恋することは、できなくても。〜愛する、という挑戦 | かんながら

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旅の記録です

 
山から帰ったら、加計呂麻からパッションフルーツが届いていた。
 
 
ゆきねえさんが、トケイソウを育ててる、って記事が出ていて、「食べたい!」ってコメントしたら、
収穫したあと、送ってくれた。
こうやって取り出して、冷凍して。
 
実久(さねく)でサンゴが産卵したって記事に包まれて。
実久にしろくまさんと、もずく採りにいった。
いつまでも採っていられるくらい、はじめてのもずく採りは楽しかった。
 
その後1ヶ月しないうちにしろくまさんは死んでしまった。
急に。
本当に急に。
冷凍したもずくはまだ冷凍庫に残ってる。
食べきると、思い出ごとなくなってしまいそうで、食べられない。
 
本来なら、卒業アルバム捨てられるくらい、思い出にまるで執着ないのにな。
 

 

今のわたしは、わたしの周りの人たちの愛によって支えられて生きている。

 

 
 
伊勢平氏おじさんは、「汝の隣人を愛せよ」といったイエスの言葉は、訳が絶対に違う、っていう。
 
ひろさちや先生は、「お大切」って訳していたよ、と教えたら納得したようだったが、
「愛する」って言葉は大和言葉ではない、と納得できない様子。
 
日本人には「愛する」ってないんだって。
 
そうだろうね、おじさんには「愛する」ってないもん。
本人が言うように(鹿の国から馬の国へ  〜アカルヒメとヒボコが出会ったら)「非情」だから。
情がなくても、愛を示すことはできるんだけどな。
だから、あの頃(便所の便所 〜瀬織津姫のしあわせは? その後のその後)、白山のサルタヒコに「反吐が出る」って言われてたんだよ。
 
 
わたしにとって、
 
恋は心でするもの。
愛は、理性でするもの。
 
 
恋は人を選ぶけど、
愛することは誰に対してでもできると思う。
愛は行動だもん。
 
 
困っているとき助けてあげたり、
喜ぶことをしてあげたり、
寂しいときに寄り添ってあげたり。
 
それが、愛。
この世の。
 
 
伊勢平氏おじさんは、わたしをちっとも愛してない。
なにか気が利いた言葉をかけてくれたり、カンパをしてくれることもない
(余った野菜は嫌らしくてくれるけど)。
 
 
山に行ったら、おじさんが選んだ食材を決められた通りに料理して出し、
片付けも、食後に皿洗うのもわたし。
別荘の滞在費は請求されたことがないし、食費も払ってないけどさ。
 
「それって女中じゃん!?」ってヨギの治療師が驚いていた。
 
わたしはずっと1年目の秋に伊勢平氏おじさんにひどいフラれ方をして再会してからは、
伊勢平氏おじさんとのつきあいには、恋愛感情だけでなく、
すべての感情から離れて、ただ愛することだけをしてきた。
 
 
サルタヒコから絶交をくらう直前、「おじさんは陥落寸前」っていってたけど、
そこからまだまだ長かった。
 
「おじさん、変わった」って思って、わたしも次にいける、って思った。
 
 
わたしは母から(母子家庭だった)
「手はかけなかったがお金はかけた」って言われて、
それも愛、って思ってたけど、やっぱり「愛されたい」って思ってた。
 
 
 
たしかにわたしは、ご飯も食べさせてもらえて(作るのは9歳で祖父に自死されてから自分だった)、
学校も行かせてもらえたから、贅沢だって知っている。
 
殺されずに大人になれて、親のつくった借金に苦しめられることもなかった。
立派な親のもとに生まれてラッキーだった。
それすら与えられない子たちをたくさん見てきた。
 
 
でもわたしには
 
食べたいものを食べていい、
行きたいところに行っていい、
気があう友だちと付き合っていい、
 
って自由はなかった。
 
 
いつも、母の望み通り生きた。
母の望みを叶えるために、わたしは生まれてきた、と思っていたし、そうだった。
 
 
最初の離婚をするまでは。
 
 
 
だから、おじさんの「自由」に完璧に寄り添った。
おじさんは、「自由」って言葉が好きだ。
ふた言目には「わたしは自由ですから」っていうし、卒論もそうだったらしい。
 
 
おじさんが会いたいときにだけ会い、
おじさんが連絡したいときだけしてこれて、
おじさんが好む振る舞いをする。
 
 
完璧に「都合のいい女」。
 
 
感情を捨て去れば、人間、なんでもできる。
おじさんとのつきあいで、わたしが得た確信はそれ。
体型まで変わったのは、おじさんも驚いていたが、自分自身が一番驚いた。
努力してないもん。それは神業。
 
 
おじさんから「愛される」ことは自分の努力でできないかもしれないけど、
おじさんを「愛する」ことはできる、と思った。
 
 
 
「与えることが、受け取ること」ってよくいうけど、その実践。
「自分と対極のもの(嫌い)を愛する」というチャレンジ。
 
この分離した社会の形代である、対極ともいっていい、
「おじさんとわたし」の睦合わせの自分なりの神事として。
 
 
普通だったら、はじまりは恋だ。
よくみたら、ちっとも好みでない人を好きになることって、ある。
自分に必要なものを、無意識が選び出すように、「素敵だ!」って思う瞬間が。
 
 
でも、伊勢平氏おじさんの場合は、何度も振り返ってみたが、わたしには恋はなかった。
おじさんの方からきたんだし。
 
しかも、わたしはしあわせな日常に満足して人生を止めてはいたけど、
しろくまさんとの関係に充足していた。
しろくまさんの方はそうではなくて、離婚して欲しいって言っていたけど。
 
 
自分から望まなくても相手が望んで無理やり卒業させてくれるとかもあるのかな。
でも、あんなお別れは、もう嫌。
 
中島みゆきは
「恋の終わりはいつもいつも 立ち去るものだけが美しい」
って歌ってたけど、
 
受動的に、人生の展開を受け入れさせられるのではなくて、
自分で人生のページをめくっていきたい。
 
 
おじさんは、その無意識が選びだした「恋」の幻想すら、
「キミの後ろの人がそうさせた」みたいなことを言っている。
いい歳して困った人だ。
ヨギの治療師にも言ったけど、恋なんて幻想なのに。
 
 
でも、恋の幻想のおかげでわたしが助かっているのは事実である。
恋の幻想のおかげで、いくつかの愛をもらってる、って思う。
だから、醒めないでいてくれるといいな、って思う。
でもどこか、御心にかなうものなら、必要なことはすべて与えられる、ともわかっている。
 
 
 
 
キリストを生むって、決めてから、ずっと(ベツレヘムのマリアさまの降臨 〜聖母たちのララバイ)。
読み返してて、わらっちゃう、この日もたまたまベツレヘムの生誕教会のマリア様の写真がiphoneからリコメンドされたみたい。
 
実は今朝も。
 
 
 
しょっちゅうあるわけではなくて、前回のそれ以来。
しかもこのタイミングでリコメンドされる意味がわからない。
神の御業。
 
 
やっぱり、キリストは生まれたか。ついに。今度こそ。
そして、当時と、今の状況はとてもよく似てる、ような気がする(そして、東京。 〜年の終わりの卒業試験
 
 

無償の愛って言葉があるなら、わたしたぶん生まれて初めてそれをやりきった、って思う。

わたしは子育ては結局ぜんぶ取り上げられて、残念ながら完結しなかった。

 

 

 

わたし、マリアになれたんじゃないかな。

 

70歳をとっくに過ぎたイエスは少々気持ち悪いけど、

まあわたしも世の男性方をがっかりさせるであろうおばさんマリアだから仕方ない。

 

 
 
人の言うことより、自分に問う。
明治陛下の皇后陛下である昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)の御歌(みうた)。
 
キリストを生んだ、と思ったから、伊勢平氏おじさんにも「愛する」ことを教えよう、って思った。
まず、弱いものへの思いやりからだ。
 
おじさんは、わたしがちぇりさんからゲットしたサプリメントの代金を
「気持ちだからすぐ払う」って請求された金額よりも多くすぐ払ってってそれをわたしに立替させてそれっきりにしていた。
「しかも、君の分も払ってあげる」と言っていた。
 
 
しかし、連絡もないまま時が過ぎ、抗議したら、彼は「きっちり自分の分だけ」差し出した。
「え?話が違う」
って言ったら、払ってくれたが、
 
「お金払ったから感謝しなくていい」
みたいなことを言ってわたしを驚かせた。
 
 
違うと思うよ、お金の問題じゃない。
彼女とわたしの長年のつきあいがあって、
そこには私たちが交わした以上の愛の交流がある。
 
 
千円札数枚の価値で足りた、と思うその感覚、わたしとはあまりにも隔たっている。
 
 
おじさんは、なんでもお金で買えるって思ってるんだろうな。
感情を発動させたら、全くもって腹立たしい存在である。
 
 
わたしは、「お金をもらっても嫌」ってことがいっぱいあるし、
「お金はいらないけど、してあげたい」って思うこともある。
わたしの交友関係のすべては、プライスレスである。
そして、わたしはもらう方が圧倒的に多いことも自覚している。
 
そして、同じ価値観を共有している人とだけ、今までつきあってきた。
 
 
 
 
ちょうど島巫女仲間と今朝、話していたら、
 
おじさんの先祖を調えに豊橋に通っていたころ、
チョウザメが写ってる意味深なポスターが目に止まって写真を撮っていたのが、その話題になり、
 
「トルコもキャビアの文化がある!」みたいなことになって、
「ボスポラス海峡きました!!」って盛り上がって、
 
「美志摩さんは豊玉姫(サメ)で、伊勢平氏おじさんを生んだのだから、育てる係の玉依姫もやるんですよ?」
みたいなことを言われたんだった。

 

 
子育てするの?わたし?
子ども産むだけの女だと思ってたけど。
 
 
オリンピック閉会式。
 
酒は終日禁止、
飲食店は夜8時まで、
 
という戒厳令のなか、
 
 
夜10時過ぎても、我が街上空をうるさく飛び交うヘリコプターと、
おそらくこの静まった町内の一角で開催され、全世界へ配信されているお祭り騒ぎ。
 
 
なんだか自分の国じゃないみたい。
 
 
GHQがかつてこの国を統治していた。
この街にはその記憶が確かにある。
 
 
そして、わたしは当時生まれてはいなかったけど、デジャヴだ、と思った。
わたしたちには許されていない、自由や豊かさがある。
同じ街に。
 
 
 
朝、出かける支度をしていたら、
「キミは纏足(てんそく)されてたのか」って伊勢平氏おじさんがわたしに言ったのを思い出した。
 
そうだけど?
過去世の記憶らしき、遊郭かどっかに入れられて動けなくされてたのもあるけど、
今世子どもの頃、小さな靴しか与えられなくて、足が小さく曲がってたし。
 
 
そのとき、おじさんがいつも祈るひとりの女の子が、
「わたし病気なの。わたし、愛されたい」ってわたしの中から飛び出した。
 
 
サーダカで、誰かにケアしてもらえないと生きていけないのに、
家の恥だからって隠された。人から遠ざけて、目につかないように。
それって、わたしそのものだった。
 
 
 
おじさんが祈りのとき呼ぶ、あの子は、虹の橋を渡って行った、って思った。
ちょうどおじさんの住む街の方角に、虹がかかっていた。
 
 
 
 
 
 
 
龍にみえた。朝日を浴びて光る木。
 
 
 
 
 
 
フェンスで区切られた代々木公園。
 
なんでフェンスいるんだろう。
この光景、はじめて沖縄に行った25年くらい前、
海がみたくて海岸らしき方向にいったらどこに行っても米軍基地でフェンスが立ちはだかってたことと重なる。
 
ワクチン会場だって言っても、ほぼ全域をどうして監視カメラや立ち入り禁止にしなくてはならないんだろう?
この不自然さ。
テロでも起きるって思うわけ?
 
逆にいうとそれが起きるくらいの問題を持ってる事業なの?これは。
 
やっぱりもうこれは非常事態って感じるけどな。
軍事施設なみ。
 
ロシアとか、民主化前の東欧とか、あらゆる場所にフェンスがあって立ち入り禁止だった。
でもね、かつての西側(民主主義の国)ほんと軍関係の施設くらいしかこんな場所なかった。
 
 
やっぱりちょっとおかしいと思う。
ついこないだまで自由に過ごせた公園がこうなる、っていう事態が。
 
 
ある日目覚めたら、別の国になってるんじゃないか、って思うくらい。
でも、それ、今の状況だったらありうるかもしれないよ。
 
もう、わたしたちの国だと信じていた国は、わたしたちの意思とは違う意志をもちはじめているみたいだから。
 
 
 
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