なぜか、こんな流れに | かんながら

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旅の記録です

昨日は断捨離デーだった。

あ、その前に、すごい発見をした日でもある。
わたしは遠近感がなく平面の世界を生きていると気づいた。

双眼鏡で覗くとその大きさがわかるのに、裸眼でみたら何度見返してもわからなかった。



ヨギの治療師に言ったら、

「美志摩ちゃんは頭使ってないんだね」

と言われた。



試しにアタマを使って駅までの距離を考慮して景色をみたら、見え方がまるで変わって驚いた。


その写真がこれ。



今までは遠くの情報も近くの情報も同じだけ受け取ってるから均質でベタっとしてた。
奥行きがあるからリアリティがあってよかったけど、先のことが見えないからなんか目隠ししてるみたいに不安だった。


映画も現実もテレビも同じ見え方しかしないよ、というとヨギの治療師は非常に驚いていたが、わたしにはあたりまえであった。
生きている感覚が乏しいのはコレなんだなとははっきりと自覚した。




しろくまさんの4TBという膨大な写真データの入ったハードディスクは、たくさんの人の協力のリレーにより、なにわの審神者(さにわ)のところに。


なにわの審神者(さにわ)が作品だけ取り出せるように協力してくれている。
その第一回。
電話で確認しながら整理。
3時間くらいで3分の1ほど。

作業は審神者がしてくれるので、わたしはその間掃除。

どっかりきてた資料を整理。

そのときぴんとこなくて見てなかった資料だが昨日気になったのは、ちょうど、鈴木孫一を描いた司馬遼太郎の小説に登場した豊臣秀吉の正室ねね。


琵琶湖ゆかりの人だったとは。





あと、これ。



鵜飼は、棚田と並んで天皇のいたところにあるとやんごとなきお方から聞いている。




なんと、千葉 清澄寺と、山梨 石和の関わりが描かれた能。

伊勢平氏おじさんからの引き寄せ。


いよいよクライマックスかも。
まさかここで繋がるとは思わなかったよ。

なにわの審神者(さにわ)がずいぶん前に送ってきた住吉大社の資料のなかにあった。
読む気しなくてそのまま置いてあったのを旅の途中で読むかと持ってきた。


鵜といえば、切符をみればわかる人にはわかるけど、向かう予定の方面にもある。




大阪に単身赴任になった代父に聞きたいことがあって連絡したら週末も東京に帰ってないというのであっちであうことに。


どこに?

ふと思いたった場所は高山右近のカトリック高槻教会。


ぴったりの案内人きた。

明智光秀の娘、玉の洗礼名ガラシャはわたしの洗礼名でもある。



普段は公開ミサをしてるけど、コロナ自粛中。



教会っていろいろ大変なのだ。
真面目な人には。

代父も教会活動に疲労困憊していたらしいが、転勤で晴れて卒業。



祈りの時間が欲しくて教会に行っているのに仕事ばかりで安らげず苦しかったと言っていた。





高槻城址もあるからと言われて向かった途中に野見神社。





素戔嗚尊(スサノオノミコト)。




恵比寿神社の御神紋。



こちらは高山右近が社領を没収。
そして石清水八幡宮にうつしたと。

石清水八幡宮は、離宮八幡宮か。

山崎。
そこは昔、亀山だった。




行く先にはなぜかある日本帝国陸軍の施設。





大阪らしい喫茶店でごはん。




京都に移動。




サンダーバードは強風で運休ですよと言われたが走ってはいた。
ただし30分遅れ。


で、乗り継ぎできず、はくたかに振り替えてもらう。

指定席を振り替えて欲しいと言ったひとはいなかったのか、貸切。



で、富山。