大神(おおみわ)から大神(おおがみ)へ その2 〜三輪そうめんがつなぐ縁 からの、続き。
思いがけずの御用を終えて、本来予定していた日常に戻る。
リスケした確定申告も済ませて、役所の用事を終えて。
そこへ「お久しぶり。今東京?」とのLINE。
「明日船出すけど来ない?」
そうだ、明日クルーズしないかってお誘いもらってた。
船で東京の水辺をめぐる。
そういえばしばらく船に乗っていなかった。
流れを止めないでいってみるか。
「いきます!」
翌日。
思いがけず丑の歳と寅の歳のかわり目の節分に、大神島からお連れした神様が立春にお通りになったあと、
明治神宮はいつもにも増して光が強くなっていた。
丑寅(うしとら)だとしたら、艮の金神(うしとらのこんじん)かもね。
艮の金神って国常立尊(くにのとこたちのみこと)なんだって(いうのは、丹後の神人談)。
国常立尊は、うるさいことを言うから、人間と神様が共謀して海に沈めた、と聞いた。
神さまが神さまを沈める。
だったら、神様って何者なんだろ。
「人は死んだら神になる」らしいけどね。
明治神宮には日本全国からの献木がきてて、南限も北限も更新しているって聞いた。
沖縄の木ってなんだろうな、って思って、はっとした。
イヌマキじゃん?
イヌマキは垣根に使う一般的には低木。
ここのイヌマキは大きい。もう見上げて高い高いところまで。
イヌマキの木は首里城を作るときに使った木だって聞いたことがある。
で、昔燃えてしまったとき、再建しようにもイヌマキはもう沖縄県にはなかった。
船の集合場所は勝どき。
久しぶりの大江戸線。
明治神宮のお参り終えて、懐かしの代々木駅。
やっぱり何度振り返っても、「天気の子」の御用で呼び出された、と思う(新しい10年のはじまり)。
あのときが異常だった。
よく考えてみたら、大神島行きと東京クルーズは連動してる。
だって、川と海の街 〜瀬織津姫はノーを言えるかの頃に、わたしには珍しくずいぶん先のクリスマスの大神島行きを予約した。
残念ながらそれはすんなりとは運ばず、当日フェリーがでなくて宮古空港から那覇を経由して北大東島に行くというハプニング付き。
しかも私の代わりに地震が訪れた(クリスマスは琉球へ その3 〜宮古島から北大東島へ)。
いいんだけどさ、大東島。
結局伊勢平氏おじさんのルーツを調えることになったからさ。
で、クルーズ。
いい天気。
日本橋。金融の街だ。
江戸の街は、水辺の街。
太田道灌が大阪からきて作った水路の街(やはり呼ばれた西新宿 〜十二社(じゅうにそう)熊野神社・淀橋・トトロの森のある場所は 〜多摩湖のほとりを歩いたら・安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ その6) 〜 将門さんの御用で千葉へ)。
大神島からきた龍神さんは、江戸の川をめぐることになっていた。
スカイツリー。
どっかから測ると666メートルなんだって?
なんだか、大神島の神様は「6」が好きって言ってたよ(謎)。
ひっくり返えると「9」になる面白い数だし、
それって太一の印と同じだし。
六芒星って、「籠目紋」だよね。
カゴの中の鳥。
まんまじゃん。
ここでしか撮れない図。
こんな感じ。
久々に操船できて楽しかった!
やっぱり船はいいな。
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