川と海の街 〜瀬織津姫はノーを言えるか | かんながら

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旅の記録です

 
しばらくのことを書いてなかった。
 
もともとこのブログは、壊れそうな自分のカウンセラー役をしながら書いてきた。
「美志摩かな」というクライアントに接するように。
 
わたしの周りでは、世界は変わりつつある。
 
結局しろくまさんが死んでからのわたしの生活に寄り添って、手助けしてくれたのは、
裕福で元気とお金の有り余る前向きな人たちではなくて、自分自身もギリギリの生活の中にいる人たちだった。
 
 
やっぱり「この世の中は、搾取する側とされる側がいるだけ」

 

じゃんね、って思った。

 
 
 
伊勢平氏おじさんは、自分の妻が病に倒れたとき、長期の入院ができる病院のひどさに
 
「こんなところに入れることはできない」
 
って思ったらしくて、それを語りながら泣いたけど、
 
 
わたしにしてみたら、
「そんなことも知らないのか」と驚いたし、
 
「ふとんを置くスペースがないからヨガマットに寝袋で寝てる」っていうわたしは
それでいいと思われていることがなんとも言えず切なかった。
 
 
「(会社員時代含めて)キミの他にどなりつけたことがあるのは妻だけ」
 
ってこのあいだ言われたけど、
わたしは、怒鳴りつけられること以外、妻のように扱われたことはない。
 
 
生活の面倒をみてもらったこともなければ、家に入れてもらったことすらない。
食べることの心配も、身体の心配も。
「心配した」っていうけど、「思い」だけでは身体は維持できないのだよ。
 
 
そんな「妻と同じ」なんかいらない。
それ聞いて、わたしが喜ぶとでも思ってるんだろうか。
 
 
「愛してる」って言われるだけの愛人より、
愛されていなくても生活の面倒をみてもらえる妻の方が、物質世界であるこの世の勝者である。
 
 
彼の「過去の栄光」の知恵を、借りられるように頼んだが、一蹴された。
わたしに与えるものは、1円の持ち出しもしなくて済む「知恵」すらもないらしい。
仮にどんなに「想われて」いたとしても、そんな関係なんか奴隷じゃん。
 
母も同じだけど。
彼女は彼女なりにわたしを「愛した」と言っている。
彼女がいうように、お金はかけてもらった。
 
彼女の希望の学歴や資格を得るために。
 
「手はかけなかったが、お金はかけた」って言われたこともある。
 
わたしは、「お金も愛」って思うようにしてきたし、
そう思って「お金を稼ぐ」ことに邁進したこともある。
 
わたしには進路の自由などなかった。
試験に落ちたり、家出すればよかったが、当時のわたしにはそんな知恵はなかった。
 
 
 
かつてわたしが人気占い師だったころに書いた文章はそれなりに人気があって、
おじさんに「読んでやる」って言われたから、その高飛車な態度が嫌だったけど、
 
しろくまさんに「そんなチャンスは滅多にないからみせたら」
 
って言われたからしぶしぶ小冊子にまとめたものを渡したことがある。
 
何日たっても話題に出ないから聞く気にもならなかったが、
しろくまさんが「どうだった?」って聞くので聞いてみたら、
感想どころか「読む価値もない」って言われた。
 
 
最後の片付けにいったとき、もう最後だと思って、
おじさんに頼みたいことをいった。
 
わたしが死んだら、永遠に誰の目にも触れなくなってしまう
しろくまさんの「しろくまとイルカたちの写真」を世に出すのを協力してくれませんか、
ってことと、
 
わたしの2年間(つまりこのブログ)をみてくださいね、っていうのと。
 
 
おじさんは両方、迷う時間すらなく断った。
 
 
本気で頼んだから頼みながら泣いた。
それくらい、自分は真剣に頼んだつもり。
 
後者の方は思い直したみたいで「10ページだけ書いたものを見てやる」って言われた。
 
だから、わたしは言った。
 
 
「わたしは、あなたと出会ったころにはすでに会社をお辞めになられてずいぶん時間が経っており、
わたしは業界が違いますので、あなたの評判を聞いたこともありません。
養父より年上の、無名の70歳のおじいさん(とあえていった)としてのあなたしか知りません。
わたしは自分の文章を評価してもらいたいのではなくて、
あなたがわたしになんの反論も許さなかった、その共有していたはずの時間にわたしが何を考えていたのか、
ほんのわずかでも伝えたいだけなんです」
 
 
 
ついに今年は今までは関係性の維持のために飲み込んできたことを口にするようになったが、
今まですべて、自分の気持ちや考え方の方を変えてすべて受け入れてきたのだ。
 
おじさんのように「要点(自分が聞きたいこと)しか聞かない」というのではなくて、
わたしは納得できないことは聞き流せないので、本当に「受け入れて」きたのである。
 
 
この人には、わたしに対する思いやりがかけらも存在しないのか?
それとも、わたしが、このおじさんを「思いやりのかけらもない人」と誤解しているんだろうか?
 
 
わたしの思いを変えて、受け入れる、ってことを2年試したけど、
おじさんに一瞥の体験(鹿の国から馬の国へ  〜アカルヒメとヒボコが出会ったら)があっただけで
関係は残念ながら変わらなかった。
 
 
 

 

 

 

明治神宮がいつもどおりにもどって、久しぶりに森に入ることができ、わたしは少しわたしを取り戻せた。

そのぶん、社会との関係は難しくなる。

あの荒い波動の中にいられなくて引きこもってしまう。

 

人間社会の荒い波動から守ってくれていたのがしろくまさんだった。

そして、「美志摩かな」っていうペルソナで鎧だった。

 

両方なくなって、生きられるんだろうか。

みんな「美志摩かな」は怖いとか、「死んじゃえばいいのに」って言ってたけど、

「美志摩かな」だからひとりでなんとか生きられた。

正確に書くなら、そこに、コロナの恩寵と、ひとりでは到底生きていけない「わたし」を知っている昔馴染みの人たちの助けがあって、ようやく。

 

 

「憑いている人と会うと具合が悪くなる」と言っていたダンスの先生も話はしないが久しぶりにみかけた。

みかけただけで言葉もかわしていない。

でも背中をみただけで、涙が出てきた。

この人も、「空間」を理解できる人である。

「理解された」って感じた瞬間に、自分自身がどれほど気をはっていたか、がわかって、自分の中にあった緊張の糸がぷつんと音を立てて切れた。

 

 

 

 

 

船舶免許をとってはじめての練習。

海はいいな。

でも水辺の世界は、子どもの頃苦手だった人たちの世界である。

やんちゃな人たちのにおい。

 

大阪にもアムステルダムにも、似ている。

 

江戸は、大阪からきた太田道灌が作った水路の町。

似ているのはある意味当然と言えば当然。

オランダと徳川が繋がってた、ってきいて、アムステルダムと似てる、っていうのも深い部分で納得した。

 

 

鎧を脱いだ自分には、その人間関係は少々荒すぎて気後れする。

 

みえているものが違う人たち。

彼らのみえているものは、占いの仕事をしているうちに学んだ、と思う。

人間ってこんなふうに考えるのか、って新鮮な驚きとともに知った。

「人間って」って、あんたはなんなの?って思われるだろうけど、わたし、真逆の世界に生きてるって思う。

鏡って同じものを映し出すけど逆じゃない?

 
「死にたい」って言ってる人の一定数は、相談員に怒りをぶつけることで生きられたりするそうだが、
怒りって生きるエネルギーだ。
 
なにか不快なことがあったとき、環境や他人のせいにできる人の方が自然である。
わたしみたいに、自分が悪いって思っちゃう人は狂っちゃう。
 
内面に向かうように、って宗教や座禅(座禅も宗教である)や、スピリチュアルではいうけど、
内面に向かって自分を変えて行く先は、わたしのババ友やわたしみたいに「生きていてごめんなさい」だもん。
 
 
わたしたちは、わたしたちを苦しめるという自我を消していった。
それによってわたしたちは欲からはなれた。
そして、生きる力を失った。
 
わたしは根がしたたかで悪人だから、詐欺師の手口がそれなりに見つけられるから被害はないけど、
ババ友の方はしょっちゅう詐欺的な人たちに騙されている。
 
 
結局、この世は欲を持っている人たちの世界なのである。
そして、「この世の中は、搾取する側とされる側がいるだけ」って本当に思う。

 

 

大いなるものに委ねた先にあったのは、天国という名の地獄である。

 

25年前、わたしがすべて「大いなる力」に委ねたとき、社会にはまだそんな弱者の居場所があった。

アル中の仲間は、入院生活をそれなりに楽しんでいて、

ホームレスの人たちは創意工夫して自分を表現したダンボールの家で、自由を謳歌していた。

 

なにわの審神者(さにわ)なんかは、「豊かになったからああいう人たちがいなくなった」っていうけど、

彼らが保護という名のもとに貧困ビジネスに絡めとられて行ったことを知っている。

 

たしかにいわゆる路上生活者は減った。

でも、ネットカフェで暮らす人とか、派遣社員とかに、「ホームレス」や「日雇い労働者」が変化して、

その数が圧倒的に増えた。

 

デパートの包装紙で包んだら、中身が同じでも高級感があるっていうのと、一緒じゃん、ってわたしは思う。

 

それでも現代の「日雇い労働者」はあの頃のおじさんたちみたいな怒りは持ってない。

とても従順で、むしろ、「こうなったのは自分のせい」って思ってる。

生きる気力を失っても、死ぬまで働く。

 

 

いやいや、違うよ。全部が全部あなた方の責任なんじゃない。

あなたたちが受け取るはずだった正当な報酬を、うまい具合に掠め取って儲けた人がいたからだ。

「社会の仕組み」自体が搾取の構造なのだ。

 

そもそも、「派遣」という働き方が認められたとき、派遣社員は給料が高かった。

危険な仕事、人がやりたくない仕事、は「多めのお金を払って」やってもらうのが当たり前だった。

 

今は社員より報酬が低くて、安く買い叩かれている。

その上、使われている人たちは、「自分の能力のなさ」とか、「資格がないから」って信じてて、

セミナー通いでさらに経済的に苦しんでいたりする。

 

 

前に書いたけど(神に抱かれる 〜軍用イルカと波動測定器、そしてユダヤ?)石山本願寺とか、一向一揆で

「お浄土にいける」を報酬に、手弁当で戦に向かった人たちと重なるんだけど。戦国大名の方は武士には報酬を支払わねばならないが、

信者を動員した寺の方は、勝ったら丸儲け。リスクゼロ。

 
 
しろくまさんも「成功ビジネス」に絡めとられた被害者のひとりだ。
ずっと自分を責めて、成功しなきゃってがんばってた。
亡くなるまで。
彼が持っていたパソコン、開けられなかったもん。
微笑みかけるイルカや、澄んだ目のシロクマの赤ちゃんの写真と一緒に、無数にあった「成功する方法」「お金持ちになる方法」の教材。
本棚が歪むぐらいため込まれていた自己啓発とスピリチュアル系の本たち。
 
そのおぞましいパソコンの中から、心のきれいな友人たちが、すごい労力をかけて、作品だけを選び出してくれた。
だから、それを世にだしてあげたい。
それが、償いのような気がしてる。
 

 

 

 

久しぶりにブログを介して知り合った人がご飯でも食べませんか、って誘ってくれたので、アフガニスタン料理屋。

彼女は、わたしが住んでいた「天気の子」の街に引っ越してきた。

わたしたちが歩いたあと、カミーノを歩き、離婚したりで、なんか少し似た何かを感じていたが、まさかの「稲荷の御用」の請負人だった。

 

しかも同じ時期に。

 

やっぱり伊勢平氏おじさんだった。

わたしを代々木に行かせて「稲荷の御用」をさせたのは。

 

最近、「美志摩かな」の2年間を振り返ってみて(そして、またくくりの日 〜虹と歩んだ2年半。)、

そもそも代々木に引っ越した理由も、おじさんが「もっと人の住むところに」って言ったことがきっかけだと気づいた。

 

そしておじさんに「障り」が「わたしを通して」起きて、わたしは、一方的に関係を絶たれたが、

なんのことはない、おじさんの関係者が絡んでいたから、鏡のわたしを通しておじさんがそれをみただけのことだった。

 

だって、彼女も、わたしがおじさんが特別扱いしている「現実を動かす力がある霊能者」につながっていたんだもの。

 

今までも「心当たり」を問われて、それをこたえたけど、

「キミの勝手な思い込み」とか「証拠を示せ」って一蹴されてきた。

 

 

でも間違いない。こんなの偶然にしてはできすぎ。

おじさんがどう言おうが、わたしの中では「やっぱりね」である。

 

やっぱり、おじさんの家にきた障りは、わたしが起こしたものではなくて、おじさん自身が引き寄せたものだった。

 

 

 

 

そろそろ、やり残したことをやらなければ、って思った。

しろくまさんの写真を世に出したい。

伊勢平氏おじさんにも頼んだが、一蹴されてちっとも進まない。

彼の懺悔にもなると思ったのに。

 

 

無数の「成功ビジネス」の教材が入っていて気持ち悪くて開けることすらできなかったパソコンから、

複数の友人たちが救出してくれた微笑みかけるイルカや、キラキラした瞳のしろくまの赤ちゃんたちの写真。

世に出して欲しいよね。

 

唯一、正式に作品として世に出せた本をゆかりの靖国神社に奉納しにいった。

 

彼が生まれ変わりと信じた方と、祖父の名前を書いて。

 

普段は正式参拝では礼を尽くしてもらえる。

戦没者のお御霊をおまつりしている神社なのだから。

座って黙祷する時間もあり、言葉もいただける。

 

 

この日は七五三の祈願が多くいたのか忙しそうで、立ったままの参拝。

なんだかとても複雑な気持ち。

祈願のための神社になったみたいな違和感。

 

 

戦争が過去のことになることはいいことなんだと思う。

すべてが変わっていく。

だったら、もういらないんじゃないかなって思う自分もいる。

 

 

 

 

 

完全に、わたし今わたしの前にある現実世界と調和できてない。

もちろん心が拒否しているからだって知ってるけど。

でも自分の思いにそわないことにイエスって言ったらダメだと思う。

 

 

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なにわの審神者(さにわ)の提案で靖国にいったので、報告したら、

 

「思いを鯉にたべてもらえ」って提案された。

 

だから、鯉の餌を買ってみた。

お腹が空いている鯉より、いつもふんだんに餌をもらっている鯉の方が、餌に反応する。

普通は、逆だろって思うけど、そうじゃない。

 

でも、人間もそうだ。

お金を持っている人ほど、もっと欲しいって思って人と競い合って掴み取る。

 

太った鯉がもっともっとと口をパクパクして餌を奪い合っているのをみて、また気持ち悪くなる。

 

 

ちょっと前の自分だったら、「自分の心が餓鬼の心だから、鯉にそれを投影するんだ」ってきっと思った。

でも、でも違う。これが、現実世界のカタシロ。

 

 

(千と千尋の神隠しの)カオナシに、千尋は「いらない」っていったら、カオナシは怒ったな、って話しながら思った。

そういえば、しろくまさんが亡くなる前、

「しろくまさんのお腹には「カオナシ」がいました、ってみえるお客さんに言われたな。

 

彼の中に、カオナシがいるのは、知っていた。

でもわたしは、そのカオナシを追いやって、しろくまさんを守ることができなかった。

 

 

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ずっと気になっていた、食堂に寄ったら閉店していた。

生活に困っていたころ、バイトさせてもらったママの店。

体調が悪そうだったから気にしていたが、まさかと思って知人に電話したら、ママはやっぱり亡くなっていた。

 

最後に会ったのは半年くらい前だろうか。

ヨギの治療師の「また行きたい」は永遠に叶わぬことになった。

会いたいと言っていた、琉球のママに引き続いて2回目。

 

だから言ってるのに。

「いつか」はないよ、って。

 

 

人はあっけなく逝ってしまう。

自分自身の体調のことも、思い当たる節があってはっとした。

 

 

 

 

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