阪神淡路大震災から26年 〜神の居場所 | かんながら

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旅の記録です

以前の記事(瀬織津姫のしあわせは?)に書いたけど、1月15日三重県震源の地震があって、関東が揺れた。

 

 

 

大きな揺れはなかったが、このタイミングの地震は、わたしにとってはとても大きなメッセージだから、今わたしが感じていることは、正直に書いておこうと思う。

 

 

昨日引用した「顔のない人」は、2018年にこっそりと5篇だけ書いたブログ(ひとすじのひかり)にあげたもののひとつだ。

 

 

2018年は、19年に突然亡くなった夫のしろくまさんとの巡礼の旅の仕上げのような年で、

 

イスラエル、インドのバーラサイババのアシュラム、穂高神社嶺宮登拝、高千穂神社から外宮へのお水送りの神事の御用、新潟から能登、秋田、岩手、青森、宮城と、雪を引き連れての巡礼をして、沖縄の久高島と、安須森御嶽に運ばれた。

 

そのひっそりと書いたブログの文は、以前スピリチュアルを仕事にしていたときの和魂の方のブログ(Yurielのミラクルな毎日のためのスピリチュアルレッスン☆)にはテイストが違って載せにくかった。

 

 

Yurielは、人から期待されている天使として存在していた。

無理していたんじゃない。実際に、仕事をしていた時期は、ずっと天使だった。

天使でいられたのは、わたしの代わりに、わたしに向けられる理不尽に怒り、かばって、守ってくれたしろくまさんがいたからだ。

 

 

でも、降りてくるメッセージが変わり、ひっそりと5篇の記事を書いたころ、突然に、しろくまさんから

 

「自立して」と言われた。

「旅は一緒にしたいけど、離婚してほしい」
 
 
その意味がわからず、わたしはスルーした。
 
彼はそれらの文を嫌ってはいなかった。
むしろ「とてもよい」と喜んでくれた。
堂々と出せなかったのは、わたし自身の問題である。
 
 
 
翌19年の3月に、同じことを丹後の神人のご神前で言って、先生から
 
「ほんまにええのか」と聞かれて、
 
彼は「はい」と答えた。
 
 
亡くなる1ヶ月くらい前に、沖縄の古宇利島に行った。
スルル洞。黒龍が住む場所。そこで神事の火がしろくまさんにかかって服とかばんが焦げた。
 
 
「あそこは地獄の神様のいるところで、黒龍がいて、生贄を要求する」と言った。
 
まあそれはそうなのだろう。
「願い事をいいなさい」と言われたから。
 
わたしは願い事はないから何も願わなかった。
いや、願ったかもしれない。「世界平和」を。
それは、いつも「みんながしあわせでいたらいいな」って思っているから。
 
でも、だから、わたしは呪咀をかけられていたのかもしれないとも思う。
 
 
季節は4月。
ちょうどハマグリがとれる頃。
旧暦の雛祭りの時期でもあり、最近やたら聞くけど、まだよく本当の意味がわかっていない、清明(シーミー)祭の頃でもある。
 
 
亡くなる前の最後のふたり旅が、奄美で、大河ドラマ「西郷どん」のオープニングで有名になった、
大和(やまと)村の宮古(みやこ)崎。
 
 
その後、真名井神社鎮座1300年の祭に出た。そのときに福井を訪れた(白山のふるさと福井県 〜九頭龍と久高島・大矢谷白山神社)。当時はわからなかったけど、いろんなメッセージが含まれていた。
 
 
それから10日くらいして、気分はのらなかったが、伊勢平氏おじさんに促されて生まれて初めて高幡不動に行った。
「君に憑いているものを祓った方がいい」といわれて。
護摩木には、「悪鬼退散」と書くように言われて書いた。
 
 
高幡不動だけじゃない。
「自分に憑いているものを祓う」ことをあえて神仏に頼むことは生まれてこの方一度もなかったし、 その一度に懲りてそれ以降もない。
一度おじさんにどうしても「もう一度ひとりで行って」と請われてしぶしぶ高幡不動には行ったが、不動明王に頼むつもりはなく、ただその時間を過ごしただけだ。
 
わたしも海や川で禊はするが、それは「神仏が」祓ってくれるように「お願い」するのではなく、禊は「神の前で」、「自分が」するのである。
 
 
わたしは、自分に憑くものがあるとすれば、よくも悪くも自分自身がそれにふさわしいからだと思う。
「波動の法則」とか、「引き寄せの法則」というわれるものだ。
自分がそうだから、憑くのだ。
 
 
波動が低ければ波動が低いものが。
清らかであれば、清らかなものが集まってくる。
 
「類は友を呼ぶ」というではないか。
 
 
だから、わたしはとてもその気になれなかったが、あまりにも強く勧められるので応じてしまった。
わたし自身は願いはしなかったが、伊勢平氏おじさんは真剣に真言を唱えていた。
100%不動明王にコミットして。
 
お護摩が終わったとき、おじさんは言った。
「顔色よくなったね」
 
 
帰宅したら、しろくまさんは冷たくなっていた。
いろんな手続きを終えて、書類に記載された時刻は、祈祷が終わった時刻と同じだった。
 
 
しろくまさんが亡くなって、自分自身を調えながら、1年かけて、縁のある不動明王を訪れた。
 
そこには、お地場があった。
が、不動明王そのものには何も感じなかった。
 
 
おじさんがその働きを絶賛する不動明王は、わたしにとっては何も感じない。
悪くもないが、よくもない。
きわめつけは雨降(あふり)山・大山寺の天下無双の霊塔である。
全く目に入らなかった。
 
同じような体験は、「本当の熊野」とも噂される「玉置神社」である。
 
 
わたしにはみえないものがある。
もしかしたら、「顔のない人」と同じなのかもしれない。
 
 
 
 
地震の翌日、おじさんと話しているとき、わたしは聞いた。
 
「いつから、関係が変になったと思います?」
「ああ、あの炎に焼かれたくまさんをみたとき」
 
 
 
それは、飲みに行ったやきとん屋のロゴマークだった。
なぜブタがくまさんにみえたのかはわからない。
でも、彼もわたしもくまさんが炎に炙られているようにみえたのだ。
 
 
わたしは「不動明王の炎にしろくまさんは焼かれた」と思った。
おじさんは、「不動明王がそんなことするわけない」としか言わない。
 
 
不動明王が意図を持ってくまさんを焼いたわけではない、とわたしも思う。
でも、不動明王の炎は、なんでも燃やしてしまう。
だいたい、おじさん自身が言ったのだ。
 
 
「不動明王はなんでも強力にその炎で浄化してくれる」と。
 

 

もし、それが可能なのだとしたら、何によって?

 

「人の思いによって」

それしか考えられない。

 

 

 

なにわの審神者(さにわ)に聞いた。
「不動明王は、人間に使役されるの?」
 
「そういうこともある」
 
「・・・。」
 
 
不動明王は、稲荷のお狐さんと同じように、人に使役される眷属なのか。
 
なりうる。
 
そういうことなのか、と思った。
 
 

 

 

 

アマビエが登場したとき、わたしは思った。
「海が汚れてるから、あなたの出すものを見直して欲しい(コロナとアマビエのメッセージ)」って言っているなって。
 
まさか、さらに「疫病をなんとかして」と言われるなんて、アマビエは思ってもみなかったであろう。
 
 
みんな、気づかない。
自分の出した罪や穢れ、ゴミを引き受けてくれている存在に。
 
 
ヨギの治療師が何気なく言った、
「じゃ瀬織津姫のしあわせは?」
 
 
その投げかけによって、わたしの中の瀬織津姫の悲しみに気づいてしまったわたしは、今までスルーできたことができなくなって、苦しくなって荒れた。
 
 
 
伊勢平氏おじさんと、わたしは一昨年は思い起こせばうまくいっていた。
 
大好きなしろくまさんに突然先立たれてつらかったが、
しろくまさんとふたりでイベントをやっていたころのクライアントさんや仲間たちがご飯をもって駆けつけてくれ、膨大な遺品整理を手伝ってくれたり、散歩に誘ってくれたりした。
 
「しろくまさんが夢に出てきて」とみんなが言った。
 
 
伊勢平氏おじさんとも、なにわの審神者(さにわ)や白山のサルタヒコみたいに程よい関係だった。
 
最初に食事にいったときに「過去の栄光」ってつい口をついていってしまって、泣いて詫びなければならないほどの怒りを買うという失態をしでかしてしまった(やり直しの旅  〜伊勢平氏おじさんと白山ひめ)。
 

 
「過去の栄光」の「栄光」こそ、「顔のない人(顔のない人)」のまさに、「顔」であった。
 
 
だから、わたしは、最初から、自分のオーラを消して付き合っていたのだ。
 
伊勢平氏おじさんの「顔」を潰さないように。
 
 
 
すでに終えて時が経った過去の成功体験と、未来の大きな夢を語るおじさんの話を、生まれてすぐから父がいなかった私は、ただ楽しく飲んで聞いていた。
飲んでいるときは、おじさんはご機嫌だった。
 
きっと普通の子たちがお父さんと晩ご飯を食べながら、こんな時間をすごしたんだろうな、って思いながら。
 
 
 
おじさんのとっておきの自慢話を何がすごいのかわからず怒らせたときは、しろくまさんが「僕が聞いたらすごい話って思ったと思うけど、(あなたには)わからないよね」と慰めてくれた。
 
 
しろくまさんが亡くなっても同じ距離感でつきあっていたが、「天気の子」の舞台の代々木に引っ越すちょっと前だったと思う。
不動産屋の人との内見の待ち合わせで、まさに代々木の駅前にいたから。
 
 
伊勢平氏おじさんが、
 
「小さなしあわせを大切に」
 
ってメッセージがきた、と電話してきた。
 
 
わたしはその直前に、元の夫から、置いてきた子どものことについて、電話であることを告げられて動揺していた。
 
 
「小さなしあわせ、って、わたしのことも入ってるの?」
 
「あたりまえだろう」
ちょっと戸惑った感じでおじさんは言った。
 
 
それからだ。
おじさんの家で「障り」が起き始めたのは。
そして、代々木に引越ししてすぐに、おじさんはわたしとの連絡を突然断ったのだ(代々木の街とアフリカと)。
 
 
それからのわたしは旅をして、自分自身を他人のように眺めてなんとか自分のバランスをとってきた。
 
 
 
小さなしあわせ。
 
 
 
 
神の居場所には、きっと小さなしあわせがたくさんある。
 
過去の栄光にも、未来の栄光にも、神の居場所はないように思う。
 
「神の居場所」は、今ここにある。