靖国神社の桜にコロナを思う | かんながら

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旅の記録です

 

 

 

ヨギの治療師に、再会して間もなくの頃、「桜が咲いたらこの木の下で会いましょう」と言っていた桜が咲いた(陸軍と桜の1日 〜 上野寛永寺〜靖国神社〜千鳥ヶ淵)。
 
「今日行く」っていったけど、夜だったし、「みえないじゃん」って言ってやり直し。
しかも、「同期の桜」を歌う予定だったが、歌詞がうろ覚えだったようだ。
 
 
実に絶妙なタイミングでなにわの審神者(さにわ)から「同期の桜」の歌詞が送られてきた。
 
 
「ちょっと、こんなの送られてきたよ」
 
ってヨギの治療師に転送したら
 
「なんで、さにわは僕が歌詞を覚えてなかったって知ってるの!?」と驚いていた。
 
で、やり直し。
 
「え、仕事あるんだけど」
「早朝は仕事ないでしょ」
「えーーー!!」
 
 
 
ヨギの治療師の歌はとてもよかった。
重々しい軍歌だが、彼がやさしい声で歌うと軍歌らしくなく明るく伸びやかだった。
 
 
♫咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため♫
 
 
生まれた限り、死は運命づけられている。
 
奇跡のコース(A Course in MIracles)にも書かれているが、「生は、死」。
生まれるということは、死に向かう最初の一歩。
 
理由はともかく、わたしたちはもれなく、「死ぬ」のだ。
 
 
わたしの子どもよりずっと若い世代の人たちが、戦争でたくさん死んだ。
 
 
今コロナで「死にたくない!!」って言っている人たちの多くは、わたしも含めて、彼らよりずっと長く生きている。
 彼らの人生の3回分や、それ以上。
 
 
そこまでしてなんのために生きたいんだろう?
食べ物を奪い合って、水を奪い合って、
枯渇しそうな地上で権利を主張しあって、争って。
 
 
昨年の緊急事態宣言のときにも、いろいろ書いたが(死にたくないなら、生きればいいじゃない)、
そこまでして生きたいってよくわからない。
 
 
何も変わってない。
わたしたちの意識。
 
 
 
だから、わたしたちは延々と「やり直し」をさせられている。
いや、させて「もらって」いる。
 
 
ワクチンで、マイクロチップを入れられたり、遺伝子操作されて家畜化させられるっていう意見があるけど、
自分自身も含めて人間は身勝手すぎるから、欲望をコントロールされた方がいいんじゃないかってすら思う。
 
 
みんなが嫌なこと、この世から消せるんじゃないかな。
 
 
不倫とか、万引きとか、DVとか、虐待とか。
不愉快なことは根こそぎ、「デリート」しちゃえばいいじゃん。
芽を摘む。
 
 
 
みんな嫌でしょ。
「倫理」や「正義」に反すること。
 
ゲームみたいで簡単じゃん。
 
 
悪事の数々をはたらいてきた「暴風」の誉れ高い「美志摩かな」も大人しくなるかもよ。
 
 
 
みんなが希望している社会が目の前に実現しようとしているのに、いまさら反対することないじゃんか。
 
 
 
言葉は汚いけど、本当にそう思う。
この世は不寛容だもん。
抑圧ばっかり。
 
 
本当はしたいことを、みんな抑圧して、人のやりたいことの足をひっぱってる。
 
 
欲望をコントロールされたら、
水不足も食料不足も回避できるし、
 
 
思いやりを持たないと孫悟空の輪っかみたいなのがぎゅーって締まるとかになれば、嫌々でも他人にやさしくなるんじゃないか?
 
 
昨年の緊急事態宣言のとき、品物は十分あるはずなのに、まるで民主化前の東欧のデパートのような空っぽの棚をみて、
はっきり言って絶望した。
 
 
わたしがまだ生きていられているのは、
「足りなくなったらちょうだい」
 
って言って、
 
「いいよ」
 
といってくれ、
 
実際に食べ物やマスクを届けてくれた人たちがいたからだ。
 
 
 
 
欲望の方を思いやりを持って抑えることができたら、
コロナは必ずやまる。
アマビエは教えにきてくれたのだ。
 
 
コロナとアマビエのメッセージで書いたけど、コロナでわからなければ、「コロナの方がマシだった」って思うことが起きる。
 
 
わたしは反対派でも賛成派でもない。
日和見主義で卑怯なノンポリだから。
 
 
 
 
 
だけど、もうそろそろ、コロナ終わりにしませんか。
 
 
 
若くして空に散った青年たちが無駄死にになる。
 
 
 
彼らは無駄死だって言うひとがいて、わたしもなんとなくそう思っていたことは認めるが、よく考えたら、無駄死にしているのは、間違いなく今生きているわたしたちの意識だ。
 
 
 
彼らはわたしの3分の1ほどしか生きていなかったのに、国のためと信じて死んだのだ。
 
本当はわかっていただろう、それで勝てるなんて思ってなかっただろう。
ほんのひと時でもいい、好きな人と楽しく笑って、お腹いっぱい食べて、暮らしたかっただろう。
 
 
 
彼らはそんな未来を諦めて死んだのだ。
 
 
 
震災で亡くなった人にはその死を無駄にしないと誓うのに、戦争は違うんだろ?
 
 
 
戦争は自分以外の誰かが起こしたから?
 
 
コロナでわかったけど、戦時中の意識と何ら変わらなかった、とわたしは思う。
 
 
そして、今飢える人がいる地球で、こうしてのうのうと生きていられることに感謝すると同時に、
 
そこにある貧困に対してなにもしていない自分の怠惰を後ろめたくも思う。
 
 
 
 
 
沖縄の旅の前後には、なぜか来ることになる靖国神社。
陸軍関係者と。
 
最初に行ったのは、境界の守護者だかいう黒い闇に襲われそうになってババを呼んだときだった(神さまはいるのか?)。
 
 
嫁に行った先で嫁の役割をなにもせずに離婚して、
離婚してすぐからヨギの治療師には会っていた(はず)。
 
そのころほんのわずかな期間、気持ち悪いくらいの近くに(知らずに)暮らし、その後わたしはアフリカに行き、ヨギの治療師はゴッドハンドを持つ王族のところに留学した。
 
20年以上経ってもう一度出会って、一緒に墓参りをすることになる。
嫁に行っていたとき、いくら結婚している期間が短かったとはいえ、墓参りなどろくにしていないし、先祖のことを考えたこともなかった。
 
これは最初の結婚のときにすべきことだったのをやり直しさせてもらってる、と思った。
おまいりさせてもらっている墓は違うけど、同じことなんだろうな、って思ったから。
 
 
本当にいろいろあった。
わたしのことと違うからプライバシーに配慮していわないが、あの家は何も語らなかったがすべてを知っていた。
だから、わたしのことをまるで狐を追い出すように追い出した。
安倍晴明の母とされる「葛の葉」がそうであったように(葛の葉をたどる旅の結末は、なんと琉球王朝へ)。
 
それは、単純な意地悪や嫌がらせではなかったのだと今はわかる。
 
 
靖国神社は苦手だった。
うちの祖父は、戦死したけど、父は靖国へは絶対に行かない。名簿にも載せてない。
 
 
戦争反対=靖国神社反対って思ってる節がある。
 
 
 
まあわたしもなんとなくそう思ってた。
自分がこうしていろんなところに呼ばれて実際に知るようになるまでは。
 
 
靖国は戦争を美化してるって思ってたもん。
名誉の戦死ってありえないって思って。
 
 
 
でも、それは彼らと遺族を蔑めていただけだとようやく理解した。
自分が今ある平和に感謝して幸せに生きられていたら、彼らの死は無駄にならない。
彼らの犠牲あっての今になる。
 
 
というか、生きているわたしたちが、「そうする」のだ。
 
 
「過去」も「未来」も、「今」にしかない。
 
 
 
それを決めているのは、「今」を生きているわたしたちの意識。
 
 
 
だから「神」にした。
未来に、向かうために。
 
 
 
♫離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう♫
 
 
靖国神社の桜の花を、今年は違った気持ちでみた。