(神の島から、人の街へ 〜そして、東京)からの、続き。
東京に帰って「あるもの」を手配した。
なにわの審神者(さにわ)との連携でみごとに整って、手元に届いた。
2月1日にある予定があって、それがあるから島にいくには微妙だと思ったが、
確認したら2日から、ということで、かつ「落ち着いたら連絡します」ということだった。
行ける。
で、飛行機に。
ANAの宮古行きは減便で2月1日からは1日1便になる。
しかも今週のとく旅で5500マイルで行ける。
機内でこの記事をみつけた。
Facebookで
三輪山の倭大物主甕櫛魂神はオリオン座なんです!
信じて!糸巻き!参拝しますよね。
なんて書いてあるんだもん。
纏向みるでしょ。由来。
纏向の仙人の畑は、卑弥呼の宮殿跡だった。
最初にいったのは、初めて巻向の仙人に会いに行ったとき(飛鳥と卑弥呼と自然農 〜その3 卑弥呼が神殿でみてたもの)。
畑の場所を確認にいったら、古墳と小さな神社をみつけた。「天照御魂神社」って書かれてた。
そして、明治神宮遥拝所があった。
纏向の仙人に、当然聞いた。
神社のことは知らない、と言われたが、
「明治神宮遥拝所はなんであるんですか」って聞いたら
「都が変わったから」って返事だった(巨大地震 と ひとつの意識)。
そのときはスルーしたけど、
じゃ、神社のこと知ってるんじゃん。それに気づいたの、最近。
当たり前か。だって畑の敷地みたいな場所なんだもの。
纏向の仙人から、「お別れの手紙」をもらってからのこと。
令和3年10月6日。旧だと9月1日。新月だ。
彼なら、祈りを込めてその日を選んでくれたはず。
あの頃はきつかった(川と海の街 〜瀬織津姫はノーを言えるか)から、それに気づいていなかった。
伊勢平氏おじさんにも冷たくあしらわれ、
社会の中の居場所を必死で見つけようとしていたころ。
そして、しろくまさんの写真を出してあげたい、ってもがいてる。
今日は赤いワンピースできたよ。
わたし、もう次にいくんだから。
行き先の予定はいまだにないけどね。
国旗の赤。
阿加流比売(あかるひめ)の赤。
そして、丹生。
鉄の氏族。
(関連記事)