壊れるから生まれるもの 〜わたし、のゆくえ | かんながら

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旅の記録です

大神(おおみわ)から大神(おおがみ)へ 〜纏向の仙人から託されたもの

大神(おおみわ)から大神(おおがみ)へ その2 〜三輪そうめんがつなぐ縁

そして、瀬織津姫の東京クルーズ からの続き。

 

これだけのことが起きた(起こした)のだから、それなりのことは起きる。

それが「調う」ってチャンスだ。

 

 

予定した通りになった大神島。

拝み島。

おかしかったな、「拝島」に住んでたことある、って聞いたときには笑うしかなかった。

 

彼は「自分が選んだ」って思っているだろうけどね。

自分が、「選んでる」つもりで、「選ばされる」ってことは普通にある。

 

 

ヨギの治療師からもいみじくも同じことを聞いた。

「お客さんにオラクルカードでみてもらった」

「ふーん」

「当たってるなって思って」

「そうなんだ」

 

 

占いとは、「当てていく」ものだっていってるじゃん。

わたしだって、そうしてきたし、占い師希望の人にはそう教えてる。

それがこの世のしくみだから。

 

 

でも、人の人生に介入することは罪深いことだとも知っている。

このあいだ、中国のことを聞く機会があったが、中国では、力のある占い師はそれを禁じられて、皿洗いしたりしているらしい。

そりゃそうだ。

国家より洗脳の力をもつ人間が市井(しせい)にいると国にとっては迷惑であろう。

 

 

いつだってマジョリティだけがその力を発揮していなければならないのである。

 

 

「『結界をはっておきました』って言ってたよ」

「・・・それが、『ひかされた』ってことだよ」

 

 

出会ったころ、「神も幻想(神の居場所その2 〜神様はいつきたのか)」って言ってくれたんだけどな。彼は。

 

でも、彼は新しい世界へ舵を切って、また隔たったって感じた。

わたし自身も、もう次の世界にいくってことなんだろうな。
 
 
彼は悟るために座禅をしているし、わたしのことをドリームキラーだとでも思っているみたいだし。
しろくまさんのときと同じ。
 
 
わたしが対極にいるからそうなっちゃうんだろうか。
それとも、このあいだから薄々気づいているように(川と海の街 〜瀬織津姫はノーを言えるか)、
これが社会のカタシロだからなんだろうか。
 
 
社会のカタシロは、わたしが同意しているから起きる。
わたしだけ、がその原因でないにしても。
 
 
少々アテにしようとしたことは、あっさりはずれて、またひとつ退路を断たれた。
よく観察すると、初回の人間関係の壮大なリセットからずっと、大神島から戻るといろいろある。
でも今までは、なんだかんだと仕切り直しがあって元に戻って、の繰り返し。
 
 
でももう先にいくよ。
 
 
 
なにわの審神者(さにわ)からはすごい勢いで「繰り返してる!!」って怒られたけど、
沖縄のことはしょうがないんだよ。
だって初代「ヒロ」さんから託されたバトンだもん。
 
わたし自身がやりたい、って決めてるの。
「島の子」を産むんだから。
 
阪神淡路大震災の年からずっと「宿題」でもってきた(安曇の庭から琉球へ 〜瓢箪から駒は出るか?!その1 天上界の神様)ものだから。
 
 
 
死んで、新しくうまれかわる、ってプロセスを繰り返す。
島でも「あなたは破壊する人だ!!」って怒鳴られたけど、
今あるものが壊れたときにだけ、新しいものが生まれる。
 
 
 
じゃあ、本当に今のままでいいの?
 
 
わたし、わたしがまいた種を刈り取ろうと思っているだけ。
わたしの無関心が生み出した、愛のない社会(龍が迎えにくる 〜地龍(みみず)が、龍になる日)を。
 
 
だって、みんなちっともしあわせそうじゃない。
不満を口にしながら現状にいとどまる。
「それが人間」らしいけど、だから環境は荒れる。
 
 
不満の解消のために、貪るように消費が繰り返され、環境が損なわれていく。
 
 
わたしは、わたしのまいた種を刈り取って、もしまだ残されたいのちがあったなら、そこに美しい種をまきたい。
ちいさなしあわせを大切に、目の前にいる人の笑顔という、しあわせのいのちの花を咲かせたい。

 

 

 

 

ヨギの治療師には、「美志摩ちゃんだって、審神者(さにわ)に振り回されてる」って言われた。

 

全くその通り。

振り回されているというか、彼とは伊勢神宮で丹後の神人に紹介されてから(真名井の縁の伊勢神宮〜橿原神宮〜罔象の女神〜大神神社に続く旅まとめ【その1】)ずっと意識を繋いできた。

目標が一緒かどうかはわからない。

 

今その旅の記事(高千穂・真名井の水を豊受大神のご神前に(その8・伊勢二見編))をみていたら、「沖縄産シャコ貝」がでてる。サルタヒコが噛まれて溺れて死んだっていう貝。伊勢では、「アマノウズメ」が暗殺したって聞いたけど。

でもそうでしょ。鬼餅(鬼ムーチ)の話(クリスマスは琉球へ その3 〜宮古島から北大東島へ)も、甕星香香背男(ミカボシカカセオ)の話(カカが呼んでいる(続)〜大甕神社の星神と、最強の機織神)も、まちがいなく、女神が封印したのである。

 

はじめは彼はまだ会社員で、わたしはすでに「蚯蚓(みみず)」だったからもっと隔たっていた。

意識の交流の中でお互いにすりあわせてきた。

 

 

ようやく共感しあえるゴールもみつかるようになってきたところ。

合気道でも相手の力を使うけど、わたしも使う。

というか自然に相手と一体になる。だって否定しないんだもん。

人は人って思うから。星にいちいち、思い通り変わって欲しいなんて願わないように、わたしも人に干渉したくない。

 

 

審神者(さにわ)だけじゃない、みんなに利用され、そして自分自身も周りのエネルギーを意識的にも無意識的にも利用して、わたしは存在している。

伊勢平氏おじさんも、島の人たちも、そして生きている人だけでなく、過去に生きていた人たちの思いも。

 

 

伊勢平氏おじさんもこのタイミングでめずらしく「会いたい」と言ってきた。

 

めずらしくもないか。

わたしが「会いたくない」から、彼は「会いたい」のだ。

反対だから。

 

 

ようやく彼も「毒蛇の毒を捨てる夢」をみて、解決したっていってたから、わたしのことがわかるようになったのかな。

でも「女」がいたって不審がってはいたけど。

だから、あなたのところにいってる「わたしを通してくる」障りは、「あなたについてる(視える)女」が起こしているんじゃないか、とずっと言ってるのに。

わたしの中ではその夢の話で「おそらく」が「確信」に変わったけどね。

 

 

ヨギの治療師にも昔、抗議したことがあるけど「わたしがそんなことするわけない」ってどうして思えないんだろ。

冷静に考えたらわかることである。

感情は判断を曇らせるっていつも言ってるのに。

 

 

伊勢平氏おじさんは自分に「見張り」がついてる、って言ってたけど、そんなのあたりまえである。

彼はよくわかってないみたいだけど、本来、人は触れるだけで相手のアカシック全部インストールされてしまうのである。

特に女性は。

当然「なぜ?」って思って探るはず。

 

そしたら「見張り」もつくでしょうよ。

 

無防備に関係を持ちすぎなのである。

 

 

AIDSという病が流行りはじめたとき。

たしかあれは阪神淡路大震災の前だったと思う。

 

わたしは思った。

 

「身体の関係をもつ、ということは、関係したパートナーの過去のすべての異性関係をみんな引き受けるってこと」

なんだなって。

 

 

AIDSは警鐘だって思った。

セックスが安易に行われるようになっていたから。

しかもオープンではなくて表面上は何事もないようにして。

 

 

病気が怖ければもっと慎重になるって先祖霊が教えてくれたとしか思えない。

 

 

そのあとにあらわれた頸がんも今真っ最中のコロナも。

それぞれあるわけ、メッセージが。

ちゃんとそこ、理解して律していかないと。

 

 

朝、なぜか今帰仁の不思議おじさん(安曇の庭から琉球へ 〜瓢箪から駒は出るか?!その1 天上界の神様)を思い出して、明治神宮から電話した。

 

すると今帰仁の不思議おじさんは、令和3年の明治節(11月3日)ごろに合わせて、古宇利島で明治天皇に縁のある「鍛冶屋の娘まじる おばあ」と明治天皇の叔父にあたる方の霊が明治神宮に帰るように拝みをしたと言っていた。

 

 

前にも聞いたことがある「鍛冶屋の娘」。

「鍛冶屋」っていったら「鉄の氏族」でしょ。シュメール。

ノロだったってことは、「偉い人の相手をする人」ってことみたい。

 

 

なぜ古宇利島で拝む?

古宇利島の神様の黒龍は、生贄を要求するって言ってたけど?

 

 

古宇利島の神女のあやこさんに初めて会ったとき、わたしが東京からきた、って言ったら「明治神宮?」って当てたけど(アダムとイブの物語 〜コロナ後の社会(ポストCOVID-19)にむけて)、やっぱり呼ばれてたのか。彼女に。

 

 

白山のサルタヒコには、最初から言われてた。

わたしが伊勢平氏おじさんを守るために戦っている相手は、とてつもなく大きいって。

で、とばっちりが怖いって縁を切られた。2度も。

 

 

なにわの審神者(さにわ)は、全身全霊でわたしを止めようとする。

それが、「(彼があなたを好きになって)あなたの使命が果たせなくなってしまう」って丹後の神人が心配したやつかな。

 

 

 

わたしは戦っているつもりはなかったけど、最近ようやくわかってきた。

わたしが、しようとしていることがなんなのか。

 

 

ヨギの治療師は、出会ったころ過激な言葉でそう予言していたけど。

 

 

いいの、もう。

本当は、わたしだって「(目の前にある現実の)小さなしあわせ」を大事にしてこの世に生きて、

神さまの世界に関わりたくなんかない。

でも揃いも揃ってそれを許してくれない相手ばかり差し出されるし。

 

 

もうしろくまさんの写真も出せたし、もうこの世に思い残すことないもん。

 

 

伊勢平氏おじさんとは「小さなしあわせを大切に」のあの日まではうまく行っていた(阪神淡路大震災から26年 〜神の居場所)。

あれは、代々木の部屋の内見に行く途中だったのだから、なにわの審神者(さにわ)に出会う直前じゃん。

 

 

やっぱり「神様」の仕業か。

もう「神様」いらない。
人の暮らしに介入してくる神様は、本当の神様のはずがない。

 

 

神事をやっている彼は当然その力はある。

利用されてるのはわかってたけど、わたしも迂闊だった。

二言目には「個人的なことはどうでもいい」ってこと言ってたのに。

 

 

この世は「個人的なこと」こそ大事なのだよ。

 

 

さあ、わたしあとどれくらい生きられるんだろ。

生きてるうちに、思いっきり遊んでやる。

悔いのないように。

今までもそうだったけど、これからはもっとそうする。

 

 

初めて大神島から帰ったときに、助け舟を出してくれた彼女(そして、東京 〜過越の祭の時期に)とごはん。

待ち合わせに指定された場所は、なんと週末に船で巡った場所だった(そして、瀬織津姫の東京クルーズ)。

小名木川。はじめてきたのがおとといで、またここを訪れることになるとは。

しかも面白いことに、彼女の方は当日明治神宮を参拝していたそうである。

 

動くのはケツァルコアトゥル(ククルカン)(謎)?

 

 

彼女とは「神は自分の内深くから湧きいずる」という感覚を共有している。

外側に神はいない。

自分が、この世の創造主。

 

 

なかなかこの感覚共有できる人はいないんだけど、わたしの周りは基本そんな人しかいない。

 
 
 
 

 

もうすぐ紀元節。

日本の国のはじまりを祝う。

 

でも、あたらしい時代は、わたしたちの手でつくる。

他の誰かの、思うようにではなくて。

 

それが、たとえ、神であったとしても。

 

 

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