「このはな」の秘密がひらくとき 〜肥後 VS 出雲 そして琉球 (その2) | かんながら

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旅の記録です

「このはな」の秘密がひらくとき 〜肥後 VS 出雲 そして琉球 (その1))からの続き。


わたしとしろくまさんが、旅したのは 「6年」か。
このあいだ、思い出させてもらった、
アマビエのメッセージと同じじゃん。


「毎夜、海中に光る物が出没していたため、役人が行ってみると、姿を現したその者は、『私は海中に住むアマビエと申す者なり』と名乗り、『当年より六ヶ年の間、諸国で豊作が続く。しかし疫病も流行する。私の姿を描いた絵を人々に早々に見せよ』と告げ、海中へ没した」とされます。



(画像はちょっと便利帳HPより)


「アマビエ」という名称については、民俗学者・妖怪研究者の湯本豪一氏は、自著「明治妖怪新聞(1999年柏書房刊) 」の中で、書き写した者による「アマビコ」の誤記、すなわち「コ」を「ヱ」としてしまったのではないかとの説を唱えています。氏は、その説の裏付けを示し、『誤解を生まないためにも、今後「アマビエ」という名称は避けるべきではないだろうか』とも記しています。

とある。しかも、アマビエじゃなくて、本当の名は「アマビコ」らしいだって。


それに、この間2014年の年始に書いてた記事(2014年に向けて)にも、2020年のオリンピックまで経済は活性化するでしょう、ってわたし自身が書いている。数え間違えて7年って書いてあるけど、6年だ。
わたしにはアマビエが憑りついていたらしい(謎)。


で、このアマビエのお札に書いてある文、

肥後国海中え毎夜光物出る。所の役人行見るに、づの如く者現す。私は海中に住、アマビヱと申す者也。當年より六ヶ年の間諸国豊作也。併し、病流行、早々私写し人々に見せくれと申て、海中へ入けり。右写し役人より江戸え申来る写也。
 弘化三年四月中旬


この文、このあいだあげた「大神神社」のこれ、思い出すのはわたしだけ?
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「あやしきひかり 海をてらし たちまち うかびきたるものあり」

アマビエの絵に書かれていた文言と、なんかイメージぴったりなんだけど。


大神神社のある桜井には、相撲発祥の地といわれる「穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)」がある(卑弥呼時代の豊かな営み〜 その2 たまきの秘宝と穴師坐兵主(あなしにいますひょうず)神社とおぢば恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その4 飛鳥・纏向編 (後編))。


桜井は、実は相撲発祥の地である。島根県の出雲ではない。
出雲は奈良なのである。


そうだ(恋しくて 〜葛の葉をたどる旅 その4 飛鳥・纏向編 (後編))に書いたけど、日本第一の荒神さんは、「笠山荒神」で、穴師坐兵主神社(あなしにいますひょうずじんじゃ)の元宮がどこにあるんだろう?って思ったときに目についた場所だった。


相撲といえば、このあいだ2度も通りかかることになった(そして、瀬織津姫の東京クルーズ壊れるから生まれるもの 〜わたし、のゆくえ)、
「富岡八幡宮」(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ 番外編3 東京) 〜 将門さんと平田篤胤)。
そこにあったのは、

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富岡八幡宮にあった、「出雲(日)VS 肥後(月)」 の図。

まさに、その場所で、結界がはられているはずの神社の境内で宮司が日本刀で殺害されるという事件が起きた。



当時はわからなかったけど、今なら、「なるほどな」って思うことがたくさんある。




梅と桜は出会ってはいけない!?
っていうのって、まさにそれかもね。木花開耶姫は桜じゃなくて、梅かもね。

だって、

「難波津(なにはづ)に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」
王仁(わに)『古今集仮名序』




だって、「この花」って梅のことらしいよ。

編者の紀貫之が「梅の花を言ふなるべし」と注釈しているらしいから。


そして、もとは白山信仰(梅・牛)だった伊勢原の「大山」は、東大寺を開いた「良弁(ろうべん)」が不動明王を祀った。
キーワードは「コマ=高麗」である。なぜなら、元鎌倉とでもいうべき茅ヶ崎から、「高麗若光」はやってきた(高麗からコマをたしかめに 〜牛頭天王・天神・そして、ヒボコ?)。


明治神宮の北の守り(といってもこちらの方が古い)のエリアには、「津島神社」と、「大山石尊大権現」の石碑があり、大山講があった(大山石尊大権現〜クリスマスのしるし?)。


梅といえば、なぜか沖縄に関係がある(灰の水曜日 〜梅を辿って江戸の旅)。
「梅屋敷銀世界」の「中山樂師棟應昌」。


天保3年4月。1833年?
先ほど登場の「アマビエ」弘化3年(1944年)のひとつ前。

天保って、日本で一番低い山・大阪の天保山だ。
安治川を浚渫(しゅんせつ)した土砂を積み上げて作った人工の山。


そのあと、アマビエが登場して、「向こう6年、諸国で豊作が続く」って予言した。


その中山楽師の「棟應昌」は、 なんだか重要なキーを握っているような気がするんだけど。