令和3年3月3日は、三島の女神6柱に挨拶に | かんながら

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旅の記録です

昨日の東京は大荒れだった。

 

久しぶりの風の禊だった。

山火事はおさまったのだろうか。

成田山のちょうちんに金龍が閉じ込められていたが(瓢箪から駒が出て、さて、次は? 〜成田山・星供養)、まるで金龍が飛び出して金の気を撒き散らしているかのようだ。

 

そういえば、伊勢平氏おじさんが嫗(おうな)から金龍も昨夏八ヶ岳で登っていくのをみたもんな(浦和の波うさぎのゆくえ)。

伊勢平氏おじさんのちびっこの金龍はわたしだとなぜか思ったけどね。

だってわたし五黄だし(謎)。

 

 

金龍で風といえば、田無神社だ(お江戸のお水送り その1 〜田無神社は風の神?)。

 

3月3日は田無神社に行こうか。

「準備しいや」となにわの審神者(さにわ)には言われたが、どうもイマイチピンとくるところがない。

 

「江ノ島にいったらどうやー」と言っていたが、どうも江ノ島って気分ではない。

 

「三嶋大社にいこうかな」

「富士浅間神社とセットがええな」

 

「浅間神社は遠いと思う」

 

 

 

風の神ということで、田無神社が気になったので、ヨギの治療師を訪ねるときに車内から参拝。
 
 
ヨギの治療師とは、なぜかつい最近読んだばかり(松と梅と東北の地震)の「鈴木孫一」の話になった。
 
 
「鈴木孫一って雑賀の孫一のこと?」
「そうだよ。かっこいいんだよ。わたし彼にならお妾さんにしてもらいたい!」
 
「小学生のとき大河でやってて、その最期がすごく悲しかったんだよ。」
ヨギの治療師は涙した。
 
 
わたしは白山のサルタヒコのレクチャーを先週受けるまで、雑賀衆も、孫一も、もっと言えば石山本願寺の戦いのことすら知らなかった。大阪で生まれた女なのに(恥)。
 
戦国時代とは、織田信長VS浄土真宗の戦いだった、みたいなことを聞いたんだったな。
 
 
 
ヨギの治療師と話てて、令和3年3月3日といえば、
「みしま みぞくい みみのかみ」であろう、と思い、三嶋大社に行こうと思いたつ。
 
車で片道2時間ちょい。
 
本当は多摩湖畔から一気に藤沢に抜けるはずだったが、 なんとなくナビに従っていったら須走経由になっていた。
 
 
 
ということで車内からの富士山。
富士浅間神社は思いがけず車内から参拝することに。
 
 
到着。厳島神社。
 
 
北条政子が崇敬したとある。
次の大河は北条政子という噂。
 
 
本殿には参拝の列がでてきたが、わたしはピンとこない。
 
 
でも。
今日呼ばれたのはここだった。
見目神社。
 
 
三嶋大神の后神6柱をまつる。
三島の神は女神だ。
 
三輪山のみーさんも女神で、三島の神だ。
天理から大神神社のあのエリアは、三島の土地だったのだ。
 
 
 
 
 
 
 
鹿さん。
 
 
 
直会。
200円。
 
 
 
帰りは、箱根〜小田原〜伊勢原と帰る。
 
車を止めてほっとしたところに、公衆電話からの着信。
で、予定通り伊勢平氏おじさんからの電話だった。
 
「体調はどうですか」
「ああ、あまり良くないけど」
 
 
待ち合わせの約束だけ手短に。
 
「都合が悪くなったら電話する」
「はい」
 
こういうやり取りにも慣れた。
 
 
 
そういえば、「話がある」って言われてるんだった。
どんな話になるんだろう。