水の中を歩くように | かんながら

かんながら

旅の記録です

代々木公園に降臨しているククルカン。



白山のサルタヒコに電話したときちょうどこの前を通過中で、

「真西に向いてなければ意味がない」

って言われたから確かめた。


ビンゴ。
ククルカンが降臨するメキシコのピラミッドはちょうど今ごろ夕陽を受けてその姿を現すのだ。



少し前羽根を拾った。

「水鳥の羽根じゃないかな」
いつも大きなレンズで鳥を追っているお兄さんが、図鑑で見ておきますよ、っていってくれた。


この森に集う人たちは、わたしを豊かにしてくれる。
この街に住まなければそんなチャンスには出会えなかった、と思う。
東京に出てきてよかったと思うことは、旅先と同じくらい、その道のプロフェッショナルに会えたこと。


もう四半世紀以上前になるけど、できたばかりのインターネットの世界も同じような感じだった。


誰とでも対等に繋がれて、知識を惜しみなく分かち合って豊かに交流できていたあの世界。



正直に考察するなら、誰とでも、ではなかった。
インターネットはあの頃はまだ一部のステイタスの人たちのものだったから。




でも、風俗嬢も、名もないOLも、主婦も、偉い学者さんも、通信オタクも、同じ空間で、さまざまなものを共有してた。
みんな匿名だったけど、なんとなく、またはハッキリと、その人がどこの誰だか知っていた。


だから、ネットで身バレしないからってやりたい放題とかできなかった。




伊勢平氏おじさんは、酒の席での約束は、守られなくて当たりまえ、と思ってるみたいだけど、わたしはそういうの、みっともないって思う。



わたしは酒で記憶なくしても、約束守るよ。
した約束としてない約束は、記憶なくそうがわかるもん。


酔ってもその判断基準は変わらないから。


気持ちや状況が変わって守れなかったことはあるけどね。
結婚とか、もちろん死ぬまでずっと一緒に生きるつもりだったし。



付き合いそのものに対する温度差がありすぎる。



だいたいシラフのときの会話ですら、ポイントだけしか聞かないって言ってるし。



会社のエラい人だったときは、部下全員の言うことは要点だけしか聞く余裕なかったと理解できるけど、もう退職して長いのに、一対一でしか話してないわたしに対してそれでいいって思うのどうよ?


わたし、尊重されてないって普通に思うけど?





都合が悪くなったらすぐ逃げ出すおじさんとの関係を保つために判断することをやめてたけど、


このあいだ、山でおじさんが「あれは王だ」と言ったサギを見たとき、やりきった、って思ったから、「美志摩かな」の役を卒業した。


だから、違うと思ったら抗議するようにしたり、全て察して行動するのはやめた。


それまでは山にいる間、「お腹すいた」って言われたら「何食べたい?」っておじさんの希望するご飯をつくり、時間がきたらお茶の準備をして、黙って掃除して、気持ちよく過ごせるように全てを調えた。


おじさんから要求されていたことは間違いなく妻の役割なのに、おじさんのわたしに対しての扱いは部下のひとりかそれ以下だった。

ヨギの治療師は「女中じゃん!」って驚いてたけど、給料なんか貰ってないし。




ついにその日がきた。


「お腹すいた」
「そうですか」
「なんか食べたい」
「だから?」


依存症(DV)回復プログラム。


「つくって」
って頼むまでしない。

そこに至るまでも、それからも、すんなりとはいかない。
恫喝したり、ニコニコとかわいく甘えてきたり。


そんなことは折り込み済み。
こちらはその道四半世紀のプロなんで。


結局つかみ合いのケンカになって負傷した。
左の肋骨骨折だな、ヒビで済んだかな。




思えば昨年のこの時期もそうだった。
伊勢平氏おじさんが訪ねてきて、転びそうになったのを支えた。


胆嚢炎かと思ったら、ヨギの治療師が外傷じゃないかと教えてくれて、レントゲン撮ったらビンゴだった。


骨粗しょう症かと思って骨量を調べたら足りないどころか若すぎるくらいで心配なく、何故折れたのか不思議だった。


なにわの審神者(さにわ)に言ったら、

「アダムに治してもらう」って不思議コメントが入って、

それは、自然ではない、何かがあると思え、って注意された。
3度目はない、ってことも。




9月9日。くくりの日。
昨年も今年も肋骨骨折。

昨年は富士山でダブルレインボーをみた。

今年は、先がみえない。
道を示してください、ってババを思いながら泣いた。




船に乗れたら島でも役に立てるかも。
船舶免許の学校に申し込んだ。




この場所は、思い出の場所だった。
勤めた会社があり、その道中には東京に最初に出てきたとき住んでいた「港区のチベット」魚藍坂下があった。
今は地下鉄の駅もできて、タワーマンションができて別世界。


わたしが住んでたビルのカバン屋さんもなくなってた。
仕事終わって夜、屋上で東京タワーを眺めた。






わたしがアフリカにいた頃走ってみたい、って妄想したパリ・ダカールラリー。
ダカールラリーになったんだよって聞いた。
船舶免許の教習所の道中にその看板をみるとは。しかもはじめて。



教習中もいろいろあったけど、ノーをいうところはノーをいい、思うように楽しめた。



島で乗れればって思ったポンポン船は免許いらないってことは、教習で知った。



でも知識ないまま海に出るのは危険過ぎるし、何より久しぶりに水辺にきて、自分を取り戻せた。

「大阪で生まれた女」だし、みしまだし、ナーガだし(謎)。



大阪に似てるよな。
オランダにも。
って当たり前か。


運河の町。



徳川が作ったこの街は、大阪から太田道灌がきてつくったんだから。
オランダと徳川幕府が出島で繋がってた、って言うんだし。


知らなかった。
なんにも。


「美志摩かな」の2年間は無駄じゃなかった。
25年前この地に呼ばれたとき、そのままここに暮らしていたら、違う景色をみていただろう。




四半世紀前の台場はなんにもなかった。
「港区のチベット」の部屋の大家さんが、「川向こう」って呼んでたんだもん。

団地ができて、住むはずだったけど、わたしはすべてを捨ててアフリカ放浪の方を選択した。




しろくまさんも、この街の会社に勤めていた。
そういう縁のある街でもある。



船からの景色はいろんな気づきがある。
水路を巡ってみたいな。
東京はほとんど暗渠になってしまったけど、まだそこにはこの街のもとの姿の手がかりが遺されている。




制限付きって嫌いって理由だけで一級を選択。
免許いらないポンポン船に乗るために。



学校の全力サポートでめでたく一発合格。
国家試験一発合格の連続記録もめでたく更新。




先が見えず死にそうなところに、神の手が降りてきた。



空気を読むって、違うって思ってたけど、それを見事に言葉にしてある、山本七平著「空気の研究」。

街で事件が起きたとき、身内は助けるけど、それ以外は知らん顔して通り過ぎる、日本人の道徳とは「差別の道徳」。


東京に来た当時、駅で殴られてる人の横をなにも見えないように通り過ぎていく人たちの群れをみて、驚いた。
そして、それを眺めている自分に気づいて嫌悪した。
伊勢平氏おじさんを「保身の汚らしさに反吐がでる」って思うのは、自分の中にそれがあるからだと知っている。


おじさんは、「このひどい世の中を変えることができるのはひどいやつ」って言うけど、あたりまえだと思う。
いい人ほどあっさり騙される。


いい人は人の悪意や狡さは気づかないのだ。



著者は、知人や家族とそれ以外を分けて考えるのが差別といい、そしてそのルールのなかでの「道徳」を指摘する。

そして、「(その場の)空気」という曖昧な根拠により重要事項がありえない判断より行われた事例として、戦艦大和の出撃を考察している。


企業でも、社会でも、「空気を読む」は日本人共通の道徳かも。

でもわたし、空気は吸うもの、だと思う。


都合よく解釈できるけど、合理性ないんだもの。
占い結果に合わせて行動するのと何ら変わらない。
人により判断はまちまち。
力のある人、声の大きい人に空気は支配される。

その正確性とは関係なく。




DVパートナーを悪化させるのも、
依存症を悪化させるのも、


実は「空気を読む」こと。


間違ってることに従うから破綻する。



ダメなことはダメって言わなきゃいけないんだよ。
ダメなことが罷り通るようになるから。



嘘から出たマコトならいいけど、
嘘も100回言えば真実になる。



空気を読むんじゃなくて、自分のあたまで考える。

ちょうど阪神淡路大震災のころ、オウム真理教の地下鉄サリン事件があった。
洗脳、怖いって思ったよね。


あれは教祖が令和になる前に平成の事件として処刑されて終わったことにみんなの中でなっているけど、わたしは彼を暴走させたのは、「空気を読む」人たちだったと知っている。


「裸の王様」を指摘する勇気ある子どもがいて、それを空気を読む人たちが黙殺しなければああはならなかった。


逆にいうと、違うと思いながらも、その場の空気を読んで何も言えなかった人たちの方が、あの狂気を正しいと信じて突き進んだ彼より罪深いと思う。


善良な羊の彼らが考えていたことは、結局、保身だけだった。


わたしの中にだってかつてあった。


今はわたしは敢えて空気読まずに生きてるけど、そのせいで社会からは拒絶されてる。
普通に暮らしたいなら、ルールに従うしかないかなって思う。


でもそうやってこの国は相当おかしなとこまで行き着いた感じするけどね。



「空気」は霊は、プネウマ(ギリシャ語)で、ルーア(ヘブライ語)で、アニマ(ラテン語)なのだそうだ。

そしてその「アニマ」から出た言葉が「アニミズム」らしい。


あるときから、スピリチュアルは苦手って思って距離を置いた。


その底に流れる違和感を「空気の研究」は明らかにしてくれたように思う。






山本七平は、「日本人とユダヤ人」を書いたイザヤ・ベンダサン。


水を歩くことを考えたら、空気がみえはじめた。