大神(おおみわ)から大神(おおがみ)へ その2 〜三輪そうめんがつなぐ縁 | かんながら

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旅の記録です

大神(おおみわ)から大神(おおがみ)へ 〜纏向の仙人から託されたもの からのつづき。

 

 

 

 

表参道駅からいざ羽田空港。

旧暦の大晦日。

小さいニーニーにお迎えを頼んだつもりだったが、

大きいニーニーが「街に予定がある」と来てくれることになった。

 

 

富士山よく見えた。

 

 

曇ってるけど、珊瑚礁の海。

 

 

これを持ってきた。

三輪そうめん。

糸のように細いことって意味があると思った。

 

 

夜の漁で海蛇を発見。

だって、三輪そうめんといえば海蛇でしょ。

人と蛇が結婚する。宮古島にもある神話(大神の島の大寒の大禊 その2 〜 みやこを繋ぐ大神と長浜と

 

 

わたしの中には、解決できてない「もやっと」した感情があるのを自覚している。

あーーーーもうちゃぶ台をひっくり返して暴れてしまいたい。

 

 

前の記事(大神の島の大寒の大禊 その2 〜 みやこを繋ぐ大神と長浜と)でちょっと書いたけど、

書くのも憚られるようなことを言われて、他人にどう思われても「わたしは私」を貫いてきたわたしでも

さすがに堪えることがあったのである。

 

 

単にそこの部分にわたしが免疫がなかったからだけなんだけど。お姫様だったからさ(今も)。

そして、それ、結構核心ついていることだとわかる。

やっぱり感情が反応することって、自分の痛みなんだな。

 

 

だから、まあいいんだけど。

あの出来事は、やはり、彼らの核心ついたとこだっただけで、「わたし」の問題ではなかったってことなんだろう。

それにしても、投げつけられるもののインパクトが大きすぎる。

昔のダンナが「お母さんにラーメンをぶちまけたことがある」って言ってたけど、そんな感じ。

 

 

こういうことが起こるときは、私以外の意志が共鳴して乗っかってくるから、

自分ではコントロールできなくなる。

増幅する前に調えなくては。

 

 

ここであれこれ思考に邪魔されてやりたいことを迷って先延ばしにしてたらストーカーみたいになったり

感情のコントロールが不能になっておかしなことになったりする。

「神ダーリ(神憑り)」の仕組みってそういうもの。

 

 

 

だから、持ってきた。三輪そうめん。

きっとこれを届けることに意味があるって思ったから。

 

 

しかも旧正月に間に合うタイミングが整うってできすぎ。

 

絶対これはなにかある、って予感はしていた。

 

 

 

で、旧正月当日。

 

船で賑やかなグループがやってきた。

そしてテーブルに置いてあった川口由一さんの「自然農にいのち宿りて」に反応した人が。

 

「叔父なんですよ」

「えーーーっ!?」

 

 

しかもグループの中に「桜井」からきた人まで。

ここ、宮古島の向こうなんですけど?

 

 

なんだか、「神の島」に集った人たちみたいで、

 

最初の舞の奉納が大神神社(おおみわじんじゃ)だったとか、もう出来過ぎでしょ。

 

 

いつもの「ミシマ劇場」。

 

 

 

なにわの審神者(さにわ)から電話がきた。

「箸墓前」。

卑弥呼の墓だ!

 

 

聞いた瞬間涙がこぼれてきた。

 

 

なにわの審神者(さにわ)も遠く離れたところでちゃんと調えてくれてるじゃん。

 

 

しかも、

 

この写真を送ってくるわけ。

奈良の三輪山。

 

 
わたしは、例の「もやっと」感が苦しくて海に行っていた。

で、その場で撮った写真を送った。

 

「おんなじやん!!!」

 

予定通りの反応ありがとう。

 

 

image

 

「今日、わたし、三輪そうめんを持ってきたので、一緒に食べていただけませんか」

 

で、みんなで直会。

「神さまと、人が共に食事する」ことに意味がある。

 

ニーニーたちも一緒に「おいしい」って食べてくれて楽しいひととき。

 

 

そういえば、三輪山だって「ゆり」だった。

狭井神社。

ホトタタライススキヒメ。五十鈴姫ともいう女神さまの印は、「ささゆり」である。

 

 

阪神淡路大震災の年の伊江島から繋がってきたよ。

だって伊江島も「ゆり」だもん((速報)クリスマスは琉球へ その2)。

卑弥呼の鏡がでて、慌てて寺を作って祀ったっていう噂(阪神淡路大震災から27年瀬織津姫の東京湾クルーズ 〜高輪ゲートウェイ〜芝浦〜東京湾〜金龍山(浅草))。

そしてそれを教えてくれた人と、丹後にいくはずだったところが、ドラマチックという言葉が甘すぎるくらいの壮絶なアクシデントが起きて延期になった(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へその3) 〜 津島神社編)。

そして、見事にそれを繋いでくれるガイドがあらわれて、わたしは白山へ。

その後も一年旅をつないで、美保関の御穂須須美命(みほすすみ)が出て呼ばれた場所が、今ここ。

 

 

出雲とえびす、そして伊勢。

何重にも張り巡らされているこの国の仕組み。

 

 

そして犬の「ゆり」と人の子の「ゆり」がきたのも、この島のあの岩に「ゆり」が咲く季節だった。

 

 

正月の朝、なぜか拝所の前に海蛇が備えられていた。

「落ちてた」とか「捨ててた」っていうけど、

 

この見事な位置に。

誰なの?

 

犬か鳥でしょ。だって。

この島では犬や鳥もお供えするのか。

 

わたし、三輪山から大神島の神様にお供えするのが三輪そうめんなら、

三輪山の神様にお供えするなら海蛇(イラブー)だよなって思ってたけど、まさかね。

「そうめん」のことを聞いたのは、まさにこの場所だったけどね。

 

翌日は、同じ場所に木の葉が落ちてて、

「狐?」と思った次第。

 

 

 

 

不思議なことが起こる大神島。

だって、「おがみ」島だもん。

 

拝むってすごいパワーなんだよ。

拝んでる人自体は、それに気づいてないみたいだけど。

 

問題は、「何に祈ってるか」ってことなんだけどな。

「神」っていうんだろうけど、「神」って何よ?

 

そして、その祈りの力が、他者に力を与えているということにわたしはようやく気づいた(わたしたちが、願う通りに。

 

伊勢平氏おじさんは、かつてわたしに「キミの力が利用される」って言ってたけど、

たしかにそうだ、と今はわかる。

わたしは祈らなかったけど、無防備だった。

 

 

 

「自分の意志を発揮していなければ、他の誰かの奴隷になる」

 

 

わたしは、ヨギの治療師にしつこく言ってきたが、

「人に言うことは自分にいうこと」というミシマの法則どおり、

自分自身に言っていたのである。

 

 

 

そうめんの次は、お米の奉納。

神人供食。

 

 

 

なぜかわたしには吠えるしかしなかったゆりがそうめんを奉納した後、はじめてわたしの隣に座ったりとか。

食堂に頻繁に寄ってくるから、大きいニーニーが意味深にいう。

 

「ゆりは、誰か気になる人がいるのかねー」

 

 

わたしももうちょっと単純だったらいいのにな。

おっかけまわして尻尾ふるとか。

 

「小さなしあわせ」はまだ今のわたしには遠すぎるんですけど。

 

 

 

伊勢平氏おじさんが「赤いワンピースを来て微笑んで去っていく」って言った先。

 

わたしは、「シルクロード」って答えたが、

おじさんは「その先の、シュメール」って言った(籠から出た鳥は 〜伊勢平氏おじさんとくくりひめ、のその先は)。

そしてそこには、虹がかかっていた。

 

で、テレビでこれが。

今調べててわかったけど、「一帯一路構想」っていうんだ。

中国が言ってる?

ほーーー。

 

 

縄文家族の天竜楽市さんに天竜川を案内していただいたとき(赤と青の龍が出会う場所 〜ようやく天竜へ )に東夷族の話してたけど、結構、現実味帯びてきたかも?

 

 

 

途中こんなものが送られてきたり。いろいろ。

とにかく、いろんなものが集まってきた。

 

だから、言ったのに(謎)。

 

 

「小さなしあわせ」を選択したかったのに、許されなくて、

だったら、「御用」の方をやってやるって決めたら、ちゃんと集まってくる不思議。

 

 

小さいニーニーには

「あなたは破壊する」って言われたけど、

そんなのわかってる。

だって、わたし「暴風」だもん。

 

禅堂主も仙人もキレるくらいの。

 

でも破壊するつもりないわけ。

形あるものはいつか壊れるの。

 

 

そういう意味では昔のダンナの「あなたと出会うと『時』がくる」っていう考察があってるのかもしれないな。

 

 

 

10年前に、止まった時を動かしたい。

だって不自然なんだもの。

祈りで封印されている、「神」という存在。

 

 

ちょうど同じころ、わたしも自分を投げ出した。

しろくまさんと結婚して、新婚旅行で高千穂峰に登り、

それからは、なぜか日本全国の神社旅することになり、旅にいく時以外は、静かにただ瞑想して過ごした。

 

 

今思ってもおかしい。

神社なんか興味はなかったのに。

 

 

そして、人間の欲望にうんざりして、何もいらないから、誰とも関らず、静かに暮らしたいと願った。

 

 

たまに訪ねてくれる昔のお客様をしろくまさんと手料理でもてなして、明治神宮を案内して。

お金もいらないって思ったし、十分にしあわせだった。

 

 

いろんなことがあったけど、振り返ってみたら、「死んだように生きていた」って思う。
まったき平安の中に、いたけれども。
 

 

そういえば、ヨギの治療師と12年ぶりに再会したとき、しつこく言われたな。

 

 

「山から降りておいでよ」(安曇の庭に誘われて(安曇野から丹後へ 番外編) 〜 山から降りた自分は)。

そして、その先の旅は、丹後から白山へと予定変更を余儀なくされたのだった。

 

今ならわかる。

「山から降りておいで」。

実際夢でもみたし(神の島 Day? 〜 次のタームへ?)。

 

「山から降りてきなよ」ってそういう意味だったんだな、って人のことをみたらよくわかる。

 

 

 

「まん防」だから、酒なし、うどんと天ぷらで直会。

そして、なぜか大神島から帰ると見たくなる東京タワー(そして、東京 〜過越の祭の時期に)へ、東京散歩。

 

あのときも、そのあと「大東亜共栄圏」と「エジプト」の話になっている。

今回は、そこから1年の蓄積で「一帯一路構想」=「陸のシルクロード」と「海のシルクロード」ってきてるけど。

 

 

 

翌朝。

早朝わたしは、明治神宮に、陛下の車が入っていく夢をみた。

陛下のお姿はみていない。が、陛下だって思った。

 

よく考えてみれば、「お手振りをされない」っていうのは、今の時代では不思議な光景でもある。

 

陛下がお参りに来られる日に遭遇したことは今までに何度かある。

 

今上陛下が来られたときにも(めくるめく、うごくめくるめく、うごく)。

令和元年のできごと。

あれから1年以上が経とうとしている。本当にあの年の11月はいろいろありすぎた。

 

そして、また来られるんだな、って思ったらそれは夢だった。

 

 

今回の旅の前に聞いていたとおり、旅に出る前にはあった、原宿門の鳥居はなくなっていた。

 

 

そして、「鳥居がはずされたから、大神島の神様が入る」ってきた。

陛下が来られる夢を見た日になんで大神島の神様?

 

 
でも、「神事は成った」って思った。

 

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