天竺の女神があらわれた!? 〜シヴァ神とカーリー神と乙女座新月 | かんながら

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旅の記録です

 
 
 
 

 

 

山から帰ってきたあとは、とてもきつかった。

島に1週間いて、そのまま山に行って。

「天気の子」の街、代々木に暮らしていた時間を「時の川を横切るような」って書いたけど(代々木の街とアフリカと)、あの頃と同じような空気感だった。

 

この街の波動が落ちたのか、単に自分自身が自然の中にいて、人の波動と隔たっているのか。

とにかく海の生物が陸にあげられたような、空の生物が地上に降りることを運命づけられたような、そんな違和感の中で過ごした。

 

そんなときは、自然がとてもやさしく感じる。

水滴が、花びらのひとつひとつが、森のさざめきが、わたしに語りかけてくれるかのように。

 

 

 

 

 

ヨギの治療師は、大神島から帰ってきたとき(そして、東京 〜過越の祭の時期に)と全く同じで、わたしが共感できない「やりたいこと」に邁進しようとしていて、

またわたしに対する態度がまるで彼の死んだ愛犬に対するそれと同じで気分が悪かった。

 

あのとき、友人が飲みに誘ってくれ、「まるで愛犬2号じゃん、今度言ってみな、『愛犬2号でーす』って」ってわたしに言った。

彼女の予測は、「犬のように扱っていたことに気づいて反省する」ということだったが、

予想に反してヨギの治療師はそれを嬉しそうに聞き、「ちっとも悪気がない」とわたしは理解した。

 

 
多くの人は「悪気がなければいい」と思うようだが、わたしは違う。
悪気がなくやることは、その人の本質である。
良いも悪いも判断しないが、「そういう人なんだ」と理解してつきあう。
 
 
以前アフリカに詳しい人に聞いたことがある。
「奴隷だって賃金は与えられるんだよ」って。
 
それを検証したことはないんだけど、奴隷の問題って「扱い」なのだろう。
彼がやっていることは、そういうことなのだがわかっていないようだ。
 
まあ、この世の中は、パワハラ、モラハラが横行していて、もはやそれが普通になってしまったが。
 
でも私の理想と違うことをわたしは認めない。
 
 
ペットと思われているのだから、いろんな人の協力と思いによって波動測定器を使った仕事のビジョンができはじめた矢先に、
気分を害したからと「好きに使って」と私に預けていた波動測定器を「返せ」と言ってきた(そして、東京 〜過越の祭の時期に)のも彼の中では当たり前のことなのだと理解したし、
彼が自分の本質を理解して変わらない限り、これからも同じ目に遭うと確信した。
 
 
彼は、わたしをペットのように扱っているということをはっきりと自覚した。
結局「エサ」を与えるほうが偉いということなんだろうな。
犬だったらいいんだろうけどさ、それで。
いちおうわたしも人間なんで。
 
 
だから、無駄な衝突を避けるために、伊勢平氏おじさんとの関係に感情を持ち込まないようにするように、
ヨギの治療師に対しては、ペットのように振舞うようにしてきた。
 
 
 

でも今回の一連のいろいろを「デジャヴ」だと思って眺めながら、距離を置いたほうが相手のためであろうと思った。

わたしは、自分の望まないことは全力で阻止してしまう。

見えない力で。無意識に。

 

 

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そう思いながらも、誕生日を祝ってもらったお礼に、その足でヨギの治療師バースデープレゼントを買いに行った。

 

近いうちに渡そうと思っていたら、わたしがビジネスモデルの調査に行く予定を建てて準備をしていたものを、感情的にけなしてぶち壊したまさにその治療院に行くので時間がない、と告げてきた。

 

そのこと自体、こちらは動き始めたすべての応援をキャンセルすることになり、お金では修復不能な、不可逆な損失を被ったことを思い出して気分が悪かった。

しばらく会えないというなら、気分も変わるし買ったプレゼントは返品しに行こうと思った。

 

ら、明日時間を作るから、ご飯を食べに行こう、と言ってきた。

 

 

わたしたちはなぜか25年くらい前、目と鼻の先に住んでいた。

 

もちろん知らない。お互いのことは。

わたしは亀好きの元ダンナのもとに居候させてもらっていた。

その当時のことを彼に出会うまで思い出すこともなかった。でもなんかがあってあの場所に呼ばれたのだと感じる。

そして1度はひとりで歩いてみたこともある(シンクロの重なる場所には、やはり 〜練馬・江古田)。

 

彼の方は、馴染みがあるこの街が気に入っていて住んでいたらしいが、わたしが住んだのは、元ダンナが当時そこに住んでいたから、という受動的な理由である。

でもこういう偶然は間違いなくなにかの「ひき」である。

その「ひき」の実態はさっぱりわからないが、せっかくの接点なので、ご自慢のラーメン屋にいこう、ということになったのだった。

 

前回の絶交前(そして、東京 〜過越の祭の時期に)と同じように、楽しい時間を過ごした。

近々、絶交することにはなるだろうな、とは思いながら。

 

 

彼の選択している現実は、わたしの望むものと大きくズレている。

長いつきあいになるんだろうけど、今じゃない、って感じがすごくする。

 

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しろくまさんのお母さんに、彼女が好きなお寿司を届けた。

お盆には行けなかった。

 
お寿司とモンブランを一緒に食べた。
「コロナだから」って僅かな時間だけ一緒に過ごして帰る。
 
コロナというフィルターに守られて、なんとかいられているように思う。

 

 

 

この街にも川があり、三島神社がある(産土さまにお礼と挨拶に 〜結婚の意味)。

しろくまさんとはゆっくり歩いたことがなかった。

いつも彼のバイクのうしろに乗っかって駆け抜けていたから。

 

古(いにしえ)からのご縁だったんだなって思う。

「後醍醐天皇に仕えていた家」とか言ってたし。

 

霊止って書いて(ひと)って読むらしいけど、自分の意思で動いていると思っているのも幻想だなって感じるときがある。

わたしたちは、なにかに動かされている。

 

 

 

 

ひと時雨 すぎゆくあとの空見れば ちりも残らず照る日かげかな

 

 

 

しろくまさんが亡くなった年の重陽の日は、代参で加波山に行っていた。

その帰りに寄ったと思う、笠間稲荷神社のおみくじ。

そのときの投稿がSNSにあがってて、不思議な気持ちになった。

あのときは、伊勢平氏おじさんとも穏やかで普通の関係だった。

 

 

このおみくじの歌を電話で告げたら、伊勢平氏おじさんは「よかったね」と言っていた。

 

 

だけど、このあと稲荷の御用で不思議な流れの中に巻き込まれていったんだった。

よく考えたらこの2年って不思議だったな。

自分の人生じゃないみたい。

 

ま、「美志摩かな」を生きたって感じかな。

 

 

 

伊勢平氏おじさんがめずらしく訪ねてきた。

淹れたお茶を飲みながら、

このあいだの帰り道(山から降りて帰る場所 〜幻想の世界をリアルに生きれるか)に話した

「すべてのことを記憶している」ということについて、

 

「会話というのは強弱があるものだから」ということと、

「人間はそうじゃないから(わたしのような人間は)コミュニケーションが難しい」ってことを言ってきた。

 

もちろん他の人は、自分が話したいことだけしか覚えてない、ということは知っている。

だから、わたしは自分のことを話さないのだ。

相手にとってどうでもいいことだから。

多くの人は、「自分の世界」を理解してほしくて話すということを理解している。

 

だから、それを仕事にしている。

 

 

他人に聞いてもらう代わりにこうして自分に向けて書いている。
 
それは25年前も今も変わってないが、それでも不思議なことに、伝わる人には伝わり、かけがえのない友人もできた。
そのときだけの人もいるし、ずっと続いている人もいるし、お互いに必要なときだけつながる人もいる。
 
 
「孤独」ってことについて話した。
わたしも、そう思う。
でも、わたし、「自分ひとりしかいない、世界」の絶対的なやすらぎも知っている。
 
それを知っている人としか、分かち合えない世界がある。
 
自分を開いていったから、ぐったりするだろうと思ったら、翌日見かけたら案の定ぐったりしていた。
エネルギー交換だからね。
サルタヒコは1週間起き上がれなかったと言っていたよ。
 
 
あとは、政治が動いた、という話か。
菅さん。
 
 
秋田の菅さん、って言ったら、
「菅公さん」ってわたしは思うんだけど。
 
菅公さんは、菅原道真。
濡れ衣で太宰府に左遷され、怨霊となったことになっている天神さん。
太宰府に左遷、っていうのがわたしとしてはどうかな、って思っているんだけど、
もし現代の「菅」さんに、無実の罪をなすりつけたら、天神さん動くかもしれないよ。
 
金沢、富山、秋田、福島。
どうもあのあたり、菅原道真公を祀る習慣あるみたい(西の守りは東にあった!?赤べこと白虎隊の街・会津 〜夏越大祓の前に その2)。
菅原道真は、牛頭天王と繋がってて、会津〜壇ノ浦〜滋賀(ヒボコ)〜天満(天神祭)〜と旅でもリンクしているし。
 
わたしは天神さんに顔向けできないことなにもないから、鎮める必要ないけどね。
 
 
 

 

乙女座新月。
自分の星座だもん、くるよ、すごいのが。
しかも島で相当勘を取り戻してきたあとだし。
 
 
部屋に帰ったら、沖縄からの手紙が目に止まった。
 
 
なら、きた。
ヨギの治療師は、本当にわたしが大きな損失を被ったことについて理解していないようで、まだ執拗に蒸し返した上、自分が正しいと主張してきた。
 
彼の言い分は、「あなたの従業員であったら」その理屈は理解できるが、わたしは何の保証もないビジネスパートナーである。
しかも彼は、「しょせん口約束」と言い放ったこともある(神はよみがえる 〜投影の反対のゆくえ)。
その上、彼はこの件に関して、なんの損害も被っていない。
 
なのに、自分の正当性を主張した上、わたしのことを「おまえ」呼ばわりしてどなりつけた。
 
エサを与えれば何を言ってもいいというのか。
「愛犬2号」そのままではないか。
 
よくしろくまさんが言っていた。
暴力のベクトル。
強いものが弱いものへ。
家族内の暴力の最終地点は、ペットなのだと。
 

 

 

 

クローゼット代わりにしているボックスが軋んできていて、元に戻そうと思って片付けた。

思いがけずたくさんのゴミがでてきて、思い切って大掃除をした。

 

そこにサイババつながりの友人から電話がきた。

 

彼もわたしも、同じ体験をしている。

自我を消していったら、現実社会で生きていくのが不自由になった、と言っていた。

 

わたしはしろくまさんがいたからとりあえず生きられた。

あと、なぜかコロナがきたことと、旅をしているときは非日常だから、今日まではなんとかやってこれた。

 

 

でも。

 

「わたしたち、騙されてたんじゃないかな」

「なんかね、自我を消したら、自我を持つものの奴隷にされちゃうような気がする」

 

 

わたしたちのババは、自我を消しなさいなんて言わなかった。

「しあわせでいなさい」と言った。

 

 

解脱する唯一の方法は、「貧しい人への奉仕」と教えてくれたが、「解脱しなさい」とは(わたしには)言わなかった。

 

話しているうちに、ヨギの治療師からのペット扱いを受け入れている自分と、ババ友の窮状と、世の中の貧しい人たちの悲しみが共鳴して、腹が立ってきた。

 

 

「実は最近、地球に火を放ちたい、っていうくらいの怒りを感じる時があるんだよね」

「それってさ、インドの女神様みたいだね」

「ん?なに、それ?」

「カーリー神。」

 

 

聞いた瞬間、わたしのお腹のそこに溜まっていた悲しみと怒りがこみ上げてきて大泣きした。

腹の中がひっくり返ったんじゃないかと思うくらいに。

 

 

 

わたしひとりの感情じゃないなにか。

これか、インドの女神。

 

このあいだ、まさにヨギの治療師と行った、率土神社のインドの女神(千葉の熊野の馬と鹿 〜旧暦七夕・天竺の姫と諏訪の神!?)。

あのときヨギの治療師が青ざめるほどの強風はこの予兆だったのかもね。

「変わりたい」なんていうからだよ。

「良くなりたいも欲」って言ったのに。

 

 

将門の女、っていうのも。「朝廷の偉い人を騙した九尾の狐」と殺傷石に変えられてしまった天竺の美女、玉藻(うつぼ、くず、そして、くす〜”九尾の狐と陰陽師〜玉藻の前という天竺から来た美女”)も。

 

 

 

 

彼の話によるとカーリー神は、美しいパールヴァティーという女神だったらしいのだが、悪と戦うためにすごい姿になって暴れまくったらしい。

誰も手がつけられなくなったところに、夫であるシヴァ神が呼ばれて、シヴァを踏んづけることで我に返って大暴れが止まる、ということみたい。

そうそう、虎とかライオンの上に乗ってるらしい。

虎の口ガマじゃん(瓢箪から駒が出て琉球王朝、そして、その先へ?!新しい時代のゆくえ 〜アトランティスの記憶、から7年次の、ステージへ)。

大石林山から大神島の先はやっぱり天竺(インド)だった。

 

 

wikiによるとこんな感じ

 

 

 

パールヴァティーはサティという女神の化身らしくて、それがシヴァの最初の妻。

サティはシヴァとの結婚を親に反対されて、自死するとか、サティの亡骸をもってさすらうシヴァをサティの遺体を切り刻むことで正気に戻すとか、理解できるけど、なかなか神話って強烈だな。

 

 

「シヴァが現れないと」

ババ友は言った。

 

 

カーリー神を止められるシヴァは現れるのか。

 

 

 

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