷の美少女 吉永小百合に歌わせるとは。
 
 
B面(今なんていうんだろ)は、
「天満橋から」だって。
 
天満宮(菅原道真)じゃん!?
 
 
天理に、「三島神社」があったんだけど、
今は天理教本部の「おぢば」。
石上神宮も物部関係の遺跡があったみたいだけど、そこも天理教に。
 
三島つながりのみしまるさんに、古地図をみせてもらったことがあるんだけど、
「春日」といろいろあったみたい。

 

 

 
今初めて天理教本部に行き着いたときの、この記事をさっと読み返してみて気づいたが、
「玉置(たまき)」のことを書いている。
穴師坐兵主神社のそばにある、日本武尊(ヤマトタケ)ゆかりの「珠城(たまき)山古墳」
 
なんといっても、ここ大東島は、八丈島からきた「玉置半右衛門」っていう人が開拓したらしい。
 
「玉置」
 
 
すっかり有名になった熊野の本丸と言われる玉置山は、「玉置山縁起」によると、玉置直虎が菅原道真公を祀ったのが最初と言われる。
 
川合神社の祭神は、菅原道真公。(略)
この川合神社は、桓武天皇の16代の子孫、平資盛(たいらのすけもり)(平清盛の孫、改名して玉置直虎)は、1185年2月7日攝津の国1の谷落城の後、河内国の梅谷で、三十六郷の領主となった。しばらく居住して北野天満宮を杉の枝に勧請し、男子4人を連れて伊勢国へ移り、牧田庄大里に居住して16郷を支配した。この地を長男一正二譲り、玉置直虎は大和十津川郷の玉置山に移った。
1217年、三男の加賀守直次が十津川郷の?地頭として玉置庄司と名乗り、住居に天神社を建立していたが、1228年年5月15日西川の河合(川合)の郷に祀り、川合天神と称するようになった。そして、末代まで玉置氏の鎮守神として崇め、お参りを怠ってはならないと戒めた。
(玉置山権現縁起)
 
 
それは、不思議なことにこの夏、伊勢平氏おじさんと山に行ったときに見た夢で偶然知ったのである(お盆の八ヶ岳がみせたもの 〜アカルヒメと牛頭天王と天神さん)。
 
ここで出てくる「玉置直虎」は、平資盛(すけもり)(うちの集落の加計呂麻の諸鈍の大屯神社に祀られて)が改名したらしい。
三男直次のところにでてくる加賀守ってカカ(蛇)守じゃんね(謎)。だから、加賀は梅紋なのかもね。
 
菅原道真って、天照大神の子孫なんでしょ。
で、化粧するのが好きなかわいい子だったみたいよ(亀戸天神の招き 〜日本武尊と平将門、そしてクマ)。
 
今「かわいい」を変換したら「川合」って出たわ(笑)。
当たり前だけど、おもしろいね、AIというのは。妄想が暴走するように出来ている。
 
 
この先はきっとどんどんそうなってこの世も多次元化していくよ。
 
 
 
秋葉神社は沖縄海のそばにある。
 
 
大神島の拝所と同じ感じ。
 
 
立派なマリーナ。
いいなぁ。
でももう一級船舶免許あるから、ここに船に遊びにくるっていうのはそんな遠い夢でもない。
太平洋ヨットで一周した友人もいるしね。
 
 
なんだ!?と思ったら、これが「大東ピラミッド」。
 
 
 
着いた途端、日が差し込む。
 
登って見て思ったんだけど、ここって本当になにもないところ。
ここを日本のものにするために、八丈島と沖縄から、開拓者を募って、人を入れた。
どんなに大変なことだったか、って想像に難くない。
 
排他的経済水域っていうの?日本の領有権を広げるために、ここには日本人がいてくれなければならない。
本当に、防人(さきもり)って感じ。
ここに琉球と八丈島から人が送り込まれたのは1900年。
ここ大東島には、たった120年前に「防人」がいたんだよ。
 
ヤマトンチュー(大和人)とウチナーンチュ(沖縄人)の。
 
 
きてみて飛行機の状況みてわかったけど、みんなお正月には「沖縄本島」に行く。
家族はそっちにいるから。
久高島も一緒。
 
もはや、島にいるのは「お勤め」みたいなものみたい。
 
離島のこと、もっとみんなで考えていかないとダメなんじゃない?
うちの加計呂麻島も、宮古島もそうだけど、移住者がきてなんとなく賑わってる。
 
でも移住者は島のこと何も知らないの。
水も食べ物も、お金があれば買えるって思ってるし。
そんな考えでは、島は食い尽くされてなくなっちゃう。
 
そして、移住者は、そうなったら別の場所にいってしまうだろう。
 
かまわないんだけどさ。
それが自然の法則ってものだから。
 
 
でも、政治はそうじゃないんじゃないかな。
領土問題解決のために、再び、開拓団募られる日は近いかもよ(謎)。
 
 
いっそ、もうワンワールドの方がよくない?
そしたら領土問題なくなるわけだから。
 
 
こちらは大東宮。
 
 
なんか、このマーク、仙台でみたような(籠に入った龍・宮城へ〜琉球弧・島巫女ネットワーク)。
あちらはフリーメーソンの石ってGoogle マップにでてて、文字はGだったみたいだが。
 
この島の神社にはどこもちゃんと土俵がある。
なんと気持ちのいい場所。
 
 
こちらは金毘羅宮。男女ツインかな。
 
結構な予算を出しての整備工事。
 
 
ここが海運王 玉置半右衛門がはじめた燐鉱山遺跡。
 
 
ラサ島って呼ばれた沖大東島がアホウドリの糞で燐が採れたらしく、そこで海運王の玉置半右衛門が目をつけた、みたいなことが本に書かれていた。
もし玉置半右衛門が平家だったら、海の王だもん。
世界中駆け回っていたはずだよ。船で。
 
わたし、壇ノ浦行って見て(そして、壇ノ浦。)思ったけど、潮の流れを読み違えて海の氏族の平家が負けるなどありえないって思った。
 
きっと逃げたでしょ。
 
 
どんな遠くまでも彼らならいけるよ。
わたしもそうだもん(笑)。
 
 
海と空って、どこまでも続いているから。
 
 
 
 
 
白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
 
〜若山牧水
 
 
空海も、四国に鉄の橋がかかったら、本土を騙した狐が帰ってくる(くくり姫から摩耶さんへ
って言ってたらしいよ。
 
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