便所の便所 〜瀬織津姫のしあわせは? その後のその後 | かんながら

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旅の記録です

まず忘れないうちに書いておこう。
 
ライトアップもされてない「同期の桜」をヨギの治療師とみた翌日、
今年はじめて「俵藤太のおじさん(神の恩寵)」に遭遇した。
 
しばらくみかけなかったから体調でも崩しているのかと思いきや、むしろギラギラしてると思えるくらいで顔色もよく元気だった。
 
俵藤太に遭遇したあとすぐ、伊勢平氏おじさんと、こちらも年明けはじめて街でばったり会った。
 
今年どころか、秋以来かもしれない。
明治神宮鎮座千年祭の前が最後かも。
 
あのとき、「また人間は、神様を海に沈めると思う」と言ったんだった(これからの、千年へ 〜明治神宮鎮座百年大祭にむけて)。あの日、おじさんは繋いだ手を握り返してハグしてくれた。
まあ、おじさんは間違いなく、忘れているだろうが。
 
そして「ハグしてくれたんですよ」なんて言った日には
「そんなはずはない」と瞬即で否定するであろう。
 
 
 
人は、自分の思考と一致しない行動をしたとき、
 
「忘れる」という方法でその矛盾を解消するのだ、
 
と最近ようやく理解するようになった。
 
 
「忘れることができないと、自殺するしかない」とやんごとなきお方が言っていたが、
わたしは、その時間にワープしたのかと思うくらいリアルに思い出す(時間と空間をワープする 〜聖徳太子はなぜ消えたのか)。
 
わたしの祖父も、間違いなくそうで、完璧に詳細を記憶して忘れないから自死した。
自死したわたしの周りの人は、確かにみなこの能力を確かにもっていた。
 
 
 
 
 
しばらく「美志摩かな」の記録を書いていなかったが、すごい変化の中にいていろいろあった。
 
Fumiringさんと倶利伽羅を旅した(倶利伽羅(くりから)出たものは)ことはとりあえず書いたけど、
 
サマリーさんの変化から、絶対すごい人だと直感して押しかけたアグライア加地龍太さんに出会って、
キリストの手を持つ青年だって確信して、
 
ヨギの治療師を引っ張って彼のところに行き、
2度目の施術を受けてわたしはなにか大きなものが動いて、
ヨギの治療師の持っている、外車一台余裕で買えちゃうらしい波動測定器を借りることになり、
その、アグライアで、メタトロン®️体験会をさせてもらった(次のステージへ行け。その後)。
 
そのアグライアサロンで、
早川楽風さんお氣楽稽古会に参加したりした。
 
 
それは保江邦夫先生の愛気柔術や、福田高規先生の超意識活用法と本質的に同じもので、とにかく眠かった。
エネルギーを扱う人と一緒にいるととにかく眠い。
たまに自分の目が覚めることもあるけど、そうすると相手が具合わるくなったりも。
 
福田先生は植芝盛平翁に指導を受けていたことのある合気道の名人でもあるが、投げ飛ばしたりしないんだけど。
 
 
 
2月の終わりに、突然にわたしに絶交を申し出たサルタヒコは、自分のことを「便所の便所」と言っていた。
 
人の罪穢れを大海原に持って出る、「瀬織津姫の便所」って意味みたいで、
神様に対して失礼すぎるかもしれないけど、瀬織津姫は、みんなの汚いものの処理場で、「トイレ」だなって思う。
実際、成田山の奥の院の真裏はトイレで、ヨギの治療師は「僕、トイレに拝んでたの?!」と驚いていたくらいだ(将門さんが呼ぶから成田山)。
 
その瀬織津姫(わたし)が、泣き言を漏らす場所が白山のサルタヒコだったから、サルタヒコは自分のことをそう呼んでいた。
 
 
当時のわたしは伊勢平氏おじさんとも、ヨギの治療師とも対等な関係を築けていなかった。
 
以前にも書いた(みんな、ありがとう)けど、伊勢平氏おじさんの「10分後」って言われて全力疾走
したり、「こちらから連絡するまで電話するな」ってただひたすら連絡をまったり。
 
 
今までは、ヨギの治療師に対して目に見えない世界の手伝いしかしていなかったが、目に見えることに関わりはじめて関係が変わった。
 
 
たとえば、彼のサロンに縁のある「霊霊ちゃん(ヨギの治療師の言葉をそのまま借りる)」に線香をたむけ、なにわの審神者(さにわ)の直接指導により茶でもてなし、供養したり、彼が「いい人」でいるために引き受けてしまったボランティアの愚痴を聞き、真っ黒に汚れていた床やトイレを掃除して(これは見えることなのだが)、環境を整えた。
 
 
ヨギの治療師はそれを「頼んでもないのに(わたしが)勝手にやった」
 
どころか「美志摩ちゃんの神事につきあわされて、やりたいことができてないない」と言っていたし、
 
わたしも報酬を求めてそれをしていたわけではないが、本来、妻の仕事であるそれをプライスレスで引き受けていることを、すでに絶交されて音信不通になってしまった白山のサルタヒコはずっと心配していた。
 
 
「伊勢平氏おじさんも、ヨギの治療師も、あなたの心が欲しいんだよ」
 
「(わたしを選ぶ気がない人たちに)そんなことしたらわたしの心が壊れるじゃん」
「だから、あなたも彼らにあなたの必要なことを頼みなさい」
 
「え、いらないよ、こたえる気ないもん」
 
 
と言いながら、彼らがみせる甘えを持ち切れなくなったときは、サルタヒコやなにわの審神者(さにわ)に聞いてもらっていた。
 

世の中の多くの人が、家族の愚痴を聞いてもらって、不満な関係を持ち続けるのとおなじように。
 
 
なにわの審神者(さにわ)は、「完璧に寄り添え」って難易度の高いことをいう。
 

わたしも、「傷つく心は所詮エゴ」って思ってて、心が傷ついたなら、心の方を消し去ったらいいってどこか思ってる。
でも、心を消し去ると、いのちの火も消し去るみたいで、自分が崩れていくような感覚に気づいていた。
 
 
それを、なにわの審神者(さにわ)と、白山のサルタヒコは支えてくれていた。
 
なにわの審神者(さにわ)は「いのちの電話や」と言って泣き言を聞いてくれ、「がんばれ」といった。
白山サルタヒコは、「このままだと美志摩が壊れる」と「美しいものを見ろ」と提案して旅のガイドを買ってでてくれた(月満ちて、次へ 〜 旧正月あけ、最初は乙女座満月)。
 
 
だけど、とにかくすべてが、倶利伽羅峠にぶちあたる。
 
 
白山のサルタヒコと歩きながら電話で話してて、「倶利伽羅峠」って話がでたとたん、
 
伊勢平氏おじさんの運転するクルマが目の前を通り過ぎていく
 
ってことまであった。
 
 
平維盛(これもり)の子孫だっていう伊勢平氏おじさんが「倶利伽羅峠」の徴(しるし)を持ってくるのはある意味当たり前。
よりによって尾鷲の大先生も維盛の子孫だっていうし。
 
結局、旅は中止になった。
理由は、サルタヒコが「便所の便所」をやめたから。
 
 
 
 
ヨギの治療師が「瀬織津姫のしあわせ」(瀬織津姫のしあわせは?瀬織津姫のしあわせは?その後)について語っていたころ、
 
白山のサルタヒコは、「瀬織津姫のかなしみ」について考えていた。
 
 
もし本当に瀬織津姫が
 
「もうあなたたちの罪穢れをわたしに流してこないで」
 
って言った日には、
 
 
世界が汚物であふれる
 
 
ってわたしだって思った。
 
 
 
だから、コロナでアマビエがブームになったとき、
「それはまずい」
ってすごく思って、それを書いた(コロナとアマビエのメッセージ)。
 
 
アマビエは、疫病を(わたしたちがなにも変えずに)収めてくれる存在なんじゃない。
 
っていうか、アマビエも、神様も、「自分」の投影なのだ。
 
 
「自分がすること」を何も変えなくて、現実が変わることなんかありえない。
それがあるとしたら、「他の誰か」が変えた影響を受けただけだ。
 
 
日本のすごいところは、「瀬織津姫」という人身御供(ひとみごくう)をつかって、
 
「自分のすることは変えずに」
「よい結果」
 
を得る仕組みがあるってことなのかもしれない。
 
 
だから、瀬織津姫には、悲しんでもらっていた方がみんなのしあわせなのだ。
 
 
サルタヒコは、「瀬織津姫のトイレ係」をやめたが、倶利伽羅(くりから)峠の旅には出て調えてくれたみたいだった。
その後の動向は知らない。
すべてのつながりがブロックされたから。
 
 
わたしは、本当は沖縄にいくはずだったが、どうしても倶利伽羅の平家が気になってしょうがなく、せっかく予約しておいた沖縄はキャンセルして、京都でやんごとなきお方に会い、その足でFumiringさんと倶利伽羅の旅に出た(倶利伽羅(くりから)出たものは)。
2頭の虹色の龍がでて、旅を終えた。

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部屋に戻ったら、維盛の子孫だという尾鷲の大先生からは、ボスポラス海峡のホテルの絵葉書が届いていた。
 
 
あるとき、「デートしよう」と言われるので、
「先生ご自慢の朝日と夕日が眺められるボスポラス海峡のホテルに行ってみたい」
と身の程知らずの回答をしておいた。
 
 
そのときは、「全く面白くない!」と怒って電話を切られたが、このタイミングでその場所の絵葉書が来たのは、次のステージへのサインだと思った。
 
 
 
サルタヒコは、地理にも歴史にも疎いわたしに言っていた。
 
「ボスポラス海峡は、ヒッタイト。その向こうはエーゲ海。エーゲ海から風は吹くんだよ」
 
「魅せられて(ジュディオング)の世界だね」
 
「そういうことだから」
「え??わたしにはその器はないよ」
 
 
 
わたしのなーかで、お眠りなさーい♫
 
 
無理だな。今のわたしには。
だって、維盛の子孫ふたりは、わたしに抱(いだ)かれるどころか、わたしをねじ伏せて首を締め上げそうな勢いの持ち主である。
 
でも。
 
「イメージできることは、必ず実現できる。」
 
 
ならば、できるのか。わたしにもそれが。
 
 
 
 
白山のサルタヒコが「便所の便所」を降りてから、ヨギの治療師にもいよいよいろんなことが起き始めた。
 
ヨギの治療師からもたらされる理不尽を、わたしが消化できなくなってきたから。
ヨギの治療師は、悪気はなくて、本当にいい人なのだが、自分の中にある矛盾に気づいていない。
 
わたしはどこかで彼のことを醒めてみていた。
最初から、ずっと。
大好きだけど、もうひとりの自分が相手をしている、そんなかんじ。
 
 
伊勢平氏おじさんとの2回目(やり直しの旅  〜伊勢平氏おじさんと白山ひめ)の夏から、わたしは「伊勢平氏おじさんの彼女」というペルソナを用意した。そして、その記録をここに書いた。
 
1度目の夏のことを書かなかったのは、伊勢平氏おじさんに対して普通につきあってると思ってて、「心」を持って接していたから。
 
2度目の夏、わたしは「美志摩かな」というもうひとりの自分を生きた。
それは、この10年スピリチュアルな仕事をするようになってからの、感情がなくて、天使っぽくユニセックスな普段の自分とはちょっと違って、(多少)モテて、怒ったりして、人間っぽかった。
 
 
その昔、Web日記を書いていた頃(25年くらい前)の自分とそのペルソナは近かったみたいで、
この10年くらいは、「神様やってるのか」とか「人を騙すなよ」とか「人が変わった」とか疎遠になっていた人たちとの縁が、
このブログ(かんながら)を書き始めてから復活した。
 
 
このブログを書いていることは(一部の人は知っているが)言っていない。
わたしのエネルギーが変わったから、人間関係が変わったのであろう。
 
 
 
ある日、ヨギの治療師とケンカしたとき、
 
「女を武器にするような人は大嫌い」と怒ってわたしに言った。
「女を武器にするとか言われたこと一度もないし、そんな風に思ったこと一度もない」
 
 
白山のサルタヒコだって、「女を武器にする女が一番嫌い」と言っていて、わたしのことを買ってくれていたのだ。
「みえないチンチンがついてる女」といって。
 
わたしは悔しくて泣いて言い合いになった。
 
「泣くなんて卑怯なんだよっ」
 
 
不毛になるだけだと思って沈黙した。
自分が愛の場所にいなければ、発するものすべてが暴力になる。
 
 
困ってそうなわたしを助けてあげたいって思う純粋な気持ちが彼にはある。
でも、感情は合理的でないから、いろんなことを引き起こす。
 
しかも。
伊勢平氏おじさんも、尾鷲の大先生も、亀好きの元ダンナも、みんなそうであるように、わたしが「先祖の因縁」をなんとかしたい、って強く願ってひきあわされたのだ。
ヨギの治療師だって同じことだ。


もちろん彼にも彼の計画があって、見えない世界の合意のもとにそうなっている。
それはわたしのそれと必ずしも一致していない。
 
 
 
波動測定器を使えば、(しろくまさんといたときみたいに)また人との接点がもてそうだと思ったが、すーーっと流れずにいろいろ躓く。
なにわの審神者(さにわ)が墓参りを提案してきた。
 
ヨギの治療師に聞いてみたら、彼はもう何十年も墓参りをしていなかった。
わたしはしろくまさんが亡くなったときに、墓自体を持たない選択をして、すべての遺骨を北極にまいた。
本当は海に流すはずで海辺に持っていったのだが、突風が吹いて一瞬で風になって消えた。
 
墓参りにいったら、雨の予報が日が差した。
 
 
 
 
ある朝、目覚めたとき、
「美志摩かな」が壊れたら、すべてうまくいく。
そう思った。
 
別にいいじゃん。伊勢平氏おじさん用に作ったペルソナが壊れても。
 

人間は、忘れる能力を持っているみたいで、自分の中の矛盾を都合の悪いことの忘却により解消している。

伊勢平氏おじさんなんか、「会いたかった」と抱きついてきたことも忘れてる。
二重人格も多重人格も、どうも都合の悪いことは覚えてないみたいだもん。


わたしはいちいち覚えているみたいだから、自分を壊してしまうんだろう、って思った。


じゃ、「美志摩かな」に死んでもらおう。


何人もの「美志摩かな」を超ひも理論の糸で弾き出して、人が都合の悪い記憶を自然に消すように、「美志摩かな」ごと消しちゃえばいいんだ。

都合が悪くなったら。


だってどうせこの世はお芝居なんだから。
 



 
さて。

年末2度の沖縄行きで知った蔡温(さいおん)
松並木を作った蔡温。


3度結婚したってとこが平田篤胤に似てる。

 
 

 こぶしの花。

北国の春はもう、満開。


伊勢平氏おじさんとばったり会った流れでやり直しの沖縄行きの前にふたりで会った。


もう、お互いにやるべきことはわかっている。




穢土(えど)を浄土に。


大切なことは、具体的にイメージすること。
青写真さえ描ければ、実現できる。


どうやって、はそれが道理であれば、自然に起きるのだから。