恋に落ちて 〜感情はどこからくるのか | かんながら

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旅の記録です

 
 
からの続き。
 
伊勢平氏おじさんとのことが、自分の中で「やりきった!」って思えて、
ようやく25年ぶりくらいに旅人に戻ろう、って前向きになった。
 
♫スーツケースいっぱーいに つめこんだー
希望という名のー 重いーにもつーを♫
 
 
ええ、軽々と持ち上げて微笑んで旅立つつもりですけど。
 
 
 
閲兵式の松の隣に、「ケツァルコアトル」はある。
白山菊理媛神(くくりひめ)の街にある、ククルカン。
 
 
なんなんだろ、このできすぎ感。
伊勢平氏おじさんはこれに気づいて言ったのか。
 
それとも言わされてるのか。
それとも霊能者からの発信をキャッチしてるのか。
 
 
この世には見えない電波が飛び交ってる、と感じる。
 
コロナニュース、
お笑い、
ドラマ、
 
その他もろもろ。
今のところ一番大きく周波数帯押さえてるのは、コロナニュースチャネルで間違いなさそう。
 
 
いつか、コロナが終わる日」は、
「コロナのことを考えなくなったとき」
って書いたけど、
 
 
それでも、ワクチン終えた人たちの間では、コロナは終息しつつある。
 
数字を冷静に眺めてる感じがする。
「コロナはゼロにならない」って受け入れはじめた、っていうか。
 
あんなリスクをとって、日々発表される「過去最悪」の数字の更新。
 
あきらめるは、「明らめ」る、っていうけど、明らかになってる感じ。真実が。
 
わたしはワクチン不要派で、それは今もかわらないけど、
反対運動してるヨギの治療師みてて、「コロナにハマってる」って思う。
終わりなき戦い。
 
でもわたしがワクチン打った、って言ってからは彼にも揺らぎが起きたみたい。
 
で、コロナチャネル。
 
 
あるのだよ、ケツァルコアトルの後ろには、この世界に満ちている、「放送」という電波のことを言及している記念碑が。
 
しあわせの像。
 
放送は、人類英知の所産であり、社会と個人の生活へ 空からしあわせを降り注ぐ文化の慈雨であると云いたい。
 
 
社会と個人の生活へ、 空から降り注ぐ 雨
 
残念ながら、当時そこに書かれていた、修飾語は現在の状況に対応していないので、そこを外させてもらうなら、全くその通りである。
流れる意識が低くなりすぎた。
 
だから、さしずめ現在の状況にあてはめるなら、「恐怖を降り注ぐ、洗脳の嵐」とでもいおうか。
 
 
この像がつくられた1971年(昭和46年)には、「しあわせを降り注ぐ文化の慈雨」だったのであろう。
昔は、もっと放送自体価値も格式もあったもん。
 
今は誰でも流せるようになって、つまらなくなった。
 
インターネットと同じ。
 
 
わたしがネットの世界にデビューしたのは、パソコン通信が普及しはじめたころだから1992年くらいか。
その後電話回線つないで、「通信」していた。
「インターネット」もできたころは、みんな知り合いで、楽しかった。
 
ハンドルネームと呼ばれたニックネームで呼び合ってるのに、どこの誰だか知っているリアルな関係で、交わされる内容も文化的だったし、みんなによくしてもらった。
当時のわたしはまだ20代で、社会では到底話せないような年長のえらい人たちにいろんなことを教えてもらえて勉強にもなった。
そして、その中のいくつかの人間関係は、まだ今もリアルに存在してる。
 
でもインターネットが普及するにしたがって、どんどんアテにならない情報が増え、つまらなくなった。
 
なんていうのかな、「人の世界」って感じになった。
街の井戸端会議や会社の休憩室で繰り広げられる、うわさ話と変わらなくなってしまったな、って思う。
 
 
 
人って、たぶんすごく視野せまいんだな。
狭いとかいうと、上から目線とか、思われるのかもしれないけど、
なんていうの?
わたし、他人との境目ないの。みんな一緒。地球家族。
 
でもね、人間って、「血を分けた」って大事にして、そこにすごく縛られてて執着する。
 
わたしの周りには、「たましいを分けた」人たちがあつまってて、血はよくわかんない。
血より深いつながりを持ってるし。
「魂を、分けた」って血より濃い、と思っている。
そして、この世には「わたし、ひとりしかいない」。
 
 
だから、なんていうのかな、人間が、幸せでいようと思ったら、
家族大事にしてなきゃだめなのかもね。
「私」を自覚できる一番わかりやすい単位が家族、なのかも。
 
家族を大事にすることで、やさしくなれるというか。
 
わたしの魂の仲間たちは、家族いらないっていうか、
血に縛られない家族でも分け隔てなくつきあってるよ。
 
もう銀杏落ちてる。まだ8月だよ?しかも中旬。
 
秋の訪れ早すぎる。もう9月中旬の気温だもん。
このまま秋になるの?
 
 
明日ワクチンうつって仲間に、「万が一のための最後の晩餐しよう」って高田馬場でランチすることに。
もちろん、奢ってもらう方。
わたしだって、あと2日したら「万一のこと」があるかもしれない身。
 
この界隈、そういえば、30年前から来てる。
シンデレラエクスプレスで盛り上がってた東海道新幹線で。
学生時代海外で知り合った長野出身の彼氏がいて、この辺の学校だったから。
 
で、ふと目をあげると、
 
 
 
諏訪町!?
 
諏訪!!
 
 
そうだ、おじさんと初めてデートした日、たしか新宿で待ち合わせしたのに、なんかひたすら歩いてこっちにきたような。
そしておじさんの大学時代の思い出を聞いたような気がする。
下駄履いてたとか、「おじさんの長谷川泰子」との失恋の話とかも。
 
それで、あとで諏訪神社の前を歩かされてたことに気づいて、「諏訪神社に呼ばれたんだった」って思ったんだった。
 
 
あの日のことを思い出したら、その日学生時代の行きつけの焼き鳥屋で焼き鳥食べたこととか思い出して、
なんかふと「楽しかったな」みたいに思ってちょっと恋心のようなものが通り過ぎた。
 
 
 
??
なんか、おかしい!!
 
またなんか伊勢平氏おじさんに引き戻されようってしてるじゃん?
おじさんから卒業して、自由な旅に出ようとしてんのに。
 
 
 
もう、わたしはわたしの人生に帰りたいの!!
 
 
 
もしかして、最初の年みたいに普通につきあおうと思ってる?
だいたいおじさんのコロナはずっと終わらないのだから、飲みにいくことすらできない。
 
 
そういえば、あの頃は
 
「(我々のルーツの)伊勢で、テルミドールを食べさせてあげたい」
 
とか行って、祖父といた頃のような旅ができたりってオファーもあったんだけどな。
 
 
今ふと、「テルミドール」をwikiで検索したら、

テルミドール(暦) - フランス革命革命暦で熱月、7月19日(20日) - 8月17日(18日)頃を意味する。テルミドールのクーデター参照。

 
って書いてある!
伊勢平氏おじさんは知ってたのかな。
「伊勢海老」ではなく、「テルミドール」を食べさせてあげたい、って言ってたよ。
 
 
 
フランス革命か。
マリーアントワネット。
コロナ一年目のときに気づいてた(コロナのおかげで目がさめた )。
「パンがなければ、お菓子を食べたらいいのに」って言われてるような違和感には。
 
 
 
 
おじさんは、わたしがこの状況下で旅してきたって言ったら、「会わない」っていうに決まってる。
今だって、隠してるのだ。
そしたら、わたしはきっと、「会えないから、旅にいかない」を選択する。
 
 
だって、わたし、こうみえても好きな人が一番大事なの!!!
 
 
旅してるのは、孤独を持て余してるときだけなんだもの。
多すぎるけどさ。その時期が。
 
 
おじさんは、明らかになにものかの妨害によって、行動を制限されてる。
そして情報ばっかり集めて何もしてない(と思われる)時期が長すぎる。
 
 
 
わたしも、なにかに動かされてるような気がする。
そして、わたしがそちらにいかないように仕向けられてる気がする。
そのトリガーは「恋心」。
 
 
誰なのよ、この気持ちを持ってくるのは。
今回のこれは、あきらかに、わたしの中からわきあがったんじゃない。降ってきた、ってかんじる。
 
もしかして、
社会と個人の生活へ、 空から降り注ぐ 雨 ?
 
 
もしかして、サルタヒコが言ってた
「○○ VS 美志摩かなの戦い」って言ってたのはこれなのか。
 
 
 
 
それにしても。
諏訪の神様がわたしを使おうとしてる、というのであれば、
伊勢平氏おじさん以前である。
与那原のヒロさんより前。
もう30年以上前。
 
祖父に連れられてあちこち巡ったのは40年くらい前。
 
 
わたしたちの意識ってどこからくるんだろう?
感情も、「ある」じゃない。
降りてくるものなのかも。
 
 
「恋に落ちる」
ってよく言ったもんだ。
 
「恋は落ちてくる」
かもしれないけど。
 
 
お盆には不思議なことがたくさんあった。
 
長らく絶交されてたなにわの審神者(さにわ)に、わたしのケータイが勝手に電話をかけた。
折り返してこないと思ったが、折り返しがあって、久しぶりに話した。
何人かの人に連絡するような流れだったが、「邪魔」が入ってできなかったこともいっぱいある。
 
 
「期限通りやれ」ってなにわの審神者(さにわ)は言っていた。
彼から提案されててできてないこともいっぱいある。
人生に「もし」はないけど、あのとき、それができてたら、違う人生だった、と思う。
 
 
わたしはテレビも新聞もみないけど、
「空から降り注ぐ雨」のせいで、わたしは影響を受けている、と感じる。
 
わたしが受動的であれば、能動的な誰かの意図が、私の中に流れ込んできて、わたしを乗っ取る。
 
 
 
そういえば、しろくまさんによく言った。
 
「自分の意思を発揮していないと、より強い意思を持った人の奴隷になる」
 
 
 
でもそれって、わたしのことじゃん。
 
 
 
ヨギの治療師がよくいう
「美志摩ちゃんが会いたいなら」とか
「As you like」
 
に腹がたつのも、
同じことなんだろうなって思う。
 
 
あなたの意思は??
っていう、それ。
 
 
わたし、ヨギの治療師によく「神様好きなんだね」みたいなこと言われたけど、
 
 
「封印された神々」とか
「日本は世界のカタシロ」
とか本当はまったく興味ない。
 
 
旅が好きなだけ。
 
 
でも、わたしきっと「動かされてた」って思う。
それをわざと選択して、この旅をしてきた。
 
そのおかげで自分では思いもつかない旅ができた、と思うし満足してる。
 
 
でも、今、もう一度わたしは、わたしに訊かなくては。
 
 
「あなたは、どうしたいの?」
 
 
このふとわいた、伊勢平氏おじさんに対する里心っていうか、恋心みたいなのが、
もし「なにものかの意思」によってもたらされたもの、なら、
伊勢平氏おじさんにも、絶対なにか、徴(しるし)があるはず。
 
 
 
翌朝。
伊勢平氏おじさんとすれ違ったら、「歩こう」とわたしの肩に手をかけた。
 
 
やっぱりな。
 
 
彼の意思なのか、
わたしの意思なのか、
誰か別のものの意思なのか。
 
 
1昨年の秋、わたしの前から姿を消した以降の彼の言動から察するに、
彼の意思ではない可能性が高い。
 
 
わたしが、させたか、
誰かが、させたか。
 
 
おじさんは、わたしの誕生日まで会わない、と言っている。
わたしは、次の誕生日は、しろくまさんの歳をこえる。
彼に先立たれたときから、彼の年齢をこえるって考えられなかった。
本当に「その日」は来るんだろうか。
 
 
しろくまさんが亡くなったとき、わたしの周りの友人たちみんなが
「美志摩ちゃんはすぐ結婚する」って言ったし、
 
自分自身もひとりで生きられるって思ってなかった。
なのに、みなの予想を裏切って、まだ恋人もいない。
 
 
そしてその不安定をこの旅で埋めてきた。
 
 
 
あるの神人が何気なくわたしに言った、
わたしの周りの意見と対立する
「彼が、最後の夫やな」。
 
 
もしかして、わたし、そのように意図されてる?
 
 
わたし、確かに一生ひとりとか想像つかないし、そんな人生希望しない。
もし、それでもいのちがあったら。
 
 
わたしは、わたしの理想を生きる。
誰かの、思い描くそれではなくて。
 
 
これが「投影の向こう側」(夏を終える旅(八ヶ岳) 〜菊理媛神から国常立尊へ)なのかな。