神の居場所その2 〜神様はいつきたのか | かんながら

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旅の記録です

これはすごく荒くて読みにくいと思うし、理解されないと思う。
コロナがおさまったころには、ちゃんと書き直せて、わかりやすいものになってると思う。
 

でも、ちょうど白山のサルタヒコから問合せがあったので、記憶を整理するために書いておきたい。

取材のための準備(笑)。

 
最近、神の居場所ってタイトルの記事を書いた(阪神淡路大震災から26年 〜神の居場所)。
でも、神には人それぞれいろんな神がいて、働きもいろいろだけど、そもそもこの記事は「神はいる」という前提のもとに書いている。
 
 
しかし、最近、「神さまだって幻想だよ」っていうヨギの治療師と話していて、自分でも気づいてなかったことに気がついた。
 
それは、「わたしには、どうも神はいない」ってことだ。
 
 
 
 
やんごとなきお方から聞いた「縄文人」は、「弥生人」が渡来してきて、混血しながら、南北に別れていった、らしい。
そして、とくに混血を望まない人たちは、争いをさけて北上または南下して、北海道と沖縄にわかれた。
沖縄の語源は、沖の縄文、って意味らしい。
 
アイヌの人たちと、沖縄の人たちはだから、元は同じ遺伝子なんだよという話。
 
 
「ねえねえ、縄文人は、神事をしてたんでしょ。」
「土器とかには、それ用としか思えない形のものとかあるもんね。」
 
 
水を土器にいれて、月や星をうつしたんじゃないかと思うものがある。
 
 
でも。
「原初の縄文人には、神はいなかったんじゃないかな。」
 
「え?どういうこと??」
 
 
 
「わたしのことなんだけど、恐れや不足がないときは、神に祈るってことないもん」
 
 
 
 
「だってさ、狩猟採集民族って、なかったら移動するし、祈って待つってたぶんないよ。」
 
「それって、美志摩ちゃんじゃん?」
 
 
 
ちょっと前に、そんな話をしてたんだった。
 
 
「思いは叶わない、って本書いてよ」
「え?わたしそんなこと言ってないよ!?」
 
 
「美志摩ちゃんは、『自分に祈って、自分で(行きたい場所への)切符を買う』って言ってたでしょ。」
 
「願うだけじゃ叶わないよね。多くの場合。」
「思いによって入ってくることもあるんだけどね」
 
 
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今まで何度か書いているので、またかと思われるかもしれないが、聖書にある、アダムとイブの物語だ(アダムとイブの物語 〜コロナ後の社会(ポストCOVID-19)にむけて安曇の庭から琉球へ 〜瓢箪から駒は出るか? その2 城とノロ )。
 
アダムとイブは何不自由なく、楽園に住んでいたが、蛇にそそのかされて(ってことになっている)、ある日、食べてはいけないと言われていた「知恵の実」を食べる。
すると、知恵がついて、神様との約束を違えた罰に楽園を追われる。
 
 
 
古宇利島にも同様の話がある。
そちらはもっと具体的というか、神様が降らせてくれる餅を「蓄える」ようになったら、餅が降ってこなくなった、という話である。
 
わたしは、それは「恐れを持った」ってことなんだと思う。
明日の心配をするようになったら、そこが「地獄」なのだ。
 
天国から地獄に行ったのではない。
明日を思い煩うことなく、しあわせでいられたのが、「知恵」によって「心配」が生まれたから、その場が天国でなくなった、ってことだ。
 
 
聖書に出てくる、蛇はエネルギーか。創造の。「もっとやれる」ってところか。
きっと楽園を追われ、餅が降ってこなくなったから、彼らは創造的な人生をあゆみはじめた。
たいくつな楽園での暮らしではなくて。
 
 
 
バーラサイババも言っていたし、わたしもそう思うが、天国は間違いなくたいくつである。
わたしは基本的に楽園の住人だが「せっかく生きてるんだから、ドラマチックに生きたい!!」って願望があるからこうなっていると自覚している。
 
 
 
 
わたしは、会社員時代から、その足のつくり(デフォルトが大地を掴むようにできている)などから、「縄文人100%」といわれているが、「弥生人」も苦手だが、嫌いではない。
 
どうも「縄文人」VS「弥生人」みたいに言われることが多いけど、過去に弥生遺跡について書いていた記事((追記あり)豊橋の瀬織津姫がみせたかったもの 〜五ヶ所湾から豊橋へ そして。(その1))についたコメントをみても、争い戦ったわけでもなさそうである。
 
わたしは半分が島の女だからわかるけど、島の女はなんでも「受け入れる」。
拒絶しない。
諸鈍シバヤって仮面をかぶった人があらわれる祭があるけど、それから推察するにたくさんの来訪者を受け入れ、血を混じり合わせてきたんだと思う。
 
 
すべて自然任せの時代は恐れはゼロだったけど、
着物を作ったり、備蓄できるコメを作ったり、そういう「素敵な文化」を歓迎してしあわせを享受しているうちに、
それを失う恐れも少しずつでてきたのであろう。
 
 
そうすると、「不足」がでてきて、「〜だったらいいのに」って思いがでて、
神に祈る、とか、神様にお願いする、ってことがでてきたのかな、
 
そんな風に思ったのである。
 
 
少なくともわたしは、基本、「なんとかなる」と思っているので、神に祈ることがない。
わたしの祈りは「わたしはどうしたいか」を問うだけだ。
 
 
 
神って、原初はいなかった。
それがわたしがなんとなく思うこと。
 
 
恐れがなければ、神は出現しなかったのでは?
 
 
 
「神も幻想」ってヨギの治療師はわたしに言ったけど、きっとそうなんだろうな、と思っている。