そして、またくくりの日 〜虹と歩んだ2年半。 | かんながら

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旅の記録です

 
 
9月9日。
重陽の節句。
 
旧暦なんだけどね。本来は。
だって菊の季節には早いでしょ。
 
陽が極まる日。
転換期ってことだ、とわたしは思う。
 
私にとっても、まさにそう。
 
 
本当にきつかった。
いろいろが。
 
そしていろいろ思い出した。
 
 
昨年の9月9日、なにしてたんだっけ。
 
 
 
昨年の9月9日は、富士山に行っていた。
「天気の子」の街代々木から引っ越すサインになった富士山行き。
 
しかしながら当初予定されていた春の予定は延期に。
そしてその秋、9月9日にその日はやってきた。
 
で、行ったけど、いろいろあって寺パパことコゥ・パピィと諏訪神社(そして、くくりの日。 〜富士山へ)。
 
その翌日、富士山にダブルの虹がでた。
 
 
思えば諏訪なんだよな。
伊勢平氏おじさんとの最初のデート?も新宿から高田馬場まで歩いた。
間違いなく、あれは「諏訪神社」に呼ばれた。
なぜなら、もう30年以上前からあのエリアに呼ばれていたことに最近ようやく気づいたのである(恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか)。
 
 
そしてそのあとしばらくして、伊勢平氏おじさんと昨夏最後の山にいった(夏を終える旅(八ヶ岳) 〜菊理媛神から国常立尊へ)。
たしか昨夏、谷中の諏訪神社に行った流れで、八ヶ岳の松原湖畔の諏訪神社にいくことになったのだ。
 
八ヶ岳は不思議な場所である。日本一の石棒があったり、なぜか加波山(真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その3 加波山神社編】)からの流れの自由民権運動のつながりの秩父事件で多くの死者がでたところ。明治17年の生糸の暴落がきっかけ。
御牧(聖徳太子の黒駒など天皇の馬を育てていた御料牧場)のある場所は生糸の産地でもあったようである。
 
 
 
昨秋、サルタヒコと久美浜でみた虹。
 

このときのなにわの審神者のコメントは「(虹を)雇うたんか?」。

 

 

こちらは先日の大神島。台風承知でいったらお盆を島で過ごすことに。
 

 

 

こちらは昨年2020年の豊橋(豊橋の瀬織津姫がみせたかったもの 〜五ヶ所湾から豊橋へ そして。(その1))。

瀬織津姫の土地。

そして、砥鹿(とが)神社。

しかもまだ行ってないけど、たぶん重要であろう「水戸」につながる「三津(みと)神社」がある(ふたたび、豊橋へ(その2) 〜鹿と御津と三ツ石と)。

山の奥の方までドライブしたこともある(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へその2) 〜 三河国一宮 砥鹿神社 えびす祭)。

 

 

 

こちらは、この間の夢にも出てきた(お盆の八ヶ岳がみせたもの 〜アカルヒメと牛頭天王と天神さん)わたしには全く特別感がない玉置神社への道中(玉置神社に)。2019年11月。

こちらもダブルレインボー。

 

虹って今調べててわかったけど、大河ドラマで平将門が描かれたそれ「空と雲と虹と」だったらしい(”平将門”)。

 

 

 

 

そしてしろくまさんの散骨に行ったとき、彼の現地の友人が犬ぞりに乗せてくれた。

そのときにも犬ぞりの進む先には大きな虹がかかった(北極におわかれに)。

 

 

 
これは、伊勢平氏おじさんとの最初の夏にかかった虹。
おじさんはダブルレインボーをはじめてみた、といっていた。
でも本当の虹はこんなものじゃないんだと。
 
 
このところの不調で、過去のことが次々と思い出された。
記憶の中に格納されていたことが。
しかも、それらはみんなほんのりとあたたかい、しあわせの記憶だった。
 
 
この年の9月9日が、私と伊勢平氏おじさんの大きな転機になった「炎にやかれたくまさんをみたとき」だったのだ(阪神淡路大震災から26年 〜神の居場所)。
 
 
 
その3日前、加波山と笠間稲荷に行った。
白山から預かっていて、丹後の神人を通じて笠間にお返ししたうがふくさん(狐の帰る國〜うがふくさんとの旅)の一件のお礼と、頼まれた代参で。
 
その帰り道、わたしは代々木の部屋の内見に行った。
不動産屋のおにいちゃんは、当時代々木駅に貼ってあった「天気の子」のポスターをみて、「天気の子って知ってますか」って聞いた。
 
そんなこと、わたしはすっかり忘れてた。
それから10日ほどあと、元伊勢籠神社の正式参拝で伊勢神宮にいき、そこでなにわの審神者(さにわ)を紹介されて、
「天気の子観てください!!」って言われても。
そのことを思い出したのは最近である。
 
そして、「炎にやかれたくまさんをみたとき」の9月9日がきて、その翌日。
そして、その道中、わたしにはわたしのお試しが、そして伊勢平氏おじさんからは「小さなしあわせを大切に」ってメッセージがきた、っていう(今では考えられないような)前向きな電話がきた。
 
で、「天気の子って知ってますか」って聞いたおにいちゃんが紹介してくれた物件に決めて、代々木に引っ越した。
 
あの4ヶ月は不思議な時間だった。
自分の時間じゃなかった。完全に。
稲荷の御用をしていた、としか思えない。
神の住う街、表参道から人の住う街へ。
 
あの街に引っ越したのは、物件がなかったせいもあるけど、
「そんなところに住んでないで、人の住む(普通の)ところに」って伊勢平氏おじさんに言われたんだったな。
 
 
そしてその「天気の子」がどれほど衝撃のオープニングだったかは、出来過ぎとしか思えない(真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その1】)。
しかも、テーマは「稲荷」であった。
 
 
代々木に引っ越したと同時に、伊勢平氏おじさんには音信不通にされて、ほんの4ヶ月ほど、でも何年ものような密度の時間を人の住む街で過ごした。
 
 
くまさんから、伊勢平氏おじさんへ、不動明王が繋いだバトン。
結局それは白山のサルタヒコや、なにわの審神者(さにわ)や、島巫女仲間が応援してくれて、美志摩かなって、ペルソナが受け取って2年半かけて走り抜けた。
 
 
今振り返っても、自分じゃないみたい。
もちろん別の人格を用意していたんだから、当たり前なんだけど。
 
そもそも、わたし、神社も寺も興味なかった。
しろくまさんと結婚(入籍)するまでは。
 
たまたま新婚旅行代わりに行った高千穂峯がきっかけでなぜかそういう場所にいくことになったけど、もともとは、自然の美しいところが好きだっただけ。
 
彼がダイビングをやっていたから、セラピスト仲間を連れて御蔵島に行ったとか、
たまたま知り合ったペンションのオーナーに頼まれて、お客さんを連れて富士山の森にいったりとか、
マウントシャスタも聖地だから行っていたのではなくて、ヒプノセラピーのトレーニングで行ってその自然の美しさに惹かれて行ったら、現地に友人ができて、しょっちゅういくようになっただけ。一緒に山に登ったり、ハイキングをたくさんした。
暖炉の火にあたりながらA Course in Miraclesの話をしたりも。

 
インカ道を歩いてマチュピチュに行きたいっていったら、4000メートル越えの登山ルートだったりとか、スペインの巡礼路を歩いたり。
しろくまさんと知り合う前は、シベリア鉄道にのったり、最果てが好きだから南米の最南端とか、アフリカ縦断とか、アウトバーンかっ飛ばしたり、誰もいない古城ホテルで一人で夕日みたり、ドナウ川を黒海まで旅したりとか。
沖縄にもいっぱい行ったけど、基本的に「観光地でない気持ちのいい自然の中にただいるだけ」。


 
だから伊勢平氏おじさんが「王道にいけ」みたいに怒らせるような名も無い山奥の社をみつけたりしたんだもんな。
 
 
もうそろそろ、ゴールみえてきたかな。
次のステージはもうみえはじめた。
 
 
 
 

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お盆の八ヶ岳がみせたもの 〜アカルヒメと牛頭天王と天神さん

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