そして、くくりの日。 〜富士山へ | かんながら

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旅の記録です

からの続き。
 
 
 
3月から延期になっていた山中湖の手伝い。さて、次は。 〜旧七夕から旧盆からみえてきたものは
にちょっと書いたけど、もともとこの話は3月からあった。
 
わたしはその頃、アニメ「天気の子」の街、代々木に住んでいた。
それは、稲荷の御用を調えるためだったようで、久高島がご縁で白山麓からお預かりした白ぎつねの親子(狐の帰る國〜うがふくさんとの旅)から始まった、わたしと稲荷の神様との(目に見える)関係は、高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その3・八代妙見宮 霊符神社)とか、やはり呼ばれた西新宿 〜十二社(じゅうにそう)熊野神社・淀橋初午は、箭弓(やきゅう)稲荷神社へ (追記あり)
など、書ききれないくらいある。
 
そして、3月末から、名古屋、安曇野、そして富士山3箇所から「住み込みで手伝わないか?」とオファーがあり、これは「代々木を離れよ」のサインと直感して、バタバタとミニマムサイズの部屋に引越した。
とりあえず、秋までは、東京にも泊まる場所が必要だと思っだから。
 
そして、表参道に戻り、引越し完了したタイミングで、コロナがきて、世界が引き裂かれた。
 
そして、住み込みの話は予想通り、すべてが面白いように立ち消えになった。
 
 
その中で、富士山の話だけは、忘れた頃に「秋に延期になった」といわれて、8月末、オファーが来た。
 
その日は、友人夫婦としろくまさんの最後の遺品をお焚き上げした日で、この日にくるものは間違いなく何かある、と確信し、気が抜けない神事になるとは思っていた。
 
しかも、新暦とはいえ、重陽の節句が入っている。
 
 
そして、前日。
伊勢平氏おじさんが飲みに行ったのだが、立ち上がるときおじさんはよろけた。
とっさに支えたらすごい重さだった。
まるで「みたま」がはずれたみたいに。
 
ひとって、中に入って身体の重みを支えてるのね。中に入るって何って思われるかな。
分かる人にはわかるはず。
 
大丈夫だっていわれたけど、心配だからタクシーに乗せた。
クルマを見送ってから、あんなに腰が抜けてて歩けるのか気になった。
でも、おじさんはケータイ持ってない上、家電話も娘に怒られるからかけるなというし、確かめようがないが、あんなに身体から離れてて、万一のことがあったらと気が気ではない。たかが骨折でも年齢を考えたら寝たきりまちがいなしだ。
 
 
それにしても、波乱の幕開け。
これは間違いなく重要な節目である。
 
 
気になろうが、富士山にはいかねばならぬ。
予約した高速バスに乗るべく、新宿へ。そして、ケータイ乗車券を出そうとスマホをあけた。
 
すると、
「運休」の文字が。
 
嘘でしょ。
 
 
勝手に運休とか信じられない!
 
 
メールで済ませてるし。
わたしは通り道だからまだいいけど、遠くからわざわざきて、バス停で運休と言われたらキレると思う。
 
オーナーに電話。
一体現地まで何時間かかるんだ?
 
 

 

 

しかも、中央線も豪雨の影響で遅れてる。

車掌さんは謝罪を繰り返すばかりで、大事な情報は入ってこない。

わたしが聞きたいのは、最短で行ける方法なのに。

 

なんかが狂ってる。

こういうとき感情をフォローするのではなくて、現実の損失をカバーできるようフォローしてほしい。

 

いつからこの国は感情のフォローが現実の手当てより大事になったんだ?

現実の手当てができた上での謝罪でなければ意味がないじゃないか。何故車掌のアナウンスを聞きながら、乗り換え検索しなきゃならないんだ。

 

謝らなくてよい。だって、車掌さんのせいじゃないんだから。

 

でも、「大月まで先に到着する」とアナウンスされてたのに、到着ホームがかわったりして、万一のときには乗り換えようと思ってた特急に抜かれた。

 

こういうのが困るのだ。

謝罪すべきはここである。

 

 

結局予定より4時間遅れて到着。

合計6時間半かかった計算。

 

波乱の幕開け。

無事着けたことをよしとしよう。

 

予定通りというか、オーナーさんとの関係ではいろいろあったけど、

仕事は楽しかった。

 

なにわの審神者(さにわ)からも、友人たちからも

全国からお客様が産土さまを連れて富士山詣にみえられる。

そのお迎えとおもてなし。

お皿が、喜ばれてお皿のいのちを全うできるように、グラスが輝いてそのいのちを終えられるように。

 

 

 

が、しかし。

なんか東京が気がかりになってきた。

いちばんの気がかりは、連絡が取れなくなっている伊勢平氏おじさん。

自分自身が彼を支えるためにケガしたとわかり、タクシーに乗せたけど、腰抜けててすっ転んでたら、寝たきりになっちゃうと思って心配した。

 

そうだ、もし、おじさんに何かあったら帰らないと。

それに誰か大切な人に呼ばれたら、バイトは休んでその人のところに駆け付けたい。

今気がかりな人は何人かいる。

 

 

「あの、私、代わりの人は用意していて欲しいです」

 

そう言ったら「困る」と言われた。

 

 

まあ、確かにそうだ。

でも、

 

私だって困るのだ。

代わりがいない仕事を今請け負うわけにはいかない。

わたしは縛られたくないからお勤めしていないのだ。

 

 

 

断りきれず、でも久しぶりに納得いかなくて、友人にSOSを出したら皆それぞれに愛を送ってくれた。

「うん?そっちにいけばいいわけね」と言って、車で迎えにきてわずかな昼休みに温泉に連れ出してくれたりもした。

やはり持つべきものは、友人である。

それで正気を取り戻すことができた。

 

 

 

 

 

それにしても、「休んだら困る」の迫力がありすぎる。

この勢いで休みを否定されたら、普通の人だとひとたまりもないだろう。

 

 

初めて理解した。

 

 

会社辞めるより、人生やめるという選択をする人たちの気持ち。

 

 

こういうの、おかしくないか?

 

わたしは、今まで有給は100%消化、休みたいときは休んで、育休も産休も実績のない会社で初めて取得してきて、いいたいこという厚かましい人間だけど、多くの人は言えない。

 

 

「バイトに経営者と同じマインドを強要するのはおかしいです」

「(コロナ)汚染地域の人間をアサインしておいて、「万一」を考えてないってどういうことですか」

「こういう言い方はモラハラなのでは」

 

 

もちろんわかっている。これがわたし自身の投影なのだということは。

自分自身に言っているだけだということも、

そして、そんなことを口にする必要もないのも知っている。

だけど。

 

なんか、誰かの代わりみたいに言わされた。

というか、言った。

 

 

結局落としどころは、自分自身のケガ。

 

お腹が痛いので、医師の友人に聞いた。

右の脇腹が痛いんだけど。

ベテラン医師の友人は、場所を細かく聞いてくれ、「外傷だと思うけど、ぶつけた心当たりは?」と聞いてきた。

 

そこで初めて、ハッとした。

ここに来る前日、伊勢平氏おじさんと飲んでて、おじさんがふらついた時に咄嗟に支えた。

すごい衝撃だった。

 

「でも、昨日より今日の方が痛い」って言ったら、

「痛みの物質は、1〜2日後にピークになる」と言われた。

それもそうだ。後から痛いんだった。

 

「折れてるかもね」

 

 

 

「骨折してるかもしれないです」

それでも、今月だけはきて欲しいと言われたが、万一折れてたら、皿40枚を食洗機にかけるとかっていうのも回復のためにはやめたほうがよさそうである。

 

わたしもお金が余ってはいないが、わたしよりお金が必要な人はたぶんいっぱいいるはずだのだ。

 

 

 

友人が来てくれて、一緒に山中諏訪神社を参拝。

 

山中明神、っていう。

御祭神は豊玉姫。

建御名方神も祀られている。
 

 

対になるようにある浅間(せんげん)神社。

東郷会の旅行で聞いたけど(甲斐國一宮浅間神社へ)、あさま、と呼ぶものと、せんげん、と呼ぶものは何かが違う、みたい。

 

 

それから、浅間神社と、諏訪神社の関係は、日本三大奇祭と呼ばれる吉田の火祭りに、8年くらい前(ちょうど神様巡りをするようになった年)に出かけたことがあって、そこで木花佐久夜毘売(このはなさくやひめ)をお祀りしている浅間神社より、諏訪神社の方が古い(昔からあった)ということを聞いていて、よくわからないが、この2柱は、不思議な関係があるようだ、とは思っていた。

 


 

 

吉田の火祭とは、このような祭りである。

 

毎年8月26日、27日に行われる「鎮火大祭」は、「吉田の火祭り」と呼ばれ、北口本宮冨士浅間神社と諏訪神社の両社の秋祭りです。

26日午後、本殿祭、諏訪神社祭が催行され、大神輿、御影は参拝者で賑わう氏子中に神幸。暮れ方に御旅所に奉安されると、時同じくして、高さ3メートルの筍形に結い上げられた大松明70余本、家毎に井桁に積まれた松明に一斉に点火されると、街中は火の海と化し、祭りは深夜まで賑わう。

27日午後、二基の神輿は氏子中を渡御し夕闇迫る頃、浅間神社に還御する。氏子崇敬者が「すすきの玉串」を持ち、二基の神輿のあとに従って高天原を廻ると祭りは最高潮に達する。27日を「すすき祭り」とも称する。

 

吉田の火祭りHPより

 


わたしが印象に残ったのは、真っ赤な富士山が神輿に乗ってて、それを地面に叩きつけるという、不思議な神輿渡御の光景(日中)と、夜祭りの終わりに、諏訪社の前にススキを持って人々が渦を作っていた(これが高天原を廻るということみたい)こと。

今は、うずを巻く、ということの意味もなんとなくわかる。

神あがり。

なんか、競馬場とか、競輪場とか、そういうのが刑場のそばにあったりは偶然じゃないんだって。

 

ススキが意味するものが何か、いまだにわたしはわからない。

たぶん月見の時にススキを供えるのとか、和歌山発祥の名前という「スズキ」とか、「鈴」とか何かの意味があるんだろうけれども。

 

まあ、そのうちわかるんだろう。

 

とにかく不思議な祭りであった。

 

 

 

浅間神社境内。

 

 

 

なんか初めて見る感じのファニーな狛犬さん。

 

 

そして、最近誰かが送ってきた写真のと同じ蜥蜴(トカゲ)が目の前を通過。

なんの印?

 

 

 

 

紅富士の湯の入口に、出口稲荷神社を発見。

稲荷秘文奏上したら光が刺してきた。

 

 

お蕎麦屋さんで今年最初の鱧と松茸。

9月9日。重陽の節句。

自分の中で神事は成った、と思った。

 

実際に、言葉にしたのは翌日だったが、わたしはもうそれを決めていたから。

 

 
 
そして、翌朝。
今までは5時から、ということで9月の朝4時は真っ暗で、仕事前に出かけるのは危険だったのでやめていたのだが、この日は6時開始だった。
 
外は雨で曇っており、きっと湖畔に降りても富士山は見えないだろうと思ってぐずぐずしていたのだが、やはり最終日であるし(仮にこのまま続けたとしてもシフトはしばらく入っていなかった)、行っておこうと思ったのだ。
 
湖畔まで片道歩きで20分。
 
 
 
 
鹿の親子に遭遇。
 
 
そして湖畔に出たら、なんと、富士山が半分顔を覗かせた。
しかも、横に虹を連れて。
 
 
よく見たら、ダブルレインボーだ!!
 
 
なんか、すごい光景見ちゃったな、富士山と虹。
しかも富士山にかかってた雲がどこかに吸い込まれていったよ。
 
 
 
 
夏の富士は赤い(らしい)。
しかも輝いてきたし。
 
 
銀の龍?
湖に富士山と虹が映って美しい。
 
 
と思ったら、なんと、反対側(左)にも虹が!!
 
 
 
しかも、こちらもダブルだ!!
 
 
 
なんと感動的。
ひふみ祝詞奏上。
 
 
君が代歌っていたら、だんだん虹が伸び始めた。
そろそろ戻らねば6時に間に合わない、と思ったが、
こんな神々しい景色を置き去りに戻れない。
 
 
 
怒られるのは覚悟で見つめ続ける。
 
わたしはやはり仕事より、「今」目の前にある時間を大事にしたいんんだなと確信。
 
 
 
もう少し!!

 

完成!!!
 
時刻を見たら5:55。
 
走っても10分くらいは遅刻か。
 
 
でもいいや、こんな素晴らしい景色に出会えたらそれを大事にする。
この先だってきっとそうだ。
そういう人間でわたしはありたい。
 
 
この景色を見て、神事は成った、と確信した。
 
それは、わたしのことだけではなくて、きっといろんなところで行われたご神事が。
ここ富士山で現れた印が、これだった、ただそれだけ。
 
 
戻ったら、雨が降り出した。
奇跡の時間はほんの一瞬だったのだった。
 
 

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