このところ、日差しも強いがひかりも強い。
もう真夏。
か、島の空気感。
空気が澄んでいるというか、ひかりが刺さるよう。
ヨギの治療師から預かっていた波動測定器の縁で、それがどのような研究の成果によってできたものなのかを知った。
大日本帝国陸軍731部隊が人体実験をしていて、その研究結果は、戦後GHQに引き継がれ、その代わり戦犯を免れたとか、
ナチスのユダヤ人収容所でも同様の人体実験が行われてたとか言われてるが、
どうも人間の身体が「最も健康な状態」というのは、そういう「極限状態」にあるときらしい。
最近わたしの前に差し出された
ロシア製の波動測定器も、
ドイツ製の波動治療器も、
「戦争という特殊な状況下における研究成果」によるものであった。
利己的遺伝子とかいうらしいけど、
残酷なものほど強い個体だろうなって思う。
「歩く姿が地上に舞う天使のようですね」と森で声をかけてきた人は、またしても伊勢の出身であった。
しかも桑名。
桑名の言葉と沖縄の言葉が似てる、っていう指摘は、 昨年の今頃、緊急事態宣言のときに熊野の 波田須に案内してくれた歴史オタクのオペラ歌手さん(ヤマトタケルとやまとひめ 〜伊勢・熊野編 その1)から聞いた。
しかも、
「学生時代に沖縄の海に潜ってたんです」。
絶対に、わたしに必要なことを何か知っている。
このパターンも何度か経験すると展開が予測できるのである。
話していくうちに、伊勢湾台風の話になった。
伊勢方の祖父は当然、わたしに何度もその話を聞かせていた。
「あと数秒タイミングがずれていたら、僕は生きていなかったんですよ」
と、彼は言った。
彼の生まれ育ったエリアは、輪中という堤防に囲まれた場所だった。
木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)が伊勢湾に流れ込む海抜0メーター以下の場所。
堤防を建てたのは薩摩藩。
そして、
「長島温泉は、彼の学校に毎日給食をもらいにきていた不思議なおじさんが何年もかけて掘り当てた」
ということと、
なぜか
「新興宗教が多いんですよ」
って話をした。
新興宗教と聞いて、「もしかして一向宗ですか」って聞いたが
「よくわかりません」
って答え。
本当に彼は知らないらしい。
なんだかどっかり宿題をもらった気分。
5月に入ってあきらかに「舞台は変わった」と感じたが、伊勢と琉球は終わっていない模様。
一向宗は、浄土真宗のことである。
加賀の一向一揆が有名であるが、やはりここでもあったみたい。
長島の一向一揆。
戦国時代は最終的には、織田信長VS石山本願寺 の戦いだった。
そういえば、鈴木孫一(雑賀孫一)のことを聞いたのは旧正月ごろの東北の地震で、籠の鈴が出たときだった(松と梅と東北の地震)。
そもそも戦は、大名の戦いで、領地の取り合い。
戦国時代の終わりとなった戦いは、鈴木孫一率いる雑賀衆の石山本願寺の戦い。
結局、本願寺には「領地」はなかったから。
失うものがないんだから、勝っても何も得られない。
褒賞も出せない。
本願寺側は志だけで戦に参加した。
褒賞は「お浄土にいける」。
なんか、今の世の中とそっくりじゃん。
純粋な「ムー民」を「グー民(愚民)」って呼んでる人がいるらしいけど、
うちのくまさんも含めて、純粋な人たちをうまく使う人がいる。
シリウスb星は純粋なムー民の星。
鈴木(雑賀)孫一といえば、熊野だもんな。
鈴木って名前は熊野の名前らしいし。
やっぱり熊野か。
地震のこととか籠神社(丹後)のこととか、つながって出てくるのはなんか意味があるんだろうか。
このところ伊勢平氏おじさんは「相模湾」っていう。
相模湾といえば、河内源氏。
倶利伽羅の戦いで伊勢平氏おじさんはじめわたしの周りに集まる人たちの先祖だという平維盛率いる平家軍を破った木曽義仲も、信濃源氏だが元は河内源氏。
倶利伽羅の「クリ」は、高(句)麗(クリ)でもある(四谷大木戸から高麗(こま)神社へ)。
このところ、アマビエや瀬織津姫、住吉三神、って海の関わりのある神様のシンボルがやたら気になるけど、
「自然が神」って口にするようになってから、わたしの目の前にやたらチラつくのは
巨大防潮堤とか、スーパー防波堤。
ついこないだ「想定外」があったばかりなのに。
自然に挑むって発想が、なんか違うってかんじる。
テレビもないし、新聞もとってないし、誰かの話でなんとなく耳にしただけ。
だから、どこか特定の場所のことを非難したりしてるつもりはないんだけど、
森で、「輪中」の話を聞いたとき、
一関で聞いてからずっと気になっている「室根山の熊野信仰」と気仙沼のことを思い出したから。
とにかく消化しきれないけど、全部つながってる。自分の中では。
シャチの夢をみた朝、
「大神島には王(おおきみ)がいる」
って言葉が降りてきた(シャチの夢)。
大神島には、ちょっと前には子どもたちの学校があった。
石碑はある。
でも、建物がない。
宿で飲んでるとき、宿のおじさんに聞いた。
「学校の建物はどうしたんですか」
「壊した」
「え?」
「使わないから」
「!!」
今の久高島には立派な校舎の学校がある。
25年くらい前、わたしが最初に久高島に行った頃は、本当に「神の」島だった。
その経緯も、その後のことも、なぜかわたしは知らされた。
友人カップルが生まれたばかりの赤ちゃんを連れて訪ねてきてくれた。
川を守りたくて、林業を志した彼と、不思議ちゃんの彼女。
亡くなったときに、捨てきれなかったしろくまさんの遺品の登山靴や服をたくさんもらってくれてうれしかった。
大神島で、学校が跡形もなく消えていた話をしたら、
「熊本ではダムを撤去した(荒瀬ダム)」っていうことを教えてくれた。
「ダムがなくなって、清流が戻って、めでたし、めでたし」
にはなっていない。
でも。
だからこそ、わたしたちは、もっと真剣に自分たちの置かれている状況を見つめなければならないと思う。
川は氾濫する。
川は川だけで存在していない。
山にある木々、雨。
自然というのは、すべてつながってる。
川だけに対処しても、その上流の山が荒れていては、水をコントロールすることはできない。
そして、川辺に住むには、川辺に住むための知恵が必要なのである。
輪中にあった住まいは、2階が万一のときのための出入り口も兼ねていて、船を吊るしてあったといっていたが、そういうものなのであろう。
集落の長は、知恵がちゃんとあり、それを教えることを怠らなかった、はずである。
少なくともわたしの祖父は知っていたし、わたしもそういうことを聞いて育った。
昨年浦和に運ばれたとき(関東平野に誘われて 〜海なし県の水の神)にも感じたけど、そもそも水のある場所は、土地を選んで住まなければならないのである(浦和の波うさぎのゆくえ)。
この記事をみてて、はっとする。
全部今もう一度みせられていることばかりだ。
高槻のことも、阿武山古墳(三島郡)のことも、波うさぎのことも。
極めつけは、「ダムを撤去した」って話を教えてくれた木こりの彼と不思議ちゃんと一緒に穴吹川でキャンプをした時のことを書いている。
彼らと行ったんだった。穴吹川にキャンプ。
「4人で大きなテントで寝たんだけど、朝起きたら、かなちゃんだけがいなくて、向かいの神社に行ってた」って話してたばかりだ。
穴吹川のその場所は、彼らのいきつけ(?)のキャンプ場所だったのだが、彼らは、そこがユダヤ神殿そっくりと有名な白人神社だと知らなかっただけでなく、そこに神社があることも気づいていなかったのである。
「神様は変わった」はずなのに、終わってない。
伊勢平氏おじさんとだけは切れてないのはそのせいなのか。
でも努力しないと会えないなって感じはする。
今までのつきあい自体、わたしの方もすごく努力してきたけれども。
最近は、約束していても、すれ違うことが増えた。
そういうときのおじさんは、間違いなく「気持ち悪いから会いたくない」って思ってる。
ほんと、感情ってすごいな。
感情は自分のもの、って多くの人は揺るぎなく思ってるけど、そうじゃない気がする。
昔は自分もそう思ってた。
でも目まぐるしく変わる人の感情を目の当たりにして、感情って目に見えない存在も含めて自分以外のものに簡単にコントロールされるんだなってわかった。
感情に働きかけることができたら、人になにかさせるのは簡単なことである。
わたしは自分の意思で結婚したと思っていたが、そうじゃなかった。
陰陽師とか、修験とか、わたしはあんまり興味がない。
人になにかして欲しかったら真っ正面から頼むし、不調和は自分で治せる。
でもこの世は、そんな単純な構造でもないみたい。
伊勢平氏おじさんが「キミのいうように単純なものではない!!」っていうように。
わたしの神様と、おじさんの神様が、うまくやっていけるといいんだけど。