そして、東京 〜過越の祭の時期に | かんながら

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旅の記録です

 
 
 
 
年度末までに帰るはずだった。
 
でも結局31日水曜日には、最終の船に乗り込んだものの、下船してしまった。
 
「帰りたくない」って思ったから。
 
東京に、仕事が待ってるわけでもない。
家族が待ってるわけでもない。
 
 
今わたしと約束することがあるとしたら、ヨギの治療師と伊勢平氏おじさんくらいだが、
 
大神島の自然の中にただ存在していたら、その安らぎを放棄して、彼らとの不安定な関係の継続のために帰りたいと思えなくなった。
 
しばらく健康的な生活をしているとジャンクフードを欲しない身体になるのとおなじことなのかもしれない。
 
でも、つい帰ると言ってしまった。
ヨギの治療師が「明日会いたい」っていうから。
 
 
 あたりまえのように「西東京の治療院においでよ」って言われたが、
 
「会いたいって思うなら、バラの花束くらいもって会いに来て」と言ってみた。
 
で、デート。
 
薔薇の花束はなかったが、一応花を用意してきた。
 
 
 
ここにくるまでにもいろいろあった。
 
「ごめん、植木屋さんにリスケ頼まれてたの忘れてた!」
 
「その日当日ドタキャンでわたし待ちぼうけ食らったやつじゃん!東京タワーの電気消えてたら絶交する!!」
 
 
「絶交しないで!」
 
「そっちを断りなよ!!」
 
 
 
 
 
間に合った。
そして東京の街並みを眺めた。
 
 
写真は撮り忘れたが。
 
 
芝公園。
増上寺のあるところ。
 
 
そこにある電波塔。
 
 
やっぱり東京が好き。
あかりの数だけある人の暮らし。
 
 
この人はもう忘れてるんだな。
こうやって地球を上から眺めていたときのこと。
なんのために生まれてきたのか。
でも、思い出したら、ドラマを演じられなくなる。
 
 
 
数時間前まで人口22人の大神島にいた。
こんなに違う時空を自由に行き来できるしあわせに感謝しかない。
 
好きなときに
好きな場所で
好きに過ごす
 
経済的
身体的
精神的
 
自由をわたしは持っている。
 
 
ずっとそれしか望んでない。
そして、ありがたいことに、ずっとそうなっている。
 
 
今日は菊の紋が目につく。
 
 
 
同期の桜を歌いながら観る桜。
 
♫あれほど誓ったその日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか♫
 
 
その日ってなんだろう。
なんか、今、わたし自身もそう感じる。
 
 
「その日を見届ける!」ってわたしのまわりのおじさんたちはみんないう。

 

 

 

 
きっと、神事はなる。
 
 
今の世は利己的遺伝子が暴走中。
でも道理に叶わぬことは長くは続くまい。
 
 
「それが天意に沿うならば、我が願い叶えたまえ!!」だ。
 
 
翌朝、伊勢平氏おじさんと参拝帰りにばったり会った。 桜吹雪に消えていく背中を見送った。あと何度見られるかなと思いながら。
 
そして、ヨギの治療師に朝の定期電話したら喧嘩した。
仕事のことで、感情の地雷を踏んだらしくて激怒していた。
感情的な応酬になってはまずいと思って電話を切ったが、恐ろしい長文メールがまるでミサイルのように飛んできた。
 
怒りの感情を文字にしても、所詮感情なのだ。
わかるけどさ、気持ちは。
 
 
感情の爆弾をまともに受けてもしかたがないので、
「話は会って聞く」と言ったが、
 
 
「絶交します。さようなら」とメールがきた。

 
 
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20年くらい前、あるビジネスをしていたとき、価格交渉で強気になれなくて、順調にできていた仕事をつぶした。
料金設定が低過ぎて、経費を除いたら利益は残らず、わたしは派遣社員として仕事をして生活していた。
 
多くのお客様に価格をあげてでも、続けて欲しいと言われたが、取引先に値上げを阻まれた。
働いてくれていた仲間には、「夢がない」って去られた。
 
 
同じビジネスは、ある人が「ノーハウを教えてほしい」ってきて、無料で教えた。
そして、なんの因果か、そのビジネスモデルをつかった会社が、わたしが独立して最初に事務所を持ったビルで営業して成功していた。
今は、UberEatsって会社が同じ事業で成功して、その会社のことは聞かなくなった。
 
 
何年かあとに勤めた会社の同僚がそのエリアで働いていたというので、
「デリバリーの仕事してたんですよ」って言ったら、
「○○ですか!?」って驚かれたことがある。
 
 
いい仲間に恵まれて、お客様にも喜ばれて、自分は満足だった。
社会的に意味のある仕事をしている、って自惚れていた。
 
 
でも、お金にならないビジネスって人を幸せにしない。
わたしは結局わたしのために働いてくれた仲間を搾取しただけだった。
 
 
 
わたしが壊したのは、ビジネスだけじゃない。
だから、継続できないビジネスモデルをもう一度作りたいとは思わないだけなのに。
 
 
怒りのメールを読み返してみたら、
「こちらの意向に沿わないなら波動測定器を返せ」ってことが書いてあった。
「返します」って返事したが、余計に気に障ったのか、その後も感情爆弾がくるばかりである。
 
大神島で「20年やめられなかったタバコが、大神島から帰ったらまずくなってきっぱりやめられた」って話を聞いたが、
わたしも壮大にリセットされちゃったみたいだ。
 
ほとんどの観光客が、2時間の滞在時間で帰る島に初回の訪問で丸2日以上いたのである。
 
 
でもヨギ治療師がキレてくれたおかげで、自分がどれほど不安定な経済状況の中にいるかということを思い知れてよかった。
 
 
知人が店を出した、聞いていて行こうと思っていたが、
高価だからいけない、って思ってた。
 
でもしかし、この先の経済状況はもっと深刻かもしれないから、今行っておこう、と思ってひとりで行った。
 
 
 
翌日も伊勢平氏おじさんに遭遇していきなり「話がある」と言われた。
 
用件は、「宮古島で何が起きてるか知っているか?」
 
どうもコロナが大変ってことみたい。
そんな場所に行くなんて、非常識だ、またしばらく会わない、ってことだった。
 
 
わたしは不要不急じゃない外出しかしない。
このタイミングで行かねばならぬから行ったのだ。
 
でもそんな言い分は通らぬ相手。
 
「PCR検査を受けましょうか」って言っても
「意味がない!!陽性がでるまでに感染するし、役に立たない」っていうし。
 
じゃ、PCR検査陽性反応=コロナ患者数も役に立たないのでは。
と思ったが、「屁理屈」と言われるだけなのでやめた。
 
昨日だって、「大神島に行った」って言ったのに、なぜヨギの治療師に絶交を言い渡された翌日、これが起こるんだろう?


でもこれは、神懸かりのサインでもある。
人生どん底のときに、わたしはいつも神をみる。
 
 
 
 
女友達が訪ねてきてくれた。
近所にヴィーガンビストロがもうすぐできるって看板がでてたんだけど、
「できたよ!!」っていう知らせは、沖縄にいるときに彼女から聞いた。
 
 
年下にしか見えない年長の彼女がご馳走してくれた。
食べ物の心配も、着るものの心配もしてくれてうれしかった。
 
 
飲んでる最中に伊勢平氏おじさんから電話がきて、彼女を待たせた。
おじさんはその中でめずらしく大事なことを私に告げた。
 

彼女と部屋で飲みなおしながら、大東亜共栄圏とエジプトの話になったのも不思議だった。
沖縄のその先へ、進んだ、と感じた。
 
 
 
沖縄に行く前、この木の下で、ヨギの治療師が「同期の桜」を歌った。
その音源をいろんな場所で流しながら一緒に歌った。
 
 
きっとヨギの治療師もその先にいく。
今はまだ「演じなきゃいけないドラマ」がある、と言っていたけれども。