「天気の子」の街から卒業することになった。
初めからこの街には長くはいない。と思っていた。
夫と暮らした部屋は、夫の荷物がたくさんあって、そこに暮らしながら一人暮らしに変えていける自信がなかったから、引っ越しして「とりあえず」一人暮らしに馴染もうと思ったのだ。
でもちょうど物件の動かない時期で、「(明治神宮の)裏をきれいにして欲しい」という謎の要望(笑)もあって、「眺めのいい部屋」という条件だけで探した、この部屋に越してきた。
眺めは抜群によかったが、宇宙人仲間にも指摘されたが、とにかくこの部屋は大変な部屋であった。
そのぶんわたしは体力がついたであろうと期待している。
卒業式の日にようやくこの部屋に「まっすぐ朝日が差し込む」ことが判明。
いつもは、夜明け前に参拝にでかけるので気づかなかったのだ。
纒向の卑弥呼の宮殿と同じである(ちょっと自慢)。
引っ越しはたまたま、東京大空襲、東日本大震災と、追悼の節目のあけた12日になっていた。
東日本大震災から9年。カバラ数秘でみてもちょうど一巡したことになる。
わたしがこの世界に呼ばれたのは阪神淡路大震災がきっかけだったが、休止期間を経てまたこの世界に戻り、世界中の聖地を巡礼し、東日本大震災がきっかけで自分の間違いに気づいて、スピリチュアルからは距離をおいた。
結婚して、新婚旅行に行った先がなぜか高千穂峯。
それから全国の神社に旅に呼ばれるようになって、一昨年秋の東北巡礼が初雪を踏みながらの旅で、「ふたりの旅は終えた」と感じて、夫が突然に亡くなった。
わたしの人生もまたあらたな10年サイクルに入ったんだな。
コロナの影響で、明治神宮ミュージアムや売店もお休み中。
でも、ご神気はかえってきているとかんじる。
うーーーん、この景色の後ろにみえる、あの電波塔・・・。
明治神宮は自然と神だけに集中していけるように、ディスニーランドと同様(というかそちらが後でできたのである)外の世界が見えないように設計してあるのである。
見下ろすとはなんと不敬。
本当に、昔は明治神宮を見下ろすような構造物は作れなかったし、つくらなかったのである。
そんな時代じゃないのかもしれないし、平時ならそれも古と新いものの調和で美しいと思うのであるが、いかんせん、わたしはこの電波塔の所有社の不実な対応に今とても怒っているので、美しくみえない。
人の子の感覚なんて所詮そんなものだ。
「醜いもの」「きれいなもの」の基準全部、自分の心のうちにあるのだ。
明治神宮とは不思議な関わりがたくさんある。
やんごとなきお方とご縁ができたのも、ここにお参りするようになって、不思議な声を聞いたあとである。
卒業試験は失敗したかもしれないが、わたしの新しい旅立ちを祝福してもらっているような、感じがした日であった。
森がピカピカ輝いていた。
ただいま。表参道。
世界中旅してきたけど、ここがわたしにとって世界で一番好きな街。
離婚して、独立して、ここに初めて越してきてから12年目のはじまり。