※個人の感想です※
久しぶりに虹がかかった表参道🌈
そういえば昨日から、スピッツのその歌がこだましてる。
昨年夏に山でたくさんきいた昨年の朝ドラの「なつぞら」のテーマ曲(優しいあの子)。
わたしは「ながら」ができないから、音楽は普段きかない。
音楽ってなんなの、その時の情景や感情までありありとリアルにこの場に持ってくる。しかも細部まで。
実際には聴いてないのに聴こえてくるのは、何か大いなる存在に聴かされてるってことなんだろうけれども。
そして、思い出せ、ってことなんだろうけれども。
普段から、その術を無意識で発揮するから喧嘩とか絶対負けない。勝ちたくないが、その場にワープして全部みえるから困る。その力に気づいてないとき、しろくまさんともひどい喧嘩をした。
だって相手に逃げ場がないんだもの。
思い返せば小学生のときにすでにそうで、
「あなたはバカになることを覚えないといけない」と担任から指摘されていたから。
きっとこれを読んでくださってる人にも心当たりがあるはず。特に女子。
追い詰めたら、男性は逃げ場なくて暴れるよ(^-^)。人間は都合のいいことを口先だけでも言えて、都合の悪いことは忘れるようにできてるから。
本当はみんな持ってたけど、退化した能力。
わたしは人間嫌いの祖父に育てられて、人間社会と隔離されて育ったから、「空気を読む」ことをしなくてすんだ。
だから退化させなかったのだ。
真実は必ずしも人間の都合とは折り合うようにできていないのだ。
「みえる人」が現実社会にあれこれいうと迷惑なのである。
菅原道真も、たぶん聖徳太子も、蘇我氏も、物部氏も、だから表舞台から消えたのだ。
神さまと人が共謀して丹後の海に沈めたという国常立尊もそうであろう。
スピリチュアルな能力というのは、今の世の中で、みんなとなかよく(人間界の都合にあわせて)世の中をうまく渡るためには、いらないから退化させたのだと思われる。
まあ、いいこともある。
寝る前に眺めたテキストはなんとなく覚えているから、試験は全部この方法で乗り切った。
薬剤師国家試験も、ホメオパシーの試験も、アロマテラピー1級も、一発合格。
アロマテラピーは前日の夜、過去問をダンナにコピーしてきてもらってて、
「これで合格したら尊敬する」
と呆れられていたけど、通った。
まあ、その資格はエステのバイトの昇格に必要だったのだが、会社自体がなくなり、要らなくなって無駄だったが。
はっきり言っておく(偉そう)。
そんなものない方が、この世では幸せに暮らせる。
私たちが退化させた能力は、あそびのないハンドルのガチなエンジンを搭載したレーシングカーみたいなものなのだ。
すごいスピードで走ることになるから一般道(一般社会)では迷惑。
意識の向けかたをちょっとでも違えたら大事故。
人を傷つけることになる。
だって、この世の中はとってもファジー(死語)な空間だもの。
会社に不満がありながら、生活のためを理由に文句を言いながら働き、
関係が終わった結婚でも生活のために続けて、
結婚と恋愛は別で同時進行。
非難してるわけじゃなくて、相談を聞いてて、他の人たちはそうなんだなってシンプルに納得したのだ。
そして、コロナ。
わたしは不要不急でないお出かけは普段からしないから、
飛行機も新幹線も動いてて、
道は空いてて、
スーパーはあいてて、
空気がきれいで、ゴミも人も少なく静かだった自粛期間は、困ってた人たちのことを考えたら胸が痛かったけど、心地よかった。
しかも三密を避けないといけないから、行きたくない誘いは断れるし、乗り気でない会議は中止。
政府がお金くれたり、それでも足りなければお金を貸してくれるっていう。
すごく快適で安心していられた。
だけど、結局みんな元の生活を望んで、そうなっている。
でもね、今も、これからも、コロナは存在していく。
だから、私たちはコロナと共生しないといけない。
しかも、コロナは、ウィルスだからきっと変異する。
ワクチンもウィルスをターゲットにした新薬も間違いなくいたちごっこになる。
だから、感染拡大防止させたければ、いくら緊急事態が解除になったとしても、一定数の免疫が獲得できたとわかるまで今まで通りの生活はできないはずだ。
今までぎゅうぎゅう満席で何回転もしてたお店が指導通りに席の間隔をあけていては、採算は合わない。
でも、私たちの前に突如現れたコロナはそうしろと言っている。
もしくは、適応できないものはこの世から去れ、と。
だから、経済規模を縮小するか、コロナに勝てない個体はあきらめてもらうかどちらかになる。
残酷なようだが他の病気なら選択の余地なくそうなのだ。
わたしたちは、知らないだけで、多くの難病がこの世には存在している。なす術なく死を待つだけの命もたくさんある。
しかも、飢餓という、豊かな人たちのほんのわずかな慈しみと想像力で助かる病で
1日に2万5千人が亡くなっている
というではないか。
私たちがケアすべきなのはどちらなのか、わからなくなる。
ワクチン開発にかけるお金、
オリンピックにかけるお金、
やりたくない仕事にかける意識の力、
終わった結婚の継続に浪費しているおもいやり、
ほんとうに、それでいいの?
でも、今の状況がみなの総意なのだ。
わたしを含めての。
だから、受け入れる。
そして、適応していく。
これもわたしの作ってきた現実だから。
わたしはこの間も自分がどうしてもしたいと思った場所には行き(医療を受けるということも含めて、拒絶されたこともあった)、いうべきことはいって、やりたいことはやれた。
生活にいよいよ困ったら家を引き払ってアフリカに行こうと思っていたが、まだそこまでは困窮しないですんでいる。
ビザ停止でついにアフリカに逃げることもかなわないかと絶望したが、その前に政府が10万円くれ、タンザニアは経済のため、空港がオープンしたと聞いた。
コロナは恩寵だった。
少なくともわたしには。
そして、政府の計らいには感謝している。
そして、大変な犠牲を引き受けてくださった誠実な経営者の皆様に、言葉にならないくらい感謝している。
葉っぱの上で泊まって夜を越すのか、朝日を浴びて、羽を乾かしてからゆっくり舞いはじめる。
亀戸天神からの帰りに見つけたドイツの肉屋さんみたいなところで買ったベーコンとペリカンのパンで作ったフレンチトースト。
お腹空かないけど、みんなに
「食べてる?」
と言われるから朝ごはんくらいは食べようと思って作ってみた。
これに白ワインとかシャンパンか。
仮にそうでも誰に咎められるわけでもないんだけど、コーヒーの気分だったからコーヒーにした。
しろくまさんが買い置きしててくれたブルーマウンテンブレンド。
まだ食べさせて貰ってるんだよね。
相当な量のものを、人に貰ってもらったんだけれども。